超常現象相談所 01


東京某所、神威町。それなりの繁華街で、駅前にはチェーンの飲食店やカフェ、学習塾や美容院など多種多様な店舗が並ぶ。少し西に行くと歓楽街で、表通りには居酒屋、少し裏に入ればキャバクラやホストクラブ、風俗店が建ち並んでいる。相談所はその中の雑居ビルのひとつに居を構えていた。

「神威超常現象相談所です!」

駅前で無謀にも怪しげな相談所のビラ配りに勤しむ女の名前はミョウジナマエ。相談所の所長にして唯一の従業員である。

「身の回りの不可思議なお困りごとがあればぜひご相談ください!」
「えー、なにこれぇ」
「あはは、ヤバ!」

ようやくビラを手に取ってもらえたというのにこの有様だ。まぁこんなことくらいではへこむことも傷つくこともない。人間というものは自分の目に見えないものを信じようとはしないのだ。当事者でなければ怪しげな商売だと笑われたって仕方がないだろう。

「心霊現象とかそーゆーのなんとかしてくれんの?」
「はい!ご相談に乗ります!」

だから悪ふざけの一環のようなこういうからかいの言葉にもニッコリと笑顔で対応してみせることが出来た。ビラを受け取ったホスト風の男と同伴なのか彼女なのかよくわからない派手な女がくすくすと笑う。

「じゃあ今度心霊写真撮ってきてよ!第七町に出るって噂の竹林があるんだってさ!」
「第七町ですかぁ。あの、差し出がましいですが、あんまり軽率にそういうものをからかうようなことは良くないと思いますよ?」
「ア?」

自分の相談所のことを笑われるのは構わない。視えない人間にとっては「ない」ことに等しい。しかし霊障を軽率に遊びに使うのはいただけない。呪われたり祟られたりしたって文句は言えない。彼らの発言が自分への慢侮から霊障そのものへの慢侮に変わったから、そんな心構えで変なことに巻き込まれてくれるなよと諫言を口にすれば、男たちは一気に冷めてしまったようだった。

「あーなんか萎えたわ。行こうぜ」

男はそう言ってビラを丸めてぽいっと投げ捨てると、女の腰を引き寄せて歓楽街の明かりの中に消えていく。こんな光景もお馴染みのことである。

「あーあ、捨てるくらいなら受け取ってくれなきゃいいのに…あー、でも枚数減らないのもテンション上がらないしなぁ」

屈んでゴミと化したビラを拾い、くしゃりと丸められたそれを丁寧に開いた。なかなか良いデザインだと思う。これは飲み友達のデザイナーが作ってくれた代物である。さて、今日は珍しく失せ物探しの依頼を貰っているのだ。そろそろ出発しようと踵を返すと、雑居ビルの入口で声をかけられた。

「ナマエ、今日も精が出るな」
「あ、キラウシさんこんにちは!」
「少しはビラ配れたのか?」
「うーん、まぁやらないよりはマシかなぁ、程度には」
「全然配れなかったんだな」

この男の名前はキラウシ。同じ雑居ビルにタトゥースタジオを構えている男であり、ナマエを何かと気にかけてくれていた。「キラウシ」という珍しい名前が本名なのかタトゥーアーティストとしての芸名のようなものなのかは知らない。

「でも今日はこれから依頼があるんですよ」
「へぇ、珍しいな。心霊調査か?」
「いえ、落とし物です!」

ナマエがどどんと胸を張って答える。今日の依頼は落としてしまったという指輪の捜索である。なんでも結婚指輪だそうで、自宅から駅までの道すがらで落としてしまったらしい。依頼人も必死に探したが見つからず、藁をも掴む気持ちで依頼をしてきたという具合だった。

「そうか。無茶はするなよ」
「はい。行ってきます!」

ナマエは勢いよく返事をした。キラウシに懐いているのはなにも彼のお世話やきな性格からくるものだけではなかった。彼は少しだけ「視える」のだ。そういう親近感の方が大きかった。もっとも、視えるのみならずそれなりの対処法を持ち得ているナマエとは感じ取れる範囲も影響を及ぼせる範囲も違うのだけれど。


