- ナノ -

新開悠人 7




「名前せんぱいっ」

背後からした嬉しそうな声に、私はウンザリしながら振り向く。案の定、そこに居たのは悠人だ。


「移動教室すか?廊下でたまたま会えるなんて、今日はツイてるなぁ」


私が手に持つ音楽の教科書を見て、悠人は人懐こい笑顔でそう言う。...ホント、この子は一体全体、どうしちゃったっていうんだろう。初めて会った時は、あんなに生意気な態度だったのに・・・この頃は手のひらを返したみたいに懐いてる。

名前、先に教室戻ってるよ、と言って友人達が廊下を歩き始め、私は悠人と二人で取り残される。えー、そんな長話するつもりは無いんだけど・・・。

「ね、せんぱい。オレにお弁当作ってくれるって約束、いつ実現してくれるんですか?」
「え?ああ、この前話してたアレか・・・」
「すげー楽しみにしてます。先輩の手料理食べられるなんて、夢みたいで」

そう言って嬉しそうに笑う悠人は、素直そうで正直カワイイ。

自転車部に途中入部した私にとって、悠人たち新一年生は初めての"純然たる後輩"だった。(私が入った時も一学年下の子達はいたけど、でも部員歴は私が一番新しかったから。)

・・・だから、もしも悠人が本当に純粋に懐いてくれてるんだとしたら、こんなに嬉しい事は無い。後輩ができるのは嬉しいし、それにあの隼人さんの弟だ。
たくさんお世話になった分、私も悠人の面倒を見てあげなくっちゃ!


「・・・ふふ、わかったよ。そんなに楽しみにしてくれるなら、ちゃんと作ってくるね。悠人は、好きな食べ物とかある?」
「マジすか、やった!・・・んー、好きな食べ物か・・・オムライスと、カニチャーハンと・・・あ、あと、」

悠人の瞳が妖しく光って、突然、私のアゴをくいと持ち上げて低い声で言った。

「・・・名前先輩」

あまりに一瞬の出来事だった。
我に返った私は、慌てて悠人の身体を両手でグイッと押し返す。
懐いてくれるのは嬉しいけど、こんなふうにされるのは・・・冗談にしたって、限度があるってば。

「こ、こらっ・・・やめなさい悠人、年上からかうのは」
「からかってるわけじゃないけど。いつも言ってるじゃないですか、好きだって」
「冗談でしょ」
「・・・ためしてみます?」

悠人は素早く私の両手の手首を掴み、廊下の壁に押さえつけた。
・・・この前も思ったけどこの子、間合いに入るのが異様に速い。

予鈴が近いのか、気が付けば辺りには人の気配が無くなっていた。
マズイな、私もそろそろ教室に向かわないと・・・いつまでも悠人とフザけてる場合じゃない。


なんとか抵抗しようとしたけど・・・強い力に捕らわれて、両手はビクともしない。
情けない、二学年も違うのに・・・。


燃えるような真紅の瞳がぐんぐん近づいて来る。
・・・え!?ま、まさか・・・ホントに、キスしようとしてるの?



「名前先輩、好きです」



ヒタ、と鼻先と鼻先が触れた。
切なさの入り混じった声で、悠人は囁く。



「・・・悠人・・・やめてよ、冗談でしょ」
「冗談ですると思いますか、こんなコト」



−−−う、うそでしょ・・・
やだやだっ・・・助けて、山岳・・・!

私は必死に顔をそむけて、唇をギュッと結ぶ。

・・・すると・・・私の手首を捕らえていた力が、ふわりと軽くなる。


おそるおそる顔を上げると、悠人は眉間にシワを寄せて言った。


「・・・うわ・・・ なんすか、その反応。どんだけ嫌ですか、オレとキスするの?傷つきますよサスガに」
「も、もうっ・・・ビックリしたじゃん!からかうのも、大概にしなさいよ。・・・それにさ・・・そ、その・・・キス、とかそういうのは、ほんとに好きな人としか、しちゃだめだよ」


すこし照れ臭くなりながらも年上らしくそう説教をとく。
私は・・・山岳が初めてしてくれたキスを、ずっと忘れられないから。

あの頃はまだ、彼への感情をやっと自覚した程度の、うまれたての幼い恋だった。
だけどその想いは、キスをするたびにどんどん育っていった。
キスするたび、山岳を好きだと胸いっぱいに想った。
山岳が私を大切に想ってくれている事も、キスひとつで胸が苦しい程に伝わった。

・・・私にとって、キスとはそういうものだったから。


しかし私の言葉を聞いた悠人は、くっくっと喉を鳴らしながら笑いはじめた。な、なにが可笑しいのよ!?


