- ナノ -

その熱に気付く前 2



それは、山岳と名前が出会ってまだ間もない頃だった。
授業の授業の合間の休み時間、山岳がふらりと廊下を歩いているとたまたま名前に出くわした。

「あ、名前さんだ。こんにちはー」
「...ゲ、真波。...放課後以外にも会うなんて、最悪」

顔を見ただけでこの言われようなのだから、随分な嫌われぶりだなと山岳は人ごとのように思った。
オレはこの人をキライじゃないけど。っていうか可愛いカオしてるんだから、もっとニコニコしたらいいのに。

まぁでも、自分の為にしてもらっている放課後の勉強会も遅刻して行ったり、行ったところで大して集中もしないで過ごしているし、好かれるより嫌われる理由の方がずうっと多いという事も確かだった。
そんな事くらいわかっていたけど、人から好かれたいなんて思った事も無かった。


「あれ?名前さん...なんか、調子悪いです?」


名前の顔色が優れない事に、山岳は気付いた。
山岳は彼女の白い頬を綺麗だと、初めて会った時から何となく思っていた。そしてその頬に薄っすらと滲む桃色の血の色も、知らずの内に目で追っていた。だからすぐ気付いたのかもしれなかった。
その日の名前は顔に血の気がなく、陶器のようにただつるりと青ざめていた。


「...大丈夫よ」
「けど、顔色がすごく悪いですよ。具合が悪いんじゃない?」
「−−−っ、触らないで」


心配になって彼女の頬に手を伸ばすも、振り払われてしまった。二人の手がぶつかって、パシリと渇いた音が響いた。
山岳は今まで、女の子という生き物は、自分を弱くみせたがるものだと思っていた。異性に頼られたり甘えられる事はあっても、強がられたり、ましてやこんなふうに拒絶される事は彼にとってはまず無い事だった。
驚いて彼女を見つめると、心底迷惑そうに眉を寄せている。


「...もしも私の具合が悪かったとしても、真波には関係無いでしょ」
「...でも」
「放課後の勉強会には、ちゃんと行くから。今日は遅刻しないでね。じゃあね」


そう言ってその場を後にした名前の背中を、心配になってつい目で追う。
頼りのない足どりだった。

追いかけて、無理にでも保健室へ引っ張って行った方が良いんじゃないかな・・・。


他人にあまり興味のある方では無かった。
だけれど今、彼女の小さな背中が気掛かりで仕方なかった。
オレ自身が昔、身体が弱かったせいだろうか。
・・・それとも、気になっているのは、彼女そのものに対してなのだろうか。



「−−−名前、さん・・・」

やっぱり呼び止めようと、山岳が廊下の少し離れた場所から声をあげた時−−−ほぼ同時と思われる瞬間に、名前の前に、一人の男子生徒が現れた。


「よォ、名前チャン」
「靖友さん・・・。こんにちは」


荒北さんだ、と山岳は思ったが、きっと名前は自分にもそうしたように、体調不良を隠して強がってみせるのだろうと思った。
だから恐らくあまり多くは会話しないだろう。
彼女を保健室へ連れて行くのは、二人の話が終わってからで良いか。山岳はそのまま、廊下の壁に体重を預けて、その様子を見守る事にした。


「え、名前チャン...なんだァ?!その顔色は?!」
「...そんなに顔に出てますか、私?」
「真っ青だろ、このバァカ!具合悪ィのに、なに廊下フラフラしてんだよ?!」
「どうしてもの用事があったから」

荒北がもう一度、このバァカ、と荒々しい口調で言いながら、しかし優しく名前の頭を撫でた。名前は抵抗するそぶりも無く、身長差のため上目遣いで荒北を見上げている。
そんな様子を見ていた山岳の胸は、ざわざわと騒ぎ出しはじめていた。


「さっさと保健室行け!このボケナス」
「靖友さん、それが病人に対する扱いですか?それに、保健室行く程じゃないですよ」
「こンの生意気女...オメェこそ、それが先輩に対する態度かァ?!保健室行って薬もらうなり横になるなりしろ。...着いてってやっから」
「...ありがとうございます。ふふ」
「ナニ笑ってんだ。熱でアタマでもおかしくなったンじゃないのォ」
「靖友さん、おせっかいだなって思って」
「ウッセ、行くぞオラ!」


荒北は名前の手を取って、廊下の向こう側へ歩き出した。
彼の手の中に大人しく包まれている名前の白くて小さな手が、さきほど自分の手を振り払ったものと同じだとは、山岳には思えなかった。

山岳は、自分の胸が苦しい事にやっと、気がついた。

−−−え、何だろう、この感覚・・・?

困惑して、胸のあたりを撫でてみる。
ロードバイクで坂を登ったわけでもない。幼い頃の大病だって、とっくにもう完治している。
なのにどうして、こんなに胸が痛むんだ。

理由は、わからないけど。
しかしただ、目の前の荒北と名前の姿に、心は掻き乱されていく。


−−−自分には、具合が悪い事さえ、教えてくれなかったくせに。
触れる事すら、拒んだくせに。
...オレの事なんて、見ようともしなかったくせに...。

そう思ったら、苦しくてたまらなかった。こんな事を人と比べるのはおかしいと思う。ましてや自分はまだ彼女と出会ったばかりで、荒北さんはきっと、彼女にとって仲の良い先輩なのかもしれない。
...そんな理由でも見つけ出さなきゃ、どうにかなってしまいそうで、オレはできる限りの言い訳を自分に吐いてあげた。


好かれなくて当然と思えるような事をしてきたのは、自分なのに。
人から好かれたいなんて思った事、無かったはずなのに。







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