「仕事とオレとどっちが大事なんだよ」


「初めて人を殺したのはいつのことだった?」
 獄寺の声がそう尋ねる。しかし彼はキッチンに立って料理をしている真っ最中なのだからそんなことを聞くはずはないだろう。ゆえに雲雀は無視して本を読み続けた。悪意を持った沈黙ではなく、幻聴だと思ったからだ。
「……お前、無視すんなよ」
 包丁の音。いまだに切るのが苦手だからひどくぎこちない間隔で鳴り続ける。
「ああ……幻聴じゃなかったんだ」
「なんでそうなんだよ」
「あまりに場違いなことを訊くものだから」
「お前にも場の空気とか、読めるんだな」
 馬鹿にするわけではないが、呆れた言い方だった。
 獄寺の手が動き、まな板に乗った食材が鍋へと投入されていく。今日は一体何を作ろうとしているのか、生憎料理をしない雲雀には分からなかった。
「どうしてそんなこと訊くの」
「理由とか、気にすんだ」
「君、僕のことなんだと思ってる?」
「つい最近まで人間じゃないかもしれねーって思ってた」
 正直、UMAの方が説得力あるかも。獄寺は軽く笑いながら火をつけた。
 きっと彼の中では自分の範疇外にある人間は皆UMAなのだろう。一時期至門中学から転校してきた奇怪な女子生徒をUMAだと騒ぎ立てて追い回していたこともあったくらいだ。
「でもお前、人殺すから、多分人だろって、思った」
「人じゃないものだって人を殺すよ」
「そーなんだよな。人殺しておいてのうのうと生きてるから、やっぱお前は人じゃないのかもな」
「言いたいことは簡潔に言ってくれる?」
「お前、自分だけ幸せになれると思ってんのかよ」
「幸せ?」
「ドーセイまでしてくれる恋人作って、呑気に飯食って、使わねぇ金貯めて、好きなだけ寝て、満たされてて、そんなのが許されるわけねぇだろ」
 さて、雲雀自身、幸せという状況をありがたくかみ締めたことは今まで生きてきた中で一度もない。全てはあるがままに生まれ、流れ、死んでいく。だから自分は何にも縛られず生きるために為すべきことを為しているだけだ。その過程にたまたま要らない人間を排除する行為があっただけ。雲雀にとっては獄寺が思うより価値のない行為だ。
 獄寺の目にはこんな雲雀が幸せそうに見えるのだろうか。満たされた人間だと思っているのだろうか。
「……君と僕では、目指している到達点が違う。君の言うそれはただの恨み言であり、押しつけだから、僕には何の影響も与えない」
 雲雀なりに言葉を選んだつもりだった。獄寺は返事をしなかった。黙ってまな板をシンクへ運び、スポンジ片手に洗い出す。
 雲雀は本にしおりを挟み、ソファに座りなおした。買ったばかりのソファはふんわりと雲雀の身体を受け入れる。
「君の言う"幸せ"と僕が欲しい"自由"をもし天秤にかけるようなことがあれば、僕は迷わず後者を取る」
「違うだろ」
「何が?」
 尋ねると、獄寺は何も言わず鍋のふたを閉じた。そして弱火に切り替えて初めてこちらを振り返る。素朴な青年の顔が、まっすぐに雲雀を見ていた。
 幼いころも顔だけはきれいだと思っていたが、年を重ねるごとに洗練されていく。
「天秤にかけるのはオレとお前だよ」
「どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ、頭悪ィな。オレを取るかお前を取るか、どっち?」
「君がそんな頭の悪い質問をしてくるとは思わなくて」
「ハ? お前の方が偏差値低いだろ」
「測ったこともない単位で競われても」
「お前並中に何しに行ってたんだよ」
 獄寺は大きくため息をつき、雲雀の隣へ腰を下ろした。大きいソファだから幅に余裕はあるが、わざわざ肩が当たる近さだ。
「で、どっち取るんだよ」
「君をわざわざ取るわけない」
「薄情なやつ。オレん事大事じゃねぇのかよ」
「僕に取られるような君を大事にしたくはない」
「あっそう。解釈違いってヤツ?」
「解釈? 解釈、ではないと思うけど」
「あーはいはい。もういいです。わかったわかった」
 獄寺の背中が背もたれに沈む。気だるげに目を伏せた表情さえ完成された絵画のように美しかった。
 ついじっと見つめてしまったからだろうか、獄寺は眉をひそめて雲雀を睨んだ。
「言っとくけど今日はヤらねーからな!」
「なんで? せっかく愛とやらを語ったのに」
「いよいよお前がUMAな気がして食いちぎられそうで怖いから」
「食いちぎらないよ」
「否定するとこ間違ってんだろ……」


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