−−−数日後。
ある日のお昼休み。
「名前さんっ」
私の教室に現れて、嬉しそうに席へと駆け寄ってきた山岳は、この光景を見てすこし驚いたように瞳を丸くさせた。
「...ユート?なにしてるの?」
自席に座る私の後ろで、悠人はぺこりと会釈をした。そして再び、手に持ったヘアブラシで私の髪をとかしはじめる。
「真波さん、イイトコに来ましたねー。名前先輩への、ヘアスタイルのリクエストないっすか?」
「リクエスト・・・?」
−−−私は内心、ハラハラして仕方がなかった。
私への気持ちの誤解が解けたあと・・・悠人は気持ちがサッパリしたらしく、以前のように時々こうして、私のクラスに顔を出すようになった。
悠人の誤解も解けたようだし、それに山岳だって疑ったり心配したりしてるワケじゃないって事も、この間分かった。
・・・だけど・・・
「やきもち」というのは、そういうのと別問題だとも山岳は言っていた。・・・そういや前に、黒田も言ってたっけ・・・気をつけないと真波が可哀想だろって。
「・・・さ、山岳?!これはね、悠人がムリヤリ・・・私は、いいって断ったんだけど」
「そーなんですよ。名前先輩はオレの憧れ、ってコトで・・・オレの少女願望を体現してもらおう!と思いまして。センパイ、カワイイ髪型も似合いますよゼッタイ!」
「そ、そんな勝手な・・・!」
...私たちのやり取りを見て、山岳はプッと吹き出した。
「あっはは!うん、いいね。名前さん、せっかくだからやってもらおうよ」
「は、はぁ〜?!もうっ!山岳、コイツをとめてよね ?!」
「サッスガ真波さん!話が合いますねー。名前先輩って素材は良いのに、なんでもっと可愛くしないんですか?中身だってサバサバしてて、男前すぎるじゃないですか。まぁ、そーゆートコも良いけど・・・でも、せっかく女の子なのに。・・・ね、真波さんもそう思うでしょ?」
・・・てっきり怒るかと思ったのに、山岳は意外にも楽しそうに笑ってる。・・・いや、でも、もしかしたらホントは嫌なのに無理をしてるだけかもしれないし・・・。
気が気じゃない私をよそに、山岳は飄々として悠人の質問に答えた。
「え〜?オトコみたいって・・・オレは名前さんのこと、そうは思わないよ。まぁ、確かにきりってしてるし、かっこいい時もあるけど・・・名前さんて、ちゃんとすっごく女の子だよ。このまえ触ったけど、けっこう立派な、」
「わーーーーーーーーば、ばか山岳!!な、何言おうとしてんの!?」
「だよねー、黒田さん?」
にっこり。山岳は笑顔で、私の前の席に座る黒田に投げ掛ける。
黒田はさっきからずっと背中を向けたままだったのに、山岳の声にビクリと大袈裟に肩を揺らした。
「んなっ!?ま、真波オマエ、知ってっ・・・!?ち、違うぞアレは、不可抗力ってか不可避というかっ」
「あ、やっぱり聞いてたんですねー黒田さん」
慌てる黒田を見て、山岳はからからと楽しそうに笑った。−−−そして、一転・・・不敵に微笑んだ。
「あ・・・それとも。名前があんなにカワイイのって、オレの前だけかも?だったらユートや他のみんなが知らなくても、無理ないよね」
さっきまでのふわふわした表情とのギャップに・・・私は不覚にも、心臓が掴まれたみたいに苦しくなる。
「な・・・、なに言ってんのよ」
「だって、オレのせいなんでしょ?名前が、"あんなふう"になっちゃうの。・・・この前、自分で言ってたじゃない」
...ば、バカ!?コイツ、人前で何言おうとしてんのよ!
「えー?真波さん。なんすか、あんなふうって」
慌てて立ち上がった私の椅子が、ガタンと音を立てて揺れた。
すると山岳は−−−あろう事か、私の身体を正面からすっぽりと抱きしめた。
そしてそのままの体制で、どこか誇らしげに言い放った。
「それはねー、ユート。・・・ヒミツなんだ。すっげー可愛いから、誰にも見せたくない。・・・それに名前があんな姿見せてくれんの、オレだけみたいなんだ・・・ゴメンね」
・・・ば、ばか・・・!
