大人だって夏休み

私には悩みがある。
悩みの根は深く、この悩みは学生時代からずっと抱えているものだ。

「新田さんって、細くてスタイルいいですよね…」
「何言ってるんスか、ミョウジさんこそ引き締まっててかっこいいっすよ」

そう。体型のことである。

「いや、これは引き締まっているというかゴツいというか…」

呪術師である以上、相当変わった術式を持っているとかで無い限り、女性でもそこそこ鍛えているものだ。
呪力でパワーもスピードも強化できるとはいえ、それにだって限度がある。
基礎的なところを鍛え、それに呪力を上乗せしていくというのは、基本中の基本だ。
加えて、私の場合は術式が大きく関わってくる。私の術式は近接戦闘に特化している。呪力節約のために呪具を使うこともあるが、根本的には殴る蹴るがメインの戦い方だ。
学生時代は合気道からコマンドサンボまで、あらゆる格闘技をひと通りはやってきたし、基礎的な筋トレも未だ欠かさず続けている。
そんなことを続けている女性の体がどのようなことになるのか、お察しの通りである。

「職業柄しょうがないってわかってるんですけどねぇ」
「まぁ…肩幅とかは気になるッスよね」

そう、そうなのだ。
服を着ればある程度の体型はカバー出来る。幸いファッションは多様化し、様々な形の服が販売されているし、建人さんと並んで歩くというときにミニスカートってこともないからその辺は安心だ。
上半身の、しかも肩幅というのはその中でも案外厄介なものである。
まず肩幅にあわせると身幅が余って不恰好になるし、身幅にあわせるともちろん肩幅が入らない。そして妥協して肩幅にあわせた服を着るとアラ不思議。必要以上に上半身が大きく、つまり太って見えるのだ。

「でもスーツも結構厄介ッスよ。足の短さ誤魔化せないし窮屈だし」
「あー、確かに。スーツって誤魔化し効かないですよね」

その誤魔化しの効かないスーツで私の恋人はどうしてあんなに足が長く見えるのか。答えは簡単だ。根本的にスタイルが良いからである。

「七海さんがそんなこと気にするとは思えないッスけど、なんでまた急に?」
「…今度、プールに行くことになったんです…」

え!と新田さんが大きな声をあげた。私が新田さんでも同じ反応をしたと思う。
安請け合いしたときはプールという選択肢の意外性に気を取られ、水着を着なきゃならないことをすっかり忘れていた。

「新田さん…一生のお願いなんですけど、水着一緒に買いに行ってくれませんか」
「お安い御用ッスよ!ミョウジさん一生のお願いの安売りしすぎッス」

かくして、私は新田さんと水着を購入し、来たる日に備えたのだった。
そもそも、なぜプールなんぞに行くことになったかと言うと、話は一週間前に遡る。


私はリビングのソファに座り、アイスキャンディをしゃくしゃくと噛み砕いていた。

「うー、最近すっかり夏って感じですね」

季節は夏。けたたましく蝉が鳴き、蜃気楼がアスファルトから立ち昇る。
建人さんと私の家はクーラーをあまり使わない。私が変な冷房病等にならないようにとの建人さんの配慮である。

「そうですね。もう明日から8月ですか」

建人さんはアイスティーをひとくち含み、カレンダーを確認した。
そう。明日にはもう8月になってしまう。夏真っ盛り。お昼間の情報番組で連日海の特集がされている。
湘南の海では水着の女の子がインタビューを受け、どこそこから来ました、なんて受け答えをしていた。

「はぁ、涼しそう」
「行きますか、海」

私は目を何度かぱちぱち瞬かせた。今のは文脈的に、海水浴に行こうということだろう。建人さん人混み好きじゃないのに、意外だ。

「うーん。遠慮します。私、そんなに泳ぎ得意じゃないんですよ。それに日に焼けるとすぐ肌も真っ赤になっちゃって」

そうなのだ。日焼け止めを塗ってもこの頃の紫外線は凄まじく、私の皮膚はあまり強くは無いためにすぐ真っ赤になって、その上痛痒くてしかたなくなってしまう。海とは相性が悪い。

「ああ、ナマエさん敏感肌ですからね」
「そうですけど…なんか建人さんに知られてるって恥ずかしいですね」

私は、ほぼ毎日建人さんの手によってお風呂上りのスキンケアを施されている身である。しかも、それらは建人さんの厳しい目によって選ばれている基礎化粧品たちなので、私の肌にバッチリ合っている。
と、いうことは、私は建人さんに肌質をかなり正確に分析されているということなのだ。これって丸裸にされるより逆に恥ずかしい。
アイスキャンディーの最後の一口を放り込んで、とことことハズレと書かれた木の棒をキッチンのダストボックスに捨てに行く。
その間建人さんはなにやら考えている様子だった。

「プールに行きましょうか」
「え、プールですか?」
「はい。屋内なら日焼けの心配もありませんしね」

建人さん、そんなに泳ぎたかったのかなぁ。
このとき私はそんな暢気なことを考えていて、この人の前で水着姿にならなければいけないことなど、すっぽり頭の中から抜け落ちていたのだった。


