- ナノ -

恋だな 2



 その日の放課後も、真波との勉強会のため私は教室に残っていた。
昨日、真波の走りを見てからというもの、私の中でこの”先生役”に対する姿勢が大きく変化していた。彼の力になりたいと心から思うようになった。
思えばそんな風に物事に対するやる気が沸いた事すら久しぶりの事だと気付く。

しかし、気掛かりな点がある。
真波の事だ。
私の気持ちの変化と関係があるかどうかは分からないけれど、真波の様子がおかしいのだ。

 私は昨日の放課後もこの教室で真波を待っていた。たぶん時間通りには来ないんだろうなぁと思いながら。でも、来たのだ。おそらくホームルームが終わってからすぐに来たと思われる時間に。
加えて、その後の勉強態度も驚く程素直で。これまでのように、集中が切れたり世間話をしたりという事も無かった。

あんな風に机に向かうのはきっと本来の彼じゃない気がする。
長続きしない気がするのだ。
もしかしたら今日は、来ないのではないのか。


「おじゃましまーす。名前さん、よろしくお願いしまーす」

私の不安を他所に、ガラガラと音を立ててドアを開けた真波がひょっこり入って来た。
信じられない!今日も時間通り。
どういう風の吹きまわし!?

「・・・来た!?」

時間や約束を守る、という人として当たり前の事だけど、どう見ても自由人であろう彼が連日それを実行し続けているという出来事に、なんだか感動してしまった。

 私たちは昨日までと同じように机と椅子を二つずつ横に並べて座る。私の隣に真波が座るとき、ふわりとした香りが鼻腔をくすぐった。なんだコイツ、運動部のくせに良い匂いとは。さすがイケメンか。
懐かしく感じるようなその香りに私は、どうしてだか夏を感じた。あったかくて、やさしくて、お日様みたいで。そうだ・・・太陽の匂いだ。

私はそんな、夏を感じる彼の香りにもなぜだか嫌な気持ちにはならなかった。・・・なぜだろう。ちょっと前まで、夏を思い出しては切なくなっていたのに。
それどころか、太陽の匂いがするだなんて真波らしいなぁなんて微笑ましく感じてる。
お日様とか、山とか、青い空とか。そういうのって、真波に似合うよね。

 ふと、昨日の彼を思い出す。自転車に乗っているときの真剣な瞳・・・。思い出しただけで、なぜだか私の胸が、大きく脈打つ。
誰も居ない放課後の教室という状況も相成って、急に彼を意識してしまう。そうだ、今さらだけど、二人っきりじゃないか。

え?ちょっと待って。
これじゃまるで、私・・・いやいや。

きっとこれは、彼をひとりの選手として尊敬してる気持ちとか、昨日の感動とかが、ごちゃまぜになっているんだ。脳が処理しきれていないんだ、きっと。


「えっと…じゃあ、さっそくだけど始めようか。昨日途中までやったプリントから・・・、」
「あー、これですか?もう、やりましたよー」

合ってるかはわからないですけど。そう言って彼がカバンから出したプリントは、無造作に入れられていたせいか多少シワにはなっていたものの、解答欄にはしっかりと書き込みがされていた。

「え…これ、やってきたの!?真波が!?」
「うん。今回は鉛筆転がして勘で、とかじゃないですよー。一応ちゃんと、解いてみました」

 答案にざっと目を通してみてもその筆跡は確かに、彼が自分で解いたものに間違いは無かった。プリントの隅には、考えたようなメモの形跡や、解答欄にも消しゴムで消して書き直したような努力の跡も見られる。
 今日ここへ来ただけでも、ビックリなのに。予習までしてくるだなんて・・・。
唖然とする私に、真波は相変わらずの飄々とした様子だ。

「きのう委員長に、名前さんの事とか話したんです。そしたら、先輩が勉強つけてくれるのに、そんなに迷惑かけたのかーって、怒られちゃって…それにオレも、名前さんと話してて気が付いたんです。勉強とか学校とかは、興味無いけど。でもレースに出られなくなるのは、もっと嫌だなって」

えへへ、と困ったように笑う真波。
いや、気づくの遅いよ…と私は心の中でツッコミを入れつつ、でもこの自由人からしたら、これは大きな変化なんだよなぁと私も純粋に嬉しくなる。
教えてもらう立場なんだからこれくらい当然でしょ、という言葉をぐっと飲み込む。

「真波…そっか、良かった。やる気になってくれて、私も素直に、嬉しい。こんな事言うの恥ずかしいけど、正直、真波の走ってるところもっと見たいって思ってるんだ。だから、私にできる事は何でもする!一緒に頑張ろうよ!」

それは、素直な気持ちだった。
私の言葉に、真波は片手の甲で口を覆いながら、「あー、ハイ」と曖昧な返事をした。
とりあえず、二人の進む方向が一致したという事で、良いんだよね?


 真波がやってきてくれたプリントをその場で簡単に採点すると、できている部分とできていない部分の差が激しい。どういう事なのかと聞けば「委員長から押し付けられたノートを前に見た所は分かった」、とのこと。

「ねえ、さっきから話に出てたけど、その”委員長”って?同じクラスの委員長とかなの?」
「うん、そう。幼馴染なんだ。オレに自転車を教えてくれた人。いーっつも、遅刻するなとか居眠りするなとか、なんていうか元気なんだよねえ」

 よくわからないけど、委員長グッジョブ!クラス委員だからって、あだ名もそれなのかな?すこし気になったけど、触れるとせっかくの勉強モードから脱線しそうだ。
 その人に教わった所はできているという事は、真波は馬鹿ではない。やればできるみたいだ。
苦手箇所も絞られたところで、その部分だけ徹底的にやろうという話になった。

 勉強を開始し30分が経過して、1時間が経過しても、彼の表情は真剣そのものだった。この前は、ものの2分で鉛筆を回し始めたというのに。本当に、やる気になってくれたんだなあ。

それにしても…やっぱり、真剣なときの顔はかっこいいな。
まつ毛長っが。
鼻高っか。
顔、小さすぎ。
ホントに外の部活?ってくらい肌白いし。
…こういう人のコト、美少年って言うんだろうな。

なんて無意識のうちに考えていた矢先。



ぐうう。



私たち以外誰もいない教室に、低く短い音が響き渡った。

「あー…あはは。なんかお腹すいちゃった」

音の正体は、真波のお腹だった。

「ふふっ。すごい集中してたもんね。順調に進んでるし、ちょっと休憩にしようか」

なにか小腹に入れるような物あったかな?とカバンの中を探すと、お昼休みに隼人さんに貰ったパワーバーと目が合う。

「あ!これならあったけど、食べる?」

喜んで受け取るかと思いきや、真波の表情はなぜだか曇った。


「それ、もしかして新開さんのいつも食べてる…?」

真波は受け取りもしないで、ムッとパワーバーを見つめる。

「そうだよ、隼人さんにもらったんだ。でも、お腹空いたなら真波にあげるよ」

だけど真波は依然として、眉間にシワをよせたままだ。…苦手なのかな、パワーバー?






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