12 Ocean Blue


星漿体の護衛と抹消。それが五条と夏油に課せられた極秘の任務だった。内容が内容だからかなりのレベルで箝口令が敷かれていて、学生は自分たち二人の他に詳細は知らされていないし、補助監督でも内容を知っているのは厳選された数人のみだそうだ。ナマエの同行も不可だというのがこの任務の機密性をより物語っているように思う。
星漿体・天内理子という少女はお転婆で我が儘で面倒なガキんちょだった。ヘンなキャラ付けもしてるし、言うことも聞かないし、扱いづらいことこの上ない。天元様と同化した暁には自分もその中で己の魂が生き続けることになると彼女は言った。それでも、本当は恐ろしいと思っているに違いなかった。彼女は大勢の人間の安寧のために人身御供になる。特別に生まれ、特別に育ち、特別を生き、その使命を全うする。
全く同じとは言わないが、自分の人生に多少重ねていたところがあるのかもしれない。だから学校に行くという我が儘も面倒だと思いながらも、強く言い含めることは出来なかった。

「どっ、どうしよう、黒井が…!!黒井が!!」

廉直女学院から式紙に対して使用者本人の入れ替えが出来るという術式を持った呪詛師を排除したところで、天内が大きな声を出してそういった。黒井とは、天内についている使用人である。差し出された彼女のケータイを見ると、黒井が縛り上げられた画像が何者かから送られてきていた。

「すまない、私のミスだ。敵側にとっての黒井さんの価値を見誤っていた」

合流した夏油は焦った様子だった。どうやら黒井から先に天内たちに合流するように勧められ、それに従った直後に黒井が誘拐されたらしい。

「そうか?ミスってほどのミスでもねーだろ」

まだ巻き返すことは出来る。問題ない。むしろこの状況で交渉するとなれば有利なのはこちらだ。

「相手は次、人質交換的な出方でくるだろ。天内と黒井さんのトレードとか、天内を殺さないと黒井さんを殺すとか。でも交渉の主導権は天内のいるコッチ。取引の場さえ設けられれば後は俺たちでどうにでもなる」

天内はこのまま高専に連れていく。ナマエや家入あたりに影武者をやらせればいい。ナマエは五条に及ばないながらも手練れであるし、家入も非戦闘員とはいえ、彼女だって呪術師だ。

「ま、待て!!取り引きには妾も行くぞ!!まだオマエらは信用できん!!」
「あぁ?このガキこの期に及んでまだ───」
「助けられたとしても!!同化までに黒井が帰ってこなかったら?」

天内が五条の言葉を止めた。こんな状況になってまだ我が儘を言うのかと内心苛立っていると、天内は泣きそうになりながらも自分の言ったことを取り下げるつもりはないようだった。

「まだ、お別れも言ってないのに…!?」

スカートをぎゅうっと握りしめる。幼いころに両親を事故で亡くしている天内にとって、黒井はたった一人の家族だ。特別な身の上の自分に尽くしてくれた大事なひと。不意にナマエのことが連想させられる。もしも自分がそうなったら。

「…その内拉致犯から連絡がくる。もしアッチの頭が予想より回って、天内を連れていくことで黒井さんの生存率が下がるようならやっぱオマエは置いていく」
「分かった。それでいい」
「逆に言えば途中でビビッて帰りたくなってもシカトするからな。覚悟しとけ」

じろっと天内を見下ろす。彼女は強い瞳で自分のことを見上げていた。


夜になると、拉致犯から連絡が入り、人質交換の場所を沖縄に指定された。翌日には沖縄に飛び、午前中のうちに黒井の救出と拉致犯の捕縛に成功した。尋問も済んでいる。移動距離が単純に長ければ時間稼ぎになるとはいえ、どうして沖縄だったのか。乗客乗員、それに機内外も五条の眼でチェックしたし、飛行中は夏油の呪霊で護衛をさせたから下手な陸路よりもむしろ安全だったが。帰路の空港で待ち伏せをされる可能性も考えたけれど、それに対しては既に手を打ってある。

「海じゃー!」

天内が海に向かって走り出した。ざばざばと波を掻き分けて走る彼女をナマコを手にしたまま追いかける。今日は15時発の便に乗って沖縄を出ることになっており、それまでこうして観光を楽しんでいた。高専の敷地内まで入ってしまえばこちらのものだ。高専には夕方には着くよう考えていた。

