- ナノ -

美しい本 2



真波くんの隣の席になって、数日が経った。
今日は私にとって、待ちに待った『日直』の日だった。

今期の日直は席が隣同士の男女で担当する事になっていて、この席を手に入れた副賞みたいなものだった。

黒板の、"今日の日直"という文字の下に私の名前と仲良く並ぶのは、大好きな彼の名前。真波山岳、ああ、なんて綺麗な名前なの?
私は嬉しすぎて朝からそれを何度も眺めてはニヤニヤした。脳内で相合傘も付け足しておこう。
放課後に誰もいなくなったら記念に黒板をケータイで撮っておくのも良いかもしれない。


日直の仕事というのは、授業の合間に黒板を消したり、教科担任の先生に頼まれれば資料を取りに行ったり・・・まぁ、雑用ばかりだ。
それでも、真波くんと一緒にやれるならって楽しみにしてた。
けど案の定、真波くんは休み時間でも寝てたり、どこかへ行ってしまったのか教室にいなかったりで・・・そんな自由人な所も魅力って今まで思ってたけど、一緒に何かするとなれば意外と大変な事が発覚した。
けれど彼に、「ちゃんと仕事してよ」なんて言えるわけもなく。だって、嫌われたらイヤだし。


・・・そうして共同作業の夢は、叶う事は無く・・・結局私がひとりでこなして、今日一日が終わろうとしている。


放課後になるなり真波くんは、少し急いだ様子で荷物をまとめてる。
その横顔は見るからに生き生きとして嬉しそう。ぼんやりと過ごしてた授業中とは、まるで別人で・・・ああ、部活に行こうとしてるんだ、ってスグわかった。


「ま、真波くん・・・日直の仕事、まだ残ってるよ。」


勇気を振り絞って、私は一応それを伝える。震える手で持つ学級日誌を見た真波くんは、すこし目を見開いた。


「日直・・・ああそっか、学級日誌とかも書くんだっけ。うーん・・・オレ、はやく部活行きたいんだよね。今日、クライマー以外もみんなで坂のコース行んだって。すげー楽しそうじゃない?」

真波くんは自転車が大好きで、早く部活へ行きたくて仕方ないっていうのはわかる。
それにここまで来たら日誌だって、ホントは私がひとりで書いたって良いのだけど。
帰宅部の私は放課後にこれといって用事があるわけじゃないし、今日は図書委員の仕事だって無い。


「・・・。んー。じゃ、ぱぱっと書きますかぁ。まぁー確かに、キミばっかりに仕事させちゃってたしね。オレも一応、日直なのに。」


私の手から日誌を受け取って、真波くんは机に向かった。
・・・私ばっかりが日直の仕事してるコト、気付いてくれてたんだ・・・?
私は、見てくれてた事への嬉しさ半分、それならもっと早く手伝ってくれても良かったのになぁという気持ち半分だった。



−−−ホントは日誌くらい私が引き受けて、真波くんがこんなに楽しみにしている部活に行かせてあげれば良いのにと我ながら思う。彼のことが好きなら尚更。

・・・でも、私はズルい。
日直ってのを言い訳にして、一日私ばっかりが仕事してたってのを盾にして、真波くんと二人っきりの時間を作る口実にしてる。・・・彼の事が好きだから、尚更。





「ねぇ、一限目ってなんの授業だっけ?」


今日の授業名と内容を記入する欄に差し掛かった真波くんが、目線だけこちらに向けて聞いてくる。
うしろめたい気持ちを、綺麗な瞳に覗き込まれたかのようでドキッとする。

英語だよ、と真波くんの隣の自席に私も腰掛けながら答える。

「え、い、ご、っと・・・。で、内容は?」
「・・・。関係代名詞。」

・・・真波くん、ずっと寝てたもんね・・・。
この調子だと、全教科私に聞きながら書く事になるんじゃ?
やっぱり、私が書いてあげた方が良かったかなぁ。


案の定、真波くんの手にしたシャーペンはその後もただただ私の言葉を辿るだけだった。
彼によって綴られた文字は、大きくて意外と力強く、男の子らしい字体で。
−−−いつだってやりたい事がはっきりしてる彼らしいな、と思った。
・・・なんの目的も無く箱学に来た私とは、やっぱり違うんだね。


こんなに近くにいるはずなのに、真波くんはすごく遠い。
彼の横顔に、私はすこしだけ寂しくなりながら・・・苦しいくらいに好きだとも思った。
自分と違うからこそ、無性に惹かれてしまうのだった。

いつだって、自転車のことでいっぱいな真波くん。
私なんか気付いてすらもらえないくらい、周りにはいつも女の子が沢山いて大人気の真波くん。
先輩にも可愛がられてるみたいで、よく自転車部のカッコイイ上級生に囲まれていて・・・
それから、正直とてもお似合いの苗字名前さんという彼女がいる。

