03
僕がそう言うと、なまえちゃんが息を飲んだのが分かった。そんな話をする事をまるで予期していなかったのか、はっとした表情でこちらを見つめている。
「え?」と彼女は、ゆるやかな夜風にすら掻き消されそうな弱々しい声を漏らした。
「僕がなんにも気付いていないとでも思っていたのかい?わかるさ、それくらいの事なら」
「−−−美穂ちゃんから聞いたの?ああ、だからこの場所へ連れて来たって事・・・?」
「美穂?いや、美穂からはなにも・・・」
「・・・−−−じゃあ、自分で気が付いたのね。さすがね、寿くんはキャッチャーだし洞察力とかが、」
「違うよ、そうじゃない」
彼女の言葉を遮って、真っ直ぐに言う。
「キミが、好きだからだよ」
なまえちゃんの綺麗な顔が、すこしだけ歪んだ。構わずに、言葉を続ける。
今日こそは、言わなきゃと決めて来たから。
「職業柄とか、そんなんじゃないよ。・・・好きだった。ずっとキミだけを見ていた・・・だから分かった、それだけの事だよ」
−−−キミが、ずっとなにかを隠してた事。
そんな事なんて、とっくに知ってたよ。
キミの隠し事はなかなかに上手で、恐らく気付いてる人間は僕以外には居ないだろう。
その"隠し事"が一体何なのかまでは、分からなかったけど。....聞く勇気も無かった。確信は無いが、「それ」だけが僕と居てくれる理由なような気もしていたからだった。
キミの事が好きで好きで仕方なかった。
僕の側に居てくれる事が、たとえどんな理由でも良かった。キミが隠しておきたいのなら、無理に聞き出そうなんて思わなかったし、それが僕への同情の類なのだとしても構わなかった。
キミと一緒に居たかった。
だから、ずっと隠して隣にいた。....ごめんね。
だけどそうやって過ごす中で、いつかキミがほんとうに僕を好きになってくれたらいいのに....そう思ってた。
誕生日を欠かさずに祝ったのもそのひとつだった。もっと卑怯なのは告白の言葉で、「僕には、キミがいないとダメなんだ」なんて−−−そんなふうに言えば、キミが断れないと分かって選んだ言葉だった。
...ずるいよね。僕はキミが思っているほど正しくもないし、強くもないんだよ。
−−−僕がキミへの恋心を自覚したのは、中学の頃だった。
クラスの男子で話をしていて好きな女の子について聞かれたとき、なまえちゃんの顔が浮かんだ。
それが何故なのか、はじめは分からなかった。
キミの事を特別に想っている自覚はあったけど・・・それに恋という名前を付けたら、すごくしっくりときた。
優しい所が好きだった。笑った顔が好きだった。その全部を自分のものにしたいと幼いながらに思っていた。そうか、恋だからなんだと妙に納得した。
その好意を彼女に示し始めたのは、高校に上がってからだった。
おじいちゃん達に行かせてもらった海堂高校で、僕は死にものぐるいでプロ野球選手にならなきゃいけなくて、告白したり付き合ったりできる状況ではなかった。でも、なまえちゃんを大切に想っていることを隠す事はしなかった。
僕のそんな変化に、彼女もはじめは戸惑っていたけど、応えてくれる瞬間はある日突然にやって来た。
自分からは滅多に電話をして来ない彼女が、ましてや寮の門限も過ぎてしまった夜遅くに掛けて来た。電話を受けた管理員に無理を言って繋いでもらった受話器の向こうで彼女は、平気なフリを装っていたけどどこか様子がおかしくて。
夜が明けてすぐ、会いに行った。
なまえちゃんは、声が聞きたかっただけだと言って泣いていた。寿くんの迷惑になる事なんて絶対にしたくなかったのに、と言って。
キミがする事で、迷惑な事なんか僕にはひとつもありはしないのに。
たまらなく愛しくなって抱きしめた時、気付けば僕の背の方がずっと大きくなっていた事に気付いた。そのくせ、僕ばかり甘えてきて、なまえちゃんがそんなふうに頼ってくれたのは初めてだった事にも気が付いた。
やっと告白ができたのは、プロに上がった後だった。
それからの2年間はまるで夢のような日々だった。
僕はずっと欲しかったものを手に入れた。
キミも僕を好きだと言ってくれた−−−あれは、本心だったよね?