「悟!!時間だよ!」
「あ、もうそんな時間か」

夏油に声をかけられた。そろそろ空港に向かわなければフライトに間に合わない。ちらりと天内に視線を向けると、あからさまに落ちこんでいるのがよくわかった。彼女は明日の日没後、天元様と同化し、天内理子個人として事実上の死を迎える。こんなにただの小娘なのに、星漿体なんて大きなものを勝手に背負わされて。

「傑、戻るのは明日の朝にしよう」
「……だが」
「天気も安定してんだろ」

波打ち際から浜辺に立つ夏油に歩み寄った。夏油は眉間に皺を寄せて難色を示している。お道化て「それに東京より沖縄の方が呪詛人の数は少ない」と冗談めかして言ってみれば「もう少し真面目に話して」とため息をつかれた。まったくノリが悪いことだ。

「飛行中に天内の賞金期限が切れた方がいいっしょ」
「悟」

へらっとそう言うと、夏油はさらに真剣な声で五条の名前を呼んだ。そして黒井や天内に聞かれてしまわないよう、顔を近づけてごく小さな声で続きを話す。

「昨日から術式を解いてないな?睡眠もだ。今晩も寝るつもりないだろ。本当に高専に戻らなくて大丈夫か?」

夏油の言う通り、昨日天内のもとに呪詛師が襲来したときから術式は解いていないし、昨晩も眠っていない。ここから高専に到着するまでもちろん術式を解くつもりはないし、睡眠も同じだ。

「問題ねぇよ。桃鉄99年やった時の方がしんどかったわ」

五条は右手でトンッと夏油の胸を軽く叩く。

「それに……オマエもいる」

そう。夏油がいる。自分たちが二人揃えば怖いことなんてなにもない。50時間術式を解除しなくても、二日間睡眠を取らなくても、少女に最後の夢を見させることが出来る。二人が揃えば最強なのだ。


マングローブ、ソーキソバ、水族館と沖縄観光を堪能すると、空港近くのホテルを利用することにした。そのホテルの一室で五条は隣の部屋に向けて神経を張りつめていた。空港に警備を置いているとはいえ、どこから襲撃があるかわかったものじゃない。なるべく高層階を選んだのは呪詛師対策だ。
自分と夏油であれば黒井や天内を連れて空から逃げることも出来る。六眼は並みの呪術師とは桁違いの精密さで呪力を観測することが可能だ。呪霊を視認できないほどの人間に宿る微弱なそれさえ観測できるのだから、近寄ってくる人間がいれば一般人であっても感知することが出来る。

「…くそ、頭痛ぇな…」

六眼は非常に体力と精神力を消費する。天内理子の警護任務が始まってからずっと酷使しているのだから、疲労が痛みになって襲ってきてもなんらおかしなことはなかった。夏油と五条が同じ部屋に泊まり、黒井と天内がその隣の部屋を取っている。警護対象と同じ部屋にいなくとも、六眼をもってすればサーモグラフィーのように隣の部屋の動向がわかる。

「悟、じゃあ私シャワーしてくるから」
「ん。行ってらー」

シャワールームに向かう夏油を見送った。自分は先にシャワーを済ませていて、備え付けの寝巻ではサイズが足りなくてフロントで大きいサイズを借りてそれに着替えていた。天内と黒井の部屋の方に視線を向ける。壁を隔てた向こう側、ベッドだか椅子だかに腰かけてお喋りにでも興じているようだ。

「……正真正銘、これが最後の時間…か」

天内理子は明日の日没後、己の自我を失う。星漿体を使った天元様の肉体の更新は500年に一度。前回は1500年頃、その前は1000年頃。いずれも室町時代と平安時代。教科書でしか関わりのない遠い昔のことだ。そのときの星漿体も、天内のように親しい人間との別れを惜しんだんだろうか。
たったひとりの家族。一番の理解者。大切なひと。天内にとって黒井という人間は、自分が生きていくためのよすがだったのだと思う。

「…ナマエに連絡入れとくか」

どうしてだか、ナマエに連絡が取りたくなった。五条はパカリとケータイを開くと、メールボックスの中からナマエの名前を探してメールの新規作成をする。なんて書こうか。任務の内容に直接触れることは書けない。呪詛師襲来を警戒して空港には一年生が配備されているが、彼らだって「呪詛師を発見次第制圧」の命令が下されているだけで、五条と夏油が警護している少女がまさか星漿体とは知らされてない。

