飼い猫は嫉妬深い

建人さんと私の関係を知るひとからすると、私が建人さんにおんぶにだっこ、というイメージが定着しているらしい。
まぁ概ね正しいとは思うし恥ずかしいので大声で否定することはしないが、建人さんも実は意外と可愛いところがある。

今日も今日とて私は任務の報告で高専を訪れていた。まぁ日差しはきついけれど天気もいいし、と思っていつも通らない道を通っていくと、花壇のそばにくるっと背中を丸めて誰かが座っている。あれって…。

「狗巻くんこんにちは」
「こんぶ!」

じっと花を観察するみたいに眺めていたのは、一年生の狗巻くんだった。何度か話したことはあったけれど、確か真希さんとかパンダくんも一緒にいて、二人で話すのは初めてだ。
呪言師で語彙を絞る彼とコミュニケーションがちゃんと取れるか一瞬不安になったけれど、狗巻くんが平然とした態度でいるので不安は文字通り一瞬で霧散した。

「狗巻くんはお花の世話?」
「おかか」
「えっ、じゃあ何を…」

おかか、という言葉とともに腕で大きくバッテンを作ったから、お花の世話ではないことはよくわかった。じゃあわざわざ花壇に何の用事だろう。うーんと首を捻っていると、狗巻くんが花壇の向こうの茂みを指さした。

「明太子」
「めん…ってあれ?子猫?」
「しゃけしゃけ」

そこに見えたのは、生後三か月と経っていないだろう子猫の姿だった。狗巻くんはどうやらこの猫を見ていたらしい。
白黒模様の猫が二匹、三毛色が三匹の豪華五匹兄弟である。
何か小さな虫でも飛んで行ったのか、一匹の子猫が駆け出し、それに釣られるように他の四匹も一斉に動き出す。小さくニャアと鳴く声が聞こえた。

「野良猫かな?」
「しゃけ」
「あ、やっぱりそうなんだ。狗巻くんは子猫の観察?」
「しゃけしゃけ!」

あれ、すごい。なんとなく会話できてる。
どうやら「しゃけ」には肯定的な意味があるらしい。
私も狗巻くんと同じようにして花壇のそばにしゃがみ、じっと茂みの中の子猫を観察する。
吹けば飛んでいってしまいそうな小さな体を目一杯使ってあっちこっちとじゃれついている。ピンとしっぽが立つ子、チョロチョロと動かす子と様々だ。ああ可愛い。

「猫って癒されるねぇ」
「しゃけ〜」

私と狗巻くんが膝を抱えるようにして観察を続けていると、母猫らしき三毛猫がとことこと子猫たちのもとにやってきた。どうやらお食事の時間らしい。
何か獲物を捕らえてきたことは容易に想像が出来たが、それが何かということは詮索しないでおこう。

「狗巻くんはごはんあげたりしてる?」
「…ツナマヨ」
「えっ…と、あ、こっそりってこと?」

ツナマヨ、の言葉とともに、狗巻くんは内緒と言わんばかりに口元へ人差し指を伸ばし、そのあと親指と人差し指をつかって「少し」を表現した。
こっそり、というのはどうやら正解らしく、また「しゃけ」と私の言葉を肯定した。

「猫ってなんであんなに癒されるんだろうね」
「こんぶ?」
「あ、確かに耳ふかふかしてて可愛い。あとは…鳴き声?」
「しゃけ!」

狗巻くんが頭上に両手で耳の形を表す。確かにうさぎしかり犬しかり、耳は大事なチャームポイントだ。私の鳴き声という意見も、無事認定されて追加された。

「疲れた時にさぁ、猫ちゃんがにゃーんって寄ってきたらそれだけで天国だよね」
「いくら!高菜!明太子!」

しゃけではなかったが、興奮している様子を見る限り肯定的な意見であることは間違いないようだ。
疲れには猫が効く。これは太古の昔から言い伝えられる真理である。大げさだけど。


翌日の夜八時、私は早朝から昼までの任務だったので、余裕をもって夕飯の準備を完了していた。
梅雨が明けて夏はこれから本番だ。このところ建人さんは少しお疲れ気味のようだし、つるっといただけるオクラとエノキのポン酢和えと、棒棒鶏にナスの焼き浸し。それからお豆腐のお味噌汁にした。
がちゃんと鍵が開く音がして、続いて「ただいま戻りました」と建人さんの声が聞こえる。
私はささっとエプロンを脱いで、廊下まで建人さんを出迎えに行った。

「建人さん、おかえりなさ…い…」

ああ、久しぶりに来てしまった。これは「建人さんスーパーお疲れモード」だ。
建人さんスーパーお疲れモードとは、年間二、三回発動する建人さんの疲労限界のお知らせである。
元々上がってはいない口角を見るからに下げ、眉間にぎっちりシワを寄せる。初めてこのモードを見たときは人でも殺してきたかと思った。いや本気で。
このモードはそれほどの悪人面になってしまう。

「建人さーん、はいはい、鞄もらいますね」

慣れたもので、もうこの悪人面に怖気づくことはない。私は建人さんの通勤鞄を取り上げると、背中を軽く押して洗面所へ連れていく。
手を洗い始めたのを見届けて、私は鞄を寝室の一角の所定の位置に置いた。
そうだ、狗巻くんと話した日にノリで買ったアレがある。クローゼットの奥から愉快なペンギンのキャラクターが描かれた黄色いビニール袋をがさごそと取り出す。

「疲れには猫が効くもんね」

私も建人さんほどではないけど任務続きで疲れていた。なので、正常な判断能力を失っていた。でなきゃそもそもこんなグッズ買ってないし、このタイミングで取り出そうともしなかっただろう。
取り出したカチューシャ状のヘアアクセサリーをすぽっと被り、位置を調整する。激安の殿堂で手に入れた猫耳である。
私はいそいそとリビングに戻り、洗面所から現れる建人さんを待ち構えた。
一分も経たないうちにリビングに続くドアが開かれる。ふふふ、来るぞ来るぞ!

