お店を出ると、すぐに真波先輩が追いかけて来てくれてるのがわかった。私は振り返らないで、お店のすぐ横の路地を曲がった。途中、あの女の先輩と男の先輩が座ってるベンチの前も通った。何よどうしたの、そんな声を背中で聞きながら、逃げるように走った。
片方の手の上でアイスクリームが溶け出して、ぬるぬると甘い液体が手を滑り始めた。真波先輩が買ってくれたそのアイスを私は食べる事も、捨てる事も、できずにいた。
お店の裏は、手入れのされていない雑木林のような空間が広がっていた。汚れた物置がぽつりと立っていて、綺麗に飾られた表側の建物からはまるで想像もつかない程素朴だった。まるで私みたいだ。
先輩が追いかけてくるのがわかったから、私はその物置に身を隠す事にした。すぐに見つかってしまうかもしれないけど、一か八か。もしかしたらセンパイは、まさか物置の中にいるなんて気付かないかもしれない。とにかく今すぐ、ひとりになりたかった。
今にも壊れそうな木造の物置の扉を開けると、掃除用具や古い木箱やダンボールなんかがぎゅうぎゅうに置かれていて、その隙間に人がやっと一人通れる程度の隙間を見つける。身体を滑り込ませ、扉を閉める。
名前ちゃん。扉の向こうで、真波先輩の声がした。物音を立てないよう、暗闇の中でジッと身を潜めたけど、辺りにスッと光が溢れる。扉が開かれて、真波先輩が立ってる。
「・・・名前ちゃん?」
心配そうに眉を寄せるセンパイの向こう側で、私達を探すあの二人組の声が遠く響いた。私はとっさにセンパイの手首を引っ張って物音の中に引き寄せ、扉を内側から閉めた。
いないね、どこに行ったんだろう−−−二人組の声が遠ざかるのを、私はセンパイの胸の中で聞いた。
私達の周りは木箱やダンボールで囲まれていて、扉も閉められた今、完全な密室だった。
「名前ちゃん。」
私と同じく、身動きのとれない真波先輩は、いつもみたく手で頭を撫でられない代わりなのか、私の頭に自身の頬を優しく擦り寄せて言った。
「・・・ゴメン。オレのクラスの子が言った事が、嫌だったんでしょ」
答える代わりに私は、ふるふると小さく頭を横に揺らす。
「・・・じゃあ、そもそもあの人達と一緒に帰るの、ヤだった?・・・ああ、それともホントはアイスクリームが苦手だったとか・・・」
「ちがうんです・・・せんぱいに、はずかしい思いをさせた自分が、嫌だったんです」
「え、オレ?」
「センパイはどうして、私なんかを彼女に選んでくれたんですか?」
・・・ずっと、思ってた事だった。
だけど、勇気が無くて、聞けなかった事。
「え・・・好きだからだよ、キミのこと。」
「なんで、好きになったんですか。私のことなんか」
「好きになるのに、理由なんて必要?」
真剣な声だった。
「センパイには、理由なんて要らないかもしれないですよね。でも、私には必要なんです。心配なんです、自分の代わりはいくらでもいるから。っていうかむしろ、もっと素敵な女の子の方が、この世界にはたくさんいるから。」
言葉にするとあまりに惨めで、涙が溢れてきた。そしてぱたぱたと、真波先輩の胸元に落ちる。暗くて見えないけど、きっとセンパイの制服を汚してしまう。
センパイは優しいから、それだって笑って許してくれるのかもしれない。だけど私は、そんな自分が嫌でたまらない。
大好きな真波先輩の、私はいつだってお荷物だ。
・・・だけど−−−
「だけど、センパイのこと、誰にも渡したくないです」
ああ、醜いなぁ。
こんなに自分をさらけ出したのは、初めてだ。
だってこんな重たい感情、雑誌の男ウケする女の子コーナーの条件的にはゼッタイNGだ。
・・・センパイはきっと今日、私の事を嫌いになるだろう。
「名前ちゃん」
「・・・はい」
私は、次に待つお別れの言葉を覚悟する。
「今さ、オレ、すっげー最悪な状態」
「・・・はい。・・・ごめんなさい・・・私、ほんとはすごく我儘で、醜いんです。呆れましたよね」
「・・・違うよ。今オレ、キミの事すげー抱きしめたい。だけどこんな密室で、身動きがとれなくて・・・ぎゅーってしたいのに、できないんだもん、最悪。今すぐ、抱きしめたいよ」
真波先輩は私の耳元でそう言って、はぁ、って愛しそうにため息をついた。
