10 眩しい男

まさか、七海から海に誘われると思っていなかった。ので、話を持ちかけられたときにはけっこう、かなり、びっくりした。

「お待たせー」

待ち合わせはいつもの駅。日焼け対策はばっちりだ。七海に海へ誘われてから、大慌てで水着を調達した。高校の頃のやつも実家にはあったけれど、七海に子供っぽいと思われなくない見栄で、ゼミの仲良くしてる女の子と一緒に買いに行った。

「お友達は途中で合流だっけ」
「はい、乗り換えの駅で待ち合わせる予定です」

私服で会ったことがないわけじゃなかったが、海に行くからか七海はいつもよりラフな格好だ。ちょっとらしくないとは思うけれど、何でも似合ってしまうのだから美形はずるい。
私たちは揃って電車に乗り、並んで車窓を眺める。

「お友達の親戚の子っていくつくらいなの?」
「そういえば…聞いてないですね」

七海と一緒に海に行けると浮かれていたが、お目付け役も兼ねてというくらいなのだから親戚の子は小さい子なんだろう。年長者である私がしっかりしなければ。そう意気込みながら、私たちは乗り換えの駅で七海の友達と合流すべく下車した。

私たちが下車したのより一本後の電車で、七海の友達は姿を現した。

「やぁ、七海」
「げっ…!ごほ、ごほごほ…ンンンッ!」

夏油さん、と言ってしまいそうになったのを寸でのところで飲み込む。かなりわざとらしい咳払いに「大丈夫ですか」と七海は真面目に尋ねてきた。心配させてしまって申し訳ない。
七海の友達として姿を現したのは、紛うことなき高専時代の先輩、夏油傑そのひとだった。記憶があるどうかはわからない。ここには七海もいるし、私は努めて冷静に取り繕った。

「初めまして、今日は誘っていただいてありがとうございます。ミョウジナマエです」
「夏油傑です。七海とは予備校の友人で。こちらこそありがとうございます、この子も賑やかな方が喜ぶと思います」

そう言って、夏油さんは自分のに影に隠れる親戚の子をぐっと優しく前に押し出す。
黒髪の長い三つ編みの、目がくりくりした女の子だった。

「ほら理子ちゃん、ちゃんと挨拶出来るかな」
「天内理子、です」

女の子は理子ちゃんといった。多分小学校の低学年くらいだろうと思う。恥ずかしがっているのか、ちらりと視線を上げては下げてを繰り返している。
なんだろう、この子、どこかで見たことある気がーー。

「人見知りなんですが、すぐに慣れると思うので気を悪くしないでください」
「あ、いえ、全然。ねぇ、七海」
「はい。まぁ初対面ですから」

電車の時間が差し迫っていることもあり、夏油さんに記憶があるのかどうかは確かめられないまま私たちはホームに向かって歩き出した。
七海がいないところで聞いてみるべきか、でも記憶がなくてまた七海のときみたいに霊感商法と思われるのも避けたい。
特急電車に乗って、シートを向かい合わせにする。私の隣には七海が座って、目の前は理子ちゃんだった。

「理子ちゃん、海好き?」
「…好き」
「そっかぁ。私もね、海好きなんだ。お揃いだね」
「お姉ちゃんも?」

私も海が好きなのだと伝えると、理子ちゃんは途端にきらきらと目を輝かせた。

「妾はいつも海の夢をみるのじゃ!」

わ、わらわ…?みるのじゃ…?随分変わった喋り方を…。思わず夏油さんの方をチラ見すると、諦めてくれと言わんばかりに首を横に振られた。
理子ちゃん曰く、透き通った綺麗な青い海をいつも夢に見るらしい。そこで何人かと親しげに笑い、水をかけあい、目一杯遊ぶのだという。まるで見てきたかのような精緻な夢の話だった。
もしかすると、これは彼女の前世の記憶なのかもしれないな、と私は勝手に想像をした。

乗換を経て一時間と少し。目的の海に辿り着いた。
眼前には果てまでずっと青が広がり、手前の砂浜は海水浴客で賑わっている。まだ夏油さんには記憶の有無は聞けていない。代わりに、理子ちゃんは随分懐いてくれた。

「ナマエ!ナマエ!こっちじゃ!」
「こら、理子ちゃん、ナマエさん、だろ」
「うるさい前髪なのじゃ」

う、うるさい前髪って…。笑ってしまいそうになってなんとか堪える。夏油さんの額にはぴきぴきと青筋が立っていた。
理子ちゃんは慣れたもののようで、ふん、と顔を逸らすと私の後ろに抱きついて隠れた。

