四六時中でもそばにいたい

ナマエさんは、無防備だ。
待ち合わせをしていてナンパされているなんてことはよくあることで、しかも本人があまりピンときていないのだから始末が悪い。

「七海ぃ。なんか面白い話しろよ」
「アナタの暇つぶしに付き合う義理はありません」

サングラス姿の五条さんは「ノリ悪ぅ」と言って口先を尖らせた。成人男性がやっても全く可愛げなどないので辞めていただきたい。
珍しく五条さんの任務に同行して補助監督の迎えを待つ間、どうせヒマなら近くで時間を潰そうと連れ出された繁華街。この人の我儘に付き合ってパティスリーに寄った。まぁ、この人の舌だけは信用に足るのでナマエさんへの手土産に良いかと大人しく付き合うことにした。

「七海どれにする?僕のおすすめはオペラとミルフィーユ。あ、でもミョウジそんなに甘いの好きじゃないからフルーツ系のがいいかもね」

なんでアナタがナマエさんの好みを把握しているんだ、と思って閉口した。
全く気に入らない。が、彼女が甘いものを特別好きというわけでないことは事実だ。
ナマエさんは基本的に食べ物の好き嫌いはないけれど、どちらかというと甘いものを食べるより食事系のものを好んでいるところがある。
私はフゥーと息をついてショーケースを眺める。

「で、どれにすんの?」
「わざわざ五条さんに言う必要が?」
「いいじゃんケチ」

毎度のことだが、この人は小学生のころから脳みそが成長していないのではないかと思う。

「すみません、ベリーフロマージュをふたつお願いします」

五条さんを無視して店員に注文をする。結果的に先読みされたようなかたちになってしまって非常に遺憾だが、ナマエさんが喜ぶものを購入しておきたい。
隣で五条さんが「ほらね」と言わんばかりににやにやしている気配がする。
それから五条さんもいくつかケーキを包んでもらって、二人そろって店を出る。補助監督の到着時間にはなったが、渋滞かなにかなのかまだ連絡は来ない。
「少し高専に電話をしてきます」と五条さんに断って、数メートル離れた場所に移動する。用件を手早くすませて戻ると、五条さんが女性二人組に囲まれていた。

「お兄さん良かったらウチらとお茶しませんかぁ?」
「ごめんねー、今仕事中なんだよね」
「えー、そーなの?お兄さんかっこいいね、モデルさん?」
「そ。マネージャー待っててさぁ」

息をするように嘘をついてるな。この場合マネージャーというのは私を想定しているのか、それともこれから来る補助監督のつもりなのか。
五条さんのナンパも嘘も全く興味はないが、丁度スマホに補助監督の到着の連絡が届き、話しかけざるを得なくなってしまった。

「五条さん、迎え到着しましたよ」
「マネージャー来ちゃった。じゃあね」

そう言って、五条さんは女性二人にひらひら手を振る。二人はきゃあと黄色い声を上げて頬を染めていた。
どうやらマネージャーは私のつもりだったらしい。この人のマネジメントなんてどれだけ金を積まれても御免だ。

「おまたせ、マネージャー」
「誰がマネージャーですか」

ふざけた設定を続ける五条さんを躱し、補助監督の待つロータリーへ向かう。今日はピックアップが伊地知君ではないが、もし伊地知君だったらこの設定に当然のように巻き込まれ付き合わされていただろう。思わず溜息がこぼれる。

「お、溜息なんかついたら幸せが逃げちゃうゾ」
「お構いなく。自宅で補充できますので」
「言うね」

ナマエさんのことを指しているのだと勿論察した五条さんがへらりと笑った。
先ほど好みを把握されていたことへの意趣返しとは、我ながら幼稚だ。


高専で夜遅くまで作業をすることになって、今日は残念ながらナマエさんと食事をとることが出来なかった。
手土産のケーキを買っていたのは正解だ。ナマエさんも食事を済ませているだろうから、二人でデザートに食べればいい。
「ただいま戻りました」と声をかけると、ナマエさんがパタパタとスリッパの音を立てながら出迎えてくれる。

