夏油くん許嫁大作戦!

V マカロン


「マカロンが食べたい」

そう悟が言い出したのは、12月1日のことだった。

「マカロン?」
「そ。マカロン」

耳慣れない言葉に聞き返すと、悟は机に広げていた雑誌をパラパラめくり、該当のページでぴたりと手を止める。ちなみにこれは硝子が定期購読しているファッション誌を勝手に拝借したものだ。
誌面に載っていたのは、先月オープンしたという原宿のマカロン専門店。いかにも女の子が好きそうなパステルカラーが広がっている。

「いや、ここってどう見ても女の子向けのスイーツショップだろ。男二人ではキツい」
「硝子も誘えばいいだろ」
「硝子は甘いの苦手じゃないか」
「えー。じゃあナマエ誘っていこーぜ」

明日は土曜日だ。恐らくナマエちゃんは高専に来るだろう。確かに任務もないし、あの子が喜ぶな悪くないか、と算段する。

「ナマエちゃんが行きたいって言ったらね」
「絶対言うっしょ」

傑がいんだからさ。と悟は付け足した。
悟がカコカコと携帯を操作し、恐らくナマエちゃんに連絡を取るつもりのようだった。数分で返信が来て悟は『原宿行きたい!』と返信が表示されたディスプレイを私に向けて印籠かのように見せつける。
校舎裏で一服していた硝子も誘い、土曜日は揃って原宿へ行こう、という計画を立てたのだった。


翌土曜日。休日ということもあり、原宿駅前は人があふれている。
ナマエちゃんは物珍しそうにきょろきょろと首を左右に振り、私はその後頭部を見下ろしていた。

「私、原宿って初めて来ました」
「マジ?」
「はい。あまり遠出するのって家からよく思われないので…」
「箱入りじゃん」

一歩分前で繰り広げられるナマエちゃんと硝子の会話に、本当に絵に描いたような箱入り娘だな、とへんに感心する。
本家の悟がこうだから実感が湧かないが、御三家というものはフィクションでしか見たことがないような箱入りっぷりらしい。まぁ、悟も出逢って間もないころはカップ麺も食べたことないって言ってたか。

「高専は来て大丈夫なの?」
「高専は悟くんいるし、お迎えの運転手さんもいてくれるから大丈夫です」

マジか。勝手にいつも電車か何かで来ているとばかり思っていた。送迎の運転手を見たことがないということは、結界の近くか、もしくは高専内のどこかで待たせているのだろう。
改めて突きつけられたナマエちゃんのお嬢様っぷりに眩暈がしそうだ。

「…悟、御三家って大体ああなのかい?」
「あ?…まぁナマエんとこは特別過保護だとは思うけど、どこもそう変わんねーよ」

隣を歩く悟に話を振ると、概ね肯定をされた。全く本当に映画か何かの世界だな。
悟の「行こーぜ」の声で竹下通りに向かい歩き出し、はぐれないようにね、と硝子がナマエちゃんの手を握った。


しばらく歩いて辿り着いた目的の店は、大勢の女性客で賑わっていた。
オープンしたばかりというし、この程度の混雑は予想の範疇だ。硝子は強烈な甘い匂いに「ゲッ」と顔を歪めているけれど。
行列に並んで、店の外観を眺める。雑誌で見た通り、いかにも女の子が好きそうなパステルカラーの配色。隣のナマエちゃんも目をキラキラ輝かせている。

「悟くん、何味にする?」
「バッカだなオマエ。全部に決まってんだろ」
「えっ、贅沢すぎない?」

俺の給料ナメんな。悟が言った。
ナマエちゃんは未だ自分で稼ぎを得ていないからなのか、金銭感覚は悟よりマシらしい。

「悟くん、最近甘いのよく食べるね」
「六眼使うと疲れんだよね。だから甘いもん食べて頭回してんの」

原宿に降りたときからそうだが、相変わらず悟がいると女性の視線が痛い。今日は硝子もナマエちゃんもいるから逆ナンされることはなさそうだけど、ひそひそと噂をされているのが嫌でも目に入る。

