夏油くん許嫁大作戦!

W リバティ


いとこの悟くんは、まるで神様みたいに扱われる。
悟様、悟様。大人たちは悟くんのことをそう呼んで、崇め敬い奉る。悟くんは小さいころからそれらを無機質な視線で打ち返し、そうして紋付羽織袴を着て上段の間に座する姿は、ほんとうに神様のようにさえ見えた。

「悟様、大慶至極に御座います」

誕生祝賀会。深々と頭を下げる男の人。確かあのひとはおじさまの腹違いのご兄弟。その後ろに並ぶのは、枝の家系の家長さま。術師ではなく財界に身を置いている。そのまた後ろの中年の女性は悟くんの大叔母さま。昨年旦那さまを亡くしたらしい。
皆一様に悟くんに祝福の言葉を贈り、そのいずれにも心は籠っていなかった。

「あー、だりぃ」
「お疲れさま、悟くん」

ご挨拶がひと通り終わって、私と悟くんは中庭に抜け出していた。本当はあまりよくないことだけど、今はお食事の時間だしちょっとくらい良いだろう。
五条本家の中庭は、見渡すほどの敷地の中に築山が築かれ、小さな川と池がいくつもある。そこに太鼓橋や飛び石が拝され、四季折々の花木を愛でられるように東の奥には茶室も用意されている。
とことこと庭園の道を歩けば、寒木瓜の花の甘い香りが漂ってきた。

「お食事食べなくていいの?」
「あんな見た目ばっかの料理飽き飽きだっつーの」

実際に味が伴っていないということじゃないと、もちろん私もわかっていた。
大勢の大人の値踏みするような視線の中でする食事は、ちっとも味がしない。私もそう思っている。

「ナマエ、カップ麺って食ったことある?」
「え、ないけど…」
「あれすげぇんだぜ。化学調味料の味めっちゃすんの」

そう言って、いたずらをする時と同じ顔で笑った。
悟くんは高専に入学してからすごく変わったと思う。ちょっと意地悪なところとかわがままなところは変わらないけれど、すごく自由になったような気がする。それはきっと本家を離れた寮生活のおかげだったし、悟くんという人間そのものを見てくれる夏油さんや家入さんとの出会いが大きく影響していると思う。

「ねぇ、あれって本当にお湯入れるだけで出来るの?」
「今度高専で食わしてやるよ」

歳の近い子供がいなかった私たちは、よく二人で遊んでいた。非術師のお友達の家に行くと言えば渋い顔をする両親も、本家へ行くと言えば嫌な顔はしなかったし、実際悟くんといろんなことをするのは楽しかった。
本家に遊びに行くときはいつも送迎の車を出してもらっていたけれど、時々兄さんが迎えに来てくれることもあった。
悟くんも兄さんには懐いていて、兄さんが来てくれた日は悟くんと兄さんの取り合いをした。

「そういえばナマエ、傑に兄貴のこと言ってなかったの?」
「え、なんで?」
「知らねーけど。どうせ嫡子がいるのになんで婿養子をーとか考えてんじゃね?」

なるほど、言われてみればそれもそうか。
実際、家督は兄さんが相続することになっていた。兄さんが存命と思っているならそう思われることもあるだろう。

「夏油さんに兄さんのことも言ったほうがいいね」
「…まぁ、それはオマエが決めりゃいいことだろ」

悟くんはコツン、と足元に転がる小石を蹴った。
小石はころころと転がり、一番近くの池にぽちゃんと音を立てて落っこちた。兄さんが死んだ日も、私は悟くんと一緒にいたんだっけ。

「もう三年か」
「うん、そうだね」

親代わりのようでもあった八つ年上の兄さんは、三年前に死んだ。
両親は私が小学校二年の時に亡くなって、母は呪殺で、父は病死だった。兄さんの成人までは後見人として母方の叔父がつき、遺産があったから暮らしに不自由することはなかった。
兄さんは両親が死んだ年から優秀な術師として仕事をするようになった。御三家だったから高専には所属していなくて、肩書は特別一級術師。
自慢の兄だった。強く、優しく、正しく、また呪術師のなんたるかをよく考え、強きを挫き弱き助ける。そんなお手本のようなひとだった。
兄さんが死んだ当時私はまだ小学生で、兄さんは家督を正式に相続する二十歳を目前に控えたときのことだった。
命を落としたのは任務の最中のこと。それは呪霊の仕業ではなく呪詛師の仕業だった。すぐに捕らえられ処分されたが、結局取り調べても雇い主にまで辿り着くことは出来なかった。

