04 探していた男

「七海と一緒にいたの?」
「うん。まだ近くにいると思うよ」

会っていく?と聞くと「やめとく」と言って首を横に振った。

「ミョウジ、随分買い込んだね」
「だって明日から本格的に授業なんだもん。作り置きとかしておきたいし」
「あ、そっか。オリエンテーリングは一通り終わったんだね」
「一応ね」

重い荷物から解放された左手は自由だ。ああ、良かった。家まであの荷物を持って帰るのは骨が折れるなと思っていたところだった。
私は隣に立つ背の高い黒髪を見上げる。

「ありがとね、灰原。助かった」


私は決して、スピリチュアルなものを信じているようなタチではない。
これらの記憶に関しても、確固たる自信を持って前世と呼ぶことは出来ないでいた。灰原と再会するまでは。

私には小さい頃からずっと繰り返し見る夢があって、小学校高学年の頃から夢と呼ぶには不自然なほど明確なものに変わっていった。
夢の中で私はずっと、金髪の男の子と話していた。
その子は黒い制服みたいなのを着ていて、目が翡翠のよう透き通っていて、とても綺麗な顔立ちをしていた。
私はその子とは同級生で、いつも私が沢山話して、彼は少し呆れたような顔で私の話を聞いていた。

『ーーはさ、もう一度生まれるときもーーに生まれたいと思う?』
『なんですか、いきなり』
『興味本位。私はね、また私に生まれたいと思うよ』
『…一応理由は聞いて差し上げます』
『だって、ーーに会えたから』

私はある暑い夜の日に、その男の子が「七海建人」であると、唐突に思い出した。そして、自分たちがどんなところで、どんなことをしていたのかも。それから自分が、あの雨の日にどんな死に方をしたのかも。

「おぇっ…ウッ…うぇっ……」

思い出した日は、何度も何度も吐いた。胃が空っぽになったのに吐き続けていたせいで、喉は胃液で焼かれた。
鮮明に思い出す。たった三人きりの同級生。七海、灰原。強い先輩たち。ちょっと弱気な後輩。いかついけど優しい先生。
理不尽で、不平等で、後悔ばかり。だけど悪くない人生だったと胸を張って言える。
いま皆はどうしているんだろう。私のように記憶を持って生まれたりしているんだろうか。


中学三年になって、私は受験のために塾に通うようになった。
担当の先生が決まっている個別指導塾で、私はその日初めて担当の先生と顔を合わせることになっていた。

「こんにちは、今日からよろしくね!」

個室に現れたのは、スーツ姿の若い男の人だった。
髪は真っ黒で、後ろの方だけ刈り上げ。目がおっきくて優しそうな顔。ニコニコ笑って声がでかい。
違う、そこじゃなくて。

「は、灰原…!?」

目の前に塾講師として立っていた男は、高専二年の時に死に別れた同期だった。
声にしてしまってからやばいと思って咄嗟に顔を下げた。これ灰原が覚えてなかったら完全に私不審者じゃん。
全く反応が返ってこないからそろりと顔を上げると、まんまるの双眸がぱちぱち瞬きをしている。

「ミョウジ、覚えてるんだ!」
「灰原こそ!」

灰原!灰原が覚えてくれていた!
灰原は私の手をギュッと握って、それが記憶の中より分厚い男の人の手のひらで、私は泣きそうになった。
あたたかい。灰原の手がちゃんとあたたかい。

「灰原先生?大きな声が聞こえましたけど…」

他の塾講師らしき人の声が聞こえて、私たちはバッと手を放すと、灰原が廊下に出て「なんでもないです!うるさくしてすみません!」と言った。その声も充分うるさいと思う。
私は灰原の影に隠れてこっそり笑った。


灰原の勤務が終わるのを待って、私たちは近くのカフェに足を運んだ。
灰原はカフェラテで、私はアイスティーにした。好みは昔と変わっていないらしい。

「じゃあ改めて。久しぶり、ミョウジ」
「うん、久しぶり、灰原」

私はこの日、前世というものに確信を持った。
そして自分以外にも、こうして昔を覚えているひとがいるのだと知った。

「ミョウジは今中三だよね。この近くに住んでるの?」
「うん。灰原は…先生やってるんだから年上だよね」
「大学二年。塾はバイトなんだ」

大学二年。20歳。
そうか、灰原はあの時の年齢を超えたのか。
灰原はこの近くの大学に通っているらしい。前世の自覚は中学に上がる頃。高校で補助監督だった人に会って、その人が灰原のことを覚えていて、そこで前世というものを確信したのだという。
同い年だった灰原が年上だということに多少は驚いたけど、それよりもやっぱり再会できた喜びの方が何倍も大きかった。

「…あのさ、灰原は七海に会った?」

私は、灰原に会ってからずっと思っていたことをついに口に出した。
灰原は少しも動揺なんかせず、私の質問にきっぱりと答える。

「ううん。僕も七海には会ってないよ」

灰原の言葉に、私は正直かなり落胆した。また同期三人で集まれたらいいなと思っていたし、それに…。
いや、みんながみんなこうして生まれ変わっているかはわからないし、そもそも記憶だってないかもしれないんだ。そんなに都合よく会えるわけないだろう。
私がそんなことを考えていたら、灰原が「じゃあさ」と口火を切った。

「探そうよ、七海。僕とミョウジで」
「…いいの?」
「もちろん。僕だって七海に会いたいし」

にかっと灰原が笑う。その笑顔が懐かしくて、やっぱり三人で集まりたいな、ともう一度思った。

「あれから七海どうしてたの?」
「高専卒業して大学編入したよ。術師は辞めた」

そうなんだ、と灰原は少し驚いた顔をしていた。七海が術師を辞める動機はいくつもあっただろうけど、きっと一番のきっかけは灰原の死だ。だから灰原にとっては思いもよらない選択だっただろう。