「任務、で…ホテルに、泊まってる……と…」

結局悩んだ末、そんな他愛もない内容を送ることにした。ナマエからはすぐに返信があり、ホテルの部屋は乾燥しやすいからちゃんと加湿をすること、任務中と承知しているがなるべくよく休息をとることなど、生真面目な彼女の性格が窺える丁寧な返信があった。

「……マジで、いつも他人のことばっか」

液晶画面に表示されるメール文を見つめて五条はため息をついた。ナマエはいまごろ何をしているだろうか。あまりにも側御用の役割しか果たさない彼女がひとりきりで何をしているのか、正直なところあまり具体的な想像が出来ない。
なんて返信をしよう。彼女を前にするといつも言葉に詰まってしまうけれど、文字に書き起こす方がよっぽど苦手だ。五条は少し悩んだあとナマエに電話をかけた。まだ眠っているような時間じゃないだろう。呼び出し音はツーコールで途絶え、ナマエの声が聞こえた。

『はい、ナマエでございます』
「俺だけど」
『悟様、いかがなさいました?』

任務先からこうして電話をするのは初めてだった。高専での任務はナマエがずっと同行していたし、家の仕事をするときも大抵の場合そばに控えていた。それが側御用の仕事なのだから当然だ。だから電話なんて何事かと思っているんだろう。

「…明日、帰るから」
『ええ、今日の夕方にお戻りの予定が延期になったと伺いました』
「なんで知ってんだよ」
『一年生お二人の空港警備が一日延長になったと夜蛾先生から伺ったんです。ですので、悟様はきっと明日まではお戻りにならないのだろうと思いまして』

まぁ確かに、星漿体云々と言った機密の部分は伏せられたとして、このタイミングで灰原と七海に緊急出動の命令が下ったことが無関係だと思うほうが鈍感だろう。

「あのさ」

特別な身の上の自分に尽くしてくれた大事なひと。五条にとってナマエというのはそういう存在だった。もしも自分が天内のようにある日突然大義のために死ななければなくなったら、ナマエはどう思うだろう。

「俺が、死ななきゃいけなくなったら──」

いや、こんなタラレバは無意味だ。分かっているのに、普段は想像しないような思考が頭の中に流れていく。そんなことを聞いてどうする、と思い直し「やっぱなんでもねぇ」と言葉を取り消した。ナマエも追及しなかった。

「明日、午後には帰ると思う。多分3時とかそんくらい」
『承知しました。では、甘いココア入れてお待ちしてますね』

ナマエの穏やかな声が疲れた脳を少しだけ癒してくれるような気がした。わざわざナマエに電話をしているところを夏油に見られたら恥ずかしいから、シャワーが終わるような音が聞こえてきて慌てて通話を終えた。何食わぬ顔で戻ってきた夏油と話をしていたつもりだけれど、多分夏油には少しわかってしまっていたのだと思う。


護衛三日目、5月13日午後15時。筵山麓に到着し、星漿体・天内理子は高専の結界内に到着した。

「皆、お疲れ様。高専の結界内だ」

ここまで来れば恐れることはなにもない。呪詛師御用達の掲示板でかけられていた賞金も4時間前にタイムリミットが来ている。「これで一安心じゃな!!」と天内が笑い、黒井が少し複雑そうに「ですね」とそれを肯定する。

「悟、本当にお疲れ」
「二度とごめんだ。ガキのお守りは」

五条は発動し続けていた術式を解除する。さすがの自分も疲れた。いくら六眼の恩恵で呪力効率が良いとは言っても、発動し続けていたら脳への疲労で焼き切れてしまうところだ。天内を天元様のところへ連れて行けばそれでようやくこの極秘任務も終わる。たかだか三日と侮っていたが、これはなかなかにしんどい三日間だった。
ふと、身体が背後から揺らされて、背中から胸まで、肋骨の隙間を鋭く熱いものが走った。ほんの一瞬遅れ、自分が何者かに背後から刺されたのだと分かった。高専の結界は登録されていない呪力を感知するとアラートを鳴らす。結界の内側で奇襲されることなんて本来有り得ない。

「アンタ、どっかで会ったか?」

じろ、と五条は自分を刺してきた男を見下ろす。自分の首には小さいころから多額の賞金がかかっている。だから命を狙われることも初めてじゃない。

「気にすんな、俺も苦手だ。男の名前覚えんのは」

口元に大きな傷痕。鋭い目元、真っ黒な髪。通称「呪詛師殺し」と呼ばれる男の巧妙な罠に、一同はすっかり踊らされていたのだ。










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