「おかえりなさい、建人さん」
「ナマエさん、これを」
「わ、ケーキですか?」

ナマエさんにケーキの箱を差し出し、私は革靴を脱いで上がる。そのまま洗面所へ向かって手洗いうがいを済ませてからリビングに向かうと、ナマエさんは早速箱を開けて中身をきらきらした目で見つめていた。

「建人さん、ここのパティスリーって五条さん御用達のところじゃないですか?」
「…知ってたんですか?」

はい。とナマエさんが頷いた。
ピシ、と固まる私の様子には気づかす、ナマエさんは補足の説明を続けた。

「随分前ですけど、限定のケーキが出るから朝イチで並んできてって言われてお遣いに行ったんです」

回答としては予想の範疇だが、五条さんにまるで親しい仲のように扱われていることが気に入らない。ナマエさんは意識してないようだが。

「朝8時からパティスリーに並んでこいって五条さんも人使い荒いですよねぇ」
「…まぁ、あの人は昔からそうですからね」

それは人使いが荒いというよりアナタを気に入っているからだと、癪だから言わずにそう言って誤魔化す。ナマエさんは「変わんないんですねぇ」となんてことない相槌を打った。
ケーキをそれぞれ皿に乗せ、リビングテーブルに運んだ。その間にナマエさんは紅茶を用意してくれているようだ。確かキームンの茶葉があったと思うから、このスモーキーな香りはキームンのものだろう。

「いただきます」

紅茶とケーキの準備がすべて整ってから、私たちはそろって手を合わせる。
フォークを持ってつやつやとしたフロマージュにスッと差し入れる。柔いそれを崩してしまわないように、手つきには細心の注意を払った。
丁寧に掬いあげて口に運ぶと、甘酸っぱいベリーのソースと上質なチーズの滑らかさが口内で溶けあう。

「わ、ずごい、美味しいですね」
「ええ。癪ですが、五条さんの御用達なだけあります」
「ふふ、建人さん言い方」

ナマエさんは少し笑ってからまたひとくちフロマージュを運んだ。
私は一度フォークを置き、ナマエさんの淹れてくれた紅茶を口にする。スモーキーで、少しだけ花の香り。渋みは少なく、まろやかな味わいだ。

「キームンですね」
「はい。チーズケーキにはキームンがいいって建人さん前に言ってたなと思って」

そういえば、以前そんな話をしたような気がする。
私自身も忘れそうなことを覚えていてくれていたことが嬉しくて、口元が緩むのを感じた。

「急にケーキなんて、今日なにかありましたっけ」

記念日?とナマエさんが首を傾げる。
ナマエさんはあまり記念日だなんだということを気にするタイプではないから細かい日付を覚えていないことも多いが、そもそも今日は何でもない日なのだから考えてもわかるわけはない。

「いえ、そういうわけではありませんが、五条さんが任務終わりにパティスリーに寄りたいと言い出して連れていかれたんです」
「ああ、なるほど」
「あの人は目立つからいけない。今日も女性に声を掛けられていましたし」
「あー、五条さんすぐナンパされそう」

街中で五条さんが女性に囲まれている姿でも想像したのか、ナマエさんはややあってからふふふと笑いをこぼした。
他人事ではないだろう、と私は街中で声を掛けられているナマエさんの姿を思い起こす。そんなことが一回や二回ではないから厄介だ。

「ナマエさんもよくナンパされてますよね」
「私ですか?私なんかそんなことないですよ」

何を言っているんだと言わんばかりの表情でナマエさんが否定する。
何を言っているんだと言いたいのは私のほうだ。ナマエさんはもっと自分の魅力を自覚するべきだと思う。

「世の男性すべてがとはもちろん言いませんが、アナタは可愛らしいしスタイルもいい。人の良さそうな雰囲気もありますから、声を掛ける人に下心があってもおかしくはないと思いますよ」
「かっ…」

