−−−オレの初恋もどきはそうして、呆気なく終わった。
どうやら名前先輩へのアレは、恋では無かったらしい。
言われてみりゃ確かに、巷に聞く「恋をするとドキドキする」だとかってのは一度だって無かった。どっちかっていうと、あの人の事考えるとワクワクして・・・あんなふうになりたい、って願うような感情だった。
"憧れ"−−−そう言われると確かに、すごくしっくり来る。
つまり、こういうコトだ。
憧れの先輩に忘れられていた事にスネて、暴言吐いて、自分の理想を押し付けてた。・・・なんだよ、オレってマジでただのガキだな。
そのうえ恋だと思い込んで、好きだのキスしたいだのと迫っていた事になる。
・・・うわ・・・、めちゃくちゃ恥ずかしい。
その日の部活中も、オレは恥ずかしさのあまり思い出しては頭を抱えていた。穴があったら入りたいような気持ちだった。
「悠人、キミは今から真波とペアで登りのコースへ・・・って、どうしたんだい、頭痛でもするのかい?!」
「・・・塔ちゃん。悠人もいろいろあるんだよ、それが青春ってやつなんだよ」
−−−やめてください葦木場さん、微妙なフォローは逆に恥ずかしいですから。しかも、妙に的を得てるし!
「ユート、オレとペアだってさ。行こっか、オレの好きなコースで良い?」
真っ白なルックに跨った真波さんが、どこか嬉しそうに言った。
「コラ真波、聞こえてっぞ!ナニが好きなコースだよ、メニュー通り走れっての!」
「はぁい、黒田さん。んじゃ、行ってきまーす」
そう言って走り出した真波先輩の後を、オレも着いて行く。
・・・き、気まず・・・なんで今、よりによってこの人となんだよ・・・。
そして始まった真波さんとのメニューは早くも、真波さんがコースとは違う道を選んで登り始めた。オイオイ、さっきの黒田さんへの良い返事は何すか。ほんと自由だなー、この人・・・。
背中を追いかけながらペダルを漕ぐと、真波さんの確かな実力を感じた。
少人数のチームならまだしもこの箱根学園で、新入生のオレなんかが、今年のエースクライマーだろうこの人とペアで走れるのは部からオレへの期待の表れなんだろうか。...それとも、隼人くんの弟だからだろうか。
「楽しいね、ユート。やっぱりさ、坂って最高だよね」
後ろ姿からは表情まではわからないが、先ほどまでとは打って変わってイキイキとした声で真波さんは言った。
「・・・ね、ユート。本気で走っていいよ」
挑発だろうか。
・・・もしかして自分の彼女に手を出した事、心の奥底では根に持ってるんだろうか。
得意の登りでオレを負かして、やり返してやろうってか?・・・いいさ、受けて立ってやる。
そしてその"勝負"は、予想外にもあっさりと決着がついた。坂の頂上に一番に辿りついたのは、まさかのオレだった。
「速いねー、ユート。いいねいいね」
頂上のベンチでドリンクを飲むオレに、真波さんは少し遅れて現れて、ふんわりとした声で言った。速いねーじゃねぇよ、全然本気で走ってねぇだろ、アンタ。
「・・・ムカついてます?真波さん。オレが名前先輩に、ちょっかい出した事」
ほんとは、ちゃんと謝ろうと思ってた。
だけど素直になれないオレは、そんなふうに切り出した。
いい眺めだねーここ、なんて呑気に言いながら真波さんはオレの隣に腰を下ろし、のんびりとドリンクを飲んでから言った。
「いやぁ、べつに?」
「・・・あ、もしかして真波さん、実はあんま本気で付き合って無いです?名前先輩、カワイイですもんね。ノリで、付き合ってみよ〜とか、そんなっすか?真波さんってふわふわしてるし」
そう言ったオレを、真波さんはガラス細工みたいにひやりとした瞳で見た。心がザワついて、思わず息を飲む。
だけどその後、また緩やかな表情に戻ってその人は答えた。
「だって、べつにいいし。ユートが名前の事好きになっても」
「え・・・は、はぁ?」
なに言ってんのこの人、さすがは不思議チャン。
・・・やっぱ、あんまり真剣に付き合ってないのかな。
図書室で真波さんの為に、鳥の名前を調べていた名前先輩の嬉しそうな顔が浮かんで、胸がチクリと痛む。
・・・可哀想、名前先輩。あんなに、好きそうなのにな。
「・・・ユートや皆が名前の事好きになるの、自然な事だと思う。だって名前さんって、すっごく魅力的じゃない?・・・だから、いいよ。好きになっても。オレさぁ、名前さんがみんなと仲良くして楽しそうにしてんの見るの、すきなんだよねぇ」
それに、と真波さんは真っ直ぐな声で言った。
「・・・あの子の事、一番好きなのはオレだから。それに彼女が一番好きなのもオレだから、絶対」
真波さんは透き通った声色で、だけど強くそう言い切った。
自慢げなふうでもなく、挑発的でもなく、まるで当たり前の事といったように涼しい顔で。
不思議ちゃんだなんて言われてるクセして・・・その自信は何だ。その、瞳の強さは何だ?
自分自身に・・・そして、名前先輩の事を信じて疑わない真っ直ぐな目。なんだかオレには分からないような、二人の見えない絆みたいなのを感じた。オレに対してキレたりでもしてくれた方がずっと、この人や名前先輩を身近に感じられたっていうのに。
知れば知るほど、遠く感じた。
「・・・は、ははっ・・・そ、すか。・・・ラブラブっすね、先輩達は。敵わないっすね」
「あはは、まぁね。・・・好きなんだ。すごく」
−−−それは、短い言葉だった。
だけどまるで目の前に名前先輩がいるかのように優しく瞳を細めた優しい表情に、ああ、ほんとに好きで大切なんだって思った。
・・・そんな姿に、オレはこっそり安心する。
よかった。名前先輩が好きになった人が、彼女をちゃんと想ってくれる人で。−−−そんなふうに思ってる事はやっぱり、コレって恋じゃなかったんだな・・・。
「・・・じゃ、そろそろ行こっかユート。もうひと勝負する?」
「いいっすけど、真波さん、本気で走ってくれます?」
オレの言葉に真波さんは、そんなに余裕に見える?って、少し眉を歪めた。その綺麗な顔に似合わなくて、どうしてだかすごく寂しげに見えた。