ぜんぶ正解


どちらかというと、自分はものを知らない方だと思う。対するナマエの恋人はこの街から出たこともないのにナマエより何倍もものを知っているように思えた。
国政までも巻き込む大騒動のあと、恋人は家がなくなったとかなんとかでナマエのアパートに転がり込んできた。元々は女のひとり暮らしだったから二人で住むには手狭だったけれど、すぐそばに彼の気配を感じられる距離感は少し、いや、かなり居心地が良かった。

「ナマエちゃん、コーヒー淹れたげよっか」
「うんっ!天佑さんのコーヒー好き!」

迫っ苦しいキッチンに趙が立ち、ドリッパーにフィルターをセットする。紙製の袋から彼の好みに挽いた豆をフィルターの中に適量入れて、サーバーにドリッパーを乗せると、その上から熱湯をゆっくり注いだ。その一連の作業をすぐそばで眺める。

「ん?待ってていいのに」
「天佑さんがコーヒー淹れてるところ見るの好きなの」
「へぇ、そりゃあ緊張しちゃうね」

少しも緊張なんかしていない様子で趙が笑う。それが悔しい気もするけれど、そういう余裕綽々で読めないようなところも魅力のひとつなのだからしょうがない。フィルターからぽたぽたと香ばしくて黒い液体が抽出されていき、彼はサーバーを手にマグカップ二つに分けて注ぐ。

「ねぇ天佑さん。今日ケーキ買ってきてたよね?」
「うん。このコーヒー飲みたかったからさぁ」
「やっぱり!」

彼は今日ふらりとケーキを買ってきてくれたのだ。ナマエはいそいそと冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、中に収まっているショートケーキを皿に取り分けた。二人でローテーブルに運んで、向かい合ってティータイムの準備は万端だ。

「天佑さんのコーヒー、やっぱりすっごくいい香りだね」
「香りだけじゃなくて味も最高だよ〜?」
「ふふ、知ってる!」

そんなふうにじゃれ合いながら、まずはコーヒーをひとくち。爽やかな口当たりで飲むほどに甘みとコクを感じる。細かいコーヒーの味の違いは分からないけれど、これは多分彼の好きだというモカという種類なのだろう。
それからまずケーキの上にちょこんと乗っているいちごにフォークを刺し、ぱくっと口に放り込んだ。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。

「ん〜!おいひ〜!」

頬にぺとりと手のひらを当てていちごの甘酸っぱさを堪能する。思わず閉じていた瞼を上げると、こちらを向いてニコニコを笑っている趙と目が合った。

「ナマエちゃん、いちご好きだねぇ」
「うん。このケーキのいちご、甘酸っぱくて美味しい!」
「じゃあナマエちゃんにクイズ。正解したらこのいちごをご進呈」

趙がにっと笑ってケーキの上に乗っかっているいちごを指さした。「いいの?」と尋ねると「正解したらだよ?」と悪戯っぽく口角を上げる。いちごのためなら頑張るしかない。

「コーヒー豆のランク付けに関するクイズね。コーヒー豆のランクは次のうちどの基準で決められているでしょうか。その1、豆の大きさ。その2、栽培された標高。その3、豆の精製の度合。さて、どーれだ」
「うぅん…ランク付け…」

突然出された難易度の高い問題にじっと考える。希少性の高い豆はより高価なのだと前に彼から聞いたこともあるけれど、今回出された三択の中ではピンとこない。うんうん頭を抱えていても彼はヒントを出してくれるつもりはないようで、ナマエの答えをずっと待っていた。

「……うーん…じゃあ…1?かな?」
「ピンポーン!大正解!正解したナマエちゃんにはこのいちごを差し上げましょ〜」
「やったぁ」

当てずっぽうではあったがクイズには正解できたようで、趙は自分の皿のいちごをフォークで刺すとナマエのほうへひょいっと向ける。「あーん」と言葉が付け加えられて、ナマエはおずおずと口を開く。ころんといちごが口の中に転がって、歯を立てればまたじゅわりと果汁が広がった。甘酸っぱくて瑞々しくて、フォーク越しに彼の甘い瞳がくすぐったかった。


二日後、サバイバーに顔を出すとナンバがひとりでカウンターに向かっていた。春日や足立はいないんだな、と思いながらカウンターに近づくと、今日は珍しく酒ではなくてコーヒーカップを傾けているようだ。

「こんにちは、ナンバさん」
「おうナマエちゃん。今日は趙のやつは一緒じゃねぇのか?」
「はい。天佑さんは用事だそうです」

ナマエはナンバの隣に腰かけ、彼の手元のコーヒーを見ながら「コーヒー珍しいですね」と言うと「マスターのコーヒー美味いんだぜ?」と返ってきた。元々あまりコーヒーを飲むことはなかったのだけれど、趙に振る舞われ始めてからコーヒーを飲む機会が増えた。せっかくだし自分もいただこうとマスターに「私もコーヒーいただけますか」と声をかける。

