ある運命 前


 ボンゴレ]代目の守護者は一人欠けている。人数は足りているが、空席が一つ。
 沢田綱吉が十代目ボスの候補として挙がった時からずっと適任がいなかった。適性のある者は数名いたが、守護者ともなれば別だ。沢田綱吉と運命を共にするだけの資格を有していなければ嵐の守護者は務まらない。
「……その、嵐の守護者が見つかったかもしれない、という話で…」
 沢田は神妙な面持ちで話を切り出す。呼び出されて面倒臭いながらも来てみればこんな話。雲雀はため息を吐いて沢田に背を向けた。
「ひ、ヒバリさん! お願いがあります!」
「イヤだ」
「何も言ってないのに!」
「その嵐の守護者とやらに会いたければ自分で会えば?」
「…オレが行くわけにもいかないじゃないですか」
「引き入れたいのか無視したいのかどっち?」
 冷たく突き放すと、沢田は諦めたように長いため息を吐いてゆっくりと立ち上がった。悩まし気に口を尖らせる顔はいまだ幼く見えるのに、身体だけは一丁前に大人に育ったものだ、と中学生の頃の沢田を思い出す。
 目の前に一枚の紙が差し出された。そこには一人の男を盗撮した写真と乱暴なメモ書きが書き込まれている。この字の汚さは白蘭だろう、と予想がついた。ということはあの男が「嵐の守護者がいる世界」を覗いたのだろう。奇怪で信じがたい能力ではあるが、白蘭の並行世界感知は今までも何度か沢田綱吉を助けてきた。恐らくは本当にこの写真の男が別の世界では嵐の守護者をしていたのだろう。
 雲雀は書類を手に取り、じっくりと写真を眺めた。背景は中華街だろうか、色彩がうるさく目が痛い。標的である男は人混みの中で誰かと喋っている。スカジャンにジーンズ、それから丸いサングラス。お手本のようにチンピラの見た目だった。しかし一番目立つのは銀色の髪だ。染めているのだろうか、それにしては遠くから撮った写真でもきれいに映っている。
「……今更オレの事情に巻き込むわけにもいきませんし、そもそもなんか結構ヤバい人みたいなので」
「なに、殺してほしいの?」
「ちっ、違いますよ! ただ、」
「ただ?」
「……友達になったかもしれない人が、どんな人なのかなって、知りたくて…。オレの我儘なんですけど、」
 沢田の語尾がしぼんでいく。一応申し訳ないという気持ちはあるのか雲雀と目を合わせようとしない。
 どうにもその顔に弱いのは、より小動物っぽいからだろうか。
 はあ、とため息を一つ。メモ書きを丁寧に折りたたんでスーツのポケットにしまう。
「いつもの倍」
「うっ…。出します。よろしくお願いします」
 後輩に甘くなってしまうのは元々だっただろうか。それとも沢田たちに囲まれてそう思うようになってきてしまったのか。白蘭の見るあちら側の自分は、違うだろうか。

