夏油くん許嫁大作戦!

] シスター


ナマエは可愛い。
別に妹的なそういう存在を可愛いと思うタチじゃないけど、ナマエは特別だった。さすが五条家とでも言わんばかりの人形みたいな整い方で、しかも初めて会ったとき着物なんて着てたもんだから余計に作り物みたいだった。

「あの、すみません。こちらの学生さんで、夏油傑さんという方にお会いしたいのですが、本日はいらっしゃいますでしょうか」

高専の敷地をぷらぷら歩いていた時、私はナマエに出逢った。年下だろうということはなんとなくわかったけど、それと同時に呪術界の名家のお嬢様だということもわかった。
立ち振る舞いの教育が行き届いていたからと、それからこんなところに来て物怖じひとつもしていなかったから。

「…とりあえず職員室案内するよ」

私がそう言うと、ナマエは深々と頭を下げた。呪術界の名家というものは往々にして家柄で序列を論じるような風習があるが、どうやらこの子は違うらしい。
妙に大人びてるけど丁寧で礼儀正しい子。それが私にとってのナマエの第一印象だった。


「家入さんこんにちは!」

私を見つけると小走りになって寄ってくる。わしわし頭を撫でるとくすぐったそうにして喜ぶ。犬猫扱いしてるわけじゃないが、まぁこういう反応が可愛いのは確か。

「今日は夏油さんはいますか?」
「多分寮室にいるっしょ。いま呼んだげる」

カコカコとケータイを操作する。夏油のアドレスを引っ張りだしてメールを新規作成『ナマエ来たよ』送信。五条には送らなくても、どうせ夏油のメールを見てくるか、夏油が連れてくるに決まっているので問題ない。

「ナマエ、ホント飽きないね」
「はい!夏油さんが頷いてくれるまで辞めません!」

きらきらまっすぐな目でいうものだから、応援したくなってしまう。
夏油が首を縦に振るもの時間の問題かもしれないな、と私はもう一度ナマエの頭を撫でた。


こんなに可愛いのに、なんで夏油なんだ。と常々思っていた。
夏油は五条に比べて遜色ないクズである。婚約の話を聞いた時はまぁ夏油の呪霊操術は相当珍しいしな、と納得したものの、日を追うごとに夏油自身を好いているのだとわかってそこには全く納得がいかなかった。

「ナマエ可愛いのに、なんで夏油なの?」

私がそう尋ねると、ナマエはぽかんとした顔になったあと、夏油の姿でも思い浮かべているのか視線をうろうろ動かした。

「なんでって…夏油さんは素敵なひとだと思いますけど…」

素敵なひと、というのは同意しかねるがあいつは事実モテるし、私には一生わからない魅力があるのかもしれない。いや、わかりたくないけど。
ナマエそういえば女子校だっけ。お嬢様だし、ああいう優男には弱いのかもしれない。
そうやって勝手に考えていたら、ナマエから返ってきたのは思いのほか芯の強い声だった。

「優しくて、正しいことを教えてくれるひとだから、ですかね」

ああそうか、本当にこの子は夏油の術式とかそういうものを抜きにして、夏油のこと好きでいるんだなと思った。
こうなってしまうともう、夏油なんて辞めておけと諭すのは無粋なことだ。

「なんで婚約にこだわるのかは知らないけどさ、ただ単に付き合ってーとかなら、もっと勝算あるんじゃない?」
「…そう、ですかね…」

ナマエは視線を落とし、何かをじっと考えてるようだった。

「私の一生は、私だけのものじゃないので…」

何か強く押し殺すような、しかも誰も触れられないような声だ。
ナマエは膝の上でぐっと拳を握りしめる。私は「そっか」と言うことしか出来なくて、ナマエ頭をわしわしと撫でた。

「まぁナマエがいいならいいけどさ。私はナマエのこと応援するし」



2月の半ば、いつものように高専に顔を出したナマエは、いつもと同じでいつもと違った。

「家入さんこんにちは!」
「ナマエじゃん。あいつら今日任務だよ」
「あ、そうなんですね」

なにが違うと当てるのは少し難しい。なんとなくだけど、ナマエは作り笑が上手いと思う。
「美味しいコーヒー持ってきたんですよ」と言って、ナマエはキッチンに立つとお湯を沸かす。初めて来たときはちょっと心配だったその手つきも随分と慣れてきた。
しばらくしてコーヒーのいい匂いが漂ってくる。ナマエは丁寧にドリップでコーヒーを淹れた。

