20 生まれ変わる恋人

改めて、と前置きをして、ミョウジは言った。

「七海合格おめでとー!」
「…何回目ですか、これ」
「いいじゃん、お祝いは何回したって」

まぁ、ありがとうございます。と返し、隣に座る彼女を横目で見る。まるで自分の合格のように嬉しそうにしていて、私のほうが逆に他人事のようだ。

「七海もこれで来年から大学生だねぇ」
「無事不合格しましたからね」
「ほら、私の言ったとおりだったでしょ?」

ミョウジはどこか得意げで、そう言えば夏祭りの日にそんな話をしていたなとぼんやり思い出した。
特急列車は高速で私とミョウジを運んでいく。今日は二人なので、昔のように席を回転させて向き合わせることはない。

「旅行、楽しみだね」

先日、無事大学入試を終えた私は、同級生たちとはまた別の卒業旅行のためミョウジとふたり一泊二日分の荷物を詰め込んだ鞄を持ち、電車に乗っていた。
ミョウジは嬉々とスマホで土産物や店の情報を調べ、都度私に「ここ行こうよ」だとか「これ七海好きそう」だとか言いながら画面を見せる。
一応彼女は年上のはずだが、これじゃどちらが年上かわからないな。


特急列車に揺られること二時間半。上諏訪の駅で下車した私たちは、改札を出てロータリーに向かった。
あまり背の高い建物はなく、地元の人間の生活が身近に感じられる駅だ。

「あ、灰原もうすぐつくって」

灰原とは現地集合だった。先に来てレンタカーを借りに行ってくれているらしい。
灰原を待つ間、近くのコンビニで飲み物を調達する。私はアイスコーヒー、ミョウジはアイスティー、灰原にはカフェオレ。
コンビニから戻ると、丁度灰原がロータリーに到着したところだった。運転席の窓を下ろし、中から灰原が顔を出す。

「お待たせー」
「灰原ありがとー!」

到着した灰原に私も「ありがとうございます」と礼を言い、バックドアを開けて二人分の荷物を積む。ミョウジには私が助手席に乗ると言って、彼女を後部座席に誘導した。
シートベルトのカチッという音を確認してから、灰原はスムーズな動作で車を発進させる。今は免許を持っていないし、昔は持っていたけれどほとんど乗る機会がなかったから恐らく灰原のほうが運転が上手い。しかも後ろでミョウジが「灰原運転上手いね」なんていうものだから、お門違いに灰原に嫉妬した。

「わ!諏訪湖!」

走り出してすぐに、車は左折と右折を何度かして、湖岸通りに入った。
すぐそばに広がるのは、長野県最大の湖沼、諏訪湖だ。

「こんなに大きかったっけ?」
「前来たの随分昔だからね」

後部座席と運転席で二人がそんな会話をする。私も高専の任務で来たっきり避けていたから、そう感覚は変わらない。
湖面は凪ぎ、深く青く揺れる。春の陽光がちらちらと反射して、ときおり眩しいほど照り返した。

「お土産何買う?」
「私ちゃんと下調べしてきたよ。灰原会社に買っていくんでしょ?女子ウケなら任せてよ」
「…来たばっかりでもう土産の話ですか」

いいじゃん!と二人声を揃えて言った。その声の大きさに思わず耳を塞ぐ。車内でそんな大きな声を出さなくたって充分聞こえる。
それから私たちはそれぞれのここ最近の話や、三人共通の昔の話をした。私は灰原と直接会って話すのは久しぶりだったが、ミョウジも灰原とは会えていなかったらしい。
この旅行をしようと言い出したのも灰原だったし、灰原には世話になりっぱなしだな。そういえば、灰原はあの日どうして私の記憶が戻っていると知っていたんだろうか。最初から確信を持っていて、カマをかけるようなそんな素振りは微塵もなかったはずだ。