僕はキミの「嘘」が分かるけれど、「本当」だって分かるつもりなんだよ。
幸せだと笑ってくれた事に、ウソはなかったよね?
だけど・・・時折、その横顔に寂しさが霞んで見えた。
キミの「隠し事」は、いつまで経っても、どれほど愛を注いでも、僕には拭い去る事ができなかった。
キミを失うくらいなら、気付かないフリをしてでも隣に置き続けたって良かった。
だけどそんなのは、自分の為でしか無いから。
キミの為を想うならばどうするべきか?そう考えて出した、僕なりの答えがこれだった。
「僕はキミから話してくれるのを待ってた。それと・・・正直、怖くて聞けなかったんだ」
「・・・・・・」
「なまえちゃん。言いたくないなら、言わなくたっていいんだ」
「・・・・・え・・・?」
「キミが隠していた事が何であれ、今日まで僕の隣で生きていてくれた事実は変わらない。・・・あの事件の後、キミがずっと側にいてくれた事に、僕がどれだけ救われたと思う?おじいちゃんとおばあちゃん以外の、ましてや他人に必要とされる事に、どれだけ支えられたと思う?」
「違うの・・・私はただ、」
「違わないよ。そこにどんな理由があったとしても、この事実は変わらない」
「・・・寿くん・・・」
「ありがとう、本当に。でも−−−もう僕は一人でも大丈夫だから」
言い切ると、目の前の彼女はガラス玉みたいに澄んだ瞳で僕を見た。怯えているようにも、安堵しているようにも見えた。
「僕はもう、キミに頼らなくたって生きていける。・・・ここまで来れたのは、キミが支えてくれたお陰だ、本当にありがとう。ここから先は−−−依存じゃなくて、お互いに支え合って生きていきたい。叶うなら、キミに頼ってもらえる男になりたい。・・・キミの隠し事が、隠し事のままだって構わない。それも含めてキミなら、僕はなまえちゃんの全部が好きだから」
プロポーズだけは、卑怯な真似はしたくなかった。
弱さや駆け引きなんてかなぐり捨てて、真っ直ぐに伝えたかった。好きだ。大好きだ。初めて会ったときから、ずっと。だから今日、この場所を選んだ。
「キミを愛してる。結婚してほしいんだ」
僕の言葉に・・・、なまえちゃんは瞳を揺らした。
それが感激の涙じゃない事くらい、悲しいけどすぐに分かってしまった。
「・・・寿くんのほうが、ずっと先に大人になっていたみたい」
遠くを見るような彼女の目線の先に、片方に傾いたままのシーソーがあった。
いつか、二人で乗って遊んだ。小さな頃はなまえちゃんの方が背が高くて、キミの方にばかり傾いていた。
「本当の寿くんが見えていなかったのは、私のほうだね。・・・寿くん、ごめんなさい。ずっと寿くんを騙していた事も・・・それから、その告白を受けられない事も」
「・・・・・・ひとつだけ聞かせてほしい。僕の事を好きだっていうのも、嘘だったのかい?」
「・・・一緒にいるのが、辛いの。寿くんの事を好きになればなる程、自分の事が嫌いになるの。・・・今日ね、また、自分を嫌いになった」
僕の質問になまえちゃんが答えてくれた事に、その時は気付けなかった。
ひとつだけ言葉を残して、彼女は僕の目の前から姿を消した。
どこへ行ってしまったのか、誰に聞いても分からなかった。
まるでこうなる事がずっと前から分かっていたみたいに、足跡ひとつ残さず消えてしまったのだった。
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