07 Cobalt Blue


呪術高専には姉妹校交流会というものがある。穏便なその名に反し、中身は殺す以外はなんでもありの呪術合戦だ。まぁ、呪術高専の行事としてはこのくらい物騒な方がそれらしいのかもしれない。
本来は二年と三年が参加するものであるが、ピンチヒッターとして一年の五条が呼ばれた。頭数が足りないとはいえ、力があって場慣れもしている五条が参加するのはあまりにも反則級の話である。交流会のあとには京都で隠居している彼の大伯父に呼び出されているから、そもそもこの交流会への参加そのものが口実なのだろう。

「ゲェ…迎え待ってんじゃん…」
「悟様を逃がさないように準備万端ですね」

予想の通りあっさりと東京校が勝利を収め、京都高専の入口で待ち構えていた五条家の人間の車に乗せられて、かつては公家の隠居に使われたという山麓に二人を運んだ。
五条は少しも気だるげな様子を隠すことなく車を降りる。大伯父に会うのは昨年の誕生祝賀会以来だろうか。

「ここの爺さん嫌いなんだよな」
「言葉をお慎みくだされませ。御隠居様のお耳に入ったらどうするんですか」
「どうせあんなジジイろくに耳も聞こえちゃいねーよ」

軽口を嗜めてみても全く口が減らない。まぁ彼が大伯父を煙たがるのはわからなくもない。件の老人は現役世代の後継者争いに敗れて隠居を建前に本家の中枢から追いやられ、その後返り咲こうと策を練るもすべてが失策に終わるという、時流の読めない野心家の男なのだ。
庵と呼ぶには豪勢な日本庭園を通り、使用人たちが次期当主のご登場に頭を垂れる。玄関で靴を脱ぐと、五条の後ろをついて大伯父の待つ奥の間に向かった。

「私はここでお待ちしております」
「ん」

部屋について入るわけにはいかない。奥の間についたところでナマエがそう言うと、五条はひとりで襖を開けて大伯父の待つ奥の間に足を踏み入れた。部屋の中から会話を聞き取ることは出来ないが、時折大伯父だけの嗄れた笑い声だけが漏れ聞こえた。

「……綺麗な紅葉」

縁側で立ったまま待っていれば、開け放たれたガラス戸の向こうに燃えるような紅葉が見えた。もう葉が色づくような季節なのだ。夏のひどい暑さは徐々におさまってきて、風が強く吹くとずいぶん涼しく感じる。
相手が相手だしどうせ長話はしないだろうと思っていたが、五条が奥の間を出てくるのは想像以上に早かった。足音が聞こえてきたから顔を前に戻すと、襖を開けてひどく不機嫌そうな五条が顔を出す。後ろ手で乱暴に襖を閉じた。

「ナマエ、帰るぞ」
「え?わ、私も御隠居様にご挨拶を…」
「んなもん要らねぇよ」

五条はそう言うと、これまた乱暴にナマエの手首を掴んで玄関に向かって歩き出す。苛立ちを隠そうともしない大きな足音を立て、靴べらも使わずに無造作にスニーカーへ足を滑り込ませる。前庭で掃除をしていた使用人は五条の様子に驚いていた。ナマエもびっくりしているんだから当然だろう。

「さ、悟様!?」

送りの車も断って急斜面を下っていく。本当にどうしたんだろう。五条悟という男は勝手気ままではあるが、まったく礼を知らないわけではない。無関係な他人ならまだしも大伯父という、何かあれば本家から釘を刺されかねない相手の屋敷でこんな振る舞いをするのは珍しい。大通りまで出たところで彼はようやく足を止めた。
ここまでずっと、一刻も早く屋敷を離れたいと言わんばかりの挙動だった。これは多分大伯父に何か言われたのだろうということは想像に難くなかった。

「…悟様、御隠居様になにか言われたんですか?」
「………べつに」

その答えは肯定にも等しかったけれど、五条が口を閉ざしたからそれ以上は何も聞かなかった。彼と大伯父の関係は決して良好とはいえない。野心の強いあの御仁のことである。五条が当主の座を継ぐ際に恩恵を受けようと策を練っていることも考えられる。五条はそういうのが嫌いだ。

