超常現象相談所 04


南極骨董店はハブ駅である神威駅からふたつ私鉄で移動した鈍行しか停まらない駅に所在している。周囲は閑静な住宅街であり、とくに名所らしい名所もない。スーパーやドラッグストア、個人経営の病院など生活に必要なものは一通りあるけれど、逆に住民でなければ立ち寄ることもないだろう場所だった。
胡散臭くていかがわしいという念は拭えないものの、なんだかここまで縁のようなものを感じて結局彼女に一度見てもらうことにした。解決するかは分からないけれど、彼女はどうにも悪人のように見えない。

「あ、このびいどろの器!きれいですねぇ」
「ああ、それは一年くらい前に持ち込まれたものなんです。1979年に作られたびいどろの中でも初期の作品なんだとか」

骨董は製造された時点から100年以上経過していることが定義のひとつである。だから正確には骨董とは呼べない。しかしこれも例のごとく鶴見が持ち込んだものであり、それを骨董店に並べるか否かというのは月島が口出しできる問題ではなかった。

「ふんふん、なるほどなるほど…」

ナマエはじぃっと津軽びいどろの器を観察する。何がそんなに気になるのか。ナマエの観察を待っていたら、眺めるために倒していた上体を一分程度で起こして彼女は月島に向き直った。

「これ、憑いてますね」
「ついてる…?」
「はい。河童…というか水神様の類いかな?悪いものではないですよ!」

いや、良いとか悪いとかそれ以前の問題だろう。いわく、津軽地方には河童を束ねている水神様という概念があり、この器にはその念のようなものが宿っているらしい。河童を水難事故の要因であると考え、それらに神格を与えることで祟りを鎮めるという信仰に発展していったのだそうだ。

「これにそれが憑いてると…」
「まぁ本体ではないですけど」
「はぁ…」

本体とかそうではないとかそういう問題ではないと思うが、彼女が落ち着き払って当たり前のように言うから突っ込むタイミングを見失った。自分には視えないものが視えている。非現実的なことがあまりにも普通の顔をしてそこに立っているような気分になった。

「ここは、不思議なものがたくさんありますね」
「…ここにあるものって、その…そういう物が多いんですか?」

店主であるはずの自分が尋ねるには間抜けな言い方だった。数年とはいえ店の管理をしているはずの自分が今日初めて店を訪れた彼女のこんなことを聞くなんて滑稽な図である。しかし、もしも鶴見が持ってくる古今東西の品物の共通点があるとするなら、それは多分自分には分からないものなのだろうという予感があった。

「そうですね。特別なお品物ばかりだと思います。月島さんが集められたんですか?」
「いえ、そういうのは俺の領分ではなくて…」
「そうなんですか。じゃあ何かの偶然なのかなぁ」

偶然ではないと思う。ここには鶴見が持ち込んだものが山ほどあるのだ。いままでその理由を詮索したことはなかった。ナマエはまた棚に視線を戻す。この骨董店の摩訶不思議な商品というのは、彼女の興味を引くにはあまりあるようだ。

「あ、ごめんなさい、じろじろと。それでえーっと、鏡っていうのはどちらですか?」
「そこです。うっかり姿を映してしまわないように裏向きにしてあります」
「わー、すんごい綺麗…この鳥はオシドリですかねぇ…」

ナマエは鏡のふちに描かれているモチーフを眺めながらぶつぶつと口にした。月島にとっては「鳥が彫ってあるなんて変わってるな」としか思わなかったが、ナマエの視点からはまた別のものが視えてくるのか。

「触ってみてもいいですか?あ、自前の手袋はめますので」
「ええ、どうぞ」

ナマエは鞄の中から手袋を取り出して装着し、慎重に鏡を持ち上げる。時間的にはまだ例の逢魔が時とは程遠いのだけれど、何となく彼女が鏡を覗き込んでいるとソワソワしてしまう。ナマエは鏡をくるくる回しながらありとあらゆる方向から観察し、鏡を元の場所に戻した。

「月島さんの不調の原因、コレですね」
「コレですか…」
「はい。コレです」

ナマエには一体何が視えたんだろうか。鏡を目の前に原因だと言われても、正直実感は湧いてこない。だって自分には何も視えないのだ。追い詰められてうっかり超常現象相談所なんていかがわしいところに頼ってしまったが、非現実的なことすぎてまるでテーマパークのツアーにでも参加しているような気分だ。

「えーっと、これをなんか引き取ってもらうとか、そういう対応になるんですか?」
「うーん、骨董店から出すのは危険ですねぇ」
「え、なんでです?」
「この骨董店に境界が引かれているからです」

