超常現象相談所 03


ナマエは神威超常現象相談所の事務所の一角で暮らしている。2DKの古い間取りにスペースはほとんどないも同然だけれど、事務所の奥のひと部屋にあれこれと荷物を詰め込んでなんとかしているという具合だった。金がないから、アパートを借りようにもどうしようもない。

「さぁて、今日も内職内職!」

超常現象相談所の稼ぎははっきり言ってあてにならない。件数も少ないし、不安定でとてもじゃないが頼りに出来ないのだ。生活費や維持費はもっぱら副業でなんとかしていた。在宅で出来る仕事を掛け持ちしていて、今日もそのひとつである編集の下請けの仕事をこなしていた。
ある程度事務仕事が片付いてきた昼過ぎ、昼食の食材でも調達しようとドアを開けると、珍しく扉の前に来客があった。

「あっ、このまえのお兄さん!」
「……どうも…」

顔は相変わらず黒い靄で見えないが、先日第七町で出くわした男である。戸惑う彼を「どうぞどうぞ」と中に招き入れた。玄関先で少し躊躇ってはいたけれど、数秒待っていると腹が決まったとばかりに敷居を跨いだ。
ダイニングと部屋のひとつを繋げて事務所として使っている。せせこましい空間にひとり掛けソファがふたつとその真ん中にテーブル、壁際に木製のキャビネットを揃え、隅っこに金庫が置いてある。これが相談所の殆ど全貌である。

「こちらにどうぞ!いまお茶を淹れますね!」

一応中は土足禁止にしているから、彼にスリッパを勧める。彼は靴を脱ぎ、床に敷いたタイルカーペットの上を少し気だるげに移動した。彼がソファに座るのを横目に部屋の隅にあるキッチンに立ち、やかんで湯を沸かしてあたたかい緑茶を用意する。

「どうぞー」
「はぁ、どうも…」
「ここに来て下さったってことは、しんどくなってきちゃいましたか?」

黒い靄は確実に濃くなっている。その靄が右肩まで及んでいて、多分これはかなり重いだろうと推測することが出来た。彼が何と言うか待っていると「あの、あなたがここの所長さんなんですか」と当然の疑問が飛び出てきた。そうだ、まだ名乗っていなかった。

「あっ!申し遅れました。私、神威超常現象相談所の所長をしておりますミョウジナマエといいます」

ナマエは身分の証明にと自分の名刺をテーブルの上に乗せる。初回アンケートを記入してもらおうとキャビネットからA4サイズの紙とボールペンを取り出し、それを彼の前に「書ける範囲で大丈夫なんで、ご記入お願いします」とそっと差し出した。

「症状はいつからですか?」
「えーと、数日前からですね。日に日に悪くなっているというか…」
「失礼ですが、ご家族とか同居されている方はいらっしゃいますか?」
「いえ、ひとり暮らしです」
「ふんふん、なるほどなるほど…じゃあ本人の知らない場所でどっかから貰ったわけでもないのかぁ」

ナマエは彼に質問をして情報を繋ぎ合わせるよう試みる。彼にはあまり霊感の類いがあるようには見えない。それがどうしてこんなものに憑かれているのか。ナマエがあれこれ思考しているうちに男がボールペンを手に取った。
アンケート内容は氏名、生年月日、連絡先、職業、出身地、家族構成、人間関係の困りごと、いつからどんな症状が出ているのか、それについて思い当たることはあるかなど、一般的な店では聞かれることがないだろう事柄が並んでいる。

「あの、一応これで」
「はい、ありがとうございます。自営業とのことですが、具体的に何をされてるかお伺いできますか?」
「骨董店です」
「えっ!骨董店!?めちゃくちゃ素敵ですね!」

一瞬前のめりになってしまって、咳ばらいをして仕事モードを取り戻す。それにしても骨董店か。彼に出会ったのは第七町だ。そして第七町で見た骨董店といえばあの怪しげな空気をまとう「南極骨董店」があった場所である。

「んんんっ…失礼しました。えーっと、症状を自覚される前になにか普段と違うようなことはありましたか?」
「あー、その…あるにはあった…んですが…」
「言い辛いことでもどうぞお気兼ねなく。ここは超常現象相談所ですから、どんな相談が来たって驚きません」

