超常現象相談所 02


下町の一角にひっそりと所在するその店では、雰囲気に似合わぬ強面な男が店主をつとめていた。店の名前は南極骨董店。名前の由来は知らない。この店は数年前に店主が亡くなり、それをなんやかんやとあって知人を通して引き継いだのだ。

「…よし、異常なし」

商品の並ぶ棚を確認する。木製の棚には壺や絵皿の焼き物、切子、津軽びいどろの器、木彫りのふくろうなど、様々なジャンルの古いものたちが整然と並んでいる。思い入れのあるものを長く使うというのが良いことだという考えは概ね理解するが、そうは言っても正直店に並んでいる商品の正しい価値というものは自分には一生わからない類いの話だろうと思う。はっきり言って自分は育ちが悪いし、感性が磨かれているというタチでもない。うっかりひとから任されるということでもなければ、敷居をまたぐことだってなかっただろう。
毛ばたきで丁寧に埃を払っていく。この店を引き継いだ当初はこの力加減もいまいち分からずに困ったものだ。客足は殆どない。不意に、静まり返る店内の中でがらりと引き戸が開く音がした。

「月島、精が出るね」
「鶴見さん、お疲れ様です」

整えた髭と年を追うごとに美しさの磨かれる相貌が特徴的なこの男は鶴見篤四郎。月島にこの骨董店を任せた張本人であり、月島のごく個人的な恩人でもあった。月島は毛ばたきを定位置に戻すと、奥で手を洗ってキッチンで湯を沸かす。鶴見は勝手知ったる様子で店内の隅にある椅子に腰かけて骨董品の数々を眺めた。鶴見好みの少し濃い目の茶を淹れ、彼の元まで運んだ。

「どうぞ」
「ありがとう。月島の淹れる茶は美味いから楽しみなんだ」
「鶴見さんに言われて勉強しただけですよ」

そりゃあ客人なのだから用意はするが、自分で淹れた方がよっぽど美味い茶を淹れることが出来るのによく言う。このひとは、自分でなんでも出来てしまう。器用だし、要領がいいし、あらゆる面において有能だ。天は二物を与えないというが、それは嘘だろうとつくづく思う。

「だからいいんじゃないか」
「…はぁ…と、いいますと?」
「出会った頃のお前はまともに茶も淹れられなかっただろう。真面目に勉強して身に着けることができるというのが大切なことなんだ」

鶴見は美しい唇をゆったりと持ち上げる。まるで彫刻か絵画か、彼の一挙手一投足は美術品の類いを思わせた。否応なしにも惹きつけられる。理解できなくとも網膜に造形が焼き付き、潜在意識から切り離すことが出来なくなる。そういう強制力を伴う美しさだ。

「だからこそ、この南極骨董店も、お前に任せたいと思ったんだよ」
「…骨董品の良し悪しもロクにわからないと言うのにですか」
「品物の良さを言葉で語れることも大切なことだが、教えられたことを学んで忠実にこなすことが出来るというのも、この骨董店には必要不可欠なんだ。客が多いわけではない。管理のほうが重要視すべきことであると、私は考えている」

確かに自分は真面目な方だと思う。店を引き継ぐときに鶴見に教わったことを今でも手を抜くことなくしっかり繰り返している。店内の清掃、骨董品それぞれの管理の仕方…毎日毛ばたきで埃をはたき、古い本は虫干しをする。手間暇をかけて管理することで、ここの商品はその価値を高めていく。らしい。

「そうだ月島、今日はこれをここに店に置いてほしいと思って持ってきたんだ」

鶴見はそう言うと、懐から手のひらサイズの風呂敷包みを取り出した。紫色の美しいそれを手のひらに乗せたまま、結び目を丁寧に解いていくと、中からは細かな装飾の施された銀色の鏡が出てきた。

「えーっと、鏡、ですか?」
「ああ。とあるお屋敷のご主人が亡くなったらしくてね、遺品整理の折りに出てきたそうだよ」
「綺麗な鏡ですね…」
「そうだろう?」

鏡のふちには鳥と思しきモチーフが彫られていた。銀は全体的にくすんでいるから、手入れは必要だろうと思われる。彫りが細かいから、手入れにも少し時間がかかるだろう。しかしその分輝きも段違いになるに違いない。

