夏油くん許嫁大作戦!

II ギフト


私には、何としてでも良い婿を貰わねばならない深刻かつ重大な事情があった。
お家の存亡である。
五条の分家として立てられた私の家には、ふたりの子供がいた。私と、年の離れたその兄。
兄さんが後継だって話はついていたけれど、兄さんが三年前の任務中に命を落とした。
お家の事情は瞬く間に変わり、ひとり娘になってしまった私をどこか良家に嫁がせ、当代で畳んでしまおうという話さえ出たけれど、私は断固反対した。
私が選んだのはお家存続の道だった。
つまるところ、誰も文句の言えないくらい強い術式の持ち主を婿に迎えようという話である。

学校のない週末、私は決まって東京高専に足を運んだ。
それもこれも、婚約者候補である夏油さんに何としてでも首を縦に振らせるためである。
高専には学生さんも先生も補助監督も術師も、みんな年上ばっかりだけど、実家でもだいたい年上ばっかりに囲まれることが多かったからあんまり気にはならない。

「家入さんこんにちは!」
「ナマエじゃん」

元気よく挨拶をした私の頭をわしわしと家入さんが撫でる。
実家にいるとこんな扱いをしてくるのはいとこの悟くんくらいなものだったから、結構新鮮で、お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかな、と嬉しい気持ちにもなる。

「夏油さんはいますか?」
「んー?今日はあいつら任務で出てるよ。でも三時くらいには戻るんじゃない?」

もちろん、ここで帰るなんて真似はしない。三時まであと二時間、さてどうやって時間を潰そうか。

「家入さんは甘いもの好きですか?」
「いや、苦手」
「えっ!」

甘いものが苦手という女の人に初めて会った。私は思わず動きを止める。母も、使用人のひとも同級生のあーちゃんもすーちゃんも、私の身の回りの女の人は皆甘いものが好きだ。苦手って女の人いるんだ…カルチャーショック。

「甘いものがどうしたの?」
「う…じ、実はお菓子を作ってきたんです…。皆で食べれたらいいなと思って」

しょぼんと肩を落とす私に、家入さんは少し笑った。
お菓子を作って女子力をアピールしようと思ったのに。夏油さんに辿り着く前に躓いた。

「別に全然ダメってわけじゃないし、せっかくだから食べたい」
「ほんとですか?」

やった!良かった!
苦手なら無理強いは出来ないけど、やっぱりせっかく作ったのだからひとくちぐらい食べてもらえると嬉しい。
「ナマエは可愛いな」と家入さんはまた私の頭をわしわし撫でた。
家入さんと寮内の食堂へ移動し、途中自販機でペットボトルの紅茶を調達した。
自動販売機って見たことはあったけど、自分でお金を入れて使うのは高専に来てから経験したことだ。

「何作ってきたの?」
「ガトーショコラです!」


手にしていた小さな紙袋からいそいそと個包装にしたそれを取り出す。
家入さんが針金をくるくる解いて袋を開きガトーショコラを口に運ぶ瞬間を、私は固唾をのんで見つめた。

「ん、うまい」
「やったぁ!」
「あんま甘くないね。甘いの苦手でも食べられちゃうよ」

家入さんの反応に、私は飛び上がらんばかりに喜んだ。
すーちゃんにレシピを聞いたり、お菓子作りの得意な使用人さんに教えてもらった甲斐があった。

「男の人はあんまり甘すぎるの好きじゃないかもって思って学校で聞いて…甘さ控えめで作ってみたんです」
「いいじゃん」

ぱくり、家入さんはもうひとくちガトーショコラを頬張る。それを見て私も自分のガトーショコラにちょこんと口をつける。
甘さはあくまで一般的なところの控えめというさじ加減で作った。私には苦いくらいだった。思わず苦みに唇をぎゅっと寄せて、家入さんはふふと笑いを零す。