「名前ちゃんがそんなふうに思ってくれてたのなんて、知らなかった。キミはあんまり自分を出さないから、オレとだってなんとなく付き合ってくれてるのかと思ってた」
「そ・・・そんなわけ、ないじゃないですか!・・・怖かっただけです、自分を出すのが。本音を言って、嫌われたくなかったんです」
「オレだってキミの事、誰にも渡したくないよ。キミの事が、本当に好きなんだ・・・好きだって理由が必要なら、いくらでも言うよ。そうしたら名前ちゃんはもっと、ホントの気持ちを言ってくれるの?・・・オレさ、もっと聞きたい。・・・嬉しいんだ、すっごく。頭、おかしくなりそうなくらい」
暗闇の中で、身動きのとれない耳元で、センパイの掠れた声が揺れる。
好きだって想いで、胸の底が震えた。
「・・・真波先輩が、大好きです。それから、センパイに、もっと好きになってほしいです」
その言葉を聞き終えた真波先輩は、あーもうムリ、って言って私達をかくまってくれていた物音の扉を開いた。
一瞬にして辺りが光に包まれる。
扉の向こうには誰もいなくって、雑木林が風にサワサワと揺らされているだけだった。
「−−−もう、ムリ。我慢できない!名前ちゃん、ここから出よう」
センパイに手を引かれて扉から出て、改めてその顔を見ると・・・センパイは、見た事ないくらい真っ赤になって、愛しそうに瞳を揺らしていた。
「キミが今どんな顔してるのか、見たくてたまらなくなった。それから−−−抱きしめたくて、たまらなくなったんだ」
「・・・ふふっ。センパイこそ今、どんな顔してるかわかってます?」
「え?・・・そう言われたら確かに、顔が熱いけど・・・ちょ、ちょっと名前ちゃん!そんなに見なくて良いってば!・・・ねぇ、こっち来て。ぎゅーってさせてよ」
センパイは私の腰に腕を回しかけてから、ぎょっと目を見開いた。
「うぇぇ?!オレの手、アイスクリームが溶けてべちょべちょ・・・?!」
「え・・・っ、あ!わ、わたしもです!」
−−−そういえば、一口も食べてなかった。
顔を見合わせて二人で笑ってから、真波先輩は「もったいないよね」って言って、私の手首を掴んだ。
私がきょとんとしていると、なんとセンパイは、私の指先をペロリと舐め始めた−−−
「ちょ、ちょっと?!ま、まなみせんぱいっっ」
「ん、おいしい」
綺麗なピンクの舌先で、私の指先を舐め上げてくセンパイの表情に妖艶さすら感じる。
「せ、せんぱいっ・・・も、もうやめてください・・・っ」
「ちゅっ・・・ん。おいしーね、コレ。ヨーグルト味だっけ?・・・ねぇ、名前ちゃん。オレのも舐めてよ」
え。
まさか、と思っておそるおそるその表情を見ると、センパイはニッコリと笑って自身の親指を私の下唇に乗せた後、ぎゅうと舌に押し当てた。
「ふぁっ・・・!?な、舐める・・・て、せんぱいの指を、ですか、」
「うん。ハイ、口開けて?名前ちゃんの舌、じょーずに使ってね」
「ちょ、ちょっと待ってください?!な、なんでそんな事、」
「え?だって、さっき『半分ずつ食べようね』って約束したじゃない。食べてみたかったんだよね、コッチのミルクの味も」
た、確かに言ったけど・・・
「えーっ。名前ちゃんは、オレの買ってあげたアイスクリームが食べられないってコト?」
そう言って笑った真波先輩の顔は、あまりに綺麗だった。
・・・センパイの事、完璧な王子様だって、さっきまでは思ってた。だけど私が本当の自分を胸の内に持っていたように、もしかしてセンパイも・・・
ただの優しい王子様じゃなくて、これは結構なドSというヤツなんじゃないかしら・・・?この綺麗な笑顔の奥に、こんなセンパイが居ただなんて。
ううう。さようなら、私の王子様・・・
でも、私はセンパイがそんなふうに新しい一面を見せてくれた事に嬉しくなってしまってる。・・・もっと、知りたい。それからもっと私の事、好きになってほしい。
・・・もしかしてセンパイも、同じ気持ちなのかな?
一瞬、「どうすべきか」がいつものように頭を過る。だけど、もしかしたら。センパイが欲しいのは、私が「どうしたいか」なんだ。
−−−私は目を閉じて、舌先で大好きな先輩の親指に触れた。
〜 F i n .