いつかの二人

田舎育ちの私としては、東京はどこもビルが建ち並んでいて窮屈に見えた。新宿なんてそのもっともたるもので、地上に窮屈に生えたビルの中にこれでもかと人間がすし詰めにされるさまは都会の象徴そのものであり、まぁ多少不気味な光景だといえる。

「て、昔は思ってたんですけどねぇ」
「何の話です?」
「都会ってビルも人もぎゅうぎゅう詰めだな、苦しくないのかなって思ってたんですけど、今は見慣れてしまったなと思って」
「ああ、なるほど」

私と建人さんはマリッジリングを探して都内のジュエリーショップをいくつか回ることになった。正直な話、私は戦闘スタイル的にも指環は四六時中つけれいられないだろうし、意匠に関してもかなり無頓着なのでこだわりはない。建人さんに似合うやつがいいなぁ、という漠然とした気持ちでここに立っている。

「新宿と言えば、私高専一年のころに任務で新宿に回されて迷子になったんですよね」

街中で見覚えのあるビルが目に入ってそんなことを思い出した。まだ高専に入って数ヶ月の秋ごろだったと思う。そこまでの至急案件ではなかったが、経験値を稼ぐには丁度いいだろうと私たちが投入された。

「任務、大丈夫だったんですか?」
「いやぁ、任務のあとだったんでそれ自体は大丈夫だったんですけど、そのあと遭遇した非術師に四級が噛みつこうとしてて、祓えたんですけどそのままこけちゃってその非術師の人に逆に助けられて…めっちゃ恥ずかしい思いしたんですよ」

今でも鮮明に、いや、言い過ぎた。ぼんやりと思い出すことが出来る。呪いからあの非術師を助けたのは私だけれど、呪いの見えない彼からしたら私が突然何もないところで盛大に躓いて転んだようにしか見えなかっただろうと思う。そういえばあのサラリーマン、イケメンだったな。

「呪いだなんだって説明するわけにもいかないし、結局イケメンサラリーマンに変なところで転んだ変な女だって誤解されたまんまですよ」

あはは、と私が笑うと、建人さんが「イケメン…?」と思わぬところでぴくっと反応した。いや、多分イケメンだったと思うってだけでイケメンの確証はないんだけど。なんせ5年も前に一度会ったっきりの赤の他人だ。


三級術師だった私と猪野は、別件で江東区での任務を終わらせたあと、高専に戻れると思いきやそのまま任務を仰せつかった。新宿の雑居ビルでの低級呪霊の祓除任務である。

「俺らついでに使われ過ぎじゃね?」
「それな」

任務の内容的にはそこまでハードではない。が、軽い任務でも何件も何件もと重なれば自然と疲労も積み重なっていくものである。今日は帰りの道すがらでラーメン屋に行こう。まだまだ美味いラーメン屋さんの開拓は進んでいない。高専での生活なんて授業、任務、授業、任務の繰り返しで、楽しみなんて食べることくらいしかないのだ。

「ねぇ猪野。今日あそこ行こうよ。帰り道にあるラーメン屋」
「おう。今日はがっつり豚骨いきてぇ」
「わかる」

肉厚チャーシュー背脂マシマシのカロリー爆弾みたいなラーメンが食べたい。太るのは嫌だけど、もう今日はそんなこと言っていられない。たっぷりのニンニクを気にせずばくばく食べたい。

「あっ!ヤバ!スマホ忘れた!」

ポケット中をまさぐり、四角い板がないことに気が付く。噂のスマホに機種変更したばかりなのに、失くしたとか最悪が過ぎる。さっきトイレ借りたところで忘れてきたんだ。

「猪野!私ちょっとさっきのビル戻ってるから駅行っといて!」
「おー、迷うなよ」

私はくるりと踵を返し、先ほどのビルまでダッシュで戻る。もう実習より任務より今が一番速く走れているかもしれない。借りたお手洗いの個室へ入ると、トイレットペーパーホルダーの上にちょこんと私のスマホが乗っていた。

