東京夜景

この遊園地が任務地になったのは、何も初めてというわけじゃなかった。
資料によると、その昔この場所の近くで飛び降り自殺があったらしい。それからその陰気にあてられたひとが周辺のビルで飛び降りるなんて負の連鎖が続き、未だに時折呪霊が湧くらしかった。
またなんでそんなところにこんなファンシーなものを建てたのかは知らないが、今ファンシーだろうがなんだろうが任務の内容が変わるわけではない。

「よろしくね、釘崎さん」

閉園後の夜の遊園地。
今日私がちょっと浮かれていたのは、一年生の釘崎さんと一緒の任務だったからだ。二級術師の平々凡々な私が誰かの指導につくなんて機会はあまりなく、それこそ後輩術師と一緒に任務にあたることはあれど、それが学生さんになると滅多にない機会だった。

「よろしく、ミョウジさん」

噂に聞く釘崎さんは、きりっとしていて女の私から見てもさっぱりとカッコ良い。カッコいいといえば二年の真希さんもだけど、あの子とはまた違ったカッコ良さがある。
そんなことを勝手に考えながら、その日の任務は始まった。五条さんから言われていた「なるべく野薔薇優先ね」の指示に従い、私の主な仕事は釘崎さんのサポートだ。
帳がおろされ、より一層暗くなった中で感覚を研ぎ澄ませる。


結論から言うと、私は多分必要なかった。
三級複数、準二級一体の調査通りの呪霊を、釘崎さんは一人であっさりと祓ってしまった。
釘崎さんがめちゃくちゃ強い。本当に一年生?

「お疲れさま、釘崎さんセンスがいいね。三級複数、準二級一体全部祓っちゃうなんて」
「ミョウジさん手出さないようにしてたでしょ?」

五条に言われて。と付け加えられた。五条さんが先生と呼ばれる確率はかなり低いが、釘崎さんも例に漏れず先生はつけないらしい。
バレてら、と思いながら曖昧に笑っていると、釘崎さんが真横にそびえる観覧車を見上げる。
今は閉園時間だからぴたりと止まっていて、ああ、そういえば動いてない観覧車見るのって珍しいかも、なんてことを考えていた。

「…乗ってみる?」

羨ましそうな目をしているように見えたから、私は思わずそう提案してしまった。
私の提案に釘崎さんは「えっ!」と喜びを滲ませた声で振り返り、よしもうなんとかしようという気分だ。

「お願いしてみよっか」

一度帳を出てダメ元で伊地知さんにお願いしてみると、眉を下げながら「聞いてみましょうか」と言ってくれて、遊園地の責任者に連絡を取ってくれた。
まぁ流石に難しいよねぇ。ダメだったらオフの日にでも釘崎さんを連れてこよう。
そんなことを思いながら伊地知さんを待っていると「いつもお世話になってますので」と快諾してくれたそうで、夜間警備を兼ねたスタッフの人に一周だけ動かしてもらえることになった。

「ラッキーだったね」

ゴンドラに二人で向かい合って座る。釘崎さんは窓の外の夜景に夢中だ。
遠くに東京タワーが見える。そびえるビルの一番上にはそれぞれ赤いランプが光っていた。

「観覧車なんて久しぶりに乗ったなぁ。釘崎さんは?」
「…こんなに大きいのは初めてよ」
「そうなの?」

聞けば、釘崎さんはけっこうな田舎に住んでいたらしく、デパートの上の観覧車にしか乗ったことがないらしかった。私の地元にもあったなぁ。

「あ、知ってる?この観覧車って恋人同士が一番上でキスするとずっと一緒にいられるんだって」
「なにそれ、ベタなジンクス」

思わず、といった様子で釘崎さんが笑った。こんなふうに笑うんだ。
ほとんど接点もなかったし、今日も任務だったから当たり前なんだけど、釘崎さんの笑う顔をこの時初めてみた。
ずっと大人っぽく見えていた、でも見えていただけだ。

「…ミョウジさん、ありがと」

じっと釘崎さんを見つめていたら、視線に気がついた釘崎さんがふいっと顔を逸らし、恥ずかしそうにそう言った。

「私のことは野薔薇でいいわ」
「ほんと?じゃあ私のことも名前で呼んでよ」
「…ナマエさん」

はーい。にこにこ顔で返事をすると、ジロリと可愛く睨まれてしまった。
まるで妹が出来たみたいだ。


翌週、建人さんと珍しく帰宅時間が被った。曜日も時間も関係なく不規則に勤めているので、本当に珍しいことだ。
高専から一緒に電車で帰ろうという話になり、二人で帰宅ラッシュを少しすぎた電車に揺られていた。

「あ、観覧車」

ちょうど電車から先日の遊園地の観覧車が見えた。前の時と違ってまだ営業時間内だから、観覧車のみならずいろんなアトラクションが煌々とライトアップされている。
建人さんも私に釣られるようにして車窓に視線をやった。

「この前あの遊園地で任務だったんですよ」
「あそこですか。私が学生の時も派遣されましたね」

え、まじか。そりゃ昔から現場になっているとは聞いたことがあったけど、建人さんも行ったことあったのか。

「野薔薇ちゃんと一緒だったんです。任務後に施設側のご厚意で観覧車に乗せてもらって、あの子乗ったことがなかったらしくてすごく楽しそうにしてました」
「釘崎さんですか。随分仲良くなったんですね」
「はい。妹が出来たみたいで嬉しいです」

呼び方が変わっていることから建人さんがそう察し、私はそれからあれやこれやと彼女の可愛かったところを話した。
そういえば、建人さんと遊園地なんて任務でも行ったことないなぁ。