『もうこの家は終わりだ』
『いっそ娘のほうを本家に嫁がせるのはどうだ、本家の倅は同じような歳だろう』
『相手は無下限呪術使いだぞ、並の娘では務まるまい』
『強力な術式を持っている者でも婿に迎えられるのならば分家の存続もあるいは』
『そんなもの、もう御三家にも残っておらんだろうよ』

兄さんの葬式の最中、親戚のおじさまたちは口々にそう言った。
兄さんが継ぐはずだったこの家を途絶えさせてはいけない。私が、私がなんとかお家を存続させなければ。誰だっていい。なんだってする。
強い術式を持つ男のひとと結婚して、それを受け継ぐ子を生まなければ。

『兄さん…』

誰のための葬儀なのかもわからなくなってしまうような醜い感情の渦巻く中、私は兄さんがプレゼントしてくれた琥珀のネックレスを握りしめた。

「そうだ、25日4人で出かけようぜ」
「え、私も一緒に?」

そ。と悟くんは短く肯定した。
最近は、高専の中だけでなくてこうして休日のお出かけにも一緒に連れて行ってくれるようになった。
学校のお友達と遊ぶのとは違う、不思議な心地よさがあった。悟くんたちは皆見える側だからかもしれない。

「でも25日はお花のお稽古が…」
「それって隔週かなんかのヤツだろ?一週前倒しでもなんでもしてもらえよ。オマエどうせ休むとかは出来なさそーだし」

悟くんは私のことをよくわかっている。悟くんの言う通り、私はお稽古をずる休みなんて一回もしたことがないし、これからも多分出来ないだろう。
決められたことに逆らうのが、私は苦手だ。

「先生に聞いてみる」
「ん」

悟くんは高専に入って自由になったけど、私はどうやったら自由になれるんだろう。
私は、知らないことが多すぎる。


クリスマスまであと一週間。今日も懲りずに朝から高専を訪れていた。
勝手知ったる高専の敷地内を歩いていると、ダウンに身を包んだ夏油さんが反対側から歩いてくる。私が手を振ると、夏油さんも気づいて振り返してくれた。

「ナマエちゃんおはよう、今日は早いね」
「夏油さん、おはようございます」

私が高専にお邪魔するのは大抵お昼を過ぎてから。
朝は学校の課題をしていることが多くて、それを終わらせてから高専に来るのがいつものパターンになっていた。だから今日はちょっと変わった時間。
本来来週の日曜、25日に見てもらうはずのお花のお稽古を今日に変えてもらったからだ。
今日のお昼からのお稽古であまり長居することは出来ないのだけれど、ちょっとでも顔が見れたらいいなと思って足を運んだ。偶然会えてラッキーだ。

「夏油さんは朝からお出かけですか?」
「いや、悟にじゃんけんで負けてさ。ちょっとコンビニにね」

そう言って、夏油さんはがさりとふたつビニール袋を掲げる。そこには甘そうなおやつと飲み物が入っているようだった。

「ふふ、お菓子がたくさんですね」
「新発売なんだってさ」
「悟くん好きそう」

がさっと音を立てて、夏油さんが袋の中身を見せてくれた。袋の中のチョコレート菓子はカラフルなパッケージに期間限定の文字。冬だからチョコレートの新商品が多いのかもしれない。
昔はこんなに甘いものを食べていた覚えはなかったんだけど、高専に入ってからよく食べているみたいだった。

「こっちの袋は何ですか?」

夏油さんが広げなかった方のビニール袋を指さすと「肉まんだよ」と返事が返ってきた。
テレビのCMでしか見たことないけど、こんなに朝早くから買えるものなんだ。

「肉まん、食べたことないです」
「え、本当に?」

私がこくんと頷くと、夏油さんは切れ長の目をぱっちり開いて驚いた。
それから周囲を見回すと、近場のベンチを指さし「一緒に食べようか」と言ってくれた。私はもちろん頷いて、二人そろってベンチに腰かける。