・・・だけど今この瞬間、私は真波くんをひとりじめしてる。
誰も居ない教室で・・・私たちを繋ぎとめてるのは友情でも、恋でも愛でもなく、日直という義務と真波くんの優しさだけだけど。
それだって私、嬉しくてたまらない。




「・・・私、真波くんの事が好き。」



−−−ぽつり、こぼれるように・・・
言ってしまった。
自分でも、信じられなかった。





真波くんは日誌を書いて俯いていた目線を、ゆっくり、こちらへと移した。
目が合うと、すこし驚いているみたいだった。
でもたぶん、私の方がビックリしてる。


「・・・え?」


ぱちり、大きな瞳を瞬きさせて彼はそう声を漏らした。

・・・ど、どうしよう。
こんな静かな教室で、たぶん何も言い訳のしようも無い。絶対ゼッタイ聞こえてる。


「私、真波くんの事が好きなんだ。」

・・・私は開き直って、もう一度そう言い切る。
言葉にすると、自分でもすごくしっくり来た。胸にストン、と口から溢れたコトの意味が自然と収まる。

・・・当然だ。
だって私、真波くんの事が本当に好きなんだもの。
誰にも負けないくらい、愛してるんだもん。

・・・それでもやっぱり、恋人のいる人に告白するのなんて、どうかと思うけど・・・もう、引き返せない。それならいっそ、この想いの全てを伝えてしまおう。


想うだけで、すごく幸せになれる事。
あなたに出会えた事が、私の毎日を照らしてくれた事。
言わなきゃ、なにも伝わらない。



「急に、ごめんなさい。・・・あんまりしゃべった事とかは無かったけど、でも、ずっと好きだったんだ。だから隣の席になれてすごく嬉しかった。真波くんの事みてるだけで幸せっていうか、毎日が楽しくて。」


すっごく好きなのに、他のファンの誰より負けてないくらいなのに、言葉にするとすごくありきたりで。どこにでも転がっていそうなこんな告白、真波くんなら掃いて捨てる程言われて来ただろうか。

信じられないくらい心臓の音が大きく脈打つから、私は思わず胸を押さえる。
そして、おそるおそる真波くんを見ると・・・


彼の表情は・・・嬉しそうでも、なんでもなくて。

かと言って、なにかを迷っている様子さえ微塵も無い。

眉を少し寄せて、なにも言わないで私を見てる。


−−−ああ、困ってる。





「ごめん・・・オレ、好きな人いて、」

「あ・・・う、うん。知ってる。だから、どうなりたいとかじゃないの。・・・気持ちを伝えたかっただけだから。」

「・・・そっか・・・ゴメンね。・・・じゃ、日誌書けたから。・・・えっと、コレ職員室に持って行けば良いんだっけ?」

「あ・・・私が出すよ。どうせ暇だし」



ごめんね、と言って真波くんはカバンを持って教室を後にした。

「ごめん」と何度も言った彼の声がやけに耳に残って、胸が苦しくなる。
私は、心のどこかで・・・「ありがとう」って言ってもらえるんじゃないかって期待をしてたのかもしれない。たとえ振られるのだとしても、こんなにも好きな気持ちが伝われば、嫌な気はしないだろうなんて。

あわよくば、もしかしたらちょっとでも彼の気持ちが私に向くんじゃないか、なんて?・・・どこかで期待していた自分が自分で馬鹿らしくなる。
私の一世一代の告白も、ただ迷惑なだけ。
彼を困らせてしまうだけだった。


・・・本当は、わかってた。
真波くんに告白するファンの子を上から目線で小馬鹿にするフリして、本当はただ、勇気が無かっただけの自分がいたこと。
"真波くんはどちらかというと、遠くから見てこそだと思うし"
"私はべつに、真波くんと付き合いたいワケじゃないし"
−−−そんなの、ただの言い訳でしか無くて。
・・・傷つくのが怖かった、だけなんだって。


だけど・・・なんで?
なんでよ、真波くん。
私、あなたの事こんなに好きなのに。
絶対だれにも、負けてないんだよ。
それなのにどうして、私じゃ駄目なんだろう。




『相手よりも自分が幸せになりたいのが恋、
自分よりも相手を幸せにしてあげたいと思うのが愛』・・・
−−−そんな言葉をきいた事がある。

その理屈からしたら、この気持ちはもしかしたら愛では無いんだろうか。

だって私、彼が幸せならそれでいいなんて思えない。
彼に幸せにしてもらうのが、この世界で私だけなら良いのにって思うもの。女の子なら皆、フツーはそう思うでしょう。人を愛するって、そういう事じゃないの?
・・・所詮、これはただの恋でしか無かったって事なのかな。




机の上に取り残された学級日誌が、その答えを物語っているような気がしてならなかった。
胸が、痛いくらいに。







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