−−−悠人が出て行った後の家庭科室で私は一人、調理器具の片付けをしていた。とは言っても大体の事は授業中にクラスの皆で終わらせてある。後はただ、各班から回収した道具を箱に仕舞えば終わりだ。
がらりと広い家庭科室には教卓と、生徒用のステンレス製の作業台が十台程度並んでいる。
私はその内のひとつ、窓側にある一番奥の台の前に立ち、片付けをしていた。
「・・・だーれだっ」
突然、背後から視界が塞がれる。
人の近づく気配なんて全くしなかったから、驚いてヘンな声が出た位だけど(今日は、驚かされてばっかりだな)・・・誰なのかわかった瞬間、心にふわっと花が咲いたように嬉しくなる。
「・・・。うーん、誰だろ。もしかして、悠人?」
山岳の仕業だって事はスグに分かったけど、少しイジワルしてとぼけて答える。−−−すると、まぶたの上に置かれた手にピクリと緊張が走った。
「・・・ちがうよ、名前のばか」
だけど、こわばったのはほんの一瞬で、山岳はいじけたようにそう言うと後ろからぎゅっと私を抱きしめた。
私が顔だけで振り返ると、山岳は甘えたように唇にキスをした。
「んッ・・・ちょ、ちょっとー・・・学校ではキスとかしないでって、いつも言ってるのに」
「だって名前が、オレのこと他の人と間違えるんだもの。だからお仕置き」
「ふふ、ごめんごめん。・・・山岳、もうプリントは終わったの?」
言いながら、お腹に回された彼の手を解こうとしたけど、いっそう強く抱きしめられてしまう。そして山岳は、まるで猫みたいに私の頬に自分の顔を擦り寄せた。・・・今日はずいぶん甘えんぼだな・・・いや、いつも通りか?
「んにゃ、まだ。だけど名前から、あんなに可愛いメールが来るからさー。会いたくなって、プリントは途中なんだけど来ちゃったんだ」
可愛いメール?
・・・ああ、もしかして悠人が勝手に送ったヤツの事?
「ハートの絵文字の事?あれね、悠人が勝手にやったの!私じゃないからね」
「え・・・ユート?・・・もしかして、ここに来てたの?」
「うん、そう。色々話をしてたんだけど、帰り際に私の携帯を勝手にイジるんだもん。まったくもー、あの子は!」
「・・・キミからかと思って、すげー嬉しかった、オレ」
「そんなわけないでしょー。私が絵文字とか得意じゃないの、知ってるくせに」
「・・・そっか。ここに二人で居たなんて・・・知らなかった」
その声がすごく悲しげなのが気になって、私は振り返ろうとする。だけど後ろから強く抱きしめられて身動きがとれない。
顔だけで振り向いてみたけど、彼も顔を背けていて見る事ができなかった。まるで、私に表情を見られる事を頑なに拒んでいるかのようだった。
「・・・山岳?」
「なに、話してたの、二人で」
...そうだ。悠人との関係が解決した事、山岳に伝えなくちゃ!
前に心配してくれてたし・・・それに、山岳に聞いてほしい。
嬉しい事があった時、一番に伝えたいのは私にとって、いつだって彼だったから。
「そうなの、聞いてよ山岳っ。悠人がね、私に謝ってくれたの」
「・・・そう」
「それも、葦木場が陰でフォローしていてくれたみたいで・・・嬉しかったなあ」
「・・・へぇ、よかったですね」
「うん!これから悠人と、仲良くやれたらいいな。懐いてくれるなんて、嬉しいし」
「そっか。キミが嬉しそうだと、オレも幸せだよ」
・・・なんだかやっぱり、山岳の様子が変?
言葉と声の雰囲気が、まるで合ってない。・・・どうしてそんなに、悲しげなの?
「ねえ、山岳・・・?」
「−−−今日、調理実習だったんだよね?何作ったの?」
山岳がまた、私の言葉を遮るかのように話題を変える。
「え?・・・ああ、キッシュとカスタードプリンだったよ」
「そっか。いいなー、おいしそう」
「もしかして食べたかった?ゴメン、さっき悠人にあげちゃったんだ」
「・・・え・・・ユートに?」
そう言ったきり黙ってしまった山岳に、「山岳にも今度作ってあげるね」と声をかけたら「ありがとう」ってやっと返したけど・・・やっぱり、元気が無い。
無性に気になってしまった私は、なんとか山岳の腕を振りほどいて、ようやく正面から向き合う。
−−−すると・・・
そこにあった彼の表情に、私は思わず、息を呑む。
山岳はその綺麗な顔をくしゃりと大きく歪めて、今にも泣き出しそうに眉を寄せていたのだった。
「・・・ごめん、」
そして彼はどうしてだかそう謝ると、勢い良く私をステンレス製の調理作業台に押し倒した。
−−−え、
声を挙げる間も無く、抵抗する隙も無いまま、調理台に仰向けになった私の両手首を山岳が強く抑え付けた。私の両手は、ひやりと冷たい調理台に縫い付けられたかのように動かない。
彼の瞳にいつもの輝きは無く、真冬の海のように寂しげに揺れているだけだった。
「−−−オレって、そんなに余裕にみえる?」
「えっ・・・さ、山岳?・・・どうしたの・・・、ちょっと、離して・・・」
「ごめんね。オレほんとは、キミが思ってるほど大人じゃない・・・余裕なんて、無いんだ」
そう言うと山岳は私の首筋に顔をうずめて、吸い付くようなキスをした。
突然の事に、私はわけがわからなくて。どうやらいつもみたく、ふざけてじゃれてるというワケでも無さそうだった。
山岳・・・一体どうしたの?
さっきまであんなに、楽しく話してたっていうのに−−−
「山岳っ・・・い、痛いよっ・・・!こんなとこで、こんなっ・・・人が来たら、」
私の両手を拘束したまま、山岳は貪るように首筋にキスをした。
制服ごしに背中から、ステンレスの調理台の無機質な冷たさが伝わってゾクゾクとする。
そして山岳は口付けの隙間に、震える声で言った。
「・・・わかってる、キミがオレだけを好きでいてくれてる事も・・・ユートはただ、キミに憧れてるだけで、恋とごちゃまぜになってるだけって事も。・・・わかってるよ。キミの事を疑ってるわけじゃないんだ。なのに・・・ごめん・・・こんなことして、ごめんね、」
そう言うと今度は、キスの場所を私の唇にへと移す。片手で私の輪郭を掴んで、熱い舌を荒々しく押し込んだ。
顔を抑える力も強くて、頬や顎に山岳の指がすこし食い込んでいく。
・・・やだ・・・こんなの、いつもの山岳じゃないみたい・・・!?