「ナマエ可愛いのに、なんで夏油なの?」

不意に家入さんが言った。なんで、って…。
私は家入さんの言葉に頭の中で夏油さんの姿を思い浮かべた。

「なんでって…夏油さんは素敵なひとだと思いますけど…」

夏油さんの存在は元々、悟くんから話を聞いて知った。あの我儘放題で友達のひとりもいなかった悟くんに友達が出来たのだと聞いて、目玉が飛び出るほど驚いた。
しかも、その友達は呪霊操術という稀有な術式を使用し、また体術などの基礎的な格闘においても、悟くんと遜色のない出来と言っていた。
なかでも一番驚いたのは、その友達というのが一般家庭出身ということだった。

『同級生にさぁ、傑ってやつがいんだけど』

悟くんはそう言って度々私に近況報告とばかりに電話をし、時おり家にまで足を運んで話をした。
悟くんから聞く高専の話はどれも新鮮で面白かった。夏油という苗字の前に、すぐる、という名前を音だけで覚えた。彼のフルネームが夏油傑で、どういう漢字を書くのかということは実のところ婚約の話を持ち込んだ時初めて知ったことだった。

「優しくて、正しいことを教えてくれるひとだから、ですかね」

自分に別の良家に嫁ぐ話が出たとき、私は咄嗟に夏油さんのことを思い出した。あの稀有な術式を持った相手を連れてこれば、誰も文句は言えない。五条の家に婿とはいえ呪霊操術の血を引くことが出来るのだから。
そう思って画策して、なんとか通した婚約の話だった。
話は断られたけれど諦められなくて、でも夏油さんは私のことを決して邪険に扱うことはなくて、そうして二か月の間ここへ通ううち、夏油さんが悟くんに聞いていた話以上に魅力的な人間なのだと知った。

「なんで婚約にこだわるのかは知らないけどさ、ただ単に付き合ってーとかなら、もっと勝算あるんじゃない?」
「…そう、ですかね…」

でも、婚約でなければ意味がない。
夏油さんが魅力的な人間なのだと言うことは充分に理解している。
きっと私を恋愛対象とはまだ見てくれていないだろうけれど、私はもう始めのころのように術式だけを目当てにして会いに来てるわけじゃない。
けれどやはり、五条分家の存続のためには、強力な術式を持った婿が必要不可欠なんだ。

「私の一生は、私だけのものじゃないので…」

死んだ兄さんのためにも、ここを譲ることは出来なかった。
膝の上でぐっと拳を握りしめる。家入さんは「そっか」とだけ言って、私の頭をまたわしわしと撫でた。

「まぁナマエがいいならいいけどさ。私はナマエのこと応援するし」

好きになっても、もしこれから好かれても、それだけではダメなのだ。
私の肩には五条分家の行く末がかかっている。


ふたりのお茶会が始まって一時間半のあと、予定より早めに悟くんだけが戻ってきた。

「あ、やっぱナマエ来てる」

「どうせ来てるだろって傑と話してたんだよ」と言った。その夏油さんはというと、任務後に寄るところがあるからと現地で解散したらしい。悟くんは大きなコンパスでひょいひょいとこちらに近づく。
毎週末来ているんだから、今日も私が来ていることなど二人には織り込み済みだったらしい。

「うまそーなもん食ってんな」

そう言ってテーブルの上のガトーショコラをつまみ上げると、悟くんと夏油さんの分に、と取っておいたふたつを両方とも口へ放り込んでしまった。
家入さんが「うわ」とあからさまに顔を歪める。