「よかったぁ…」

高専生兼呪術師として稼いではいるが、なかなかのお値段なのだ。機種変してさっそく失くしましたなんてむこう一か月へこむ自信がある。しっかりポケットに入れたのを確認してお手洗いを出て、猪野のところに戻らなければと元来た道を戻ると、なんだかさっきと様子が違うような気がする。ひょっとして呪霊の影響か…と身構えて、周囲に呪力の気配がないかをサーチする。ない。

「……迷った…?」

嘘でしょ、マジで普通に迷ったの?は?え?ていうかここどこ?
見上げるビルは全部見分けがつかないように同じ顔をしているし、ビル名なんか見たところで地の利がないのだから駅の方向などわかるはずもない。電話したって猪野に現在地を説明できなさそうだし、最終的には道行く人に聞くしかないだろうと思う。なるべくそれは避けたいけど。
なんとなく方角を考えながら駅の方へ向かう。なんだかんだ東京は駅と駅の間隔短いし、どこかしらでわかりやすいところに出られるだろう。そう考えながら歩くこと数分、前方に嫌な予感がした。低級の呪いの気配だ。多分全然強くはないけど、近いなら祓うに越したことはない。

「げっ」

前方の低級呪霊のそばにサラリーマンがいる。呪霊がじろりとそのサラリーマンを狙っているのは明白で、私は悪さをする前に祓わなければと呪力を練って手のひらに纏わせ、ぐっと腕を伸ばす。低級呪霊が私の足元へビュンと移動し、あろうことかサラリーマンが振り返った。やば。
すぐに狙いを足元に変えて呪霊を祓うことに成功したけど、足元を狙われたせいで体勢を崩し、戻すことも出来ないままで地面へと顔面から向かっていく。

「う、わぁッ!?」

受け身が取れない。顔面だけは勘弁、と思って身体をひねろうとして、傾いていく私の身体が途中で止まった。なんで、と思って顔を上げ、振り返ったサラリーマンが私の肩を支えてくれたのだと理解した。

「す、すみません…」
「いえ、お怪我は?」
「ないです…」

まだ数メートルあると思ったけど、その距離をこのサラリーマンはほんの一瞬で詰めたのか。目測よりも距離が近かったんだろうか。私は地面にしっかり足をついて体勢を整え、改めてサラリーマンを見上げる。目元に濃い隈があって、顔色も良くない。髪が金色でどこか日本人ばなれした顔だちのように見えるから、ひょっとしたら外国の血でも混ざっているんだろうか。

「アナタは──いえ、随分焦っていたようですが、大丈夫でしたか」
「えっと、その、道に迷ってしまって…駅に行きたいんですけど…」

彼は私の恰好を見て何かを言いかけ、そのまま言葉を切って別の言葉を付け足した。なんだろう。まぁ高専の制服変だからな。コスプレかなにかと思われたのかもしれない。コスプレじゃないんです!と言いたいところだけど、聞かれてもいないのにそんなことを主張するのも余計に変なやつになるだろう。
誤魔化しとばかりに道を迷っていると言えば、サラリーマンは「私も同じ方向に行くので送ります」と言ってくれた。これはありがたい。

「あ、りがとうございます」

彼は多少、なんというか、腹の立たない程度の不愛想な様子で頷き、踵を返した。駅ってそっち側だったんかい。と自分の見当違いに内心ツッコミを入れる。彼はすごく無口で、まぁ別に見知らぬ小娘を道案内してくれてるだけなんだから話すこともないだろうが、何だか壁の分厚い、例えばシールドのようなものを張っているような、そういう感覚があった。
気まずい無言のままで数分歩き、右に左にと進めばようやく駅が見えてきた。よかった。

