一発逆転ホームラン


極道の家に生まれたから、友達もロクに出来なかった。外出を制限されることも多かったし、進路も親に決められた。短大を卒業して、父の許す会社に事務員として就職した。この頃には自分の中である種の諦めと覚悟のようなものが積み上げられていたと思う。

「お見合い…?」
「ああ。相手がその…直系の組の男でな…」

父から呼び出され、唐突にそんな話をされた。釣書を手渡され、内容を確認する。真島吾朗。東城会直系嶋野組のなかにある真島組という組をまとめている男であり、ナマエよりはひと回り以上年上。左目に眼帯をしていて、極道らしい人相の悪さだった。

「…ナマエにはすまないと思っている。ろくな恋愛もさせてやれずに見合いだなんて話は…」

父が言葉を濁した。断れないのは、相手が直系の組の二次団体、いわばミョウジ組よりもはるかに格上の存在であることだろう。無下にすればどんな筋を通せと言われるか分かったものじゃない。それにこんな末端組織の娘と直系の組の人間の縁談となればミョウジ組に与える影響は大きい。この縁談がまとまれば、ミョウジ組の起死回生の一手になることは間違いなかった。

「問題ありません。この方とお見合いします」
「ナマエ…」
「この方が私を気に入ってくださるかは…分かりませんけど」

そればっかりは仕方のないところだ。こちらがいかに礼を尽くしたところで、相手方のお眼鏡にかなわなければ縁談は流れてしまうだろう。その場合は格上の向こうから断りを入れられるかたちになるのだから、ケジメだなんだという話にはなるまい。

「…ナマエ、本当にすまない。お前には幸せな結婚をさせてやりたかった…」

まるで鬼にでも嫁入りするような言いっぷりだ。まぁ、実際そうなのかもしれない。こんなに歳の離れた、会ったこともない男と結婚することになるのかもしれないのだ。

「お父様。私は大丈夫ですよ。案外これが幸せな結婚になるかもしれないじゃないですか」

苦渋の決断を下しただろう父にナマエはせめてそう強がって見せた。諦めの延長の覚悟はもうすっかり決まっている。この男との結婚生活なんてものはもちろんまるで想像が出来なかったが、それも自分の宿命なのだろう。


二週間後、東城会の所有する料亭のひとつで見合いが行われることになった。一般の見合いとは勝手が違うのか父は来ずに、ナマエは数人の組員を連れてそこを訪れた。ナマエの家も一般家庭に比べれば金は持っていた方だし、それこそバブル時代にはこういう店を訪れたこともある。しかし随分久しぶりだ。濃い紫色の振袖姿で下座に座り、相手の到着を待つ。

「…お嬢、その、本当にいいんスか…?」
「…なにが?」
「親父はそこまで言いませんでしたけど、相手は嶋野の狂犬って呼ばれてる男です。嶋野組って言やぁ武闘派で名の通った組で……そいつぁ折り紙つきですよ」

同行していた若衆のひとりがこそこそと口を出した。父の手前言えなかったことを辛抱溜まらず言ったというところだろう。

「あんな男のところに嫁いだらどんな目に遭わされるか…」

苦々しくこぼす。確かに釣書の見た目の通りなら、目鼻立ちは整っていたけれど、隠しきれないこの道の空気があるように思う。しかし気遣ってくれるのは有難いが、その言い方は口が過ぎる。ナマエは若衆を振り返った。

「口を慎みなさい。相手は直系の組の縁ある組長殿ですよ」
「せやせや。随分な言い方してくれるのぅ…」

ナマエのものでも若衆のものでもない声が室内に響く。目の前の若衆の顔が真っ青に変わり「ま、真島の叔父貴……」と掠れる声で呼んだ。ナマエが声の方に視線を戻すと、釣書通りの、いや、それよりもガラの悪そうな30代半ばの男が隻眼でこちらを見下ろしている。

「……真島、吾朗さん、ですか…?」
「おう、せや」
「お初にお目にかかります。ミョウジナマエと申します。先ほどのうちの者の非礼、深くお詫びいたします」

ナマエは畳に指をつき、深く頭を下げた。じろりと鋭い視線を感じる。自分よりひと周り以上年上とはいえ、極道の世界ではかなり若い部類で、なのに威圧感が凄まじい。背中にひたりと汗が流れていくのを感じる。