「そういえば、なんで灰原は私の記憶が戻ったって知ってたんですか」
「え?ああ、それはね、五条さんに聞いたから!」

運転席から返ってきた言葉に「五条さん?」と私は首を捻った。
灰原は五条さんに会っていたのか。

「そう。七海に会いに行った前の日、五条さんから突然ウチに来てさ、僕を予言者にする手伝いしてほしいって」

予言者?またわけの分からないことを言って…。あの人は生まれ変わっても相変わらずなのか。
灰原は家に突然訪ねてきたという五条さんについて話した。会社から帰ったら高級外車が自宅マンションに横づけされていたらしい。
容姿もあのままなら相当目立って迷惑だっただろうな。

「僕って言う五条さん初めて見たからびっくりした」
「ああ、それね。卒業してから一人称変えたんだよ、あの人」

後部座席からミョウジが身を乗り出して言った。そうか、五条さんが僕と言い出したのは灰原が死んだ後のことだ。知らなかったならあの人の変化にさぞや驚いたことだろう。
私はドリングホルダーに置いたコーヒーをひとくち飲んだ。
その瞬間にヘッドレストをガタッと揺らされ、思わずコーヒーを吹き出しそうになる。

「え!あ!予言ってそういう…!?」

耳元でミョウジがそう大声を上げ、右耳がキーンと耳鳴りを起こす。
「ミョウジ…」と嗜めると、ミョウジは両手を投げ出すようにして後部座席のシートに深く座り「あー」だとか「うー」だとか唸り始めた。私の話を少しは聞いてほしい。

「はぁー、してやられた!まったく、いつまでたっても敵わないなぁ」

悔しい、といった様子ではあったけれど、その声音が優しげで、五条さんに対して出された声だということが少し腹立たしい。
しかし、二人の話の行間を読めば、またあの人が何らかの取り計らいをしていたことは容易に想像できた。悔しいが、確かにいつまでたっても敵わない、というのは同意する。

「七海、まだ五条さんに会ってないよね?」
「ええ」
「五条さん、いま10歳児なんだよ」

ウケるでしょ、と言ってミョウジが笑う。
先程まで勝手に二十代後半をイメージしていたから、まさかそんなに年下とは思わなかった。
五条さんの幼少期がどんな様子だったかは知らないので、昔の姿のままを小さくして想像した。随分生意気な子供に仕上がっていそうだ。

「それは…ちょっと見てみたいですね」

私がそう言うと、ミョウジは「今度会いに行こうよ」と笑った。絡まれるのは面倒だが、一度くらいは挨拶に行ってもいいかもしれない。
なんだかんだあの人には世話になった。

「…検討しておきます」

私はそう言って、意味もなく視線を窓の外にやった。面倒くさそうな表情をしているつもりだったのに窓には思いのほか口元を緩める自分が写っていて、二人に何かを言われてしまう前に咳払いをして唇を引き結んだ。


諏訪湖畔を灰原の運転で周り、途中の湖に隣接する公園で休憩をしようという話になった。
灰原が近くの駐車場に車を停めてくると言って、その間私たちは先に車を降り、諏訪湖に向かって並んでその湖面を眺めていた。

「あ、あの辺の山だよ」

私が死んだ山。と、ミョウジは事も無げに遠くの山を指さした。
何の変哲もない、地図を見なければ名前もわからないような山だった。五条さんの言っていたことを思い出す。
諏訪の山奥で、推定一級の、ミョウジより等級の高い呪霊の祓除任務。それは刃物のように体の一部を変形させることが出来る個体で、ミョウジはそれによって首を落とされた。遺体の状態から見てほぼ即死だったという。

「雨でさ、足元も悪くて服も泥だらけでひどい有り様だったんだけど、雨にずぶ濡れになってく感覚は結構悪くなかった」
「自分が死んだ任務によくそんなこと言えますね」

あはは、と笑ってミョウジは足元の小石をこつんと蹴る。小石はころころと転がって、湖面に円形の波紋を生んだ。
私はありもしないミョウジの首の傷を視線でなぞる。それは一体どれほどの鋭さで、どれほどの温度でつけられたのだろう。

「死んでいくとき、七海のこと考えてた」

私を見上げたミョウジと目が合った。
ミョウジの指先が軽く私に触れ、私はその指を逃がしてしまわないように捕らえる。華奢な指が私の手を握り返す。
私は渋谷のことを思い出した。燃えて熱を持った身体を半ば引きずるようにして駅構内を歩く。痛みはもはやわからなくなっていて、感覚もあまりなかった。ツギハギの呪霊が私に触れ、込められた呪力を感じた瞬間、そこで意識のすべてが溶けた。

