08 Steel Blue


サプライズにしてもいいけど、当日本人が捕まらなかったら本末転倒じゃないか、という夏油の進言により、家入に誕生日パーティーを計画していることを伝えると、本人は「べつにそんなのやんなくていいよ」とイメージ通りそう言ったが「悟もナマエさんも友達の誕生日会したことないんだって」という夏油の発言により本人は多少恥ずかしがりながらも誕生日会は執り行われることになった。

「...これがバースデーケーキ……」

五条は白いクリームでデコレーションされたケーキを前にそうこぼした。誕生日というものは、一般的にホールケーキを食べるものらしい。そのケーキにはチョコレートのプレートが飾られ「おたんじょうびおめでとう」の文字と家入の名前がチョコレートのペンで書き記されている。

「あはは、悟、そんなにバースデーケーキが羨ましいのかい?」
「…べつに、そんなんじゃねーし」
「安心しなよ。来月の君の誕生日にも同じの用意してあげるから」

幼い子供に言い聞かせるようにして夏油がそう言った。子供扱いされたことに五条はもの申すけれど、内心来月の自分の誕生日を楽しみにしているだろうことは想像に難くなかった。興味のなさそうな感じを装ってはいるが、視線はしっかりと大きなケーキに注がれている。

「なぁ、硝子!アレやるんだろ!アレ!」
「は?アレって?」
「歌うたうんだろ。誕生日の!」

五条の隣でナマエもこくこくと頷いた。バースデーケーキには年齢の数ろうそくをたて、歌を歌ってからそれを吹き消すらしい。ナマエは一般社会の教養の一部として座学でそれを知っているらしいが、バースデーケーキさえ初見の五条は当然そんなことも知らなかった。

「じゃ、電気消すよ」

夏油がそう言って談話室の電気を消すと、ライターでろうそくに火をつけていく。大きなろうそく一本と小さいろうそくが六本。大きいろうそくは10歳分らしい。確かに16本もろうそくを立てていたらケーキが台無しになる。ゆらゆら揺れる炎を前に、夏油が「せーの」と音頭を取った。

「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディア硝子ぉー、ハッピーバースデートゥーユー」

練習したとおり三人で歌を歌うと、家入が少し恥ずかしそうにふうっと息を吹きかけてろうそくの炎を消した。ろうそくといえば実家じゃ面倒な儀式の場面でしか見ることはない。こんなふうに楽しげな思い出と直結するような場面で見るのは初めてのことだった。

「五条、チョコのプレートやろうか」
「は?」

夏油が談話室の電気をつけると、家入がホールケーキを指さしてそんなことを言った。チョコレートのプレートには大いに興味があるが、あれはどこからどう見ても主役のための特別なものであるに違いない。つまりあれは家入が食べるべきものだということだ。

「硝子が食えよ。誕生日の主役なんだろ」

他人のためのものを奪ってまで食べようというほど卑しくない。五条がそう言うと、家入はいつも気だるげにしている瞼をぐんと上げて目を見開き、不思議なものでも見たかのように数回パチパチとまばたかせる。

「五条ってさ、へんなところでめちゃくちゃ純粋だよね」
「なんだよ、馬鹿にしてんのか?」
「違う違う。褒めてんの」

へらりと家入が笑う。夏油がバースデーケーキを切り分けて、フライドチキンやらピザやらを並べた誕生日会が始まった。


五条にとって誕生日と言って真っ先に思い出されるのは、五条宗家屋敷で毎年行われる誕生祝賀の儀と祝賀会だ。父親である当主の祝賀には多少劣るが、ほとんど同じような規模のそれが自分の誕生日にも行われる。
12月5日の早朝から五条は束帯を身にまとい、御霊璽の間と呼ばれる特別な部屋で祖霊を祀る祖霊舎を前に先祖代々の御霊に辞儀をして、頭を深く垂れる。