ばかじゃないの、ほんと・・・。
悠人のひやかすような口笛も、黒田の溜め息も、山岳の腕の中にいる私は自分の心臓の音にかき消されてしまった。
恥ずかしい気持ちと、呆れるような気持ちと・・・それから少し満たされるような気持ちがこぼれて、彼の胸に額を撫で付けた。自分でも呆れる。だって今までなら人前でこんな事されたら、ぜったい怒ってたのに・・・全く、ばかなのはどっちだろ。
「あー、だめでしょ名前さん。そんなカワイイ顔、こんなトコでしないでよ」
「はぁ!?し、してないっ・・・ていうか、アンタが変なこと言うから、」
「ふふ。ちょっと嬉しかったクセに」
「っ・・・ば、ばかさんがく・・・」
「・・・おいコラ、いつまでやってんだバカップル!二人の世界か、オレらは眼中にナシか?!イチャイチャは部屋でやれ!ったく」
「あー、なるほど。じゃ、名前さん。黒田さんもこう言ってるし、二人で早退しましょっか?」
「ってホントに帰んのかよ!?」
「あははっ。じょーだんですよぉ」
笑い声をあげた山岳は私の身体を離して、「オレ、そろそろ教室もどりますね」と言って手を振り、扉の方へ帰っていく。
「...あ、ユート。名前さんの髪型、かわいくしといてねー」
...余計な事をひとつ、言い残して。
「...ったく。どっからが冗談だよ真波のヤツ。しかも、用事あって来たんじゃねぇのかよ!?」
「それに、オレに髪の毛いじらせてくれるなんて...真波さんて相変わらず、余裕っすねぇ。ラブラブっすもんねーお二人は。目に余るくらい」
...悠人、割とおまえのせいだよ、山岳があんな事になってるのは!
いや、−−−悠人のおかげ、でもある。山岳があんなふうに、抑えてた気持ちを私に話してくれたのは。
...正直、やきもちなんて嬉しいし。
それに、私達の関係もすこし前進したし−−−そう、家庭科室での事を思い返した瞬間、顔にボッと火がついたように熱くなる。
...そ、それはともかくとしてっっ。
ただひとつ問題なのは、あの一件から山岳による人前でのスキンシップが前よりもすこし多めになった事。
そしてそれ以上にマズいのは、私がそれを怒らなくなっちゃった事・・・このままじゃ黒田の言う通り、"バカップル"まっしぐらじゃないか−−−だめだよね、こんなの!?
「...黒田サン。今日も見応えありますよねぇ、名前センパイの百面相」
「コイツ、考えてる事だいたい顔に出るからな」
「...で、名前先輩。どんな髪型にしますかぁ?ツインテール?三つ編み?オレ、何でもできますけど」
−−−ハッとして我に返ると、背後の悠人がニコニコとして私の髪の毛をとかしはじめてる。えええ、マジでやるわけ、その少女願望のなんとやらってヤツ...!?アンタ、かっこいい私に憧れてたとか言ってなかった?
年々騒がしくなるなあ、私の周りって...
去年の今頃はまだ、自転車部にだって入ってなかったのに。山岳と出会ってからだよね、こんなふうになってるのってさ。
ため息まじりに窓を見ると、外からすこしだけ暖かな風が舞い込んで来た。窓の向こうに、サワサワと揺れる木々が見える。その中に、ツルリとした幹の木が、白い花を小さくつけ始めていた。・・・前に山岳が言ってたっけ、あの木に白い花が咲いたら夏のはじまりなんだって。
箱根学園で過ごす、最後の一年がはじまる。
−−−なのに、その頃の私は・・・目の前の事にばかり、いっぱいいっぱいになっていて。
いつか卒業するんだとか、山岳と離れ離れになるんだとか、そんなのはずっと先だと思ってた。
だって今年のインハイのゴールさえ遥か遠いのに、その先の事なんてもっとずっと果てしなかった。
高校生活なんて長い人生のほんの一部でしか無かったのに。
ほんとは卒業した後の人生の方がずうっと長いのに。
部活のこと、クラスのこと、友達のこと・・・それから、ずっと一緒にいられると思ってた山岳のこと。
それがその時の私の、世界の全てだったから。
〜 F i n .