「ドリップとか出来んだね」
「はい、お勉強したんです」

夏油さんコーヒー好きって聞いたから。とでも聞こえてきそうなセリフだった。ほんとなんであいつが良いんだろう。
ナマエが淹れてくれたコーヒーをそれぞれ持ち、いつものテーブルに向かい合わせに座る。

「美味いよ」
「ふふ、良かったぁ」

ナマエの淹れてくれたコーヒーは美味しかった。コーヒーの良し悪しとかはあんまり知らないけど、流石にインスタントとの違いはわかる。あと丁寧に淹れてくれたっていうバフもかかってると思う。

「ナマエ、なんかあった?」

ふぅふぅと自分のカフェオレに息をかけて冷ますナマエにそう声をかけると、ぴたりと動きを止めて視線を落とした。
私はコーヒーを啜りながらナマエの言葉を待つ。

「高専に入学したいって、叔父に相談したんですけど、中々説得ができなくって」
「叔父さんって今ナマエの後見人の?」

ナマエは「はい」と頷いた。ナマエの両親やお兄さんのことはちらっと聞いていた。それから母方の叔父さんが後見人だってことも。
まぁ反対する気持ちはわからなくもない。ナマエは御三家の血筋だし、クソみたいな「女は三歩後ろを歩け」なんていう思想を抜きにしても、わざわざ外で危険に晒しながら学ばせなくたって良いだろう。

「夏油さんに高専においでって言ってもらって、私そんなこと考えたこともなかったからびっくりしたんですけど、確かに見聞を広めるには良い機会だなと思って」
「まあ、家で勉強するよりはね」
「はい。でも叔父は危険だからの一点張りで」

多分そうかなとは思ったけど、やっぱり夏油が誘ったらしい。あいつのことだから、御三家は別に高専で勉強しないって知らなかったんじゃないかとも思うけど。
夏油のすすめというのは気になるが、ナマエが高専に来たら楽しいと思う。毎日のようにただ喋って、時々一緒に買い物に行くのもいい。
とはいえ、それは現状壁にぶち当たっているようだ。叔父さんの説得か。と、私は見たこともないナマエの叔父さんをどう説得するかを考える。

「五条がいるっていうのでもダメなの?」
「はい、私は女だからって…」

出た、呪術界お馴染みの思想。
本家の倅がいるならというわけにもいかないらしい。私はうーんと首を捻る。
何か策はないかと考えあぐねていると、ナマエがぎゅっと眉間に皺を寄せて言った。

「それで…今度、婚約することに、なったんです…」
「…は?」

婚約?と思ってナマエを見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
こんな顔をするってことは相手が夏油じゃないことなんて一目瞭然だった。

「夏油じゃ…ないんだよね…?」
「違います。名家の次男さまで、ひとまわり少し年上の、一級術師の方です」

なんでも、その名家の次男とやらは五条分家に婿入りすることを了承しているらしい。文脈を読み取れば、ナマエを高専に行かせまいと婚約を押し切ったということは容易に想像がついた。
さっさと先を決めて家庭に押し込んでしまおうという腹だろう。

「だから私、実は高専に来るのは今日を最後にしようと思って」

ナマエはすうっと息を吸って、笑顔を浮かべて見せた。今日は下手くそな作り笑いだ。
私の前でくらい、無理して笑わなくてもいいのに。

「あいつらは、知ってんの?」
「いえ、まだ言ってません。だから家入さんも言わないでください」

悟くんにはそのうち分かっちゃうと思いますけど。と続けた。
五条にも話が伝わっていないなら、きっとまだ話が決まったばかりなんだろう。

「どうして?最後にすんなら言ってやったら?」

下手くそな作り笑いを続けるナマエをじっと見つめる。少し唇が震えて、それからきゅっと真一文字に引き結ばれた。
それからぽつんと、水面に一滴の水を落とすようなささやかな、けれども確かな声で「最後だからです」と言った。