「早速手入れしておきます」
「頼むよ」

鶴見は風呂敷包みごと月島に鏡を手渡した。月島はそれを手袋をはめた両手で受け取り、木製のカウンターの上に置いたベルベットのトレイの中に一時保管をする。特注の銀磨剤で磨かなければならないが、ストックはどれくらいあっただろうか。

「ああ」

頭の中でこの先のことを算段していると、思い出したかのような口ぶりで鶴見が口火を切る。手袋を外しながら鶴見に視線を戻した。彼はジッとこちらを見つめ、整えられた髭を少しだけ揺らした。

「その鏡、決して逢魔が時に自分の姿を映してはいけないよ」
「逢魔が時…?」
「午後6時。鏡の中に自分を映せば、なにか良くないものに魅入られてしまうかもしれないからね」

視線を鏡に向ける。今のところは何と特筆すべき点もないただのアンティークの美しい鏡だ。というか真夜中であればまだしも、18時なんてわりと見てしまう人間もいるんじゃないのか。

「夕方の6時だとうっかり見てしまいそうですね」
「そうだろう?だから鏡は裏向きに陳列しておきなさい。銀のふちに映るのは問題ないようだから」

わかりました、と返事をしたが、そんな厄介ものをどうしてこの一か所に集めたがるのか。鶴見が持ち込んだのは鏡だけではない。いわく付きの骨董品がこの店にはいくつもあった。


鏡を預かって数日、事件は暮れ六つどきに起こった。珍しく客足がいくつかあり、お喋りで物知りな老人の話を聞いていたら思いのほか時間を食った。中断していた骨董品の手入れを再開する頃にはもう夕方で、いつものルーティンをなるべく早く進める。例の鏡は特注の銀磨剤ですっかりぴかぴかだ。から拭きをして所定の位置に戻そうとしたとき、ぐわんと足元が揺れる。地震だ。

「うわっ……」

地震は揺れを感知できる程度ではあったけれど、陳列している骨董品の数々が破損するほどではなかった。切子のひとつが危うい位置まで移動してしまっていて、それをそっと定位置に戻す。さて、手に持ったこっちもどうにかしないと、と視線を落とし、自分が何を手にしていたかを自覚する。視線の先では銀の美しい細工に囲まれた鏡があり、その中に自分の驚いた顔が映っていた。

「…くそ、忘れてた…」

ああ、やってしまった。地震に気を取られて自分が鏡を手にしていたことを忘れていた。鶴見からは「どうしてダメなのか」の理由は聞いていない。自分の姿を映したら呪われるとでもいうのだろうか。それとも鏡の中の自分に現実の自分が乗っ取られるとかそういう類いの話か。

「まぁ、仕方ないか」

いくつか考えたものの、月島はスンッと諦めて鏡を所定の位置に裏向きで陳列した。あいにく自分には霊感と呼ばれるようなものはない。目に見えないものなら気にしていても仕方がないし、それより早く出かけないとスーパーのタイムセールに間に合わなくなる。
財布とスマホを持ち、店に鍵をかけて近くのスーパーに急ぐ。今日は卵が安い。午前中のタイムセールよりはサラリーマンが増えるとはいえ、タイムセールの主戦力は夕方であっても断然主婦層が占めている。屈強な中年女性に混ざりながら無事卵の入手に成功した月島は、そのまま大根や鶏肉、ネギなどの汎用性の高い食材を買い物かごに入れ、ほくほくと満たされる気持ちになりながら家路についた。家路といってもあの骨董店が店舗兼住居なのだから、行きと同じ道を戻っているだけなのだけれど。
変わらない日常だ。見るなと言われた時間に鏡をうっかり見てしまったときは一瞬焦ったが、まぁ見てしまったものはしょうがないし、気にしすぎるのも良くないだろう。そのときだった。

「あなた、憑かれてますよ!」

唐突に女性の声が月島を引き止める。自分に声をかけているとわかったのは自分のほかに周囲には誰もいなかったからだ。見知らぬ女だった。確かに日々の仕事やら何やらで疲れてはいるが、見知らぬ女に引き止められるいわれはない。無視して行ってしまえばいいのに、面食らって思わず足を止めてしまった。若い女はごそごそと鞄の中から何やらA5サイズ程度の薄っぺらいものを差し出した。