「夏油さんは何味にしますか?」
「え、ああ…ナマエちゃんの好きなの選びなよ」

そんなことを考えていたらナマエちゃんにそう話を振られ、私は咄嗟にそんな言葉を返した。

「相手に委ねて譲るように見せかけて本当は何にも考えてないやつな」
「…悟」

すかさず悟がそう絡んできて、名前を呼んで嗜めるが悪びれもせずに真っ赤な舌をべぇと出した。
立てられた看板のメニューを眺めると、随分といろんな味があるらしい。

「マカロンって食べたことないんだ。ナマエちゃんのおすすめはあるの?」
「えっと、実は私も初めて食べるんです。学校の友達はラズベリーが美味しいよって言ってたんですけど…」
「いいね。じゃあそうしようか」

この頃巷を席巻しているマカロンとやらを、彼女も初体験のようだ。ここは大人しく彼女の友人のおすすめに従おう。
ちなみに、この時私はマカロンの暴力的なまでの甘さを知らなかった。高専へ持ち帰って食べたマカロンのあまりの甘さに、味わうことも忘れて思わずコーヒーで流し込むことになることを、まだ知る由もない。


マカロンを無事購入して竹下通りの賑わいの中を歩いている最中、至る所に飾られたクリスマスモチーフを眺め「もうすぐクリスマスだな」と悟が言い出した。
悟は面倒くさがりだけどそういう行事ごとが案外好きだ。まぁ、はしゃぐ口実がほしいだけなのかもしれないが。

「悟くんはクリスマスの前に大仕事があるじゃない」
「バックレてぇ…」
「ふふ、駄目だよ」

そんな会話を悟とナマエちゃんがしていて、はて何のことか、と図らずも硝子と顔を見合わせた。
「なんかあんの?」と硝子が声をかけると、ナマエちゃんがくるりと振り返る。

「誕生祝賀会です。悟くんの」

誕生祝賀会ぃ?と怪訝そうな顔で硝子が聞き返し、私の脳内にはバースデーケーキを囲んで「お誕生日おめでとー」などと言い合うのんきな絵面が浮かんだ。流石にそんなことはないか。

「五条の本家に、分家も枝の家も他の御三家の方も招いてお食事会を開くんです。悟くんは毎年お誕生日の日だけは必ず学校があってもお休みして、おもてなしする大仕事があるんですよ」

…予想の何倍も厄介な行事だ。そんな光景地獄絵図以外の何者でもない。
前時代的で閉鎖された呪術界をさらに凝縮したようなものが御三家とわかってはいたが、誕生祝賀会なんて王族貴族の類じゃないか。

「悟様悟様ってうぜぇったら無ぇ。今年は行かねーかんな」
「ちゃんと帰ってきてよ。じゃなきゃ私がおばさまに叱られちゃう」

悟は面倒くさそうにしっしとナマエちゃんを手であしらい、ナマエちゃんは「もう!」と唇を尖らせてみせた。
とはいえ、悟もナマエちゃんも本気ではないので険悪な雰囲気などは一切漂わない。この二人ってなんだかんだお似合いかもしれないな。

「あれ、今年のクリスマスって土日じゃない?」

硝子が思い出したように言った。確かに、今年は珍しく土曜がクリスマスイブで日曜がクリスマスだ。何かと理由をつけて騒ぐにはおあつらえ向きの日程である。

「あ、そういえばそうですね」
「いいじゃん。集まってパーティーしようぜ」

ナマエちゃんと悟が口々にそう言い、イブに集まろうとクリスマスパーティーの予定はあっという間に決まった。

「ナマエはケーキ係な。高専来るときに銀座のいつもんとこ寄って買って来いよ」
「えっ、私も参加していいの?」
「当たり前でしょ」

私の頭の中でも当然のようにナマエちゃんを頭数に入れていて、まさか本人がそんなふうに言うと思わなかったから少しびっくりした。
硝子に当たり前、と言われ、ナマエちゃんは少しだけ恥ずかし気に、でも確かに嬉しそうに笑った。ナマエちゃんが嬉しそうにしているのを見ていると、こっちまで気持ちがやわくなるのだから不思議だ。
私は人知れず、自分の頬が緩んでいくのを感じていた。


