ふたりでお食事カスクート編

私は新宿に足を運んだ。
このへんに七海さんの勤めていた会社があったらしい。これは五条さんから聞きだしたことで、情報源が五条さんというのはトップシークレット。
カスクートというサンドウィッチが一番好きなのだと、七海さんにこの前聞いた。サンドウィッチはどれもサンドウィッチだろうという程度の認識しかなかった私がもちろんカスクートを知るわけがなく、ネットでこそこそと調べた。
一時期はコンビニに置いたりもしていたらしいけれど、今はあまりどこも置いていないらしい。七海さんがどんなお店のどんなカスクートが好きだったのか知りたいけど、本人はなんとなく聞きづらい。
私は七海さんとプライベートで食事する間柄になった。だからといって、脈があるかといわれるとそれは違う。

「会社の昼休憩によく買いに行ってたって聞いたことあるよ」

これは五条さんの言葉である。
真偽の程は定かではないけれど、今は特に他のあてもないのだから、参考にしてみるのもいいだろうというわけで、私は新宿まで足を伸ばしたのだった。

「とは言ってもなぁ」

ちょっと流石にストーカーっぽい。と、新宿駅で電車を降りたあたりで気づいていた。
いや本当に、好きな人の好きなものだからってわざわざ探し歩いてしかも元職場の近くまで足を伸ばすのはどうかと思う。
私の中の天使が「やめなさい、ストーカーは犯罪ですよ」と囁き、悪魔が「このくらいストーカーでもなんでもないだろ!」と囁く。
善悪の天秤がシーソーゲームをして、私の歩みを遅くした。善悪の天秤は言いすぎか。

「まぁ…実際七海さんが行ってたパン屋さんかどうかなんてわからないわけだし」

そうだそうだ、と悪魔は私に加勢をした。
新宿駅から人混みをかわしながらしばらく歩き、ふと上を見ると切り取ったように空が狭かった。太陽光をビル群が反射し、自然光さえ必要以上にまばゆく感じさせる。
七海さんはこんなところで働いていたのか。
一般企業に就職しようと考えたこともなかった私には、呪術界よりこちらのほうがよっぽど異世界のように思える。

私はしばらくオフィス街をうろうろ歩き、道路に面した一軒のパン屋さんのドアを開けた。カランカランと軽やかなドアベルの音がする。
店内には焼きたてのパンの香ばしくて優しいにおいが漂っていた。
そう広くはない店舗のなかにたくさんの種類のパンが並べられている。

「カスクート…カスクート…あ、あった」

慎重に商品名の書かれた札を端から眺め、惣菜パンの整列するところにそれを見つけた。
このお店のものは長さ30センチ弱のバゲットににハムとチーズが挟んであるようだ。私はカスクートをトングでふたつ取ってトレイに乗せる。
ついでに何か美味しそうなパンがあれば買っていこう。せっかくここまで来たのに戦利品がカスクートだけはちょっと寂しい。
私はシナモンロールと明太子フランスを追加し、レジに向かう。パン屋さんの制服の帽子が赤くて可愛かった。


その足で私は高専に向かい、敷地のはずれにあるベンチに座って紙の袋の中身を覗いた。
ひょっとして七海さんと食べれたらいいなと思わずカスクートをふたつ買ってしまったが、七海さんが今日来ているかどうかは知らない。さてどうしよう。
これが七海さんの好物か、とへんに神妙な気持ちでその姿かたちを観察した。
美味しそうだけど、なんというか、シンプルだ。七海さんってグルメだし、もっと凝ったものを好きなイメージが勝手にあったから意外。

「あれ、ミョウジじゃん」
「あ、五条さん。お疲れ様です」

声の方を見上げると、いつもの怪しい目隠し包帯姿の五条さんが立っていた。

「五条さん、シナモンロール食べますか?」
「なに?くれんの?」
「はい。この前の七海さん情報の賄賂です」

そう言ってビニールに包まれたシナモンロールをがさがさ取り出して渡すと、五条さんは私の隣に腰掛けてぺりぺり包装を剥がしていく。この人恐ろしく足長いな。
いや、七海さんも五条さんにまったく引けを取らないスタイルの良さだと思うけど、こんなに五条さんだと足の長さが目立つのは何でだろう。足癖の悪さ?