お休みの被った二週間後。プールに行くとは聞いていたけれど、どことまでは聞いていなかった。
屋内って話だったし、まぁレジャープールじゃなさそうだな、とか、まさか公営プールの類でもないだろうな、とは予測していたけれど。

「建人さん、私たちプールに来たんですよね?」
「はい。そうですね」

建人さんの運転で連れてこられたのは、都内屈指の有名ホテルだった。
車を正面玄関に乗り付けると、ボーイさんがお辞儀をして私たちを迎えた。建人さんは慣れた様子で「バレットパーキングを」と言って車の鍵を預け、ボーイさんによって車がするする運ばれていった。私が呆気に取られていると、建人さんはこれまた慣れた様子で建物の中へ歩いていってしまうので、私はそれを慌てて追った。

「ここは39階にスパがあります」
「スパってプールでしたっけ…」
「ここは軽く遊泳できる施設もあるんですよ。人目が無いほうがアナタもリラックスできるでしょう」

それに、と建人さんが続ける。

「ナマエさんの水着姿を、他人に見せるのは惜しいですしね」

え!と思っているうちに建人さんはフロントのスタッフに声をかけ何事かスタッフと話したあと、エレベーターのほうへつま先を向ける。建人さんに視線で促され、二人揃ってエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターで39階まで昇ると、リン、と控えめな音で到着を知らせる。

水着なんてものを着るのは何年ぶりのことだろうか、と大げさに考えた。
高専には水泳の授業なんてものはない。加えて、学生時代に中学校の同級生と会う機会もなければ、猪野や術師の先輩と泳ぎに行くなんてイベントも発生しなかった。
多分中学三年生の夏以来の着用である。しかもそのときは学校指定のスクール水着だったから、ビキニと呼ばれるような水着を着るのは、生まれて初めてだった。

「この格好で本当に建人さんの前に出るのか…」

私は更衣室の鏡の前で溜め息をついた。新田さんと買い物をしていたときはテンションが上がってしまって「絶対このくらいダイタンな方がいいっすよ!」と背中を押されて購入を決めてしまったけれど、既に後悔をしている。
黒のアンダークロスのトップスで、ボトムスは同じ黒の少しハイウエストなもの。もうこんなん下着じゃん。とか思っても、今更引き返せない。私はしょうがなくスパの入り口に向かい、柱の影からこっそり建人さんの様子を窺った。

「あ、もういる…」

建人さんは膝の上くらいまでのボードショーツで、紺色の生地に独特な花のような模様が入ってる。建人さん結構柄物好きだよね…。
建人さんはデンマークのクォーターだけど、特別欧米が好きというわけでもなさそうだ。海外旅行に行きたいなんて話をするときは、大体真っ先にアジア方面の国名が出てくる。

「ナマエさん、着替え、終わったんですか」
「け、建人さん…お待たせしました」

暢気なことを考えていたら建人さんに見つかってしまい、私は敢え無く柱の影から這い出る。
お風呂でも、ベッドの上でも、何度も見たことがある建人さんの身体だけれど、日中のきらきら白い光のしたで見ると、異様な緊張を覚えた。
よく出来た西洋の彫刻のような肉体に、健全な昼間の光が影を与える。鍛え上げられた身体は硬く冷たそうに見えるけれど、本当は誰より温かく情熱的であること私は知っていた。

「似合ってます、水着」
「えっ、あ、ありがとうございます…」

ぼうっと建人さんのことを見ていたら、いつの間にか建人さんもじっと私を観察していた。顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしい。

「少しストレッチをしてから入りましょう」

建人さんの言葉に頷き、私はプールサイドで軽いストレッチをした。アキレス腱や腿の裏、肩に首に背中を順に伸ばしていく。
そういえば、スパには私たち以外誰もいない。平日の昼間だからお客さん少ないのかな。

すっかりほぐれた身体で、プールにつま先を浸す。私たちがちゃぷちゃぷ音を立てて階段を進めば、体温より少し低い水が肌をぼんやりと包む。気持ちいい。
ホテルのスパなんて初めて来た。大小様々な長方形の石を組み合わせた壁、プールサイドにしつらえられたデザイン性の高い曲線を持ったソファ。どこもかしこもモダンで上品な内装に仕立てられていて、まるで別世界だ。

「建人さん、気持ちいいですね」
「そうですね。このスパには久しぶりに来ましたが、眺めが良くて気に入っているんです」

私は建人さんの言葉を聞いて、彼の視線の先を辿る。窓の向こうには大手町のパノラマが広がっている。こっちは銀座方面のはずだ。銀座は建人さんとお付き合いをする前にデートをしたことがある町で、私は勝手に銀座を建人さんと私ゆかりの地ということにしている。