「そういえば、ナマエさんとは遊園地に行ったことがありませんね」

どきっとした。うそ、頭の中読まれてた?と思って建人さんの顔を見ると、特に揶揄うみたいな様子は含まれていなくて、単純に同じことを考えていただけなのだとわかる。
それはそれで恥ずかしいけど。

「行ってみましょうか」

建人さんのその一声で私たちは次の駅で下車した。
遊園地の閉園時間まではあと三十分足らず。入り口で入場券を買い、帰っていく人波に逆らって進んだ。

「建人さんと遊園地なんて、なんだか変な気分です」
「そうですか?」
「はい。あんまり人出が多いところが好きなイメージないので」

まあ確かに。と言って、建人さんは少し考えたようにサングラスの位置を直す。
建人さんのサングラスは呪霊と下手に目が合わないようにということを主な目的としてかけているものなので、夜でも仕事帰りにそれを外すことは少ないのだけど、夜にサングラスってちょっと変だよなぁ、とまともぶったことを考える。

「人混みはあまり好みませんが、アナタと一緒なら話は別です」
「えっ…」
「ほら、急ぎますよ。最後の運転に間に合わないかもしれない」
「あっ、手…!」

建人さんは私の手をさらって、歩く速度を少し上げた。外では滅多なことがない限り手なんて繋がないのに、と、動揺している私は置いてきぼりだ。
遊園地の一番奥、ゆったりと周回を続ける観覧車が見えてきた。まだ運転には間に合ったみたいで、私と建人さんはゴンドラに向かって進む。

「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

ゴンドラに順番に乗る時、繋いでいた手が自然と離れてしまった。
ずっと握られていたから、手のひらがすうっと寒く感じる。へんなの。これがいつもと同じはずなのに。
向かい合って座ると、かちゃんと扉が施錠された。二人分の体重で、ぐんと揺れたゴンドラは次第にその揺れを小さくし、静かに空に向かって登っていく。

「わ、やっぱり綺麗ですねぇ」

今日はこの前の任務の時と違って園内がまだライトアップされているから、窓の外からは眩さが押し寄せてくるようだった。
少しのモーター音が鳴るだけのゴンドラの中は、外気と同じ冷たい空気が詰まっている。

「久しぶりに乗りました」
「私は先週ぶりです」

私が分かりきったことをわざわざ言って、二人でどちらともなく小さく笑った。地上が徐々に遠くなっていく。
あ、東京タワー。その隣にはやっぱり大きなビルがいくつもそびえ立っている。

「ビルの赤いランプがずらっと並んでると、東京だなぁって思います」
「航空障害灯ですか」

「こーくーしょうがいとう?」と聞き慣れない言葉を聞き返すと、「航空機の航空に障害物の障害、それから電灯の灯です」と漢字を説明された。なるほど「航空障害灯」ね。

「夜間に飛行する航空機に対して、一定の高さのある建築物に設置することを義務付けられているものです」
「ああ、東京って高い建物多いですもんね」

もう一度遠くのビル群を眺めた。確かに赤いランプはどれもビルのてっぺんにつけられている。
あれ、点滅してるのとしてないのがある。

「建人さん、点滅してるのとしてないのがあるんですけど、なんでなんですか?」
「あれは高さの違いです。210メートル以上だと明滅するものになるんですよ」

なるほど、本当だ。高いビルのてっぺんについてるのは全部点滅してる。
建人さんは優秀な呪術師なのに、一般教養というか、そういう面でも知識が豊富だ。外の世界で働いたことのない私が無知っていうのも存分にあるんだろうけども、普段のこんなちょっとした疑問に答えてもらえるのは心地いいし、先生みたいな口調で教えてくれる建人さんがかっこいいので好き。

「私が東京だなぁって思ってたのは、ビルの高さだったんですねぇ」
「あながち、的外れということもないですね。こんなに赤く明滅する街は、東京くらいでしょうから」
「確かに」

建人さんの講義を受けていたら、そのうちにゴンドラが頂上まであと少しというところまで上がってきていた。
建人さんは「そういえば」と言ったので、なんだろうと顔を向けると、ゴンドラがぐらんと揺れる。

「この遊園地の観覧車は、一番上で恋人同士がキスをすると、ずっと一緒にいられるそうです」

そのジンクス、野薔薇ちゃんに先週話したやつだ、と思うよりも早く建人さんの綺麗な顔が近づき、唇に軽く吸い付くようなキスをされた。
唇が離れるときにちゅっとリップ音がして、それがゴンドラの中だからまざまざと聞こえ、私の羞恥心を余計に煽った。

「け、建人さんそんなジンクス信じるんですか…」
「そういうタチではありませんが、アナタとの関係には万全を期しておきたいので」

頬を撫でた建人さんの指が離れていく。
離れていくのに、頬はまだ触られているみたいに熱を持ったままだ。目の前でじっと私を見つめる視線に耐えきれなくて、ふいっと夜景に視線を逃す。
建人さんがまだ私を見つめている気配がする。

「…な、なんですか、ちゃんと夜景見てくださいよ。こんなに綺麗なのに」
「いえ、私か見ているのは、夜景よりもずっと綺麗なひとですから結構ですよ」
「…建人さん、流石にそれはキザ過ぎます…」
「そんな顔を赤くして言われても、説得力がありませんね」

もうしばらくでゴンドラが地上に到着してしまう。こんな状態で帰りも手を繋ぐことを求められたら、私は恥ずかしさで気絶してしまうかもしれない。
今日も私ばかりが心臓をどくどくと鳴らしている気がする。建人さんはどうなんだろう。
余裕な素振りで窓の外を眺めだした建人さんの横顔を、私はこっそりと見つめた。

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