口籠っている月島を後押しするように声をかける。まぁことによっては驚くときは驚くだろうけれども、それをおかしなことだ非科学的だと笑うことは決してない。月島は逡巡したあと、絞り出すように声を発した。

「…鏡を、見たんです」
「鏡、ですか」
「はい。綺麗な銀の装飾が施されているもので、とある人物から預かったんですが、逢魔が時に自分の姿を映してはいけないと言われていて…」

いわく、鳥のモチーフが彫られた美しい鏡であり、遺産の整理のために持ち込まれたものなのだという。持ち込んだのは月島の恩人であり、前の店主の知人でもあったらしい。そして地震のあった日に丁度夕方に鏡のから拭きをしていて、他の商品の無事を確認したあと、見てはいけないと言われている鏡をうっかり見てしまったというのだ。

「最初は大した問題じゃありませんでした。シャワーがお湯にならないとか買ったばかりの家電がすぐに壊れたとか、生活の中にありふれたものだったんですけど、そのうちプランターが上から落ちてきたり、普段はさほど交通量もないところでバイクに突っ込まれて事故りかけたりして…」
「それが数日間で立て続けにってことですよね?」
「ええ、まぁ。もともとそういうオカルト的なものは信じないタチなんですけど、なんか引っかかってしまって」

数日前の地震の日といえば、ナマエが失せもの探しに第七町へ行った当日である。随分な黒い靄をくっつけている男だと思ったが、あれは増長したわけでなくて初期状態ということか。ならば月島に憑いているのは相当のものである可能性がある。

「その鏡というのは、どういう代物か聞いていらっしゃいますか?」
「いえ、さる屋敷のご主人の遺品整理で出てきたと聞いただけです。他には逢魔が時に自分の姿を映してはいけないと言われたのですが、もともとよくわからないものを持ってくる方ですから、大して気にしませんでした」
「そうですか…うーん、鏡を媒介にしてるのかな…それとも鏡のせいで他のが活性化してるのか…」

ぶつぶつと口元を動かす。出だしは大したことがないのかもしれないが、話をする限りでも彼自身に憑りついているものを見ていてもこのまま放っておけば生死にかかわる事態に発展するのは目に見えている。

「あの、超常現象相談所って具体的に何をする場所なんですか」

ふと、月島がそう尋ねた。まぁこういう世界とは無縁の一般人からすれば想像もつかないだろう。ナマエはなるべく噛み砕いて業務内容を説明した。

「読んで字のごとしです。常識からは通常考えられない事象に困っている方の手助けをしています。簡単に言えば怪奇現象が本当なのか人間の悪戯なのか否かを調査したり、お清めとか事故物件の調査とか、とにかくまぁ、煩雑なかんじですね」

オカルトよりの何でも屋、というのが現状の正確な評価かもしれない。小説やドラマで連想されるような派手な仕事は殆どない。月島の方を見れば、明からさまに「胡散臭い」と顔に書いてあった。

「あっ、月島さんいま胡散臭いって思いましたね?」
「あー、いや、別にそんなことは…」
「いーえいま絶対胡散臭いって思った顔してましたよ!」

思わずとばかりに身を乗り出す。こう思われるのは日常茶飯事である。しかしまぁ、命がかかるかもしれないような怨霊の話を信用できるかどうかも分からないこんなところに預けてくれているのだ。もっと胡散臭いと思われてしまうかもしれないが、彼には話しておくべきだろう。ナマエは上体を元に戻す。

「──私、視えるんです」
「……みえる…?」
「ええ、いわゆる、この世ならざるものが」

ナマエはゆらりと右腕を持ち上げる。指先にそっと霊力を集めてみたけれど、月島の視線は動かなかった。やっぱり彼には毛ほども霊感がない。そのうえなんだか芝居がかって嘘くさいな、と思っているのが顔に出ていたから「ちょっと、聞いてます!?」とツッコミを飛ばす。

「自分に見えないものを信じられない気持ちは分かります。でも実際月島さんは原因の分からないとんでもない確率の偶然に遭遇していて、鏡を理由にすればその偶然が必然に変わる。そうですよね?」
「え、ええ、まぁ…」
「こないだ偶然会ったのも、ここまで来て下さったのもきっと何かのご縁です!ねっ!騙されたと思って今回は私に任せて貰えませんか!?」
「…いや、騙されたくはないんだが…」