ある運命 前

 どちらかと言えば潔癖なのかもしれない。中学に上がる前、初めてその言葉を知って自分という人間に納得がいった。群れている人間が嫌いで、彼らを倒した後の綺麗な空が好きで、しかしそんな人間は自分だけだった。
 人に触れるのは嫌いだ。触れられるのも嫌いだ。目を合わせて話すのも嫌いだ。名前を呼ばれるのも嫌いだ。沢田綱吉たちからの接触にはただ慣れただけで、嫌いなことに変わりはない。
 早く死んだ方がいいのか、早く殺した方がいいのか。暇があればそんなことを考える。
 殺した方がいい。花占いの最後の一枚がこの選択を推奨している。
 雲雀は茎だけになった花を投げ捨て、ある中華料理店の扉を開けた。かすかな隙間からも漏れていた人々の話声と芳ばしい匂いにぶわりと包まれる。瞬間、鳥肌が立った。やはり嫌いだ。
「いらっしゃい」
 片言の日本語で雲雀を迎え入れたのは中年女性の従業員だった。顔立ちはアジア系だが、どうやら日本人ではないようだ。
 促されるままカウンター席に着き、メニューを眺める。餃子や炒飯など、王道の中華料理が写真とともに並んでいた。目の前で調理をされるようだが、余計に食べたくなくなる。
 水だけを頼むわけにもいかないものかと悩んでいると、店の扉が再び開いた。
「拉麺! 早くくれ!」
 大声を上げ、ずかずかと入って雲雀の二つ隣に腰を下ろしたその男を横目で確認する。銀色の髪にチンピラみたいな恰好。写真で見ていたよりもずっと細くて長身だった。男は長い足を組み、スマホを触っている。
「毒サソリ! 二度と来るな、言った!」
「人違いだ! 早く! 拉麺! どうなっても知らねぇぞこの店!」
 テーブル席の宴会騒ぎに負けないくらいの怒号でやり取りが行われている。耳が痛くて塞ぎたくなった。
 厨房で調理をしている店主に炒飯を頼み、苛立ちを誤魔化すように水を飲む。
 見た目は綺麗な男だというのに素行は酷いようだ。視界の端で舌打ちをしながら煙草に火をつけているのが見えて、こちらまで舌打ちをしそうになる。
 どうやらここは毒サソリと呼ばれた彼の行きつけの店らしい。ここへ来る前部下に何度か男の調査を指示したが、大した情報を得ることはできなかった。行きつけの店がここであることと、この男がこの中華街を牛耳る薬の売人であることくらいだ。
 白蘭からの情報で本名は分かっている。出自も細かな差異はあれど、ほとんど変わりはないだろう。向こう側の彼はどうやらボンゴレに忠義を尽くす男だったらしいが、何の道を違えてこんなことをしているのか。
「よう、お兄さん」
 不意に耳元で低い声がする。鳥肌が立ちそうになり、思わず顔が歪んだ。そのままそちらを振り向けば、いつの間にか男が雲雀の隣に来ていた。
 煙草の煙が顔にかかる。甘ったるくて苦くて、吐き気がする匂いだ。
 思い切り顔に出ていたのだろう、男はわざとらしく笑って煙草を灰皿に押し付けた。
「悪い悪い。見ねぇ顔だから誰かと思って」
「……何」
「こんな不味くて汚くてクセェ店にくるなんざセンスがいいな、お兄さん」
 男はサングラスを取り、改めて雲雀を真っ直ぐに見た。
 その端正な顔つきに思わず言葉が詰まる。写真じゃボケていて顔なんてろくに見えなかった。先ほど横に座った時だって見たくなくてわざと視界に入れなかった。しかし目が合ってしまえば気付いてしまう。こんな掃きだめのような店にいるべきじゃないのはこの男の方だ、と思った。
 人形のように澄んだ白い肌、西洋混じりのくっきりとした目鼻、翠色の宝石のような瞳、薄くて形の整った唇。パーツだけでも美しいのに、それが綺麗に並んでいるから他人に興味が無くとも見惚れてしまう。
「どうした? 最近寝てねぇのか? 目の下にクマがある」
「あなたには関係ない」
「そうか? ここに来る奴は相当の馬鹿か死ぬほど悩んでるかのどっちかなんだ。お兄さんはどっちだろうな?」
 悪魔のような囁き声だ。脳みそが揺さぶられて思考を妨げる。
 嫌いだ、と思った。直感で、この男は殺すしかない、と。汚いのに綺麗で、醜いのに美しい。まるで人間じゃないみたいだ。
 雲雀は思わず男を押しのけ、席を立った。まだ炒飯を食べていないし男のことを何も調べていないが、今すぐここを立ち去りたかった。吐き気がする。
「おい」
「気分が悪い。帰る」
「そうか。またな」
 男は案外呆気なく笑っていた。まるで雲雀のことなんてこれっぽっちも気にしていないかのように。