「七海、しっかりしてたから普通の会社とかでもやっていけそう」
「確かに」

私と灰原は顔を見合わせて笑った。
はたから見れば、成人男性と女子中学生が苗字を呼び捨てにして楽しそうに話す姿なんて奇妙だっただろうけど、私と灰原にとっては自然なことだった。
不思議だ。前世の記憶はくっきりあるのに、自分が今まで生きていた記憶だってしっかりある。だけどその二つは混乱することなく私の中に存在し、初めからそうあるべきものだったような収まりの良さがあった。

「私、大学は東京に行く。そっちの方が人探しするなら都合良さそうだし」
「じゃあまず受験勉強だね」
「うぇ、急に先生になるのやめてよ」

私は七海を探すために人生の舵を切ることを、少しも躊躇わなかった。
会いたい。七海。また会いたい。


灰原に出会った中三の春から四年。子供なりに七海のことを探してみたけれど、そう簡単に見つかることはなかった。
高校は灰原のおかげでそこそこいいところに進学したし、高校在学中も結構頑張って勉強をしていたから無事大学も希望の東京の大学に合格することができた。
地元から離れて、春から私は独り暮らしをする。

「灰原!」
「ミョウジ久しぶり!」

上京した私を、東京駅で待っていてくれたのは灰原だった。
灰原は大学卒業と同時に東京の会社に就職していて、私の物件探しにも何かとアドバイスをしてくれた。
なんか知らないうちに私の母とも仲良くなっていて、人懐っこさとコミュニケーション能力の高さは今も健在なんだな、と感心した。「灰原先生がいるなら東京も安心ね」ってどんだけ信頼厚いのよ。

「直接会うのは久しぶりだね」
「でも通話とかはしてるしあんま久しぶりって感じはしないかも」

灰原はさも当然のように私の荷物を持ってくれた。
今日は入居する物件に契約後初めて足を踏み入れる日で、私は自由登校で登校した後その足で東京まで来ていた。
高校生活はもう卒業式を待つばかりだ。このセーラー服もあと一回しか着ないと思うと、窮屈だったのに懐かしく思えるから不思議。

「セーラー服ともお別れだよ」
「え、ミョウジ制服嫌いだったよね」
「着れなくなると思うと途端に惜しくなる」
「はは、わがままだ」

灰原と並んで東京駅から在来線を乗り換える。
これから住もうって場所は全然土地勘がないから、方向音痴の私にはきっとマップアプリが欠かせないだろう。
アパートからすぐ近くに郵便局があった。これを目印にしよう。
そんなことを考えながら、アパートの階段を上り二階の角部屋の鍵を開ける。二週間後からここが私の住まいだ。
まだ何の荷物も運び込まれていない部屋はがらんと広く、ちょっとの音でもぼやぼや反響する。
私はベランダに足を向け、がらりと開けると外の空気をうんとたくさん取り込んだ。春特有の強い風がさぁっと吹き、視界を霞ませる。

「ねぇ灰原、東京に七海いるかな」
「それを確かめにきたんでしょ?」

そうだね。と言って私は笑った。
七海を探し始めて実に四年が経過していた。いや、きっともっと前から、私は七海をずっとずっと探していたんだと思う。

「まずは大学。七海探してて留年しましたとか言ったら、七海に再会したとき絶対めちゃくちゃ怒られるよ」
「ド正論じゃん」

灰原のセリフに笑いをこぼす。
確かに、そんないい加減なことしていたら七海は呆れた顔をして私にフゥーっと息をつくだろう。ずっとずっと見ていないのにその様子はいくらでも想像することができた。
そしてその日の夕方、私は人生で初めてひったくり犯を捕まえ、あろうことか七海と再会したのだった。


「灰原、本当に会わなくて良かったの?」
「うん、まぁ…今じゃないかなって」

アパートまでの道のりを並んで歩く。七海に再会したことはその日のうちに伝えていたけれど、まだ灰原は七海と顔を合わせていない。
理由はわからないけれど、私たちを残して死んだことがどこか灰原の中で引っかかっているのかもしれない。
灰原には、彼の死後私が知る限り皆がどんなふうになっていったかを話してあった。
夏油さんが離反して呪詛師になったこと、硝子さんは医師免許を取って高専の医者になったこと、五条さんがまさかの高専教師になったこと、七海が大学編入の道を選んで術師を辞めたこと。
私もそんなに長生き出来なかったから大したことは知らないけれど。

「あ、今日の夕飯カレーだよ。灰原も食べていく?」
「え、いいの?」
「うん、カレーなら灰原の大食いにも対応可能でしょ」

昔も今も灰原の趣味と特技は大食いだ。行儀よくぱくぱく食べるから、見ていて気持ちがいい。
そういえば任務の帰りに三人でラーメン屋さん行ったとき、灰原が無限替え玉するの見て七海がドン引きしてたな。

「ミョウジ、大学はどう?」
「どうって言われてもまだわかんないけど…あ、気の合いそうな女の子はいる」
「そっか、良かったね」

そりゃあ、七海ともまた昔の話が出来ればいいと思う。
けど、記憶がないのならそれはそれで喜ばしいことのようにも思える。七海は灰原が死んでから、一番苦しんだはずだ。記憶が戻るということは、十中八九それらのすべてを取り戻してしまうことになる。
七海に会いたい、会って話したい。昔のように笑いあいたい。
でもそれ以上に私は、今の七海に幸せでいてほしいのだ。

back

- ナノ -