「まぁまぁ」

最後に見た夏油さんは高専三年で、酷くやつれていた。こうやって理子ちゃんに構うところをみるていると、それよりも前の、五条さんを嗜める様子を思い出す。
なんとか夏油さんと理子ちゃんを和解させ、私たちはレジャーシートを広げてレンタルしたパラソルを砂浜にさす。てきぱきと夏油さんが指示をしてくれたお陰で大した苦労はしていない。
水着に着替えてこようという話になり、七海が荷物番をするからと三人で海水浴客用に用意された更衣室に向かった。

「ナマエは七海と付き合っておるのか?」
「え…理子ちゃんオマセさんだね…?」

女子更衣室で理子ちゃんの着替えを手伝っていたら、不意にそんなことを言われた。最近の小学生は進んでいるらしい。

「七海は友達だよ。理子ちゃんは学校に好きな男の子とかいないの?」
「学校はガキくさい連中ばかりじゃ!」

よかった、なんとか話を逸らすことに成功した。
これ以上突っ込まれて変に誤解させてもあとが大変そうだ。
理子ちゃんいわく、学校には意地悪で子供っぽい男の子ばかりらしい。確かに、小学生男子はそういうものかもしれない。
理子ちゃんを着替えさせてパラソルのところへ戻ると、七海の代わりに水着姿の夏油さんが座っている。

「夏油さん、早いですね」
「男はこんなものですよ」

パラソルの下でさっそくジュースの蓋を開ける理子ちゃんを背に、私は夏油さんの隣へ座った。

「私の方が年下なのに、夏油さんなんてミョウジさんは丁寧なひとだ」
「あはは、癖みたいなものというか…」

今更夏油さんを夏油くんとでも呼べと?かなり至難の業だ。一応七海のことだって記憶がないとわかった当初、七海くんと呼ぼうと努力はしたのだ。ダメだったけど。

「ミョウジさんとは、初対面の気がしないな」

私はこの一言で、夏油さんには記憶がないと確信した。探るための一言にもとれるが、夏油さんならもっと次の探りを入れやすい展開をするか、記憶がなければ理解し得ない言葉を巧みに織り交ぜるだろう。

「はは、初対面ですよ。もしかしたら七海と一緒にいるところとか見かけたのかな?」
「不思議だな、初めて会う人になんだか懐かしいって思うなんて」

相変わらず口がうまい。口説いているつもりがあるのかないのか知らないが、いや、私相手にそんなつもりもないんだろうけど、そう言えば高専にいた頃から夏油さんモテてたもんな。

「…ひとが外してる間に随分ですね」
「あ、七海おかえり」

声がした方を振り返ると、水着に着替えた七海が仁王立ちでこちらを見下ろしていた。普段からスタイルがいいのは知っているけど、水着という誤魔化しようのない格好になるといっそうよくわかる。

「いや、そんなつもりはなかったんだけどさ、ミョウジさんのこと本当に何処かで見たことがある気がするんだよね」
「そういうことにしておいてあげます」

七海と夏油さんは何事か小声で話し、一件落着したようだ。


水分補給を終えた理子ちゃんに念入りに日焼け止めクリームを塗って、海に繰り出す。今度は夏油さんが荷物番をすると言って、私たちの後ろをついて来るのは七海だ。

「ナマエ!こっちじゃ!」

夏の燦燦とした太陽を海が反射し、間近で見ると先ほどにもまして海は眩しく見える。
理子ちゃんは浮き輪を抱えてちゃぷちゃぷと波打ち際から海へ侵入し、手を引かれる私もそれに続く。ひんやりと揺れる波が心地いい。

「七海!」

七海はちゃんとついてきてくれているか、と思って振り向くと、1メートルほど後ろでひどく眩しそうな顔をしていた。
七海のきんいろの髪がさらさらと太陽の光を透かす。
私は思わず七海の腕を引いて、反対の手は理子ちゃんと繋いでいたものだから、引っ張り合ってバランスを崩し、三人そろって盛大に転んだ。ばちゃんと水しぶきが上がる。

「ご、ごめん…」
「いえ、天内さんは大丈夫ですか」
「妾は平気じゃ」

海水浴客が多いからそれほど派手に駆けまわったりは出来ないけれど、遠浅の海にぷかぷかと浮かんでみたり、理子ちゃんの浮き輪をビート版のようにして進んだりとひとしきりはしゃいでまわる。
途中で理子ちゃんのほっぺが真っ赤になって、ちょっと休憩しようとごねる理子ちゃんを丸めこんで浜へ上がった。パラソルの下では夏油さんが水着のおねえさんにナンパされていた。
海じゃなかったけど、昔もこんな光景よく見たな、とちょっと懐かしくなった。

「うー妾は平気じゃあ…海入りたいぃぃ」
「理子ちゃん、ちゃんと休憩しないとダメだろう」

浮き輪を抱え、理子ちゃんが恨めしそうに海を眺める。もちろん私も夏油さんの意見に賛成だ。休み休み遊ばないと、海って何が起こるかわかんないし、無理してもいいことない。
でも理子ちゃんはつまらないだろうし、何かないかなぁ。そう思ってきょろきょろ見回すと、海の家が目に入った。