「ふっ、あははっ・・・スミマセン、おっかしくって。子どもみたいな事言うんですね、アンタ」
「二学年も下のあんたに言われたくないっての!・・・ねぇ、悠人は・・・私の事を好きだって言ってくれたけど。でもそれって、先輩としてって事でしょ?それなのに、き、キスとか、そういうのはおかしいと思う」
「・・・何故です?真波さん以外とはしたくないって事っすか。それとも、真波さんに怒られるから?ああ、オレが隼人くんの弟だからって、気ィ遣ってるんですか?」
「はぁ?・・・もー、違うよ。なんていうか・・・そういうふうにノリでしたら、この先悠人が本当に好きな人とする時に、きっと後悔すると思うからだよ」

私の言葉に、悠人はぱちくりと意外そうに瞬きをした。
そして、少し照れ臭そうに鼻を掻いて言った。

「あー・・・オレの為、てヤツすか・・・。自分の為でも真波さんの為でも、ましてや隼人くんの為でもないってワケね。・・・まーたアンタはそうやって・・・ったく、ズルいすよ。敵わないな」


ひとり言のように呟いた悠人の後ろで、学校のチャイムが響いた。予鈴だった。
教室に戻ろうか、と言って私の手首を掴んで、悠人は真剣な瞳で私を見つめた。


「名前先輩。オレ、あなたの事が好きです」
「え?ああ、センパイとして、ってことでしょ。ありがとね。わかったからさ、そろそろ戻んないと」

歩き出そうとする私に、悠人は手首を掴んでいた手の力をグッと強めた。

「・・・名前先輩の事・・・本当は中学の時からずっと、好きでした。中学の時、オレら話した事あったんですよ・・・ま、一度だけだったし、アンタは覚えてないだろうけど」


−−−え?

ま、マジ?

・・・ぜ、全然覚えてなかった。

中学の頃の私は・・・とにかく部活に夢中で、そしてそれを通じての出会いもかなりあった。
校内外で毎日のように新しい人と知り合ってたから・・・って、こんなのは言い訳だよね。
この子に失礼な事しちゃったな。
前に部室で悠人があんな態度だったのはきっと、私のせいだったんだ。


「・・・ごめんね、悠人」
「いいすよもう、その事は。とにかくさ、その頃からずっと好きだったんです。・・・正確に言うと、"昔のあなたが"好きでした。カッコ良くて、外野の意見に左右されたりしなくて・・・こんなふうになりたい、って思ってました。・・・だから、久しぶりに会った今のアンタに正直、ガッカリしました。そんな腑抜けちゃったの、真波さんといるからでしょ?・・・オレのものにして、あの頃の名前先輩ごと、取り返しそうって思ってたけど・・・なかなか手強いすね、アンタ」


悠人の言葉に・・・私は、小さな違和感を感じる。

恋だと彼は言う。

・・・だけど悠人の話を聞く限り、私の知るそれとは少し違うような気がする。

−−−そうだ。これは、どっちかっていうと・・・



「・・・悠人」
「昔のアンタ、ほんとスゲーかっこよかったんですよ?年なんて少ししか違わねーのに、なんでこんなに遠いんだろうって・・・焦るような気持ちもあったけど、でも、ずっと追いかけてたいって思ってました。あの頃のアンタみたいになりたくて」
「悠人、」


ようやく私の目を見た彼に、私は胸にあった"違和感"を言葉にする。


「悠人のそれは・・・恋じゃない・・・かも」

は?と怪訝そうに言った悠人に、すこし切り出しにくいなと思いながらも、控えめに言葉を選ぶ。

「だって悠人が言ったような事・・・私、隼人さんに思ってるから」
「は?・・・まさかアンタ、隼人くんの事・・・!?」
「えっとね、隼人さんだけじゃなくて・・・靖友さんや、尽八さんや、お兄ちゃんにだって思ってるの」



私の言葉に悠人ははじめ、意味がわからないといったように眉を歪めた。

だけど暫くして、雷に打たれたみたいに瞳を丸くして、息を飲むのだった。






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