- ナノ -

心にいつも 2


ヴーッ、と鈍い音を唸らせてオレの携帯が震えた。目覚ましかな・・・布団から腕だけ出して携帯を探り当てて、片手でパカリと開く。
薄眼を開けて画面を見ると、大好きな人の名前があった。
まだ働こうとしていない脳でぼんやりと文字をとらえて、通話ボタンを押す。


『・・・もしもし、山岳?おはよう!』
「ん・・・名前、さん・・・?あれ、なんで・・・。」
『なんでじゃないでしょ。モーニングコールしろっつったのは、どこのどいつよ?』
「んん・・・。・・・ああ、そっか・・・。ねー、名前・・・寝起きなんでオレ、かわいい声がききたいな。」
『悪かったわね可愛い声じゃなくて。』
「・・・もー、そうじゃないよー。・・・ね、オレのこと、すき?」
『なっ、・・・あぁ、もう。・・・すき、だよ』
「・・・ん。もっかい。」
『・・・・好きだよ。山岳の事・・・大好き。』
「んー。ふふ。やっぱり、キミの声で起きるのって最高ですねぇ」
『もう・・・起きれたなら、良かったけど。おはよ、山岳。・・・ねぇ・・・私ばっかり、ずるい・・・山岳のも、ききたい。』
「え?・・・あー、そうだよね。"おはよう、名前"?」


オレは彼女の可愛い声ですっかり目も覚めてたんだけど、わざとトボけたふりしてそう言ってみる。
すると、 「そ、そうじゃなくて」と案の定、思った通りのリアクションが返ってきた。期待を裏切らないなぁ、キミって人は。


『だ、だからその、・・・さんがくは、私のこと、』

「好きですよ?」


さらりと言うと、彼女が言葉に詰まってるのが電話越しでもわかった。


「名前。・・・好き。大好きだよ。」


なるたけゆっくり、まるで耳元で囁くみたいにそう告げる。
慌てふためく彼女に、「じゃあまた、バスでね」と、電話のお礼を伝えて通話ボタンを切る。

通話を終えた画面には・・・"名前"って、前に登録し直した大好きなキミの名前。
表示された通話時間は、モーニングコールにしてはしゃべりすぎちゃったかな?・・・でも、まだまだ足りない。これから出発じゃなけりゃ、あと30分は聞いてたかったなぁ。


布団を出て、カーテンを開ける。
木漏れ日の密度が、夏の始まりを予感させて胸をくすぶる。

−−−さぁ、朝飯でも食べに行こうか・・・そう思ったとき、たまたま開きかけになっていた机の引き出しの中で、何かがキラリと光った。
太陽の光を反射させたソレは・・・オレが昔、名前さんにあげた石の指輪だった。

部室で居眠りしている彼女のノートを、オレが見てしまったあの日・・・思わずそのまま、持ち去って来たモノだった。
処分に困ってるんだろう、なんてあの時は思ってた。
・・・けど、それは違う。今ならばわかる。
彼女は大切に、持ってくれていたんだ。
一体どんな気持ちで、持ち続けてくれていたのか・・・想像しただけで、胸がズキリと傷む。ノートと一緒に卓上にあったって事は、あの日もオレの事を想ってくれていたのかもしれない。

今これをオレが持っていること、彼女は知らないはずだ。もしかしたら、探してるかも?
・・・けど、なんとなく返せないままでいる。
だってさ、石コロとはいえ指輪をおくるって・・・あんな事があったからこそ、今度はもっととびきり嬉しい思い出で、塗り替えてあげたいから。

・・・だから今はもーすこし、ここで留守番しててね。
優しくソレを撫でて引き出しを閉め、オレは部屋を後にする。






さあ。いよいよ、また始まるんだ・・・あのレースが!















集合時間にちゃんと間に合うように着くと、名前さんはホッとした様子で胸をなでおろしてる。

箱学が所有してる50人近く乗れる大型バスは本来、レギュラーだけじゃなくてサポートの部員も皆で乗ってすし詰め状態だ。
ただ、今回の下見はインハイメンバーの六人と、付き添いの名前さんだけって事で車内はかなり広々としていた。
バスに乗り込むオレたちに名前さんは、「一人で二席使っても良いから、好きな所に座ってね」と乗車口の所で声を掛けてる。

ついさっきまで、電話で好き好き言い合ってたのと同じとは思えない程の凛とした声だ。
だけどまぎれもなく、同一人物。
・・・その証拠に、オレが乗り込むときに目が合うと、今朝の事を思い出したのか恥ずかしそうに目を逸らした。
そんな姿に、独占欲が満たされて胸が熱くなる。

ああもう、可愛いなぁ。
ついイジワルしちゃいたくなって、ちいさく「電話、アリガト。おかげで間に合いました」と目配せしながら言うと、名前さんは頬を染めて「いいから、さっさと乗りなさい」とオレの背中を叩いた。



乗り込んだバスには、すでに泉田さん、黒田さん、葦木場さん、バシくん、ユート・・・今年のレギュラーメンバーが、思い思いの席に腰を下ろしている。オレも、適当な所に腰掛ける。