「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ……」

小さい頃から教え込まれた祝詞を奏上する。この御霊璽の間には五条本家の直系しか入ることを許されていないから、いかに側御用といえナマエは足を踏み入れることが出来ないし、それどころか傍系のひとつから嫁いできた五条の母親でさえ入ることは許されない。
呪術師の一族というのは血を結束の掟として重用するけれども、次期当主の母親になったとしてもその血の輪に入ることはできない。

「そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほけれ…」

女はあくまでも男と対等ではなく、家は男によって継承される。女系は許されない。五条本家の男の血筋を色濃く引いていることが重要なのだ。これでも御三家の中ではマシな方で、禪院家や加茂家のほうが五条家よりもこういった傾向は強い。これ以上なのだと思うと、本当に家の中の人間はよく生活できているなと思う。

「若君様、どうぞこちらへ」

祝詞の奏上を含む儀式を終えると、そのまま宴に使われる広間に移った。午後からはこうして次期当主の誕生日を祝うという口実で集まった親戚たちが献上品を手に上座に坐する五条に頭を垂れる。
襖が開くと、北と南に分かれて正座をする一同が一斉に額を畳に近づける。五条が中央に作られた道を歩くと、通り過ぎたところから順にまるで波のように頭を上げていく。上座である東に据えられた分厚い緞子判の座布団に腰を下ろすと、示し合わせたように参列者が「御目出度う御座います」と声をそろえた。ここから始まる宴の時間はまさに地獄そのものだ。

「若君様にご挨拶申し上げます」

一人、二人、三人、四人…。さてこの目の前で頭を垂れるこの男は何人目か。もう面倒くさくて数えるのも嫌になった。確か母親の血筋の男である。この分厚い緞子判の座布団も本来座り心地が良いのだろうが、いまの五条にとっては高専の談話室にあるくたびれたソファのほうがよっぽど座り心地が良かった。

「若君様におかれましては、ますますご清祥のご様子、まことにお喜び申し上げます」

男は頭を垂れたままの聞きづらい声で五条に対してつらつらと挨拶を重ねた。おべっかで塗り固められた言葉も、本家に取り入ろうという意図の透けて見える仮面も、本当に馬鹿らしいと思う。この招待客の中の何人が自分のことを祝おうと足を運んでいるんだろうか。

「我々△△家一同不惜身命、若君様にお仕えいたします」

ぺらぺらと上っ面だけの言葉は最後にそう結ばれた。一応聞いてはいたけれど、右から左に流しすぎていて内容は頭の中には何も残っていなかった。次に控えていたのは分家の筆頭、その次は三代前に側女を出した野心家の傍系。次々と五条の前に同じ仮面をつけたかのような男たちが同じように中身のない賛辞を繰り返していく。

「若君様、ご機嫌麗しゅうお過ごしでございますか」

にっこりと笑う仮面を冷たい目で見下ろす。麗しいもんか。こんなところに押し込められて、上っ面ばかりの言葉を聞かされて。五条は口を閉ざし、来賓の誰とも口をきかなかった。


宴の余興が始まると、五条は配膳される料理もそこそこに宴席を抜け出す。笙、箏、龍笛、鞨鼓。雅楽にはお馴染みの楽器が雅やかに奏でられ、踊り子が舞う。薄衣が宙を舞い、緋袴が檜の舞台の上で翻る。こんな演し物にももう飽き飽きだ。こんなことなら寮でだらだらと昔の映画を見ていたい。

「はぁー、マジ帰りてぇー…」

見飽きた日本庭園を意味もなく睨み付ける。先月の家入の誕生日はよかった。あんなに楽しい「誕生日会」は初めてだった。世間一般ではチョコレートのプレートに名前を書いてケーキに乗せるらしい。今日の夜には寮で誕生日会をしてくれると言っていた。こんなつまらない祝賀会なんて抜け出してさっさと帰ってしまいたい。