エレベーターの完備されていない雑居ビルを五階まで階段で上り、相談所に一度戻って道具をあれこれ整える。重くなったダレスバッグを手に向かうのは依頼人が指輪を落としたという駅だ。神威駅から私鉄に乗って鈍行しか停まらない小さな駅で降り立つと、事前に貰っていた地図を広げた。

「うーん、第七町、第七町って初めて来たなぁ……ご依頼人のおうちは…あ、西の方か」

小さい駅は出入り口がひとつきりしかないから、東西南北で迷うことはなかった。数段しかない階段を降って地図の示す方向に視線をやる。この駅で降りたのは初めてだった。駅前にコンビニやちょっとした飲食店、小さなスーパーはあるようだけれど、大きな商業施設も名所らしい名所もない。住人はいるが住人以外は用もないような、そういう街だった。

「あれ、第七町ってなんかさっきも聞いたような…」

はて、と考える。まぁ同じ都内なのだから名前くらいは聞いたことがあってもおかしくはないけれど、なにせ前述の通り遊ぶような場所も目玉になるような施設もないのだ。そんな場所をどこで聞いたんだろう。30秒ほど考えて、つい先ほどの態度の悪いホスト風の男が口にしていたのだと思いだした。

「あはは、出るって噂の竹林ねぇ」

そういう場所に実際霊障が起こるかどうかは半々である。視えない人間が想像するよりも霊障というものはごく身近に存在する。火のない所に煙は立たぬと言うし、噂がされるのならばそれなりの理由があるのだろう。ナマエはパッと顔をあげた。

「ま、いっか。指輪指輪〜」

うっかり小耳に挟んだ噂話のすべてに首を突っ込んでもいられない。今日のところは依頼の結婚指輪を探そう。精神を集中させて駅から西に向かって歩き出す。普通の失せもの探しなら根気でなんとかするところだけれども、今回の結婚指輪は依頼人が両親から受け継いだものであり、宿る思念のようなものが大きい。
鞄から数珠を取り出して親指と人差し指のあいだに引っ掛けると、それを自分の胸元にかまえる。

「んんー、右…左……あ、コッチに感じる…」

ジワリと滲み出てくるような香りを感じとる。霊力の感覚というのは人それぞれだ。苛烈な炎のように感じるひともいるし、水が湧き出ているように感じられる人もいる。ナマエにとってそれは匂いだった。

「ん?んん〜…この水仙の香りが指輪の香りかな…」

じわりと芳香の立ちのぼる方を探る。他に比べて異質なほど雅やかなこの香りは下町に広がるにしては少し妙だ。家屋と家屋の隙間を縫うように歩く。こんなところに転がり込んでいるということは多分動物の仕事だろう。

「動物…狸や狐の可能性は低いから…持ってくとするとぉ…」

頭の中で可能性を指折り数える。田舎であれば狸や狐の可能性が高いが、都市部ともなると早々お目にかかれない生き物である。となれば次に可能性が高いのはカラスかなにかだろうか。

「巣材にでも持って行ったのかな…」

水仙のような香りを手繰って街中を観察していると、路地裏からわずかにそれを感じた。すんすんと鼻を動かして辿って足元の悪い道を進む。そして路地を数メートル進んだところで匂いの終着点を見つけることができた。カラスの巣だ。

「お、発見!」

ひょっこり巣の中を覗き込む。木の枝を中心にハンガーやビニールひもで構成された都会的な巣のなかではヒナと、その隅にひょっこり光る銀色を見つけることが出来た。どこで落としたのかは分からないが、カラスに見つかって収拾されてしまったんだろう。

「よし、回収回収〜…ウワッ…!?」

親鳥が戻ってくる前に目的の指輪だけ回収させてもらおう。そう思ったのに、指が辿り着く直前で足元が揺れた。地震だ。それほど大きいわけではないけれど、そとをのん気に歩いていても揺れを感じる程度には強いものだった。

「はーびっくりしたぁ。気を取り直して回収回収」

そーっと指輪を摘まみ上げ、警戒した親鳥が帰ってきて攻撃されてしまう前に撤退する。カァと鳴き声が聞こえてきたから、びくっと肩を震わせて慌ててその場を立ち去った。

「やっば。カラスって頭いいって言うしなぁ」

カラスの賢さは有名な話である。顔を覚えられでもしたらこの場を離れても追撃されかねない。行きとは違う道をえっさほいさと歩いていくとゆらっとなんとも言えない湿り気を帯びた匂いが鼻をついた。匂いの方へ視線をむける。そこには古びた看板を掲げる骨董店があった。