 ある誰かは彼のことを神様と呼んだ。ある誰かは彼のことを化け物と呼んだ。そしてある誰かは彼を、まるで昔からの友人みたいだ、と語った。
 毒サソリがばらまいているクスリは一種の覚せい剤だ。幻覚作用、気分の高揚、それから重度の中毒性がある。あの中華街を中心に蔓延していて、警察も手を焼いている。あれだけ目立つ容姿をしているのにも関わらず、あの男はいまだに捕まったことがないらしい。
 確かに雲雀の部下たちも何日か彼を尾行していたが、いつの間にかふと姿を消してしまうため最後まで尾行できたことが一度もなかったそうだ。幽霊のような話を半分くらい疑わし気に聞いていたが、これだけクスリが蔓延っていても捕まらないのなら本当なのだろう。
「どくさそり…? ああ、あの、飴売ってる兄ちゃんのこと?」
 路地の片隅で靴磨きをする少年に尋ねると、案外普通の回答が返ってきた。この子供は『飴』の意味が分かっているのだろうか。純朴に見えたとて、この街に生きている人間は侮れない。
「…その飴がほしいのだけれど、どこで買える?」
「知らない」
 そっぽを向いた子供に、小さく折りたたんだ札を差し出す。ちょっと揺らしてみせれば、子供は素直に受け取って続きを話し出す。
「あの兄ちゃんね、困ってる人見るといつの間にか現れて飴あげてるよ」
「困ってる人…」
「最初はタダでくれんだけど、次買う時はすげー高い値段吹っ掛けてくるから気をつけなね」
「そう」
 やはり数日前あの中華屋で話しかけてきたのはそういうことだったのだろう。帰るべきではなかった、と微かに後悔が過るも、あの男への嫌悪感の方が勝ってすぐに消える。
「…もしその高い値段、払えなかったらどうなる?」
「さあ。それは本当に知らない」
「……それと、彼の名前は?」
「なんだったっけ。えっと、確か、ビアンキ」
 ビアンキ。それは女性が使う名前ではないだろうか。
 しかしどこかで聞いたことがある名前だ、と記憶の糸を手繰り寄せ、どうにか思い出す。そういえば沢田綱吉の同居人にそんな名前の女がいた気がする。赤ん坊の愛人だとかで、赤ん坊を縛り付ける沢田綱吉を殺すためにわざわざイタリアから日本にやってきたのが出会いのきっかけだ、と言っていたような。
 そしてあちらの世界ではビアンキと嵐の守護者は血縁関係にあった、と。
「なんだお兄さん、オレに興味あんのかよ」
 すぐ隣で声がして、顔を上げる。そこには数日前に中華屋で会った男がいた。あの時とは違ったスカジャンを纏い、煙草を咥えている。いつから話を聞いていたのか、口元はにやにやと嫌に歪んでいた。
 雲雀は台から足を下ろし、男と向かい合った。身長は雲雀より少し高いくらいだろうが、身体の厚さはあちらの方が一回り薄い。殴れば簡単に殺せてしまうかもしれないが、変に死ななさそうな雰囲気も纏っている。
「直接聞いてくれりゃいいのによ」
「……姉はいる?」
「あ?」
「姉はいるかと聞いてる」
 予想外の言葉だったのか、男はポカンとした顔で首を捻った。そんな些細な動作でさえ美しいのだからたちが悪い。なぜこんな混沌とした往来で美術鑑賞をしている気分にならねばいけないのか、と苛立ちを覚えるほど。
「いた」
「もう死んだの?」
「いいや、生きてるんじゃねぇの。オレが知らないだけ」
「知らないのに名前を使うんだ」
「そりゃまあ、他に使う名前がないから…」
「本名は?」
「……お前、口説いてんのか?」
「違う。尋ねてるだけ」
「ほー。だったら言わねぇ。口説かれてんなら気分良くて言ったかもしんねーけど!」
「……」
 気分が悪い。胃のあたりがムカムカと不快な感覚に覆われる。これは防衛本能だろうか。今すぐにこの男を殺した方がいいと考えてしまう。
 根本的に合わない。いや、もしかしたら根本が似ているから合わないと思ってしまうのかもしれないが、この際はどちらでもいい。
 雲雀が苛立ちから何も言えないでいると、隣で仕事道具を片付けていた子供が男にすり寄った。埃や泥だらけで汚れた子供に袖を掴まれても男は振り払うことなく腰をかがめた。
「なんだよ」
「兄ちゃん。今日は飴くれないの?」
「あー? ほらよ」
「やったー!」
 男はポケットからフィルムに包まれた小さな飴をいくつか取り出して投げた。子供はなんの疑いもなくそれを頬張り、満足そうにこの場を去っていったのだった。
「……今のは、」
「飴だよ。お前も欲しいのか? 手ェ出せ。やるよ」
「……」
 手に乗せられたのは先ほど子供に与えたのと同じ、可愛らしい包み紙の飴だ。見た目はどこからどう見てもただの飴だが、中身はもしかしたら彼の売っているクスリかもしれない。一つ手に取って包み紙をはがして中身を取り出す。つるりとした透明な球体が一つ。
「何警戒してんだよ。ただの飴だよ、飴。甘くて美味しいやつ!」
「美味しくない方は無いんだ?」
「テメェがオレを上手に口説けるってんなら考えてやる」
「困っている人間にはくれるんじゃないの?」
「は? お前何か困ってんの? 悩んでんの?」
 男は乾いた笑いを零し、雲雀の手から飴を奪い取った。そして舐めるしぐさも見せずに奥歯でガリガリと噛み砕く。乱暴で粗雑だ。なのにどうしても綺麗だった。
「部下があまりに尾行が下手だから? 標的の根城も特定できないから? 自分が出なきゃいけなくなったから? 困ってんのか? 雲雀恭弥さん」
「……知ってたんだ?」
「イタリアのマフィアが何の用だ」
 男が、獄寺隼人が敵意を持って雲雀を睨む。この時初めて、獄寺隼人への嫌悪感が薄れていくのを感じた。


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