ご褒美なぁに


堅物で真面目。融通がきかないひとだけれど、怖いふりして実は結構優しい。ナマエは今日も几帳面さを前面に押し出すメガネのフレームを眺めながらそんなことを考えていた。

「ナマエさん、手が止まっていますが」
「大丈夫ですよぅ。今日の分終わってますからぁ」
「……それなら、私を観察するのをやめてもらえませんか。集中できません」
「ええぇ、私の貴重な癒しなのにぃ」
「ひとを勝手にリラクゼーショングッズにしないでください」

ため息をつきながら、タブレット端末をナマエにぐっと差し出す。そのため息もご褒美です。なんてふざけたことを頭の中で呟いたが、どうやら言葉に出ていたようでこれでもかというほど花輪の口角が下がった。そんなに嫌がることないのに。

「暇してるんならそれ、大道寺に持って行ってください」
「大道寺?あ、浄龍さんのトコですね」

大道寺、とは、その名の通り大道寺一派の拠点のひとつである。名前に似合いの寺院のフリをしているけれど、住職も本物ではないし信仰なんてかけらもない。一年ほど前からその「大道寺」に隠されているエージェントがいる。コードネーム浄龍。なにやら事情のある大物のようで、自分たちのように細々とした仕事は任されていない。花輪はその浄龍を管理する人間であり、ナマエも浄龍と接触の許された数少ない人間であった。

「他にお遣いあります?」
「いえ、今のところ特には」
「はぁい。りょーかいでーす」

ナマエは差し出されたタブレット端末と少しの荷物を手に駐車場に向かうと、さっそく通いなれた大道寺への道を走り始めた。途中花輪から無線が入り、応答すると浄龍のモチベーションアップに送った画像も見せてこいという内容だった。さすが、できる管理者様はモチベーション管理にも抜かりがない。


ナマエは大道寺一派のエージェントのひとりである。もとは錦栄町で情報屋まがいのことをしていたが、ヤクザ相手に下手を打った。そして始末される寸前だったところを大道寺一派に拾われ、それまでの人生をすべて消してナマエとしてここでエージェントとしての余生を送っているというわけである。

「住職さん、こんにちは!」
「ああ、ナマエさんこんにちは。今日は花輪さんと一緒じゃないんですねぇ」
「そーなんです。遣いっぱしりです。浄龍さんいますか?」
「ええ、いつものところで瞑想されていますよ」

門前のところで掃除に勤しんでいた住職に声をかける。彼は前線を引退こそしているが、長い間大道寺一派の金庫番を勤めていた有力者だ。お邪魔します、と言ってから門の内側に足を踏み入れ、さっそく浄龍のもとへ向かった。
境内は静かなものだ。立派な造りだけれど参拝者なんていなくて、静謐な雰囲気がまるで本物よりも本物の寺院を彷彿とさせる。内玄関で靴を脱いで回廊を進むと、枯山水に面した縁のところで座禅を組んでいる男を見つけた。

「浄龍さーん、お疲れ様でーす」

彼の醸し出す静寂を打ち破るように緩い雰囲気でそう声をかけると、彼は閉じていた目を開いてゆっくりこちらに顔を向けた。このいかにも色々背負っていますと言わんばかりの男こそ大道寺一派のエージェント仲間、浄龍である。

「ナマエか。花輪はいないのか?」
「残念ながら今日はひとりです」
「いや、お前ひとりのほうが気が楽だ」

実のところ、この男の消した名前にうっすらと心当たりはあったが、そういうのを詮索しないのがここのルールだ。というか、彼ほどの大物を、曲がりなりにも裏社会と関わりのあった人間が見聞きしたことがないという方が無理な話である。なんなら昔何度かテレビ速報で見た顔だ。

「はいこれ。花輪さんからのお届け物です」

ナマエがそう言ってタブレット端末を差し出すと、浄龍があからさまに嫌そうな顔をした。まぁそりゃそうだろう。花輪からの連絡なんて仕事関係に決まっている。浄龍は一度大きくため息をついてからタブレット端末を受け取って目を通していく。