「最後だから、最後なんてこと関係ないような、いつも通りが過ごしたいんです」

下手くそな作り笑いでそんなことを言うから、私はナマエの頭をわしわしと撫でた。
生き方は本人の自由だ。誰もそれを止める権利は持たない。だから、ナマエが後悔しない選択であればいいと、私はナマエの頭に、こつんと自分の額をあてた。

「今月号見る?渋谷に新しい店できんの。ナマエ好きそうだよ」

隣のテーブルに置きっぱなしにしていたティーン誌を引っ張ってぱらぱらとめくる。
ナマエがそれを覗き込んで、クズ共二人が帰ってくるまで、私たちはいつも通りの時間を過ごすことにしたのだった。


それから二人が帰ってきて、ナマエは出入り口に駆け寄った。夏油はやたらめったらスキンシップを取っていた。
先週あたりから、夏油の態度が変わった気がする。前までならムカつきながらも応援できていたけれど、今日はそれがすごく複雑だった。
ナマエは多分、なるべく目を合わせないようにしている。きっと合わせれば泣いてしまうからだ。
なんだよ馬鹿、遅すぎる。私は小さく舌打ちをして夏油を睨んだけど、あいつは全く気づいていない。

「えと、あの、コーヒーいれますね…!」

ナマエがそう言って、ぱたぱたとキッチンの方に歩いていく。夏油がその背中を視線だけで追った。その視線があからさまで、私はもう一度舌打ちをした。
ほどなくして戻ってきたナマエは、私と自分のおかわりの分もコーヒーを淹れて戻ってきた。

「ナマエ、こっち来な」
「え、あ、はい」

ナマエを呼び、隣に座らせる。すると五条がナマエをじっと見たあとに「なぁ」と声をかけた。

「ナマエ、高専来んのかよ」

マグカップをテーブルに置き、ずい、と五条がナマエに顔を近づける。ナマエはたじろぎ、少し身を引いた。私はナマエの腰をぐっと引き寄せる。

「あ、と…その…」

ナマエは口ごもって視線をうろうろと泳がせる。
高専に来たいという話は完全に流れてしまったようだし、それの理由を説明すれば面倒なことになるのは火を見るより明らかだ。
何かフォローしようか、と思ったときに、ナマエの手からマグカップが落ち、熱いカフェオレがテーブルの上に広がる。

「あっ…!」

夏油がマグカップを戻してナマエをキッチンへ連れて行ったのを見ながら、私は隣のテーブルのボックスティッシュを引き寄せてテーブルのカフェオレを始末していく。

「あのさぁ、五条」
「なんだよ」

カフェオレをたっぷり吸い込んだティッシュをゴミ箱に捨てながら、私は五条に言った。

「ナマエ、高専来れないかもしんないんだって。で、いま叔父さんと頑張って交渉してんの。だから口出ししないであげなよ」
「…なんで硝子が知ってんだよ」

俺知らなかったのに。と五条が拗ねたように言った。
「女同士だから言いやすかったんじゃない?」とか適当なことを言えば、五条は不服そうにキッチンに並ぶ二人を見た。
過保護なのはナマエのお兄さんだけじゃなくてこいつもだったんだろうなということは簡単に想像が出来る。

「妹の成長見守ってあげたら?おにーちゃん」
「…俺はナマエの兄貴じゃねーし」

五条は頬杖をつき、唇を尖らせる。可愛くねーぞ。
口ではああ言いながらも妹分の成長を見守ることにしたのか、ナマエが戻ってきてからも五条は続きを問いかけることはなかった。


夕方、ナマエがいつも帰るような時間になって、私はお手洗いに立つナマエを追いかけた。
廊下に出たナマエを小さい声で呼び止める。

「…ナマエ、高専来なくなっても、メールしなよ」
「はい、ありがとうございます」

私はナマエの頭をわしわしと撫で、それから一度抱きしめた。
ナマエが決めた道なら応援したい。

「私はあんたの味方だからね」

まぁでも、夏油が動くってんなら話は別だけどね。
そんな本心をナマエには隠したまま、今日のところは「麓まで送るよ」と申し出た夏油に並ぶその背を大人しく見送ることにした。


戻る

- ナノ -