「美味いね。これどこの?」
「新宿のパン屋さんです」
「ああ、行ったの、新宿」

はい。と答えて、急に居心地が悪くなった。やっぱりストーカーっぽかったかなぁ。
五条さんは特に他意がなかったのか、機嫌よくシナモンロールを食べすすめている。
私は、聞くなら今しかないか、と意を決して口を開いた。

「…五条さんなら、本気でお付き合いしたい女の子とどんなところに行きます?」
「ラブホかな」
「真面目に」

えぇ、ミョウジノリ悪ぅ。と言って五条さんが手をひらひらさせた。遊びで聞いてるんじゃないんだ、こっちは。
そういえば、七海さんと食事に行くようになって、どうしてだか五条さんと話すことも増えたせいで、この人を前ほど怖いと思わなくなったな。

「うーん。そんな子がいたことないから仮定になるけど、まぁ無難に相手の好物かなぁ」
「す、好き嫌いがない場合は…?例えば…例えばですけど、お寿司屋さんってどのくらいの本気度ですか…?」
「やけに積極的に聞くじゃん。なに、七海と寿司屋でも行った?」

ぐっと私は押し黙ってしまった。ここで押し黙ったら肯定しているようなものだというのもわかっていたのに、とにかく言葉が出てこなかった。

「店当ててあげるよ、銀座のみさきやでしょ」
「えっ、なんでそれを!?」
「やっぱ行ったんだ」

うっ。ぐぅの音も出ないとはこのことだ。
いや、どうせ七海さんの勤めていた会社のことを聞いたりしているのだから、私が七海さんのことが好きだなんてこの人にはバレてしまっているのだろうけど。
五条さんはふーん、と言って、ベンチの隣で私を見下ろす。

「それは結構本気のやつだと思うよ」
「……いやいやいや、まさかそんな…いやいやいや…」

私は必要以上に手を左右に振ってそんなことはありえないと主張する。そう、そりゃそうだ。まさか七海さんが私のこと良く思ってくれているはずがない。
七海さんは大人でかっこよくて強くて優しい。私のような平凡な女を好きになってくれるわけがない。
私がいくら七海さんを好きでいたって、その逆はありえない。そりゃあ、あればいいとは、思うけど…。

「七海さんと私じゃ、釣り合わないですよ…」
「…それを決めるのは、七海なんじゃない?」

じんと、どこか静かな声だった。
優しいとさえ感じさせる声音にはっとして五条さんを見上げても、目元にはいつも通り包帯が巻かれていてその表情を窺うことはできない。

「ごじょ…さん…」
「七海がミョウジとデキたらイジるネタも増えるし。まー頑張ってよ」

ひらっと手を挙げて、五条さんはすぐにいつもの雰囲気に戻ってしまう。
その言葉の裏に何か隠されていたようにも感じたけれど、今の私には教えてくれそうにない。

「五条さんって、意外といい人ですね」
「なに、今更気づいたの?」

五条さんは口をにっと三日月形にする。いつもなら今度はどんな無理難題を押し付けられるのかとヒヤヒヤするのに、今日は不思議とそんな気持ちにはならなかった。
シナモンロールのビニールごみを私に手渡し、ちょっとそこで待ってて、と言って立ち上がると、そのまま校舎の方向へ歩いていってしまった。

「結構本気、かぁ…」

始めは任務のあとに食事に連れて行って貰うだけだったけれど、そのうちに休日でも誘ってくれるようになった。この前お寿司屋さんに連れて行ってもらったあとは、美術館に誘ってくれた。
七海さんと過ごす時間は心地いい。新しいことを教えてもらうのは楽しいし、色んなものを吟味しているところはかっこいいと思う。
通った鼻筋、細められる目。その奥に覗くきれいないろの瞳。思い浮かべるだけでどきどきしてしまう。

「…七海さん」
「はい」

ぽつりと零れただけの言葉に返事があり、私は「え!?」という言葉と共に勢いよく顔を上げる。
そこにはいつも通りのスーツ姿の七海さんがいて、どうしてだか少し息を切らしているようだった。

「五条さんから、ここにミョウジさんがいると聞いたものですから」

ちょっとそこで待っててって、そういうこと!?
七海さんが今日高専に来てるならちゃんと教えてほしかった。わ、どうしよう、どうしよう。

「か!カスクート!!」
「はい?」
「カスクートを買ってみたんです!あの、よかったら、一緒に食べません…か…」

勢いよく滑り出した言葉は尻すぼみになり、最後はハテナマークをつける気力もなくなってしまった。
ああ、ダメだ。七海さんを目の前にすると上手に話せない。べつに始めはそんなことなかったのに、恋って怖い。