「ねぇ理子ちゃん、かき氷買いに行こっか」
「行く!」

私の提案に、理子ちゃんは目をきらきら輝かせた。よしよし、休憩にもなるし丁度いいだろう。

「七海、ついて行ってあげなよ」

そう言う夏油さんの勧めで七海も立ち上がる。夏油さんはまたパラソルのしたでひらひら手を振っていた。
多少いいように使われている気もしなくもないが、まぁ遊ぶのもかき氷を買いに行くのも苦ではないから構わない。
歩いてすぐの海の家に向かって列に並ぶと、理子ちゃんと何味にするかを相談する。

「理子ちゃんは何味にする?」
「妾はイチゴか…うーん、ブルーハワイも…」
「七海は?」
「私は別に…」
「えー、せっかくだから食べようよ」

しばらくで列が進み、あっという間に私たちの番になった。理子ちゃんはまだ少し迷っていて、でも私たちの後ろに待つ人はいないようだったから、急かさずに彼女が看板とにらめっこする様子を眺める。

「いらっしゃーせー」

海の家の店員さんは、高校生くらいの男の子だった。夏休みだしバイトしてるのかなぁ。
そうこうしているうちに、理子ちゃんが「イチゴにする!」と決めたようだ。夏油さん用にブルーハワイ注文しておけば、理子ちゃんがあとからブルーハワイが良いって言ったとき交換してくれるだろう。

「すみません、えっとイチゴとブルーハワイとレモンと…七海なんにする?」
「…メロンで」
「じゃああとメロンお願いします」

ピンクっぽい髪をした店員の男の子は愛想よく笑い、四つの味を復唱した。
がりがりと音を立てながら氷が削られていく。あっという間に出来上がっていくそれらは、あとはレモンのシロップがかかるのを待つばかりになった。
そこで店員の男の子が「あれ?」と首を傾げる。レモンのシロップがカラカラだった。

「伏黒ー、レモンのシロップってまだあるよな?」
「でかい声で呼ぶな、虎杖」

店員の男の子がバックヤードに声をかけると、のれんの奥からもう一人、黒髪の男の子がやってきた。

「伏黒くん?」
「…七海先輩」

ありゃ、二人はどうも知り合いらしい。黒髪の「伏黒」と呼ばれた男の子は気まずそうに眉を寄せる。

「アルバイトは校則で禁止されてたはずですが…」
「すんません、虎杖…ダチの手伝いで三日間だけやることになって…」
「私は教師ではありませんから、特に注意をするつもりはありません。ただこの海は学校の人間も来るでしょうから、厄介な人間に見つからないように気を付けてくださいね」

二人がそう話しているうちに私と理子ちゃんで出来上がったかき氷を受け取る。「お姉さんも伏黒の知り合いなん?」と店員の男の子に尋ねられ、私は「違うよ」と首を振った。

「君も高校生?」
「うっす。高校一年。ここは知り合いのおじさんの手伝いでバイトしてんの」
「高校生なのに偉いねぇ。バイト頑張ってね」

なんてこともない会話をしながら七海とその後輩らしき男の子の話が終わるのを待ち、ひらひら手を振って別れると、もと来た道を戻っていく。
あとから聞いた話によれば、あの男の子は七海の学校のひとつ後輩で、同じ委員会に所属しているらしい。


パラソルの下に戻りすっかりかき氷を食べ終えた頃、二人で荷物番よろしくね、と言って夏油さんが立ち上がる。

「じゃあちょっと、私は理子ちゃんと海に入ってくるよ」

「ナマエも!」と私を呼ぼうとした理子ちゃんを抱え上げて歩いて行ってしまって、理子ちゃんはその肩でジタバタ暴れていた。

「七海ってさ、結構子供得意なんだね」
「別に得意というわけでは…苦手じゃないだけです」

二人でレジャーシートに並んで座る。海水浴客のざわめき、波の音、空を旋回する鳥の声、それらのすべてが絶妙な調和で耳に届く。
子供が苦手なのだと勝手に思っていたけれど、案外そうでもないらしい。まだまだ知らないことだらけだな、と理子ちゃんの相手をしていた時の七海の顔を思い出す。
ふと、口を開いた七海の舌が緑色になっていることに気が付いた。さっきのメロンのシロップの色だ。

「七海、舌が緑色だ」
「ミョウジさんこそ、黄色くなってますよ」
「うそぉ」

ざざざん。ざわめきの合間を縫って、波の音が聞こえる。
肩が触れてしまいそうなほどの距離に七海がいる。
パラソルの下で太陽光なんて遮られているはずなのに、海をまっすぐに眺める七海は、ひどく眩しく見えた。

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