「さ…さ…」
「さ?」
「悟くんのばかー!!」

私の特大の声がが食堂にこだまする。家入さんは耳を塞ぎ、塞ぎ損ねた悟くんはもろにその音量を食らった。

「せっかく夏油さんのために作ったのに!なんで両方食べちゃうの!」
「あ?これ傑の分だったの?」
「見て分かれよクズ」

家入さんの言葉に「わかるわけねーじゃん!」と悟くんが反論するがけど、もうそのやり取りも頭の中に入ってこない。

「つーかこのガトーショコラ全然甘くなくない?」

悪びれる様子もない悟くんに、私はもう一度「ばか!!」と大きな声を投げつけた。
ゴミと化した個包装の袋と針金がころんとテーブルの上にうなだれている。


「ただいまー…ってあれ、これどういう状況?」

三十分ほど遅れて寮の食堂に夏油さんの声がする。
私は隣の椅子に座る家入さんのおなかに抱きつくようにして身体を預け、悟くんは私と家入さんの前に正座をさせている。
ちなみに悟くんに反省の色はない。

「傑おせーよ」

悟くんが夏油さんに向かってそう声を掛ける。
「どうせ悟がなにかしたんだろ」と夏油さんが言って、その通りです、とばかりに私はその場でうんうん頷いた。
ハァと夏油さんが溜息をつく気配がして、それから私と家入さんの前で立ち止まった。

「ナマエちゃん、ケーキ買ってきたんだけど、一緒に食べない?」
「…夏油さん…」

夏油さんの声に私はついにむくりと顔を上げる。
夏油さんは私の前に膝をつき、紙の箱を差し出した。

「ショートケーキとチョコレートケーキ、どっちがいい?」
「…甘いほうがいいです…」

じゃあチョコレートケーキかな、と夏油さんが言った。
私はのろのろと体を起こすと、ちょこんと椅子に座りなおす。私の膝に夏油さんがぽんとケーキが入っているらしい箱を乗せた。

「傑ー、俺にはー?」
「え、買ってないけど」
「ハァ?何でだよ」
「だって悟、別に甘いもの好きじゃないだろ」
「頭回すために甘いもん食ってるっつったじゃん」
「なら自分で用意すればいいさ」

目の前で繰り広げられる言い合いを視界の外に感じながら、私は夏油さんが膝に置いた箱を眺める。箱にはファッション雑誌で見かけた渋谷の新しいパティスリーの名前が印刷されている。
ぱかっと箱を開けると、中にはショートケーキとチョコレートケーキがひとつずつ入っていた。

「夏油、これショートケーキの方はどうすんの」

家入さんがそう声をかけると、夏油さんは「よかったら硝子食べなよ」と言った。
そんなことだろうと思った、と言って家入さんは溜息をつく。

「私さっきナマエのガトーショコラ貰ったし、五条が食べれば」
「やった!いいよな?傑!」
「いいけど…ちょっと待って、ナマエちゃんのガトーショコラって何の話?」

夏油さんの言葉はには答えずに、家入さんは私にに二人分の皿とフォークを持ってくるように言った。
とことこキッチンのそばの食器棚から適当な皿とフォークを持って戻ると、いつの間にか悟くんがちゃっかり椅子に座っていて、私はその向かいに腰をおろした。
ガトーショコラを食べられてしまったことを怒っていたのも、夏油さんがケーキを買ってきてくれたことへの喜びで帳消しになったので、悟くんのことは許してあげよう。

「ナマエ、チョコケーキひとくちちょーだい」
「やだ。悟くんのひとくちおっきいんだもん」
「ケチくせーやつだな」

ペリペリとケーキに巻かれたフィルムを剥がす。この作業は何回やっても上手にできる気がしない、と私は慎重に作業を続行する。
夏油さんが買ってきてくれたのだと思うと、それだけでこのチョコレートのクリームが輝き、表面を仕上げるココアパウダーがベルベットのようにさえ見えた。

「夏油、あんたナマエに選ばせるつもりで2個買ってきたの?」
「まぁね。だってナマエちゃんの好み知らないし、選べた方が女の子はいいんだろ?」
「あんた本当そういうとこ」
「何が?」

何ごとか話す夏油さんと家入さんの会話の内容までは聞こえずに、私と悟くんはとろけるケーキの甘さを堪能したのだった。


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