「タクシーを拾いましょうか。歩いて行くには少し遠いですから」

ナマエはきょろきょろと左右を見回す。いかに京都が観光地だとはいえ、この近くに名所の類いはない。流しているタクシーが見当たらなければ早めに配車を頼むのがいいだろう。


10月最後の週末。今日は任務もなく四人で遊びに行こうという話を昨晩していたのだが、家入が実家に用事があるらしく、土日で帰省していて結局その話は流れることになった。暇を持て余した五条が携帯ゲーム機を持ち出して談話室でゲームをしていて、ナマエはというといつもの通りに彼の側で控えていた。
あまり画面の見過ぎは目に良くないですよ、と普段なら無駄と思いつつも進言するところだけれど、先日の大伯父の屋敷の件から何か考え込んでいる様子だったこともあり、今日のところはやめておいた。

「ナマエ、ココア」
「はい、承知しました」

言葉少なくこうして用を言いつけてくれると安心する。いくらずっと側にいても頭の中身まで正確に読めるわけではないし、言葉にしてくれないと伝わらない。つまるところ、最近なんだか様子のおかしいあるじがわからないことが不安なのだ。
温かいココアを談話室に設置してある簡易キッチンで作ると、ゲーム機に夢中になっている五条そばまで運ぶ。彼がちょうど手に取りやすいところにマグカップを置くと、廊下の方から足音が近づいてきた。

「あ、いたいた」

談話室に顔を出したのは夏油だった。麓のコンビニに行くと言っていた彼の手にはレジ袋と缶コーヒーが握られている。五条がゲーム機から顔を上げると、夏油が「ちょっと相談があってさ」と切り出した。

「硝子の誕生日のお祝いしようと思うんだけど」
「誕生日ぃ?」

そうか、そんな季節なのか、とナマエは頭の中で学生のデータベースを思い返す。一応、入学前にひと通りのプロフィールは資料として確認していた。五条を含む三人ともが年度の後半に誕生日が固まっているんだな、と思った記憶があるが、もうそんな季節なのか。時間が経つのは早い。

「祝賀会ってこと?」
「いや、そこまで大げさなものじゃないけどさ…」

五条がこてんと首をかしげる。彼にとって「誕生日」といえば結びつくのが毎年関係者を大勢呼んで執り行われるパーティーだろう。誕生日当日は宴席の上座に腰を下ろし、代わる代わる挨拶に来る来賓の相手をするのが恒例だった。祝賀会とは名ばかりで、五条の誕生日を純粋に祝おうなんて人間はほとんどいない。個人の誕生日というよりは家の行事というほうが正しいだろう。

「お誕生日会ということですね」
「じゃあ祝賀会じゃん」
「悟様、祝賀会とは多分違いますよ。ケーキやご馳走を食べて、ご家族やお友達とお祝いするらしいです」

ピンとこない五条にナマエは知識だけで得た誕生日について五条に噛み砕いた説明をしてみせる。ナマエもそういうことを一般家庭はするものなのだと勉強しただけで、実際はどんな感じなのかよくわかっていない。

「え、悟もナマエさんもまさか今まで誕生日会とかしたことないんですか?」

夏油が驚いて目を見開き、五条とナマエがまるで双子か何かのようにシンクロして首を縦に振る。

「悟様のお誕生日には祝賀会が開かれるんですが、個人的なお祝いというより一族の行事のようなものでして、一般的なお誕生日会のようなものは行われませんので」
「ああ、なるほど……」

ナマエが簡単に祝賀会のことを説明すると、彼にとっては異次元の話だったのか「凄いな御三家」と思わずといったようにこぼしていた。かく言うナマエも狭い世界で生きてきた身であり、一般的によくあるような誕生日会の経験は一度もなかった。
そういうわけで唯一の「お誕生日会経験者」である夏油の陣頭指揮により、家入の誕生日会が計画されることになった。

「家入さんはあまり甘いものお好きじゃないですよね。ケーキはどうしましょうか」
「そうですね…そう言ってもケーキがないのも味気ないですし、甘さ控えめのものを用意っするのはどうかなって思ってるんですけど…」
「じゃあ銀座の店のにしよーぜ」