「にゃーん」

ドアの向こうからサングラスを外した建人さんがリビングに足を踏み入れる、私は手を招き猫のように構え、おあつらえ向きに鳴き声を上げた。
ピシッと空気が固まる音がする。その音とともに、私の茹で上がった脳みそは一気にクールダウンされ、途端に冷静さを取り戻した。
眼前には呆気に取られて動きを止める建人さんがちょっと間抜けに口を開けている。

「な、なんちゃって…」

やばい、死ぬほどすべった。恥ずかしい。私は貝になりたい。
かぁっと顔に血が上って真っ赤になっていくのが自分でもよくわかる。数分前の自分、そして昨日の自分、なんでこれでいけると思ったんだ。

「け、建人さん…?」

未だ一言も発さない建人さんに窺うように声をかけると、ずんずんと迷いない歩調で私との距離をあっという間に詰めた。
え、うそ、この流れからのお説教はさすがに心が折れる。

「可愛いですね」
「…は?」

建人さんはそう言って、私の髪と安物の猫耳をいっしょくたにして撫でる。
重みのある手のひらが頭の上を何度も往復するのは心地が良かった。

「あ、あの…?」
「ナマエさんは猫なんですか?」
「えっ、まぁ今日は…」

スーパーお疲れモードの建人さんはだいたいIQが3くらいになる。いや、IQ3ってどんなふうか知らないけど。
建人さんらしからない支離滅裂な発言に、私は思わず肯定してしまった。

「では、思う存分撫でさせていただきます」

猫相手に、いや私相手になんだけど、建人さんはわざわざそう断って、今度は顎の下をくすぐるようにして撫でた。ん、ちょっとこれはこそばゆい。
それから指の背中で顎を撫でて、人間の耳のほうへ到達するとそのまま目尻を撫でた。

「ん、建人さん、くすぐったいです…」
「おや、猫はここを撫でると喜ぶはずなんですが…」

はて、といった様子で建人さんは引き続き私を撫でまわす。数分間ほとんど無言でそれが続いたあと、建人さんはふとソファに腰かけ、私にもそばに来るように隣をぽんぽんと叩いた。
私はおとなしくそれに従い、間抜けな猫耳を装着したまま建人さんのそばに座った。

「建人さん?」
「ナマエさん、ここに」

今度は自分の膝を叩く。えっ、と思ってる間に肩を引き寄せられ、頭をまるっと建人さんの膝に預けるような恰好になった。
建人さんの手がまた私の頭を撫でる。気持ちいい。
癒そうと思って始めたのに、私のほうが癒されている気がするなぁ。

「ナマエさんの髪は、触り心地がいいですね」
「ふふ、建人さん御用達のシャンプーとトリートメントのおかげです」

膝枕をしてもらうような体勢に羞恥はあるものの、このところ前述の通りの忙しさであまりゆっくりできる時間を取れていなかったから、私の頭に猫耳が付いていることさえ忘れてしまえば存外気分のいい時間だ。今ならゴロゴロ喉も鳴らせる気がする。

「建人さん、なにか私にできることありますか?」

膝の上から見上げるようにして言うと、建人さんがふむ、と少し考えるような動作をした。
それから私の後頭部と肩を支えて起き上がらせ、向かい合うような恰好に座りなおさせる。

「巷では、猫吸いというものが流行っているらしいです」
「えっ、あ、はい」

建人さんは私のみぞおちのあたりに顔をうずめるようにして抱きすくめ、すーはーと深呼吸を繰り返している。
いやいやいや、猫吸いに疲労回復効果があるのは私も全面的に同意するけど、それは猫を吸った場合に効果が期待できるのであって私を吸ったところで何の効果も期待できない。というか恥ずかしい。なんだこの体勢。

「けんとさん、猫じゃないので私を吸っても疲労回復効果は…」
「なに言ってるんですか、充分ですよ」

むくっと建人さんが顔を上げる。え、建人さんめっちゃ目ぇ据わってる。
そのままぐっと体重をかけられ、バランスを崩した私はぽすんとソファに押し倒されてしまった。

「建人さん…!って、あれ、寝てる…?」

こんな姿勢でどこか痛めてしまいそうだけど、あどけない顔で眠っている顔を見ると忍びなくて起こせない。
三十分だけこうしていよう。そしたら建人さんを起こして夕飯にしよう。今日は冷菜中心にしていて良かったかも。あったかい食べ物が冷めちゃうのを、建人さんはすごく嫌がるから。

「お疲れ様です、建人さん」

いつもよりあどけなく見える寝顔で心地よさそうに私に身を任せる建人さんの、細い金色の髪を三回梳く。おなかはちょっと重いけど、この重みをずっと感じていたいとも思う。
三十分後に建人さんを揺り起こすと、スーパーお疲れモードは解除されたようだった。
一連の甘えた行動を「忘れてください」と言って気恥ずかしそうに視線を逸らす。

建人さんも実は可愛いところがある。疲れたときにはこうやって子供みたいに甘える日もあるし、あどけない顔ですぅすぅと寝息を立てることもある。
だけどそれは私だけの秘密でいいのだ。

「建人さん、お夕飯にしましょうか」

だってこんな姿他の人に知られたら、私きっと嫉妬でどうにかなっちゃうもんね。

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