「んあれ、こんなところに骨董店…」

平屋の建物には「南極骨董店」と看板が掲げられていた。看板も建物も古いし、少なくとも50年くらいはここで営業をしていそうな雰囲気だ。不思議な空気が漂っている。静謐で湿っぽく、ひとを寄せつける引力がある。外側からでもはっきり分かるくらいの境界が引かれている。これは素人の引いたような代物ではないだろう。

「竹……」

ふと、建物の向こうに視線を向ければ、狭いながらも立派な竹林を確認することができた。第七町にある出ると噂の竹林。ひょっとしてこれなんじゃないか。

「んー、なんか不思議な雰囲気あるお店だなぁ」

せっかくなら少し覗いてみたいと思ったが、暖簾も外されているし鍵も閉まっている。今日のところは諦めることにして、また後日足を運んでみよう。ナマエは諦めて骨董店から離れ、後ろ髪を引かれつつも駅に向かって歩き出した。
今日の夕飯は何にしようか。指輪も無事見つけられたことだし、ちょっとくらい贅沢をしてもバチは当たらないだろう。ネギ、そうだ、使いかけのネギがあった。あれも使わなくちゃな。と、急にネギが思考回路に割り込んできたのは、目の前の男のレジ袋からぴょこんと青い頭が飛び出ているからだった。

「え」

ひどく湿っぽい臭いを感じて顔を上げる。坊主頭でガタイのいい彼の顔のあたりに黒く靄が拡がっていた。随分濃い。顔の作りが視認出来ない。これはひどいものをくっつけている。今すぐ死に直結するようなものではないと思うが、放置していたらいい結果を生まないだろうことは明白だった。

「あの、お兄さん憑かれてますよ!」

気が付くと、ナマエは男に向かってそう声をかけていた。男は面食らったように足を止め、ナマエはすかさず鞄の中から持ち歩いているビラを一枚取り出す。

「はいっ!良かったらこれどうぞ!」

男は呆気に取られたようにビラを反射で受け取った。不審に思われない程度に彼を観察したが、これは動物の低級霊が憑いているようなありふれたものじゃない。特別な怨念をもってこの世に留まっているものだ。

「…神威駅西口から徒歩五分です!お兄さんみたいな症状から水回りの不調、心霊現象からちょっとした失せもの調査までなんでも承ります!」
「はぁ…」
「お兄さん結構ヤバいと思いますよ!良かったらお話聞きますから!」

気が付いてしまった以上放って置きたくはないと思ってなんとか誘導しようと試みる。靄のせいで顔はしっかり見えないけれど、怪訝な様子であることはなんとなく雰囲気で察することが出来た。案の定彼は「結構です」と言ってビラを突き返そうとしてきた。

「しょ、初回相談料無料にしますからッ!」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「お願いします!そこを何とか!ね?人助けだと思って…!!」

いや、助けるのはこっちがわなのだけれど、長期的に見れば助けられることにもなる。両手を目の前でパチンと合わせた。動機としては人助けの気持ち三割、自分の計画のため三割、金のため四割といったところである。

「とにかく、忙しいんで」

男はもう構ってくれるなとばかりに話を切り上げた。これは古典的な霊感商法だと思われてしまったかも知れない。もっといい商売文句があればと考えたけれど、そんなものがすぐに思いつくのなら街頭で望みの薄いビラ配りなんてしなくても経営は安定していたことだろう。
何か大問題に発展する前に一度顔を出してくれ、とは思うけれど、それはナマエが強制できることじゃない。せめて、と思ってナマエは去り際の背中にそっと声をかける。

「お兄さん、本当に無料なんで、しんどくなったら絶対来てくださいね」

驚いたように彼が立ち止まり、黒い靄に包まれた顔が振り返った。視えない人間が想像するよりも霊障というものはごく身近に存在する。殆どは取るに足らない「偶然」や「不幸」で済まされるものだけれども、時おり命を脅かすことがある。彼に憑いているのは、そういうものだ。




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