「この肉まん、悟くんの分だったんじゃないんですか?」
「構わないさ。頼まれてたのはこのお菓子だけだし」

夏油さんは袋から三角の紙の包みを取り出す。肉まんってこういうふうに包装されているんだ。

「中身はまだ熱いと思うから気を付けて」
「はい」

夏油さんから肉まんをひとつ受け取る。紙の包みを剥がすと、ほやほやと湯気が立っていて、見るからに美味しそうだった。
私はそろりと口を近づけて、唇に湯気の気配を感じる。ぱくっとひとくちでは具まで辿り着けずに、すかさずもうひとくち。じんわりとお肉の旨味が口の中に広がった。

「ん!美味しいです!」
「ふふ、よかった」

シュウマイとか小籠包とかとも違う。なんだろう、この美味しさ。ふっかふかの皮に具がじゅんわり沁み込んでいて、皮の外側がちょっとぺたぺた口の中にくっつくのが面白い。
コンビニってこんな美味しいもの置いてるんだ。

「肉まんってこんな感じなんですね」
「…まさかナマエちゃん、コンビニ行ったことない?」
「はい。あっ、でも24時間営業なのは、働きっぱなしってわけじゃなくって交代勤務だってことは知ってますよ!」

ふふ、これは学校で教えてもらった。私が胸を張ってそう言うと、夏油さんは口元を隠さずに笑い出した。
何かまた常識はずれなことを言ったのだということはすぐに分かった。
私がぶすくれていると、夏油さんは咳払いで笑いを堰き止めて私の顔を覗き込んだ。

「ごめんごめん、予想以上だったからさ」

夏油さんはあんまり悪いとは思っていなさそうな口調でそう言って、私の頭をぽんぽん撫でる。まるで子ども扱い。

「ナマエちゃんの知らないこと、私が教えてあげよう」
「いいんですか?」
「もちろん。こう見えて、中学までは教師になりたいと思ってたんだ。教えるのはそこそこ得意だよ」

夏油さんが先生か。きっといい先生になるんだろうなぁ。
生徒は皆夏油先生って慕って、きっと授業はわかりやすくって好評。真面目で物腰も柔らかいから、父兄の信頼も厚いだろう。
想像してみたらぴったりで、思わず口元が緩んだ。

「何かやってみたいことはあるかい?」

夏油さんにそう言われ、私は「うーん」と考えを巡らせる。わからないことがわからないくらい、私は知らないことが多い。
ふと、先週悟くんと中庭で話したことを思い出した。

「私、カップ麺食べてみたいです」
「カップ麺?」
「はい。すごいんだぜって悟くんに自慢されて」

あれは大層自慢気な様子だった。化学調味料の味ってどんな感じなんだろう。わくわくする。
目の前の肉まんはもうあとひとくちになってしまっていて、ペース配分を間違えたから白い皮の部分しか残っていない。

「悟と仲いいんだね」
「そうですかね」

仲は悪くないけれど、私からすれば夏油さんのほうがよっぽど悟くんと仲が良いように見える。
私は白い皮だけになった肉まんをぱくりと口に放り込んだ。

「…カップ麺、私のおすすめのを用意しておくよ」
「楽しみです。あ!お湯は私に入れさせて下さいね」
「火傷しないようにね」
「…子ども扱いしすぎです」

私が唇を尖らせると、夏油さんはまた「ごめんごめん」と思ってもない口調で謝ってから私の頭を撫でる。

「食べ終わったんなら食堂に行こうか。ここは冷えるね」

夏油さんが立ち上がって、私もそれに倣った。
確かに。肉まんはあったかくって美味しかったけど、冬のベンチは中々寒い。
夏油さん、寒いなら初めから食堂で良かったのに、と口に出さずに見つめると、私の視線に気が付いた夏油さんはちょっぴり口角を上げた。

「だって食堂は悟がいるからさ。邪魔されないようにと思って」

邪魔されないように、というのが肉まんのことであると理解するまで、数秒を要した。
私と二人で話せる時間を、という意味に勘違いしそうになって、顔が燃えるみたいに熱い。
食堂で夏油さんの帰り、もとい新発売のお菓子を今か今かと待っていた悟くんに私が夏油さんを引き留めていたことがバレてしまい、またむにむにとほっぺを摘ままれた。
悟くんにほっぺが熱くなってしまっているのを気づかれやしないか、びくびくしながら「放してよ」と抗議した。


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