「地味に遠いーよね、三年の教室から資料室までって」
シンとした廊下に名前の呑気な声が響いた。他のクラスは授業中だから、オレとコイツの二人きり。心なしかいつもより、校内が広く感じられる。
「・・・なぁ、おい。さっきのお前と悠人の・・・ああいうのオレ、どうかと思うぞ」
−−−せっかくの機会だし、コイツに釘を刺しておくか。
そう思って割とマジに伝えたオレの言葉に、名前は「なにが」と瞬きをした。
「なにがじゃねぇよ!悠人の一方通行とはいえ、彼氏居んのに他の男とベタベタしてんじゃねーよ。しかもさっき、悠人に弁当作るのまで引き受けてただろ。ありゃ無ぇだろマジで」
「あー・・・大丈夫、大丈夫。山岳は私の事、疑ったりしないから」
まるで当然の事のように言う。
「信じるとか疑うとか、そーゆー問題じゃねぇだろ?フツー嫉妬するだろ、あんなの」
「アハハ、無い無い。悠人だって私の事からかってるか、じゃれてるだけだって。山岳って自分に自信あるし、いつも余裕あるからあんな事くらいで怒ったりしないよ」
「・・・わかった、アレだろ。お前ってあんまり、ヤキモチとか妬かないタイプだろ?」
「んー、まぁ、そうだね。っていうか、山岳みたいなのと付き合ってて、いちいち周りの女の子に妬いてたら今ごろ私は死んでるって」
そう言って名前は、カラカラと笑った。
「・・・下手な男より男らしいな、お前はよ!名前にはワカんねぇかもしんねーけど、フツーは目の前であんな事されたら、嫉妬してすげー腹立つって。真波が可哀想だろ、気をつけろよ」
自分に生まれねぇ感情ってのは、相手の立場に立って考えらんねぇから、汲み取れないんだ。雑念が無いってのは良いようで、こういう時はそうでもなかったりする。
案の定、名前はよくわかって無ぇみたいで「そうかなぁ。山岳は私のこと、信じてくれてるって思うけどな」と呟いてる。・・・そーゆー事じゃ、無ぇんだけどな・・・。
「・・・黒田もけっこう嫉妬とかするタイプ?」
資料室は下の階にある為、オレ達は階段に差し掛かっていた。前を歩くオレの背中に、名前がそう尋ねる。すこし照れ臭くなりながらも、振り返って答えた。
「あぁ?・・・まぁ、そりゃフツーに・・・好きな女の子にならな。ってナニ笑ってんだよ。意外なギャップにときめいたか?」
「・・・いや。想像したらキモくて」
「アァッ!?」
「あははっ。・・・山岳はね、黒田。大らかで、優しくて・・・年下だけどすごく、器がおっきいんだよ。だから、心配しなくても大丈夫。・・・アンタと違って」
「ンだと?!この無神経女がっ」
オレをからかうように、名前は笑い声をあげながら階段を駆け足で下る。オレ追い越そうとした瞬間、名前の短い悲鳴がして−−−ふわり、その身体が視界から外れる。
階段を踏みはずしたんだ。
オレは咄嗟に、両手で名前の身体を後ろから抱きかかえる。間一髪、なんとか支える事ができた。
「ッぶね・・・!だ、大丈夫か・・・?」
転げ落ちる所だったぞ、マジで!?オレの反射神経に一生感謝しろよ、ったくこのバカ!
オレは心臓をバクバクさせながら、でも守ってやれた事にホッとしながら・・・そしてようやく、現状を理解する。
必死に名前の身体を支えた名誉あるオレの両手は、後ろから彼女を抱きしめるような形になってて−−−問題は、その手の位置だ、
オレの右手は、名前の腹から腰にかけてをしっかりと支えている。
そして左手−−−
なんだ、この異様な弾力は?
後ろから鷲掴みにしている"ソレ"にすこしだけ力を込めると、ムギュッと柔らかい。・・・ま、まさかこれって、名前の・・・
「やっ・・・は、離して」
「わ、悪ィ」
助けてやったってのにオレは、なんでだか謝りながらすぐさま彼女の身体を離す。
−−−これは、つまり、アレだ。・・・ラッキースケベというヤツだ。
ごめん、名前。
すまねぇ、真波。
しかしオレの心臓はドキドキと、同級生の胸の感触に浮ついてる。さっきまではコイツのあまりのサバサバ具合に、ホントに女か?なんて疑ったが・・・
ふにふにとした柔らさが、今でも左の手の平に残ってる。・・・うん。まぎれもなく女の子だ・・・・って、何考えてんだオレは!?
名前は振り返って、真っ直ぐにオレを見た。顔が赤い・・・けど、オレも多分同じだ。
眉をつりあげた彼女が一歩、オレに近づいたから、てっきり平手打ちでも食らわされるかと思ったら・・・意外にも、「ごめん」と消え入りそうに名前は呟いた。
「・・・助けてくれて、ありがとう」
俯きながら、しおらしくそう言う姿はなんだかとても可愛い。さっきまでとのギャップがまた効果的なのかもしれない。
「いや、こっちこそ・・・ありがとな」
「・・・は?」
完全に舞い上がってるオレは、思わず本心が零れ落ちた。マ、マズイ。こんな状況で礼を言うのはおかしいだろ!?
な、なんか言わねぇとッ・・・ああそうだ、コイツだって、胸なんか触られて傷ついてるかもしれない。何か言って、フォローしてやらないと!・・・気の利いた言葉、気の利いた言葉・・・
「−−−だ、大丈夫だって!気にすんなよ・・・なんつーかさ、オマエ・・・意外と胸、あるんだな!」
褒めたつもりでそう言ったオレは、先ほどの感触を思い出すかのように、こっそりと片手で空中を掴む。ウン、意外と有ったぞ。着痩せするタイプか?
−−−次の瞬間飛んできたのは案の定、名前のビンタだった。それも素晴らしく手首のスナップの効いた、手本のような平手打ちだった。