「次のお仕事、要人警護ですって。まぁ、ボディーガードみたいなもんです」
「要人警護っつってもなぁ。本当の要人なら俺みたいな半端モンじゃなくて正式なボディーガードつけるだろ」
「お忍びらしいですよ」

大道寺一派ではエージェント個人の適性に合った仕事が回される。その方が効率的だからだ。浄龍に与えられる任務は圧倒的に警護系の戦闘力を必要とするものが多い。というかそればっかりだ。まぁ、彼に諜報活動や情報収集などが向かないだろうということはなんとなくお察しである。

「私も花輪さんも現場周辺でサポートには出るので、そんなに面倒な仕事でもないと思います。ね、ここは大道寺一派とのギブアンドテイクってことで」
「はぁ…わかったよ」

実際問題、浄龍に拒否権はない。最初の経緯は知らないけれど、沖縄にあるアサガオという児童養護施設への支援を条件にエージェントとして働くことになっている。その子たちの無事を思えば拒否できる理由なんてあるはずもないのだ。浄龍が「最近お前が仕事持ってくる方が多くないか?」と素朴な疑問をナマエに投げる。ああ、そのことか。

「私が仕事持ってくと浄龍さんがすんなり受けるから楽なんだって言ってましたよ」
「思いっきりいいように利用されてんじゃねぇか」
「まぁ、花輪さんのためになるならなんでも良いですけどねぇ」

便利だと思われるということは、必要とされるということだ。何の損得勘定もナシで「お前が必要だ」と求められるよりも、よっぽど裏付けられたようなものがあって安心できるような気がする。

「…お前、ほんっとに花輪が好きだなぁ」
「そーなんです。花輪さんに言ってやってくださいよ」
「自分で言え」
「だって、私が言っても真面目に取り合ってくれないんですよぅ」

まことに遺憾なことである。こっちはいつでも全身全霊で花輪への愛を叫んでいるのに、肝心の彼はいつも「ハイハイわかった仕事しろ」と言わんばかりの態度なのだ。まぁ、名前まで捨てて第二の人生を送るような自分たちに仕事以外のものは何もかも不要だとでも思っているに違いない。

「あの堅物に惚れるなんざ、お前も相当物好きだな」
「そうですか?花輪さん、結構優しいですけどね」

浄龍さんもきっといつか魅力が分かりますよ、と言えば、男の魅力なんて分かっても困るんだが、と返ってきた。そういえば、もうひとつ彼あてに預かっているものがあるんだった。ナマエはポケットからごそごそとスマホを取り出す。

「はい、浄龍さん。これも」
「まだ何かあるのか」
「まぁ、ご褒美の前借り的なやつですよ」

画像を表示させてディスプレイを見せると、苦いばかりだった浄龍の表情が微かに綻び、眉間の皺が少しだけ和らぐ。モチベーションアップのために花輪から預かってきたこれは例のアサガオの子供たちの近影である。自分より大切な存在というものがよくわからないナマエにとって、この施設の子供たちと浄龍の関係のことはよく理解できないが、この子供たちはこれほどの男が人生を捧げるに値するような尊い存在なのだろう。

「現地のエージェントによれば、みんな滞りなく生活しているようですよ」
「…そうか、ならいい」

浄龍はディスプレイに表示されている写真をひとしきり眺めると、少しホッとしたような、寂しそうな顔でそう言った。子供をダシに脅すなんて、と言えない程度にはナマエもすっかり大道寺一派に染まっている。

「じゃあ、また任務の件追加の情報下りてきたら遊びに来ますね」
「遊びってお前なぁ。花輪に聞かれたらどやされるぞ」
「花輪さんには内緒でお願いします」

へらへら笑ってそう言い、お遣いを終えたナマエはまた住職に挨拶をして拠点に戻る。一回死んだ自分の人生にあまり執着のようなものはないけれど、できることなら花輪の役に立って死にたい。そんなことをぼんやりと考える程度には、花輪喜平という男に様々な意味で惚れこんでいた。