境界?とそのまま言葉尻を繰り返して聞くと、ナマエはどこから説明したものかとでもいうように首をひねる。しばらくしてようやく口を開いた。

「境界という概念は、内側と外側を分けるものです。怨霊や怪異は案外決まりごとに従順なんですけど、境界を超えられないというのはその最たるものなんです。招かれなければ内側に入れないとか、逆に自分の領域の外では自分の力を発揮できないとか……えーっと、そうだなぁ。結界と言うともう少しイメージが湧きますかね?」

ナマエがなるべく一般人にも分かるようにと言葉を噛み砕いて説明をした。結界という言葉ならまだ想像しやすい。もっとも、それもどうせフィクションの世界の話に過ぎないけれども。

「先ほども言いましたが、この骨董店に強い境界が引かれています。簡単に言うと、骨董店の中に所在する間は怪異や怨霊のちからを限りなく抑える効果があるんですよ」

そんなものが南極骨董店に引かれていたというのか。もちろん月島はそんなことは知らなかった。この骨董店にいわく付きの物が大量にあるというのなら、きっとその境界とやらも先代のときからあったものに違いない。そしてあの鶴見がそれを知らないわけがない。

「境界の内側にある間はまだ安全だと思いますが、不用意に外に出したら鏡が本来の力を発揮してしまいかねないと思います」
「え、じゃあこのまま骨董店に置いとくしかないってことですか?」
「はい。骨董店の境界の内側で対処しようと思います」

対処。と彼女の言葉尻を繰り返す。対処といってもどんなものをするのか想像が難しい。そのまま「対処って何するんです?」と言えば、ナマエが自信満々に口角を上げた。

「この鏡に憑いてる怨霊を祓います!」
「はらう…というとお祓い的なアレですか?」
「そうですね、お祓い的なアレです!」

超常現象相談所というのはそういう悪霊退治も仕事なのか。そういえばお清めだなんだと言っていた気もするし、お祓いはその延長戦にありそうだ。いや、というか本気でお祓いなんかするのか。ナマエは悪い人間にも見えないし、自分の頭の中にある疑いをそのまま口にしてしまうのも憚られる。どう言葉にすればいいのかと決めあぐねているうちに彷徨った視線がナマエに辿り着き、目が合ってにっこりと笑われた。

「安心してください、初回!無料です!!」

その初回無料をやたら強調する姿勢は一体何なんだろう。まぁここまで招き入れてしまっているのだし、それもこれも今更のことかもしれない。ナマエは「さぁどんとこい」とばかりの態度であり、一度任せてみてもいいかもしれないという考えがよぎった。

「……じゃあ、お願いします」

ナマエはパァッと表情を明るくして、少し前のめりになりながら「はい、承りました!」と大きく返事をした。ここまで来たら行き切るしかないだろう。ナマエは鏡をまた観察し、数珠を通した手を構えてから口元でぼそぼそと何事かを呟く。身動きさえ出来ないほど空気が冷たくなるのを感じる。数分間そうして鏡と対話をしたのち、ナマエが顔を上げた。不思議なもので、顔を上げたその瞬間から固まった空気が溶けていくようだ。

「んー…これ思ったより深刻かも……そうだなぁ、護符がないと危ないかな…」
「え、そうなんですか…?」
「確実に祓うためにも護符を用いた方法で対処した方が良さそうです。帰って早速必要なものを揃えてきますので、明日また伺ってもいいですか?」
「それは構いませんけど…それまでこの鏡はどうしておけばいいですか?」
「このまま裏向きで安置しておいて下さい。このお店の境界の中であれば、大した悪さは出来ないはずです」

ジッと鏡を見る。ただの美しいアンティークの鏡だと思っていたのに、危険な代物だと言われると途端におどろおどろしいものに感じられてしまった。ナマエは明日まで念のため鏡には触れないこと、決して自分の姿を映さないこと、鏡に問いかけられても絶対に受け答えをしないことを強く言いつけ、今日のところは事務所へと戻っていった。

「…いや、鏡に問いかけられてもって……」

そんなデタラメな話があるか。そう思う反面、今日までの不可解な現象やナマエの話のことを考えると全否定できないのが悩ましいところだ。ちろりと横目で鏡を見る。差し込む太陽光できらりと銀のふちが輝いていた。


多少緊張したものの、その日の逢魔が時にも何も起こらなかった。明日祓うと言ってくれているのだし、無闇に危険に身をさらすこともないだろうと思って食事は買い置きの食材で済ませた。