「はいっ!良かったらこれどうぞ!」

条件反射で受け取り、止まっていた脳がようやく動き出した。「あ、これはキャッチセールスか」と思いながら、手渡された薄っぺらいものに視線を落とす。疲れを指摘してきたからにはリラクゼーション系の店か何か。あまりそういう店が近くにあった覚えはない。結局渡されたそれはチラシ入りのポケットティッシュでもショップカードでもなく、やけにスタイリッシュな印象のビラだった。そこにはかっこいい書体がアーティスティックな行間を保ちながら「神威超常現象相談所」と、冗談みたいな会社名が書いてあった。

「…神威駅西口から徒歩五分です!お兄さんみたいな症状から水回りの不調、心霊現象からちょっとした失せもの調査までなんでも承ります!」
「はぁ…」
「お兄さん結構ヤバいと思いますよ!良かったらお話聞きますから!」

キャッチセールスというよりカルトの勧誘と言ったほうが正しいか。彼女の口ぶりからして、ビラに書かれている「超常現象」は月島の想像するそれと相違ないようだ。それならなおの事怪しすぎる。

「結構です」
「しょ、初回相談料無料にしますからッ!」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「お願いします!そこを何とか!ね?人助けだと思って…!!」

いやに食い下がるその女は、両手を目の前でパンっと合わせ、神か何かに祈るかのごとく月島に怒涛と食い下がった。とはいえ食い下がられたところで怪しすぎるそんな場所になんで自分が行かなきゃいけないんだ。初回相談料無料といいながら蓋を開けてみれば高額の請求をされるなんていうのはよくある詐欺の手口である。

「とにかく、忙しいんで」
「あぁっ…!」

残念そうな声を上げる女には申し訳ないと思いつつも、流石に関わっていられないと彼女に背を向けて足を進める。不意に、先ほどまでの情けない声よりも不思議と通る声音の彼女の声がかけられた。

「お兄さん、本当に無料なんで、しんどくなったら絶対来てくださいね」

一体なんだというんだ。面倒なものに遭遇したものだ。女の声が妙に鼓膜に焼き付く。斜陽に伸ばされた陰は、自分に背を向けて反対側に歩いて行ってしまった。


それから数日、月島の周囲で奇妙な現象が起こり始めた。シャワーがいつまでもお湯にならない、買ってさほど経っていない電動シェーバーが壊れる。そんな些細なことから始まって、プランターが民家の二階から目の前にドンッと落ちてきたり、バイクが突っ込んできたりと深刻な問題に変わっていった。

「はぁ、一体何だって言うんだ……」

偶然といえば偶然なのかもしれないが、こうも続くと気にするなという方が難しい話である。心当たりは特にないが、強いて思いつくことといえばあの鏡を見てしまったことくらいだろう。非科学的なことが原因だと思う程度には手詰まりで、流石にどうにかならないものかと精神的に参っている。上着を引っ手繰り、どうにかリフレッシュすべくラーメン屋に向かうことを計画した。上着のポケットからひらりと何かが落ちる。月島はその薄っぺらい紙を見つめた。

「…初回相談料無料……」

神威超常現象相談所。そんなものに頼って何になる。冷静な部分ではそう思うけれども、不可解な現象へのフラストレーションは想像以上に大きかった。
結局そのままラーメン屋には行かず、足は自然と神威駅西口へと向かった。超常現象相談所というのは、繁華街の端っこのに所在している築40年はゆうに超えるだろう雑居ビルの中にあるようだ。同じビルの中には多分店員がそこそこ際どい恰好をしてくるだろう風営法の怪しいリラクゼーションサロン、占いの館、タトゥースタジオ、マンドリン教室など、雑多なテナントが入っている。

「…五階」

同ビル五階が目的の相談所である。古いビルで、エレベーターはなかった。電灯の切れそうな階段を登って目的の階を目指す。途中では誰ともすれ違わなかった。ところどころに蜘蛛の巣が張り、足音がいやに反響する。

「……ここか」

名刺に記された部屋番号の前で足を止めた。ドアに木で制作されただろう看板がかかっていて、そこには精巧な彫りとともに「神威超常現象相談所」と刻まれていた。
さて、ここまで来てしまったが、こんないかがわしい場所に相談してもいいものか。普段の自分であれば確実に近寄りもしないだろう類いの場所である。やっぱり考え直した方がいいだろうか。そうだ、そもそも気のせいかもしれない。疲れているだけに違いない。言い訳じみた言葉を並べ立て、くるりと踵を返そうとしたそのときだった。目の前の扉がゆっくり開く。

「あっ、このまえのお兄さん!」
「……どうも…」

扉を開けたのは、このビラを差し出してきたあの女性だった。




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