「わ、いい匂い」

マスターの慣れた手つきで出されたコーヒーは香ばしい香りが漂っている。いい香りであるのは間違いないけれど、アパートで趙が出してくれるのとは違って感じる。取っ手を持ち上げて口に含むと、美味しいけれど趙の出してくれるものよりは酸味が強いように感じた。このコーヒーの豆は大きいものなのか小さいものなのか。そう言えば大きいほうがランクが上なのか小さいほうがランクが上なのか聞きそびれていた。

「あ、そうだ。ナンバさんにクイズ出していいですか?」
「おう、いいよ。どんなクイズだ?」
「コーヒーのクイズです!このあいだ天佑さんに出してもらったやつなんですけどね」

ナマエはクイズのことを思い出したついでにナンバに同じクイズを出してみようと思いつく。ナンバが快諾してくれたから、ナマエは嬉々としてナンバにクイズを出した。

「コーヒー豆のランクは次のうちどの基準で決められているでしょうか。その1、豆の大きさ。その2、栽培された標高。その3、豆の精製の度合。さて、どれでしょう!」
「んんん〜?」

ナンバが怪訝な顔をして指を顎に当てる。しめしめ。彼もこの難問に悩まされているようだ。だって自分にだって皆目見当もつかなかった。ナンバの答えを待つこと数十秒。彼が「あのよ」と口を開く。

「ナマエちゃん、それよぉ、全部正解なんじゃねぇか?」
「え?」
「コーヒー豆の格付けってのは一種類じゃねぇんだ。タンザニアでは豆の大きさでランク付けられるし、栽培される標高で決まるのはグアテマラ。豆の精製の度合いは…ブラジルだったか?」

ナンバがなめらかに説明してみせて、ナマエはパチパチとまばたきを繰り返す。全部正解なんていうちょっと意地悪なクイズだというセンも想像できるけれど、趙はそんなことは一言も言わなかった。

「そうなんですか?」
「そうなんですかって、趙から正解を聞いたんじゃないのか?」
「わ、私、その1で正解って言われて……」

ナマエはナンバにケーキのいちごを賭けてクイズを出されたことをついでに説明をする。ナンバはそれを聞いてにやりと口角を上げた。

「ははぁ。そりゃあ随分甘々なクイズだな」
「あまあま…?」

なにかナンバには自分がわかっていない意図が分かっているようで、どういう意味ですか、と聞いてみても「趙本人に聞いてみな」としか言ってくれなかった。


意地悪なクイズだったとしても、なんで「全部正解なんだよ」と言ってくれなかったんだろう。べつに特別不愉快とかそういうのではなかったが、意図がわからなくてすっきりしない。
アパートに帰宅してあれこれと家事を済ませていると、横浜流氓絡みの所用だったという趙が「ただいま〜」といつも通りにアパートのドアを開ける。

「天佑さん、おかえりなさい。お疲れ様」
「もう元総帥なんだから所用もなにもないよねぇ」

本当は頼られて皆のために何かできることが少し嬉しいクセに、お道化て迷惑そうな顔をしてみせた。帰ってきたのなら丁度いい。なんで、とひとりで考えているのも面倒になってきたし、彼から直接意図を聞いてしまおう。

「ねぇねぇ、ちょっと聞きたいんだけどいい?」
「あれれ〜、ご機嫌斜め?どうしたの?」

ナマエがいつもよりなんとも言えない顔を浮かべているせいか、趙はそう解釈したようだ。彼が屈んでナマエの顔を覗き込む。丸っこいサングラスに自分の顔が反射する。

「あのね、このまえコーヒーのクイズ出してくれたでしょ?あれ、ほんとは全部正解だったんだよね?」
「あらら、バレちゃった?」
「うん。ナンバさんに聞いたの」

趙はとくに悪びれるような様子もなくそう言って、ナマエは今日サバイバーでナンバからそれを聞いたのだと伝える。すると趙は「知ってたかぁ」と笑った。

「ナマエちゃん、それがなにか気に障った?」
「そういうんじゃないけど……だってさ?あれって私が何答えても正解だったってコトでしょ?」
「うん。ナマエちゃんの正答率100%保証の出血大サービス」
「なんでそんなクイズ……」
「さて、どうしてでしょう?」

趙がそう言って、ナマエの顎をついっとなぞる。出血大サービス、という言葉を聞いて、あれはケーキのいちごをナマエに渡すための戯れだったのだとようやく気が付いた。丸いサングラス越しに趙の甘い目がナマエを見つめている。「気付いちゃった?」と笑った。

「じゃあナマエちゃんにクイズです。俺はいまナマエちゃんをどうしたいでしょうか。その1、ハグしたい。その2、キスしたい。その3、もっとイチャイチャしたい。さて、どーれだ」

ナマエはつんっと唇を尖らせて、それから彼の胸の中に飛び込む。「全部!」と勢いよく言えば、彼の優しい声が「だ〜いせいか〜い」と言ってナマエの後頭部をふんわりと包み込んだ。
趙の甘い戯れは嬉しいけれど、せめてこれからは正解を教えてほしい。そんな小言は彼のキスによっていとも簡単に飲み込まれてしまった。




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