騙されると分かっていて騙される馬鹿がいるものかというのはその通りだろう。月島の言葉にナマエは「初回相談料無料です!」「詐欺じゃありません!」「騙しませんからぁ!」とどうにかして自分の話に乗ってもらおうと必死だった。やがて月島が観念したかのように息を吐き出す。

「…わかりました。とりあえず、お願いします」
「やったぁ!ありがとうございます!頑張ります!」

良かった。これで大事になる前に怨霊を取り除くことが出来るし、怨霊に繋がる手がかりを得ることが出来る。人助けというのが大義名分にあるが、それとは別に、ナマエにとってこの相談所はごく個人的な目的のための場所でもあった。

「早速なんですが、現物を拝見したいので、良ければこれからその鏡を見せていただいてもいいですか?」
「ああ、構いませんけど…」

ナマエは嬉々として数珠やらなにやらを肩掛けのダレスバッグに詰め込んでいく。行く先は予想の通り第七町だった。神威駅からふたつ私鉄で移動した鈍行しか停まらない駅で下車をして、北の方へ向かった。先日は指輪を探しがてら西側から回り込むようなルートをとっていたらしい。月島が足を止めたのは、あの古びた骨董店の前だった。

「おー、やっぱりここでしたかぁ!すんごい趣ありますよねぇ」
「知ってたんですか?」
「ちょっと前に素敵なお店だなぁと思って気になってたんです」

柔らかく少し重要な部分を省いた事実を口にする。本当は素敵な店だという点よりも怪しげな瘴気のようなものを感じたというのが正確だ。

「50年くらいはここにあるらしいです。俺が継いだのは数年前ですが」
「あれ、月島さんって佐渡のご出身なんですよね?さっきのアンケートで…ここはご親戚のお店とかですか?」
「いや、元々縁もゆかりもなかったんですが、前のご主人が亡くなって、知人から任されたんです」

月島の説明に「なるほど」と相槌を打った。鍵を開けてもらって中を覗く。古いものが集まった独特の湿り気のあるにおいがぐわっと迫った。敷居と境界をいっぺんに跨ぐ。視認できない膜のようなものを通り抜けるような微細な抵抗をもって内側に足を踏み入れた。

「わぁ…すごい…」

店内に陳列されている商品は想像以上のものたちばかりだった。どれもこれもが大なり小なり様々な事情を抱えているようだ。ちらりと四方を確認すれば、恐らく柱の裏側に境界を張るためのお札が隠されている。

「あ、このびいどろの器!きれいですねぇ」
「ああ、それは一年くらい前に持ち込まれたものなんです。1979年に作られたびいどろの中でも初期の作品なんだとか」

骨董の定義とはどんなものだったか。1979年と言うと、半世紀も経過していない。おそらく正確に言えばこれは骨董と呼べる品ではないのだろう。だから多分、違う法則や理由でここに運ばれて来たんじゃないか。

「ふんふん、なるほどなるほど…」

ナマエはじぃっと津軽びいどろの器を観察した。水のにおいがする。眺めるために倒していた上体を一分程度で起こして彼女は月島に向き直った。

「これ、憑いてますね」
「ついてる…?」
「はい。河童…というか水神様の類いかな?悪いものではないですよ!」

津軽地方には河童を束ねている水神様という概念があるが、この器にはその念のようなものが宿っているように見受けられる。その昔河童を水難事故の要因であると考え、それらに神格を与えることで祟りを鎮めるという信仰に発展していったのだそうだ。この水神様はその信仰のシンボルのようなものである。

「これにそれが憑いてると…」
「まぁ本体ではないですけど」
「はぁ…」

こんなところに地方の神の本体が宿って土地を離れたらてんやわんやの大問題である。分霊のようなものが宿っているのだけれど、月島にそれを説明するのは難しかった。

「ここは、不思議なものがたくさんありますね」

強く引かれた境界、地方の神の分霊が宿った器、正体不明の強力な怨霊を宿す鏡。ここはまるで超常現象の巣窟である。ここは何か、ナマエの目的に近づくためのきっかけになるような気がした。本当に何となく、確証もないのだけれど。




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