「……神威超常現象相談所…」

ほんの興味本位で、その名前を検索した。検索結果は散々だ。悪い評判さえ書かれないレベルで知名度がない。まぁあんな雑居ビルで細々とやっているのだから妥当と言えるのかもしれないが。
その夜はなんとなく眠れなくて、せんべいみたいにぺたんこになった布団に横たわったままジッと天井を見上げていた。霊感なんて微塵もないし、ホラー映画もお化け屋敷も怖いと思うタチではない。なのにここ数日の奇妙な偶然には何か違和感を抱いた。「本物」というのはやはりそうして分からせるような側面があるものなのだろうか。

「びいどろにもなんか憑いてるって言ってたしな…」

鶴見はどうして珍品をここへ集めているんだろう。鶴見篤四郎という男は恐ろしいほど様々なことに精通し、またあらゆるものを手のひらの上でコントロールしている。自分のその劇場で躍るひとりだ。

「はぁ…鶴見さんはなんでそんなもんをここに集めてるんだろうな…」

彼女はここに境界が引かれているといっていた。そんなものの内側に自分が暮らしているなんて思いもよらなかった。これらが真実であるとすれば、鶴見は何を知っているんだろう。それを自分が知りたいのか、それとも知りたくないのか、自分でもよくわからなかった。
一時間と半分くらい布団に入っていたのに眠りに落ちることが出来ず、月島はむくりと起き上がると水を飲むために台所へ向かった。

「はぁ…眠れん……」

自分が思っている以上に今日の出来事は刺激的だったらしい。ナマエが帰って何時間も経つというのに、どうにも昼間の出来事が頭の中を占領して神経を刺激していた。
冷凍庫から氷を四つコップに入れ、水道水をそこに注いでキンキンに冷やす。眠れないときに冷水を飲むのが良いことかどうかは知らないが、冷たい水の方がなんだかすっきりするような気がした。喉を通る冷たいものを感じながら、数歩台所から移動して店内へと続く通路にかかる暖簾を見つめた。この視線の先にある品物の数々は、みなそれぞれに事情を抱えている。妙なことだ。物なのに事情を抱えているだなんて。

「ん?なんだこれ…」

不意に、柱と壁の隙間のような場所から紙切れの端が覗いていることに気がついた。レシートでも挟まったかと思ってぐっと引っ張ったが、思いのほかしっかりと挟まっていたために覗いていた部分だけがビリッと破れる。そのときだった。
風もないはずなのに、暖簾がゆらっと動く。見間違いかと思って目を凝らしたけれど、やっぱりひらひら動いている。一歩、二歩、三歩。ゆっくりと近づくと、あと1メートル程となったところで勢いよく風が吹く。

「なんッ…」

暖簾が大きくめくり上がり、なにか見えない質量がドッと押し寄せる。地についていた足が何かに掬われ、転んで尻もちをついた。冷水の残っていたコップが床に落ち、割れはしなかったけれど水がこぼれて床と壁が濡れる。

『おあえいああい…おあえいああい…おあえいああい』

呪文のような言葉が聞こえる。女の声だ。年老いているのか若いのかはいまいちよくわからない。

「なんなんだ、これは」

ずるり。月島の目の前に長い黒髪の人影が立ちはだかった。長い髪の女がずるずると月島に這い寄る。白い着物を着ていて、顔はぼやけて確認できない。いや、きっと見ない方がいいんだろう。そんな予感がした。ずるりと月島の方へと這い寄り手が伸ばされる。咄嗟に手で自分を庇ったが、こんなものは無意味なのかもしれない。

「くそ…これが鏡に憑いてるって怨霊か……」

口から苦くこぼれ落ちた。境界とやらの影響で悪さは出来ないと言っていなかったか。そう思考しているうちに伸びてきた手は更に月島に迫り、上から押さえつけるようにして月島の身体をすり抜ける。感覚はない。ほんの少し風が通ったように感じられただけだ。

「すり抜けッ…」

ガタンと大きな音が長い髪の女の向こうから聞こえてきて、それと同時にまた『おあえいああい…おあえいああい…おあえいああい』と呪文が唱えられる。いや、呪文というよりも言葉のようだ。

『おあえいああい…おあえいああい…おあえいああい…おあえいああい…おあえいああい』

鳴き声はどんどん大きくなっていく。『おあえいああい』と繰り返されるばかりでなんと言っているのかわからなかった。ガタガタと戸が揺れる。もう心霊現象のひとつなのか単なる風鳴りなのかも判別がつかない。

「くそ…なんなんだ…」

風が吹き抜ける。月島の意識がそこでぷつりと途絶えた。




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