「若君様、こちらにいらっしゃったのですね」
「…ナマエ」
「あまり長い間席を外されますと、ご当主様が心配なさいますよ」

不意に背後から気配がする。ナマエが自分を探しにきたらしい。「ご気分でもお悪いのですか?」と真面目な顔をして聞いてきたけれど、こうして余興の最中に抜け出すことはほとんど毎年恒例のことである。

「べつに俺が抜け出してることなんて誰も気づいちゃいねーよ」

大広間からは依然雅やかな音楽が漏れ聞こえてくる。ああいうものを好んだり何かにつけて儀式をしたがるのは平安の昔から脈々と続く公家の名残のようなものであると思うが、一般社会との関りを持った今振り返ってみると、本当に時代錯誤も甚だしいと思う。しかもすべて文化的な保存の概念などではなく、そのままただ生きているだけだというのだから、いかにこの家が閉鎖的であるかを思い知る瞬間でもあった。

「御霊璽の間の辞儀も祝詞の奏上も終わったんだし、もう帰ってよくね?」
「それはいけません。宴が終わるまでが祝賀会です。皆様お誕生日をお祝いにいらしているんですから」
「腹の探り合いしに来てるだけだろ」

ナマエの言葉をはっと鼻で笑った。ナマエだって、結局この祝賀会の本質が何なのかはわかっているはずだ。先ほどの発言は建前にもほどがある。お世辞を言うにしたって下手すぎるだろう。あの宴席の誰が自分を祝うために足を運んでいるというのか。そんなことは参加者全員がわかっていることのはずである。と、いうか。

「つーか、呼び方。戻ってんだけど」
「……お屋敷の中ではお許しいただけませんか」

若君様という呼び方が嫌で、宗家屋敷を出るときに「悟様」と呼ぶよう変えさせたのに、ここに来て若君様呼びに戻っているじゃないか。まぁ五条自身がそう呼ばせていると知らない他の関係者は、直系の近しい人間でもないのに側御用が馴れ馴れしくして、と反感を買うに違いないだろうが。

「……はぁ、わかったよ」

五条は大きくため息をつく。ナマエの立場が悪くなるのは五条自身も望むところではない。この屋敷の中では「若君様」呼びに甘んじるしかないだろう。五条は足下に転がる小石を拾い上げると、目の前の池に滑り込ませるように投げ入れる。小石がちょんちょんちょんと水面を切って走って対岸にたどり着く前に沈む。

「…誕生日会ってさ、こんなもんだと思ってた」
「はい?」

誰かを祝うなんてのはただの建前で本当は政治的な意味合いでしかない。祝い事というよりは家としての行事。自分の仕事は上座に坐して、同じような賛辞を口にする人間たちを流れ作業で右から左へ。
先月初めて経験した誕生日会とやらは全く違った。名前を書いたプレートの乗っているケーキを用意して、誕生日プレゼントを用意して、ジュースで乾杯して、どうでもいい話をしながらお菓子を食べて。祝賀会の方が何倍も豪華だけれど、祝賀会よりも何倍も楽しかった。

「誕生日ケーキ、俺の名前書いてあんだって」
「ええ、お戻りになったら、そのまま若君様のお誕生日会ですね」

早くこんなつまらない行事なんて投げ出して寮に帰りたい。そう「帰りたい」のだ。この家は自分の生まれた場所だけれど、居場所であるかどうかと言われればそうではない気がしていた。こんな家よりも自分自身を必要としてくれる人間がいる場所の方がよっぽど大切な場所のように思えてならないのだ。

「あー、さっさと帰りてぇー」
「でしたら、宴席にお戻りください。若君様がご不在となれば、余興が中断して祝賀会が延びかねませんよ」

もっともらしいナマエのお小言に「わぁーったよ」とやる気のない返事をする。気まぐれにまた小石を拾って池に向かって投げ込んだ。水面を切ったその小石は、池を渡りきって対岸でころんと所在なく転がった。










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