「ごめんなさいで済むんやったら極道に道理も筋もないやろ。さぁ、どう落とし前つけてくれんのやろなぁ?」

真島は独特の抑揚がついた声でそう言うと、ドンドンドンと大きく足音を立てながら中央にある座卓を迂回してこちら側にまわり、あろうことか懐からドスを取り出して抜くと、軽口を叩いたほうの若衆に切っ先を向けた。あまりの迫力に若衆は「ヒッ…」と言葉をなくしている。

「のぅ?」

短い言葉だけで室内の空気がひんやりと冷えていく。ナマエは正座をした状態から片膝を立て、切っ先を向けられている若衆と真島のあいだに割って入る。

「うちの者に手を出すのなら道理ですからそれも結構。ただ、それなら私を通してください」
「ほぉ、嬢ちゃんが相手してくれるんか。えぇ?」

ナマエはジッと真島の右目を見つめた。真島は切っ先を一度下ろし、ナマエの目を見つめる。ドスを向けられていた若衆は「お、お嬢…」と気づかわしげな声を上げた。真島がドスの棟部分をナマエに向ける。もしここから切っ先が向けられたとしても引く気はなかった。
緊迫する空気が十秒、二十秒、三十秒ほど続いたところで、ついに切っ先を向けられることなくドスが下ろされ、真島が盛大に腹を抱えて笑った。

「なかなかゴッツいやんけ。気に入ったで」
「……は?」

何をお気に召したのか、真島はドスを鞘に仕舞い、口元をにぃっと歪めるとナマエにぐっと顔を近づけた。

「ホンマはこないな面倒な見合いやるだけやって適当に流したろ思ててんけどなァ…嬢ちゃんやったら、おもろいことになりそうや」
「意味が…わかりません」
「そのまーんまの意味やで」

真島の革手袋に包まれた指先がナマエの顎を掬いあげる。少なくとも緊迫する空気がなくなって、口の過ぎた若衆の危機はどうにか去ったようだった。

「これからよろしくな。ナマエちゃん」

これがのちに自分の夫になる男、真島吾朗との出会いだった。


あのまま話が進んで仕舞いそうだという予感はあったけれど、思った通り見合いの話は先方の意向ですっかりまとまったようである。ナマエの父に色よい返事があり、ナマエはいとも簡単にあの隻眼の男の婚約者たる女になった。
あの日若衆がぼやいていた通り、真島吾朗という男は東城会のなかでも相当の武闘派で、武闘派と言えば多少聞こえはいいが、周囲には「なにをしでかすか分からない危険な男」だと思われているようだった。

「動きやすい…格好…?」

二回目に会う日程が決まり、ナマエは家に届いた真島の言いつけに首をひねる。場所は料亭でもなんでもないようで、なるべく動きやすい格好をしてこいとのお達しがあった。首を捻りながら、しかし動きやすいと言ったってジーンズかなにかで行くわけにはいかない。ひざ丈ほどのスカートにタートルニットをあわせて準備をして、家を出ると真島の用意した迎えの車が到着していた。
車に揺られるがままに辿り着いた場所は神室町であり、看板に「吉田バッティングセンター」と大きく書かれている。

「…バッティングセンター…?」

およそあの真島の風貌からは想像できない場所に、本当にここで合っているのかと疑いたくなった。しかしその疑問も、バッティングセンターの中から真島が「おう、来たか」などと言いながら姿を現したことで打ち消される。

「なんやナマエちゃん。動きやすい格好で来ぃや言うたんにえらい可愛らしい格好しとるやないか」
「…すみません。まさかバッティングセンターだとは…」
「ま、ええわ。ほれ、やろうや」

車を降りると、あれよあれよという間にバッティングセンターの中に手を引かれる。真島はこのバッティングセンターの常連か何かなのか、パイソンジャケットの胸元に彫り物が入っていてもとくに店員も今更だと気にする様子はないようだった。