「ここからは道、大丈夫ですか?」
「あ、はい。近くに同期がいると思うので大丈夫です」

そうですか。という彼に私はそう返しながらきょろきょろ猪野を探した。ここまで来ればもう目印も探し放題だしなんとかなる。

「あの、ありがとうございました」

私はサラリーマンに向き直り、大きく頭を下げる。スマホは回収できたし、低級呪霊から彼を守ることも出来たようだし、駅までも案内してもらえたし、恥ずかしい思いをしたことを除けば概ねいいことづくめだ。ラーメンに煮卵を追加しよう。

「……お気をつけて」

太陽の光が彼の金髪をさらさらと透かした。何か含みのあるような言い方に聞こえたけれど、見知らぬ他人の含みなんてわかるはずがないのだから仕方がない。私はもう一度ぺこりと頭を下げ、近くにいるだろう猪野を探して回ることにした。十数秒見渡していると、見慣れたニット帽を見つけることが出来た。

「あっ!猪野!」
「あ、おせーよミョウジ。スマホちゃんと見つかったか?」
「うん。見つけたんだけど、帰りに迷っちゃってさぁ。しかも低級が非術師に飛び掛かろうとしてて」
「え、大丈夫だったのかよ?」
「平気平気。ちゃんと祓えたよ」

自然と改札に向かいながら二人で歩く。一度気になって振り返ってみたけれど、もう彼の姿はどこにもなかった。その日猪野と開拓したラーメン屋は超大当たりで、それから卒業までずっと常連として通うことになったのだった。


道すがら曖昧な記憶を思い出しながら建人さんに当時の話をした。あの頃の私16歳か。わっか。
言っても今だってまだ21歳そこそこなのだからお姉さまお兄さま方には叱られそうだけど、学生だった当時とそうではない今とでは自分には信じられないくらいの違いがあるものだ。もっとも、当時も今も同じ高専に所属しているわけだけど。

「──っていう感じで、お疲れのイケメンサラリーマンのおかげで地面に突っ伏さなかったし駅にも戻れたんですけど、醜態晒したしコスプレだと思われたかも知れないし、恥ずかしいったらなくて」
「……なるほど」

建人さんが神妙に相槌をうつ。建人さんはこう、なんというか、想像以上にヤキモチ焼きなところがあって、もちろん迷惑なんかじゃないんだけど、時々驚くようなところでヤキモチ妬くからビックリすることがある。
今回は恐らく私があのサラリーマンをイケメンと言ったことが引っかかったようだけども、イケメンだったような気がしただけで本当は違うかもしれない。

「今だったらきっともっとスマートに祓えると思うんですけどね」
「術師の家系といっても任務経験はそう多くないでしょうから、勝手がわからなくても仕方ないでしょう」

あれ、ヤキモチおさまったのかな。ちょっとチクリとしたような声音ではなくなって、いつも通りの建人さんが戻ってきた。建人さんが珍しく腰に手を伸ばしてきて、私のことをぎゅっと引き寄せる。外で手を繋ぐのだって珍しいのに、と思うも、嫌じゃないんだからたまにはこんなふうに歩いていたい。

「そういえば、建人さんが働いてたのも新宿だったんですよね」
「ええ。こことは反対側の出口を出たところですけど」

反対側の出口かぁ。建人さんと付き合う前にカスクートを買いに行ったとき、オフィス街を少し歩いたけれど、それが確かこことは反対側の出口だったと思う。ていうことは、あのパン屋さんもしかしてニアミスしてる?うわ、ストーカーっぽさがヤバいから一生言うのはやめておこう。

「ナマエさん、随分綺麗になりましたね」
「え?あ、ありがとうございます…?」

意図の読めない建人さんの言葉にとりあえずお礼を言って、その意図を聞こうと思ったところで丁度目的地に到着してしまい、結局聞くことは出来なかった。見上げた建人さんの金髪を、太陽の光がさらさらと透かしていた。

BACK
- ナノ -