「…ぜひ」
「えっ、あっ、いいんですか?」
「もちろんです。向こうの自販機で飲み物を買いましょう」

ふっと七海さんは口元を緩めて、少し離れた場所にある自販機を指差した。
私はギクシャクした動きのまま立ち上がり、七海さんの隣に並ぶ。七海さんは、歩くときいつも歩幅をあわせてくれる。それが嬉しくて、もっと一緒に歩いていたいと思ってしまって、私はついつい普段よりもゆっくり歩く。

自販機までたどり着くと、私がお財布を出す暇もなく七海さんがお金を入れて「何にしますか」と聞いてくれた。
私はお言葉に甘えることにしてお茶を買ってもらう。七海さんはそのまま自分用のコーヒーを買って、私たちは自販機の隣のベンチに座った。

「いただきます」

ビニールの包装を剥がし、カスクートに精一杯の口を開けてぱくりとかぶりつく。
バゲットはパリッと香ばしく、レタスはシャキシャキでハムとチーズは濃厚な味わいだ。
見た目に反して複雑な味なんだな、と考えながらもう一口を齧り、横目で七海さんを見上げると、私よりも大きい口はカスクートを食べるのにも苦労しないらしく、なめらかな動きでそれを咀嚼している。

「美味しいです」
「それは良かった」

カスクート。七海さんの好物。
好きな人の好きなものをこうやって隣で食べられるなんて幸せだ。

「よく見つけてきましたね、カスクート。パン屋に行ったんですか?」
「えっ、あの…七海さんが好きだって言ってたの聞いてから気になってて…私も食べてみたいと、思って」

尋ねられて、改めて口にするとだいぶ恥ずかしい。
こんなの、意識してますって言っちゃってるようなものじゃないか、と思って、居た堪れなくなった私はもぐもぐとカスクートを食べすすめる。美味しい。
最後の一口をよく噛んで飲み込んで、お茶のペットボトルを両手で握る。
意識してますって言っちゃってるようなものなら、言ってしまえばいいじゃないか、と脳裏にそんな考えが過ぎり、私は一口お茶を飲むと意を決して口を開いた。

「あ、あの…七海さんは、どうして私を食事に誘ってくれるんですか」

ダメだ。卑怯だ、こんな聞き方は。
好きだって、ちゃんと言わなきゃ、不誠実だ。
私はハッとして自分の言葉を上書きするように声を出すと、その声は七海さんによって遮られた。

「七海さん、私、実はーー」
「ずっと…」

見上げた七海さんは私をじっと見下ろし、何か躊躇ったような素振りのあとに言葉を続ける。

「ずっとアナタを口説いていたんですが、わかり辛かったですか」

え、なに、今なんて?
七海さんは私に向き合うように体の向きを直したので、私も思わずそれに倣って向かい合った。カウンター席で隣に並ぶよりよっぽど距離はあるはずなのに、それより何十倍も何百倍も緊張する。

「ミョウジさん、好きです。私と、お付き合いをしてください」
「うそ…」

うそ、うそ、七海さんが、私を?
七海さんはサングラスを外し、私の手に大きな手を重ねる。反対の手でペットボトルが取り去られてしまい、手持ち無沙汰になってしまった私の指をそっと握った。

「こんなことで嘘をつくほど、人間腐ってません」
「あっ、いや、違くて…まさか七海さんが思ってくれてるなんて…考えても、なくて…」

捕らえられた指から痺れてしまう。
私は反射的に俯き、絡められた指と指との境界線をじっと見つめる。
男のひとらしい大きい手。綺麗だけど、ごつごつして、硬い。この手が、もしも私のものになったらなんて、どれだけ夢見ただろう。

「私も、七海さんが、好き…です」

言葉にすると、唇が震えて思うように声が出ない。
そろりと見上げた先の七海さんは穏やかな顔をしていて、私はたまらなくなった。太陽の光が七海さんのきんいろの髪を透かし、きらきらと輝かせている。

「…ミョウジさんの指は、美しいですね」

絡んだ指がそのまま私の手のひら全体を包み込み、確かな力で掌握される。
まるで繋いだ手のひらが世界の中心みたいな、そんな気分だ。

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