恐らく「可愛い?」と聞きなおそうとして、ナマエさんは言葉を詰まらせた。事実なのだから、別に構わないだろう。もちろん、こうやってはっきり言葉にすれば彼女が照れることは折り込み済みだけれども。

「…それを言うなら建人さんだって。かっこいいし、背も高いし、紳士だし…ナンパされないでくださいよ」
「こっちのセリフです」

異性から声をかけられることがなかったわけではないが、ああいうのはやはり打って響きそうな、まぁ俗な言い方をすると押せば押し通せそうな人間を選んで声を掛けることが多い。
私などよりナマエさんの方がよっぽど心配だ。
とはいえ、ナマエさんのせいというわけではない。ずっと隣にいて、そういうものから彼女を守ることが出来れば一番良いのだが。


そんなやりとりをしてから一週間ほどあと、久しぶりに外で待ち合わせをして食事に行こうという話になった。
自宅から一緒に出発しなかったのは彼女は自分の用事が、私は高専で事務手続きがあったからだ。
待ち合わせ時間の少し前に目的地まで辿り着くと、ナマエさんが何やら男性から話しかけられている。スマホを見せられ、それを覗き込んであれやこれやと説明しているようだった。
大方道でも聞かれたのだろうということはわかったが、問題は男の視線だ。
ナマエさんが何事か説明する間も、指さす先やスマホは眺めず、ナマエさんのことをじっと見ている。ナマエさんは気が付いていない。
私はフゥーと息をついて大股で二人のほうへ近づいた。

「私の連れに、何かご用ですか」

私はそう言って、男とナマエさんの間に割りいるように身体を滑り込ませる。
背中からナマエさんの「あ、建人さん」とのんきな声が聞こえた。

「あっ、や、道教えて貰ってただけなんで…だ、大丈夫です!」

…いけない。流石に少し圧をかけすぎたかもしれない。相手の男は途端に顔を真っ青にして「すみませんでした!」と言葉を残し走り去っていった。

「あれ、あのひと道大丈夫だったんですかね」

後ろからひょこっと私の隣に並び、男の背中をきょろきょろ探した。もう先ほど目の前の通りを右折して見えなくなってしまっている。
のんきな声に、これは気づいていなかっただろうな、と私はフゥーと息をつく。

「…ナマエさん、今のはナンパです」
「えっ、うそ!」

やはり彼女は気づいていなかったようだ。
あまり説教じみたことはしたくないが、こういうことは起こってすぐに対処すべきであると私は思っている。「いいですか」と切り出し、ナマエさんは「はい」と私の言葉を神妙に待った。

「ナマエさんの人を疑わないところは美徳ですが、もう少し警戒心を持つように」
「私そんなに隙ありそうに見えます?」
「ええ、大いに」

私が間髪入れずにそう言うと、ナマエさんは「善処します…」と肩を落とす。
ナマエさんの人の良さそうなところを好ましいと思っているのに、他人にそれを向けられると途端に心配の種になってしまうのだから私も修行が足りない。
尤も、彼女に下心を持って接する男など言語道断だか。

「私が四六時中、ナマエさんのそばにいられたらいいんですが」
「それは…ちょっとドキドキして心臓が持ちそうにありません」

真っ赤な顔をして俯くナマエさんの手をそっと奪うと、驚いたナマエさんが潤んだ瞳で私を見上げた。
あまり外でこうして手を繋ぐことのない私に、どうして、と言いたげだった。
別に手を繋ぐことが嫌なわけでも避けているわけでもない。しかしまぁ、今日のところは特別理由をつけておこう。

「アナタが誰かに声をかけられてしまわないように」

私の言葉を聞いて、ナマエさんは繋ぐ手にぎゅっと力を込めた。

「声かけられたって、建人さん以外について行ったりしませんよ」

本当に、私以外にはそんな無防備な顔を見せないでいてほしい。
私は逃げもしないナマエさんを逃がさないように、指にぎゅっと力を込めた。すっかり私の手に馴染んだ、愛しいたおやかなかたちだ。

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