最後に乗り込んだ名前さんが全員乗っている事を確認し、バスは走り始めた。
栃木まで、三時間位かかるって言ってたっけ・・・


「名前さーん、こっちこっち。一緒に座ろうよ!」


前の方の席にひとりで座ろうとしていた彼女を、片手を挙げて呼び寄せる。オレは窓側の椅子に座っているから、通路側に面した隣の座席をポンと叩く。
名前さんは少し戸惑いながらも、オレの隣に来てくれた。

「こんな広い車内で、わざわざ隣に座ってんじゃねーよ。このバカップルが」
「う、うるさいわよ黒田」
「ホントの事だろうが。ったく、イチャイチャしようモンなら引き離すからな」
「え?黒田さん。するでしょー、イチャイチャ。オレたち付き合ってるんですよ?」


オレがそう言うと、名前さんは「はぁ?!」って言って真っ赤になってるし、黒田さんはため息をついてる。

イチャイチャだなんて、冗談のつもりだったんだけど・・・。
それなのに彼女は、照れ隠しなのか警戒なのかオレとの距離をあからさまに空けた。
椅子の端ギリギリに座って「ど、どんなだろうね、今年のコースって。」と目線を合わせずに言う。話題を変えたつもりなのか・・・意識してるのが分かり易すぎる。いちいち可愛い。


「ですねぇ。地図上では見ましたけど・・・オレはあれですねー、まずは初日のいろは坂!実際見るの、楽しみだなぁって」



・・・夏のインターハイ。
また、この季節がやって来た。

坂道くんと、また走れるだろうか。
それとも、今度は違う誰かとも・・・全力を絞り切るようにペダルを踏んで、戦うのだろうか。
・・・考えただけで、ワクワクは膨らんでいく。

不安じゃ無いと言うのは、少し違う。
怖くないと言えば、それもウソだ。
ただただ楽しみでワクワクしか無かった去年とは違うけど・・・それでも。

−−−オレ、やっぱりロードが好きなんだ。
喜びも、快感も、・・・それから、敗北や悲しみも。全部ぜんぶひっくるめて今、本当の意味でそう言える。



「・・・この重圧も、ピリついた感情も、ぜんぶ跳ね除けて山の頂を獲ったら・・・めちゃくちゃ気持ちイイんだろうなあ。」


ひとりごとのように溢れたオレの言葉に、名前さんはふわりと笑った。

・・・不思議と、心が軽くなる。

出会った頃はドキドキして仕方なかったその笑顔に、オレはこのごろ妙に安心してしまうときがある。キミの隣にいると、心が自由なんだ。
・・・へんなの。だって、あの頃よりキミの事、もっと好きになっているはずなのに。





「・・・いちばん最初スキになった時にさ。キミといると、坂登ってるときみたいにドキドキするって思ったんだ。」

「ちょ、ちょっと?!なに言ってんの、急に?!しかも、こっ、こんなにみんないるバスで、」

「あのドキドキの正体が知りたくて・・・好きでもない勉強を教えてもらいに、毎日キミに会いに行ってた。・・・今でもさ、もちろんドキドキしますよ?けど、あの頃は無かった感情も最近はあって・・・。ホッとする、っていうのかな。まるで放課後、部室前で山から来た優しい風を感じてる時みたいに・・・心がホワッてして、呼吸もしやすくなるんだ。キミが隣にいるだけで。」


オレと彼女の間に置かれていた名前さんの白い手を、ぎゅ、と握る。


出会った頃は・・・あの、心が不自由になる感覚がたまらなかった。ロード以外で初めて、「生きてる」って感じた。
その先にあるものを知りたかった。胸の高鳴りを、もっともっと突き止めてみたかった。
だけど・・・辿り着いたその先にあったのが、こんなにも穏やかな世界だったなんて。

ああ、そうか。
・・・もしかして、これが−−−




「あー、もしかして・・・『愛してる』、って・・・こういう事を言うのかな?」


「なっ?!・・・あ、あ、愛・・・?!」





名前さんは、真っ赤になって口をパクパクさせてて・・・ありゃ、照れさせるつもりじゃなかったんだけど。思った事、言っただけだったんだけどな。

相変わらず反応の良すぎる名前さんに和んでいると、オレの目蓋には心地よい睡魔がのしかかってきた。そういえば、朝も早かったしなぁ・・・って、起きたばっかりだけど。

ああ・・・いま寝たら、幸せだろうな。
こんな、ぽかぽかした気持ちで。大好きな女の子の手を握りながら、寝たら。


すぅ、と眠りに堕ちるとき・・・つながれたままの手に対して名前さんが戸惑ってる声が、ぼんやりときこえた。
いいでしょ、このくらい。黒田さんだって、見逃してくれるって。




・・・ぎゅ。
握っていただけの手を、こんどは指先も絡めて握りなおす。


狸寝入り?違いますってば、これからホントに寝るとこなんだから。


−−−オレはこの手を、ずうっと離さないでいよう。
だってそれはオレたちが見つけた、二人で幸せになるたったひとつの方法だったから。

目的地について、バスから降りても・・・
今年もまた、インターハイが始まっても。
次の春が来て、あなたが卒業してしまっても・・・
そうしていつか、大人になっても。

心の中で二人、強く強く繋いでいようよ。
ずっとずっと・・・この胸に。キミがいれば、オレはもっと・・・どこまでも強く、なれるのだから。






〜 F i n 〜

→ あとがき






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