02
彼が中学に上がる頃。
背もグンと延びて、顔つきも男の子らしくなってどんどん格好良くなっていった。私が欠かさず試合の応援に行ったり、彼の悩み事の相談に乗ったりすると、寿くんや彼の祖父母が私の事を優しいとか、良い子だなんて言ってくれるようになった。
寿くんや祖父母の素敵さに触れる度、彼らが私を褒める度、罪悪感で息苦しくなった。
何も知らないくせに。
寿くんはどこまでも清らかで、格好良くて、そして本当に優しい。なにも知らず、私なんかに信頼を置き始めている。
本当の事を言おうと思った。
もしかしたら寿くんが置いて行かれたのは、私のせいかもしれないのって。
言ったら多分、嫌われてしまうけど。
私のせいな事も、隠して側にいた事も、全部全部最低な事だから。
だけど、言うのは今じゃないとも思った。
あの事件がもたらした寿くんの心の傷はあまりに深く、何度も過呼吸を起こす程のトラウマとなっていた。
その上、祖父母には心配をかけまいとしているようだった。思い上がりでなければ、寿くんが弱音を吐いたり甘えられる場所は、私だったように思う。事件の一端を担った人間かもしれないのに....。
だけれど−−−だからこそ、すぐには離れるわけにはいかなかった。傷がすこしでも、癒えるまでは。
もう一つの理由として、彼の祖父母の事もあった。
寿くんは中学に上がった後、おじいちゃん達に楽をさせてあげたいと、プロ野球選手への夢を現実的に描いていた。
その為の志望校は野球の名門・海堂高校で、野球部は全寮制であった。
進学すれば祖父母の側に居られない事を気にかけていたのだ。
寿くんの側にいたくて、私も海堂に進学した。だけれど私は普通科だったから自宅からの通学が許されていて、寿くんの代わりといってはおこがましいけれど、祖父母の家に頻繁に顔を出すようにしていた。寿くんもおじいちゃん達も、私にすごく感謝をした。寿くんが安心して野球に打ち込めるのは嬉しかったけど、お礼を言われる度、胸が痛んだ。
でも、そんな心残り達も、すこしずつ静まりはじめている。
ワールドカップが終わってからというもの、寿くんは妹の美穂ちゃんとも頻繁に連絡をとっているようだった。一番の心配事だった家族とのわだかまりに、すこしずつ雪解けが見えはじめている。
おじいちゃんとおばあちゃんについても、週に何度かディサービスに通い始める事になった。気持ち的な寂しさも無いだろうし、寿くんが側に居られない万が一の時もいち早く対応をしてくれる場所ができた。
だから、もう、寿くんは私がいなくたって大丈夫だ。
それなのに・・・わかっているのに、離れられなかった。
理由は簡単だった。
寿くんに、恋をしてしまったからだ。
私に、そんな資格など無いのに。
寿くんが私に良くしてくれているのは、本当の事を知らないからなのに。
それなのに歳を重ねる度、寿くんにドキドキする事が増えていった。好きになっちゃいけない、って気持ちに蓋をすればするほど、想いは無情にも膨らんでいった。
そして、寿くんと一緒に海堂に通っていた頃・・・愚かな私はそんな恋心を、自分自身認めてしまったのだった。
卒業して寿くんがプロに入った時、付き合ってほしいと告白された。彼を想うならば断る以外の選択肢は無かったはずなのに、「僕にはキミがいないとダメなんだ」なんて言葉に流されて、自分の気持ちも抑えきれなくて、首を縦に振った。好きで好きで仕方なくて、向き合わなきゃいけない色んな問題に目をつぶった。
罪悪感は消せなかったけど、このままの関係でも良いのかも?なんて甘い考えに逃げた。
他でも無い寿くんが私を必要としているのだから。そんなふうに自分に言い聞かせて。
そこからの2年間は、すごく幸せだった。
気持ちを認めてしまった後は随分と楽で、好きな人に好きと言える喜びや、大手を振って寿くんの隣にいられるのはとても心が自由だった。
自分の罪から逃げて手に入れた寿くんとの恋人生活は、まるで夢のような日々だった。
野球選手の彼女同士でお友だちになったり、昔からの知人に習って一緒にそれぞれの恋人のお守りを手作りしたりした。
....寿くんとの別れ方次第では、あの人達とも会えなくなってしまうのだろう。
だけどワールドカップで美穂ちゃんに再会した時から、彼と離れなくてはならないという現実はずっと私の脳裏にあった。
美穂ちゃんが寿くんの前に現れた時に真っ先に駆け巡ったのは、寿くんの心配でも、ましてや美穂ちゃんに会えた喜びでもなく、私の嘘がバラされるんじゃないかという危惧だった。
再び戻った兄妹の絆に、安堵しながらも、自分の居場所が美穂ちゃんにとられるのではないかという恐怖すらあった。
そんな自分に気付いたとき、ああ私はやっぱり、どこまでも自分本意な人間なのだと思い知った。
なぜ、告白を受け入れてしまったんだろう。
なにより一番は、なぜ、好きになってしまったの?
好きになるつもりなんか、なかったのに。
思えば家族とのトラウマを心配していたのだって、彼の祖父母への気遣いだって、彼の側にいるための言い訳に過ぎなかったのかもしれない。
そんな理屈をいくつも並べて、あと1年、あと1カ月、あと1日、って別れを先延ばした。
すこしでも長く、一緒にいたかった。
延ばせば延ばす程、彼に負わせる傷は深くなる....分かっていたのに。
もっともっと早くに離れるべきだった。
タイミングならいくらでもあったはずだ。
そしたらきっと、違う離れ方もあっただろう。
「この場所に二人で来るのは、随分と久しぶりだよね」
ゆっくりと公園を見渡して、寿くんは言った。
「覚えてる?ここは、キミと初めて会った公園なんだよ」
−−−そうだった。苦しい記憶に上書きされてしまっていたけど、ここは寿くんと出会った場所でもあったんだ。
「キミに、大切な話があるんだ」
彼が私に真っ直ぐ向き合った。若竹色の爽やかな瞳に緊張感が滲んでいて、ああ、今プロポーズをするつもりなのだと分かった。寿くんがその場所にここを選んだ事は偶然が重なっただけなのだろうが、神様から私への、自分の背負った罪を忘れないようにとの思し召しのように感じた。
「−−−キミは僕に、なにか隠している事があるね」
だけど寿くんが言った言葉は、私の予想とは大きく違っていた。
そしてそれは、私がずっと恐れていた言葉だった。
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