「…私も死ぬときはアナタとクアンタンに行きたいと、考えていました」

まるでお揃いだね。と、ミョウジが笑った。
こんな物騒なことがお揃いなんて、呪術師はやはりロクでもなかったな。私もつられて笑った。

「私は、もう一度生まれるとしても、私に生まれたいと思います」

ミョウジが私に「もう一度生まれるとしたら」なんて尋ねた日のことを覚えているかは分からなかったが、私は構わず続けた。
風が止み、湖面はすっと鏡のように大人しくなる。私は喉を震わせた。

「生まれ変わっても、アナタに会いたい」

もう一度繋ぐ手を握りなおし、隙間なく繋がった手のひらからミョウジの体温を感じる。
ミョウジは私の肩口に頭を預け「私も」と言葉をこぼした。その言葉は私の胸の奥深くに直接届き、すっと甘やかに溶けていった。

「えーっと、そろそろいい?」
「えっ、あっ、灰原っ!!」

背後からしぶしぶといった様子で掛けられた灰原の声に、ミョウジがパッと飛び退き、その拍子に繋がれていた手が離れる。熱くなるくらいだった手のひらが途端に風に晒され、少し冷たく感じた。まぁ、灰原の前で手をつないだままでいようなんて思ってはいないから、やむを得ないことだ。

「わ、私ちょっとあっち見てくるね!」

顔を真っ赤にしたミョウジがそう言って、何もない方へと照れ隠しに走る。10メートルだとか15メートルだとかそのくらい走ってから立ち止まって、特にこちら側と代り映えもしないだろう湖面を観察し始めた。

「や、なんかごめん、七海」
「別に何も言っていませんが」

灰原が頬を掻いてそんなふうに謝るものだから、手を繋いでいたところを見られていたのが途端に恥ずかしく感じる。
視界の端ではミョウジがまた小石をこつんと蹴って水鏡に波紋を作り、その波がごく小さくなってこちら側に伝わった。

「今日の旅館の部屋、男二人で一緒にしたけど、ミョウジとかわろうか?」
「変な気を回すのはやめてください」

勘弁してくれ。ただでさえこっちは鈍感なミョウジ相手に難儀しているっていうのに、これ以上ペースを崩されたら大惨事は目に見えてる。
「そう?」と笑う昔より強かな友人をじとりと見遣り、ミョウジに視線を移す。魚でも見つけたのか、興味津々といった様子で湖面を覗き込んでいた。

「七海って、ミョウジのこと本当に好きだよね」
「…ええ、そうですよ。忘れていても、また好きになってしまうくらいには」

灰原の言葉に、まだ彼女をミョウジさんと呼んでいた去年の記憶を呼び起こす。
あの時必死に私を引き止めたミョウジのこと思い出すと、ぎゅっと心臓が掴まれるようだ。あのとき、私を引き止めてくれて本当によかった。そうでなかったら私たちは今頃ーー。

「七海ー!灰原ー!」

そんなことを考えていると、大きな声でミョウジが私たちの名前を呼んだ。
それにつられて声のほうを見ると、ミョウジが手を拡声器代わりに口元に構えていた。

「だいすきー!」

そんな大声で何を言っているんだ、と思ったものの、ミョウジが笑っていると、それだけで悪くはないと感じてしまうのだから私もいい加減単純な男だ。
ミョウジの方へ歩いて行こうかと足を向けると、灰原が手を拡声器代わりにしてすぅっと深く息を吸う。

「ミョウジー!七海の焼きもちが怖いからー!大好きはやめてー!」
「…灰原」

嗜めるように言うと、灰原は悪びれもせずミョウジの方へ駆け出す。ミョウジはけらけら笑っている。
ざぁ、と春特有の強い風が吹いた。一瞬目の前が霞む。
まばたきをすると、十数メートル先でミョウジと灰原が手招いて私を呼んでいる。
ふたりの待つそこへ、私は一歩を踏み出した。

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