銀座の、とは、五条のお気に入りのパティスリーのことである。昔はそこまで甘いものが好きというわけでもなかった彼だが、無下限呪術の使用頻度が上がるにつれてエネルギー摂取のために甘いものを食べるようになったことをきっかけに甘いものが好きになった。

「差し出がましいこと申し上げますが、悟様のお好みに合わせると甘すぎるのではありませんか?」
「オペラとかでいーだろ」
「でもそれだと小さいケーキになってしまいますが…」

ナマエの進言に、彼はならば種類を選べばいいとばかりにそう言った。しかし誕生日というものはホールケーキを買うものだと聞いたことがある。カットケーキでもいいものだろうか。ナマエの頭の中を察したのか、今度は夏油が口を開いた。

「悟、誕生日ケーキってホールケーキ買うのが定番なんだよ。チョコのプレートが乗ってるやつ。見たことない?」
「チョコのプレート?見たことねぇ」
「本当かい?不思議なところで君はやっぱりお坊ちゃんだって実感するもんだな…」

いっそ感心したふうに夏油が言う。五条は生粋のお坊ちゃまではあるものの、その世間離れ具合にはむらっ気がある。テレビゲームなんかはしていたがコンビニには行ったことがなく、一般教養はあるけれど友達との遊びは知らない。だから夏油としても「そんなことを知らないのか」と思う瞬間があるのだろう。

「チョコのプレートに名前書いてもらうんだよ。硝子ちゃんおたんじょうびおめでとう、って具合に」

夏油から聞くそのチョコプレートの文化に五条は思いのほか興味を引かれたようで、目の奥を俄かに輝かせる。実物を見せるのは彼にとってもいい経験になるかもしれない。ナマエは「スタンダードなケーキを用意して、他に家入さんの好きなものも揃えるのはいかがでしょうか」と提案をしてみた。家入がそこまで食べたいと思っているわけじゃなくとも、ホールケーキがあった方が誕生日らしい雰囲気が出るだろう。量が多いかという懸念は少しあるが、幸い五条は甘いものが好きだし、彼が嫌がるようなら自分が平らげてしまえばいいだけのことだ。

「じゃあ、各自プレゼント持ち寄って、当日ケーキの買出しは私が行くことにしよう」

そうか、誕生日といえばプレゼントを渡すものだ。しかしどうしたものだろう。プレゼントを選べるほど彼女の好みもそう知らないし、家同士の贈答品の作法なら勉強をしたけれど、同世代の女の子に誕生日のプレゼントを渡す機会なんて今までなかったし、どんなものがいいか想像もできない。

「なぁナマエ。誕生日プレゼントって何買えばいーの?」
「……私にもさっぱり…」

五条と顔を見合わせる。自分にもわからないのだから五条にはもっとわかるはずがないだろう。ナマエはおずおずと夏油を見上げる。

「あの…夏油さん……お誕生日プレゼントとはどんなものを用意すればいいのでしょうか……?」

夏油がぎょっと目を見開く。目は口ほどにものを言うというが、まさに「お前もか」と言わんばかりの表情である。しかしここで自分が突拍子もないものをあげてしまったら大事故になりかねない。有識者に頼るのが一番安全なのは目に見えている。夏油が五条にも視線を向けるが、五条も五条でこてんと頭の上にはてなマークを飛ばすばかりである。

「……三人で買いに行きましょうか…」

夏油の立てた穏便な対策により、そのまま三人は繁華街に出かけることにした。結局、ケーキはデパートの地下にテナントを出しているパティスリーの誕生日ケーキらしいものを調達することに決め、デパートをぐるりと回ってそれぞれのプレゼントを吟味する。
ナマエは家入が「最近ドライヤーの調子が悪い」と言っていたことを思い出して、百貨店の中に入っている美容家電の専門メーカーのドライヤーを買うことにした。彼女が喜んでくれるかどうかはわからないけれど、初めて買った誕生日のプレゼントというものに内心胸がドキドキと鳴っていた。










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