「花輪さぁん、戻りましたぁ」
「おかえりなさい」

拠点に戻ると、花輪はまだパソコンに向かい、カタカタとキーボードを叩いている。器用な人だ。情報収集に諜報、交渉、時には強硬手段。カバーできる分野も幅広いし、どの分野においても平均点を遥かに超える優秀さを兼ね備えている。大道寺一派においてそれほど古株というわけでもないのに浄龍の管理なんていう重要な仕事を任されるだけのことはある。

「で、どんな様子でした?」
「いつも通りでしたよ。枯山水の前で座禅して瞑想してました」
「それは結構。次の仕事については?」
「それもいつも通りですね。ちょっと嫌そうな顔してしょうがないなぁって感じで」

頭の上にぽかんと先ほどまでの浄龍の様子を思い浮かべてそう言った。やる気があります!という雰囲気じゃないけれど、いざ仕事が回って来ればおざなりに向かい合うようなことはない。根が真面目なのだろう。
花輪はナマエの報告を聞き、手を止めると顔を上げ、椅子をくるりと回転させて身体ごとこちらを向いた。激務の中でもスーツに皺ひとつないのは、彼の几帳面さゆえだろう。

「遊びに行ったという割には、あなたはだいたい真面目ですよね」
「え」

遊びに、というワードは決して花輪の前では出していないはずである。なんで自分の発言を知っているんだ。そう思ったのがしっかり顔にも出ていたようで、花輪が「無線、切り忘れてましたよ」と付け加えた。そうか、運転中に花輪から無線が入ったんだった。

「あ、てことは花輪さん聞きました?」
「何をです?」
「私が花輪さんのこと大好きなのに花輪さんが取り合ってくれないって話!」
「聞きましたけど」

花輪が照れもせず動揺することもなくさらりと肯定する。いやいや、聞いていたんならちょっとくらい取り合ってくれてもいいじゃないか。

「なんでそんなに冷静なんですかぁ。ちょっとはドキドキしてくださいよぅ」

鉄仮面、という言葉がまさにお似合いの彼にそうケチをつけると、ハァとあからさまなため息が返ってきた。もちろん、こんなため息程度でへこたれるような可愛らしい精神構造は持ち合わせていないので「私こんなに花輪さんのこと好きなのに」とうだうだ言葉を付け足す。

「はい。次の仕事です。収集したデータがそのまま入っているので、とりあえず整理してください」

この話はもう終わりだ、とばかりに花輪から次の仕事が回ってくる。「はぁい」とやる気のない返事をしながらそれを受け取った。まぁ今日まで一度もマトモに取り合って貰えなかったのだ。今更劇的に花輪に響いてくれることなんて期待していない。データを自分のタブレットで開きながらふんふんとそれに目を通していると、花輪が少し躊躇ったような間のあと、そっと口を開く。

「…そのデータの処理終わったら、ご褒美、差し上げてもいいですよ」
「えっ!うそ!やったぁ!」

ナマエは思わぬ朗報にタブレットを持ったままピョンと飛び上がった。高々10センチそこらだろうが、気分的には3メートルくらいは垂直に飛んだような気分だ。珍しい、というか花輪からご褒美なんて言葉が出てきたのは初めてじゃないか。そうと決まればこんなデータ処理ぐらいちゃきちゃき高速で終わらせてやる。

「ハグとかチューとかしてくれるってことですよね!」
「いや、誰もそこまでするとは…!」

タブレットに視線を落としたままわざとそんなふうに煽れば、花輪があせあせと慌てる。さてご褒美には何をお願いしよう。本気でナマエがハグやキスを強請ると思っているのか、花輪はまだ焦ったご様子だ。

「ちょっと!聞いてますか!?」
「はいはい、大好きですって。花輪さん」

ニッコーッと満面の笑みで彼を見れば、少しだけ彼の顔が赤くなったような気がした。一念岩をも通すというやつかも知れない。ハグやキスまで強請るつもりはないが、ランチデートや飲みの誘いくらいなら許されるだろうか。








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