「あ、あの!私バッティングセンターとか来たことないんですけど…!」
「ええねんええねん。パーッてブン回したらスカーッてすんで」

初級コースのブースに押し込まれ、金属バットを握らされる。真島はもうちょい右手上にや。そんで左手もしっかり握っとけよ、と、口でぺらぺらと指示をする。バットなんて中学のソフトボールの授業以来握った覚えがない。

「ほれ、来るで。よう球見て振りや」
「え、は、はい…!」

十数メートル向こうのピッチングマシンが稼働して、ピッチャーの映像を流す臨場感を伴って硬球が発射される。えい、とバットを振ってみたが、もちろんそう簡単に当たることはない。

「リキみすぎやで。もうちょい身体の力抜いてみ」
「そ、そんなこと言われたって…!」

真島がアドバイスを追加していくが、まだ何の感覚も掴めていないのに上手くできるはずもなかった。結局全球空振りに終わり、ナマエはハァハァと乱れる息を整えながらバットを下ろす。

「しゃあないのぅ。ま、初めてなんてこんなもんやろな」
「……すみません」
「ほな、今度俺が打ったるわ」

真島はそう言って、一番難しいブースに入ると慣れた様子で金属バットを手に取る。ナマエは彼についてそばでその様子を見守った。ピッチングマシンから硬球が発射される。それもナマエが入っていた初級コースとは比べ物にならない速さで、しかし真島はそれをカキンと小気味良い音を立てながらホームランのエリアに打っていく。

「え、すごい…」
「せやろせやろ。まだまだ行くでぇ!」

まるで少年のような嬉々とした様子で真島のバッティングが続く。ボロボロの結果になったナマエとは対照的に、真島は全球ホームランを打ち切った。こんなところを選ぶくらいなのだから好きなのだし得意なのだろうとは思ったけれど、それにしても想像以上の好成績である。

「どや、ゴロちゃんの見事なバットさばきは!」
「すごいですね。私一球も当てられなかったのに…」
「こんなもんコツと慣れやで。ほれ、もういっぺん初級コース入ってみ」

ブースから出てきた真島に背中を押されるかたちでまた初級コースに詰め込まれる。今度は真島が後ろから覆いかぶさるような姿勢でナマエにバットの持ち方を指南し、革手袋が自分の両手の甲に重なった。不意の展開に心臓がドッと速く脈打つ。真島は姿勢を指南すると呆気なく身体を放し、そんなことを気にしている間もなくピッチングマシンが稼働し始める。

「よしよし。そんでしっかり球見て…」

彼の声に耳を傾けながら狙いを定める。一球目、二球目、三球目…と順調に空振りし、ついに最後の一球になったときだった。「今や!」という掛け声で思いっきりバットを振る。カキンと小気味良い音が鳴って、ナマエの両手にジンジンとした手ごたえが伝わる。やった、打てた。
ナマエは興奮を抑えきれないまま真島を振り返り「やりました…!」と声を上げ、子供っぽいことをしてしまったと我に返ってハッと口を閉じる。

「一球やったけどエラい上手にかっ飛ばしたのぅ」
「…た、たまたまです…」
「ヒヒッ、コーチが良かったんやろなぁ」

真島が左の口角を上げて自信満々でそう返した。確かにそれは否定できない。自分一人でやっていたらあと何回空振りをしていたか分からない。

「ナマエちゃん、ほれ、次行くで」
「つ、次ですか?」
「せや。このままボーリング行こうや」

バッティングセンターの次はボーリングか。それもナマエには経験のないものだ。だけどなんだか、彼と一緒にいれば上手くできるような気がしてきてしまう。真島は当然のようにナマエの手を握って歩き出す。

「そん次は焼肉でも行こか!あ、カラオケでもええなァ!デートはまだまだ始まったばっかりやでぇ」
「ちょ…ちょっとっ…!」

バッティングセンターにボーリング場に、それから焼肉たカラオケに行こうだなんてまるで普通のデートみたいで、夢見ていたものがここに詰まっているような気がした。
極道の家に生まれたから、自分の人生にある種の諦めとその延長の覚悟があった。だけどその考えをかっ飛ばしてしまうのは、他でもないこの、極道を絵に描いたようなこの男なのかもしれない。




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