翌週の木曜日。教室で悟を待つ間、隣に座る硝子が言った。

「夏油って、ぶっちゃけナマエのこと好きなの?」
「え、なんだい、藪から棒に…」

硝子の脈絡もない問いに私がそう返すと「質問を質問で返すな」とピシャリと断ち切られる。

「まぁ、嫌いではないよ。可愛らしいと思うし」
「恋愛?」
「それはないかな。流石に中学生はちょっと」

たったひとつの年齢の差だが、中学生と高校生ではずいぶんと大きなひとつだ。
特に高専という場所で日々危険に身をさらしながら過ごしている私と、箱入りのお嬢様であるナマエちゃんとでは。

「珍しいね、硝子がそんなこと言うなんて」
「べつに。あんたみたいなクズのせいでナマエが傷ついたら可哀想って思ってるだけ」

そう言って、ふいっと視線を逸らした。
そうして誰かを庇うような言い回しをするのが珍しいと言っているのだが、これ以上追及して機嫌を損ねても面倒だな、と私はそこで口を噤んだ。

「ハァ、クッソだりぃ」
「悟おはよう、どうだった、久しぶりの実家は」
「どうもこうも最悪だっつーの」

がら、と勢いよく戸が引かれ、悟が教室に姿を現す。不機嫌そうな様子を隠すこともなくどかっと勢いをつけて自分の席へ座った。
実家というのは言わずもがな五条本家である。悟は本家からの例の呼び出しで、昨日一日不在にしていたのだった。

「お誕生日会だったんだろ?」
「そんないいもんかよ」

五条本家の次期当主というものは、一般家庭出身の私からは想像も出来ないほど浮世離れした身分らしい。
先日話していた通り寮生活を送る今年も、結局高専を欠席して誕生祝賀会に参加を余儀なくされた。

「最悪だよ。ご機嫌取り、おべっか、策謀、奸計なんでもアリだ。ろくなモンじゃねぇ」

酷く面倒そうな様子で悟がべぇと舌を出す。
悟が特別面倒ごとだとかそういうものを嫌っていることを差し引いても、厄介なのは事実のようだ。
そういえば、とナマエちゃんの存在が頭の中を過ぎった。

「やっぱりナマエちゃんも来たのかい?」
「当たり前だろ。あいつなんか分家っつっても本家に近いからな。欠席とかゼッテー無理」

だらん、と悟が机に上半身を投げ出す。それからサングラスを意味もなく外してかけて、指折り数えながら参列のお歴々の悪口を並べ始めた。

「御三家なんてクソばっか。保身馬鹿、世襲馬鹿、高慢馬鹿、ただの馬鹿」
「腐ったミカンのバーゲンセールだな」
「そういうこと。しかもそういうのは英才教育なワケ。ガキのころから洗脳みたいにそれが常識だって叩きこまれんの」

御三家、と括るのだから、悟はもちろんのことナマエちゃんもその範疇に含まれるはずだ。
英才教育だっていうんなら、ナマエちゃんも腐ったミカン候補になるわけだが、浮世離れしたところは感じても彼女自身にそういった腹黒な部分は思い当たらない。

「ナマエちゃんはそうは見えないけど…」
「ナマエは特殊。あいつは兄貴がいたからな」

兄、という単語に、思考が一瞬フリーズする。
確かナマエちゃんの口ぶりでは婚約といっても「嫁入り」ではなく「婿養子」だったはずだ。兄がいるのであれば家督の相続は相当の事情がない限り長男であるその人が継ぐだろうから、彼女はお嫁に行けばいい話で、私に「婿養子」なんてお鉢が回ってくることはないはず。

「ナマエちゃんのお兄さんって…」

そう尋ねようとしたところで夜蛾先生が丁度教室に入ってきてしまい、結局ナマエちゃんの兄については聞けずじまいになってしまった。
どうしてそうも婿養子探しに躍起になっているのか。私に話さない理由はなんなのか。きっと悟は知っているんだろうな、と思うと、どこか気持ちの収まりが悪い気がする。


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