「よく来てたんですか?」
「そこまでの頻度ではありませんでしたが、会社勤めのときに」

それを聞いてものすごく納得した。新宿のエリート証券マンがこの高級ホテルのスパを利用する光景はさぞ絵になったことだろう。
その時ももしかして誰か女性と来たんだろうか。スパの作法はよくわからないけれど、レジャープールとかより色気があるというか、雰囲気があるというか。美人でスタイルのいいお姉さんに似合う空間だ。そんなところに建人さんがいたらーー。

「ナマエさん?」
「…なんでもないです」
「何でもないという顔には見えませんが」

建人さんは私のことなんてお見通しだ。いや、私がわかりやすいだけなのかもしれないけど。
つまらないことで変な空気にもしたくないし、もう言ってしまえ、と私は口を開いた。

「け、建人さん、ここに来てた頃はその…誰かと…?」

私の嫉妬丸出しの質問に、建人さんがふっと笑う。ちゃぷ、と音を立てて建人さんの手が水から取り出され、濡れた指が私の頬を撫でた。

「休みの日に一人で、です。デスクワーク中心だったので運動不足の解消とリフレッシュを兼ねて。まぁそんなことを出来る時期は短かったですが」

そっか、女の人とじゃなかったのか。私は建人さんの言葉に胸を撫で下ろす。建人さんは頬を撫でた指で私の髪をそっと梳いた。

「安心しましたか?」
「…安心しました」
「素直で結構」

建人さんはまた小さく笑って「少し泳ぎましょうか」と言った。泳ぐといってももちろん大げさなものではなく、建人さんが私の手を引き、ちゃぷちゃぷとふたり漂うみたいに水の中を浮遊する。
他のお客さんがいないから、私たちが泳いだ分だけの水の音が空間に反響した。

「私、プールって久しぶりに来たんですけど、やっぱりお風呂とかと違う気持ちよさですね」
「そうですね、全身にかかる水圧と浮力が心地いい。ナマエさん、学生時代はプールに出かけたりしなかったんですか?」
「そうですね。同期って猪野だけですし、女の子の知り合いって全然いなかったから機会がなくて」

学生時代は休みの日に猪野と遊ぶこともあったけれど、カラオケとかボーリングとかが多かった。プールって恋人同士か同性の友人としか行くイメージがなくて、そもそも選択肢に入っていなかったんだと思う。

「水着着たくないっていうのもありますしね」

ぽつんとそうこぼすと、「水着ですか?」と建人さんがちょっと不思議そうな顔をする。

「や、私、ゴツいじゃないですか…まぁ鍛えてますし、当たり前ですけど。なんで体型がモロに出ちゃう服装とかしたくなくて。だから水着なんてもってのほかですよ」

しかも水着で海水浴場などに行こうものなら、周りは一般人の女の子だらけだから、私の体格のよさがはっきり浮き彫りになる。想像しただけで最悪なシチュエーションだ。

「気にするほどではないのでは?」
「今は余計気にしますよ。だって建人さんの隣を歩いてるときに、すれ違う人から女の方は格闘家かなんかかって思われたら私立ち直れないです」

私は結構人の目を気にする。めちゃくちゃ気にする。こんなにカッコいい恋人がいて、気にするなというほうが無理だと思う。
だって建人さんは背が高くって足が長くてスタイルがいい。おまけに顔も100点満点中120点。いや。150点。200点かも。そんな人の隣で「お似合いだね」と言われる女性である自信はない。

「まぁ術師ですから、一般の女性に比べればよく鍛えられていると思いますが、私からすれば充分女性らしい体型だと思いますよ」

「それでは不満ですか?」と言って、建人さんは私の首から下を確認するように眺める。嬉しい言葉だけど、いや、そりゃ、何回も見られたことある、身分、とはいえ。こんなに明るいところでまじまじ見られるのは恥ずかしい。

「あ、あんまり見ないでください…」
「それは難しい相談ですね」

ふっと笑った建人さんがちゃぷんと動く気配がして、それからすぐに私の体は建人さんによって捕らえられてしまった。
逞しい腕が腰に回り、私の動きをいとも簡単に制限する。

「だ、誰か来たらーー!」
「ああ、ご心配なく。この時間は貸切にしていますので」

は!?か、貸切!?このスパを!?
どうりでお客さんがいないはずだ。ていうかこんな凄いスパを貸切っていくらするんだろう。私が気の遠くなる思いでいると、恐らくそれを察した建人さんが「そのあたりは気にしなくて結構です」と言った。

「私が、ナマエさんの水着姿を誰にも見せたくなかったんですよ」

建人さんの指が私の前髪を払い、顕になった額に唇を落とす。
貸切で誰も来ないからって、家でもないのにこんなことをする建人さんなんて珍しくって、建人さんも浮かれてるのかな、とちょっとだけ思う。そうならいいな。

「今日は泊まっていきましょう。ここのダイニングでは美味いフレンチが食べられるんです」

ぬるいプールの水がぴちゃんと音を立てた。建人さん越しに東京のパノラマビューが広がる。
プールが光を反射して、建人さんの静脈が透けてしまうような、白い肉体を照らした。
こんな素敵な場所でこんな素敵な人をひとりじめ出来るなんて、全く贅沢なことだ。

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