- ナノ -




その男の子の名前が"真波山岳"くんである事、そして私の隣の席の主である事を、私はほどなくして知った。
まさか入学式の日に遅刻する人なんて居ないと思い込んでいた私は、その事実と、そしてそのくせニコニコとしていたあの様子には結構な衝撃だった。
もしかして不良なんだろうかとか、そうじゃなくても変わった人なら、あんまり近づきたくないなと思った。
イケメンだったから見てる分には良いけど、怖い事とか面倒事には巻き込まれたくは無い。早く席替えしてくれないかな先生、なんて思った。

その心配は杞憂に終わって、私は面倒事に巻き込まれる事は無かった。
というか入学式の後も、真波くんは学校に来たり来なかったりで。来たとしても午後からふらりと現れては、授業中もその綺麗な顔ですやすやと気持ちよさそうに居眠りをしていた。

面倒事には巻き込まれまいと思っていたはずなのに、根っからのお節介焼きも手伝ってか、私はその様子が猛烈に心配になってしまった。
隣の席から見ている限り、真波くんは不良だとか悪い子には見えなかった。
どちらかというと穏やかで繊細そうな雰囲気。そしてこの出席状況−−−もしかして真波くんはこのまま、不登校になってしまうのではないか?そんなふうに考えたのだ。


・・・真波くんに、話しかけてみようかな。


入学して何日か経った頃、私はそんなふうに思い始めていた。
クラスの中にはもう、ちらほらと"グループ"と呼ばれるものも出来てしまっている。ここで打ち解けられないと、孤立してしまって彼は本当に不登校になるかもしれない。


「お、おはよう」


意を決してそう声をかけた。
その日、真波くんは珍しく朝から学校に来ていて、机に座ってぼうっと前を見ていた彼の瞳がゆっくりと私を映した。整った綺麗な顔立ちに、ドキリと心臓が高鳴る。



「おはよー」

にこやかにそう返してくれた真波くんは、言葉を続けた。

「キミが、オレの隣の席なんだ?」
「え?あ・・・うん」

何を今さら−−−、と思ったけど、真波くんは今日まで遅刻と欠席ばかりだった。私の事を知らなくても無理は無いのかもしれない。

「真波くんは・・・えっと、風邪とかひいてたの?」
「ううん、元気だけど?」
「でも、遅刻とかお休みが多かったから」
「あー、その事かあ。キミはさぁ、・・・えーっと、ゴメン。名前なんだっけ」
「名前?苗字なまえ」
「苗字さん。苗字さんはさ、坂、好き?」


−−−え、坂?
坂って、上り坂とか、坂道のこと?

どうしてそんな事を今、聞くのだろうと思った。
私の質問は、遅刻の理由だったのに。

「坂・・・、ごめん、好きか嫌いかで考えた事無い・・・かな」
「そっかぁ。オレは、すっげー好き!天気の良い日は特に登りたくなるんだ。キミ、"ロードバイク"って知ってる?」

それは知っていた。というか恐らく、箱根学園の生徒は嫌でも知る事になるはずだ。
コクリとうなずくと、真波くんは心なしか声を弾ませながら言った。


「ホント、乗った事はある?!最っ高ォーーなんだよ、ロード!特に、坂道登ってる時!天気の良い日に走ってるとさ、すっげ気持ち良くて...生きてる、ってカンジがして....。オレ今、ロードで学校通ってんだけど、テンション上がるとそのまま箱根山に向かっちゃうんだ。だから、遅刻とかもそのせい」
「え?!・・・つまり、登校中の自転車が楽しくて、学校に遅れてたって事?」

・・・そ、そんな事ってある?!

その"遅刻の理由"は俄かに信じられなくて、私はビックリて聞き返したけど、当の真波くんは「ん、そう」なんて飄々としている。


「テンション上がって来ちゃうとさ、時間とかに意識行かなくなっちゃって」


嬉しそうに自転車トークをする姿が、私にとってはかなりの衝撃だった。
普通、遅刻なんてしないように時間気にして登校するモノじゃないのか。
しかも"坂が好き"って何よ?!自転車で、下りがラクチンで楽しいならば分かる。
ましてや箱根学園の校舎は、箱根湯本よりさらに山道を登った先にある。自転車どころか歩くのさえキツい斜度の道もいくつかある。考えただけでも私は、足腰が痛み出してしまった。



「そ、そうなんだ...。なんか、変わってるんだね、真波くんって」
「あはは、よく言われる」


........どうやらそう思ったのは、私だけじゃないらしい。


「でもさぁ、さすがにこの時期は学校に来た方が良いよ。....その、友だちとか、出来にくくなっちゃうし」
「友だちかぁ。うーん、自転車好きな子いるかな?」
「さ、さぁ....それはどうかな....。でも良かったね、今日は遅刻しなくて」
「ああ。今日から部活、始まるでしょ?だから来たんだ。オレ、自転車競技部入るんだ!どんな速い人と走れるかなあー」


そう言って、女の子みたいに大きな瞳をきらきらと輝かせた。

話してみると真波くんは、私の想像とはちょっと違っていた。
不良でもナイーブでも無かったけど、変わり者な事は確かだった。
遅刻や欠席の理由は、ただの『自転車バカ』・・・そんなのって誰も想像できるはずがない。
だけど彼の口から出る言葉は兎にも角にも自転車、自転車、それから坂。そればかりだった。




私が昨日までとはまた違った意味での溜息をついた時、予鈴を告げるチャイムが鳴った。
授業の準備をしようと机に手を入れると、隣の席から「....あれ?」と、真波くんの声。

顔を向けると、彼もまた授業の準備をしようと机に手を入れてる。
そして中から取り出したのはプリントの束で、真波くんが居ない間の分を私がまとめたものだった。
新学期な事もあって、連絡事項等も多くなかなかの量になっていたから。

「・・・もしかしてキミがまとめてくれたの?」
「う、うん。溜まってきてたから」
「そっか・・・ありがとう。優しいんだね」

可愛い笑顔でそう言われると、思わず目が釘付けになってしまう。イケメンに感謝されるのって悪くないな、と思った。
変わってる子だけど、悪い人ではなさそうだと思った私は、単純だろうか。




「こんなふうに纏めてくれて、キミ・・・・えーっと・・・ゴメン名前、なんだっけ」




・・・悪い人ではない、多分。




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