ご用心


舟って人力で作れるんだぁ。というのが、私の率直な感想である。
着々と組み上がっていく帆船。旧時代に箱根とかでこんな雰囲気のやつ見た気がする。
大きいものを組み上げるのなんて工場でやってるイメージしかなかったけれど、人力でもいろんなものを駆使すればどうにかできるなんて、知恵というものは偉大である。

「ナマエ、作業の進捗はどうだい?」
「あ、羽京くん。一応割り振りの分はもうすぐ終わるから…終わったら千空くんに仕事貰いに行こうと思っていたところだよ」
「そっか。僕もさっき終わったところ。終わらせて一緒に行こう」
「ありがとう」

この温和な風貌の彼が元海上自衛隊員だということは、未だになんだか信じ難い部分がある。西園寺羽京。石化前は海上自衛隊の潜水艦に配属されていたらしい。潜水艦って、海洋調査もののドキュメンタリーでしか見たことないや。

「あ、羽京くん肩のところほつれてる」
「え…あ、本当だ」

どこかに引っかけたのか、羽京くんのマスタードイエローの洋服の肩口のところが少しだけほつれていた。私が指摘すると、羽京くんは首をぎゅっと曲げて確認する。

「参ったなぁ。千空のところに行く前に直しておかないともっと引っかけそう」
「杠ちゃんのところ行く?」
「いや、自分でやるよ」

羽京くんがそう言って、私は思わず「お裁縫出来るの?」と尋ねたら「自衛隊って裁縫もやらなきゃいけないんだよ」と返ってきて、思わぬ話に「えっ」と声を上げる。

「まぁ、そんな大したことはしないんだけどさ。ボタン付けとかそういう簡単なやつ。自分のことは全部自分で出来なきゃいけないからね」
「そうなんだ…」
「ナマエは?こういうの、得意なの?」

質問が飛んできて、私はうーんと考える。普通、よりは得意な方だと思う。杠ちゃんがいるから普通の基準がだいぶ上げられている気はするけれど、簡単なお裁縫ならそう苦に思ったことはない。

「普通…よりはちょっとだけ、得意かな」
「そっか。ナマエ手先器用だもんね」

羽京くんはにこにこ笑ってそう言う。羽京くんは優しくて、一緒にいると穏やかな気持ちになれる。原始時代同然の世界で目覚めたときはどうしようかと思ったけど、羽京くんと過ごす時間はこの緊張した毎日をゆっくりと和らげてくれた。
結局、針と糸は杠ちゃんに借りに行かなければいけなくって、羽京くんの肩のところがほつれたっていうことを伝えたらその場でササッと杠ちゃんが縫ってくれた。やっぱり杠ちゃんの手捌きは見事で、あっという間に羽京くんの服は元通りになった。


羽京くんに出会ってから、私はひとりになるとよく知りもしない自衛隊と潜水艦というもののことを考えている。
自衛隊って言われても正直ピンと来なくって、災害派遣のニュースとか、航空ショーとか、そういう自分とはかけ離れた世界のものだった。

「そっか、でもあれって陸上自衛隊と航空自衛隊だった…」

羽京くんは、陸上でも航空でもなく元海上自衛隊である。
海上自衛隊。どんなことするんだろ。船に乗っているんだろうということは何となく想像がつくけど、どんな様子なのかはさっぱり見当がつかない。例えばドラマなんかで見たことがあればまだ映像として想起しやすいが、大ヒットして映画にまでなったあれは自衛隊じゃなくって海上保安庁の話だった。

「うーん…」

やっぱりこう考えると、羽京くんというひとはとても別世界のひとのように思える。私なんか3700年前もとくにこれと言って特徴のないOLだったし、うっかり復活してしまっているがそもそも特筆すべきことなどない人間なのだ。
私は休憩時間に海の見える場所まで出て、岩の上に腰かけて水平線を眺めていた。海だけを見ていると、まるで世界に何事も起きていないような気分になる。そんなことはないと分かっているんだけど、私もまだ現実逃避がしたいのかもしれない。それにしても。

「羽京くんのことがますますわからない…」
「僕が何だって?」
「えっ、あっ、羽京くん!?」

がさ、と音がして、背後の草むらから羽京くんが姿を現した。独り言を聞き返すようなことを言うけれど、羽京くんの類まれなる聴力で聞こえていないわけがない。
本人がいないところで噂話、しかも独り言でなんて気まずすぎる。ちろっと羽京くんを見上げれば、いつもみたいににこにこと笑って私の隣に腰を降ろした。

「悪いこと言ってたわけじゃないの。私ってすごく平凡な人生だったから、海上自衛隊ってどんなふうなのか想像も出来なくって。どんなだったのかなぁって」
「はは、興味あるんだ?」

興味。興味かぁ。確かに興味と言われればそうだけど、自衛隊に対してっていうよりは羽京くん本人に対して、なのだけれど。
でも嘘じゃないしなぁと思って「うん」と肯定すると、羽京くんは思い出すような素振りで昔のことを話してくれた。

「僕は潜水艦乗りだったからね、海上の中でも特殊だったけど…そうだな、わかりやすい話で言えば同期の掃海艇乗りは機雷の除去とか、海の落下物の回収とか、そういうのが多いって言ってたな」
「船によって仕事って違うんだね」
「うん。それぞれの役割によって性能も違うからね。護衛艦は貨物船の護衛でソマリアに行ったりもしてたけど、ああいうのはやっぱり大きい船しか派遣されないから」

聞きなれない言葉は頭の中であんまり上手に漢字変換されない。だけどどこか懐かし気に目を細める羽京くんを見ていれば、きっとそれらはやりがいのある仕事だったんだろうと思えた。

「すごいね。自衛隊員ってかっこいい」
「そうでもないよ。変な奴も多くってさ、しかも男所帯だから若い連中なんか結構男子高生ノリのやつとかばっかり」

羽京くんはまた懐かしそうに言った。確かに自衛隊って現場になればなるほど若い隊員が多いらしいし、何となく男子高生のノリっていうのは想像が出来るかも。でも。

「羽京くんがそんな中にいるのって想像できないなぁ」
「そう?結構染まってたよ、僕も」
「本当に?」

羽京くんは穏やかで、いわゆる男の子のガサツな感じというか、男らしい面というか、そう言うものとは無縁に見える。ここでも学校の先生をしているくらいだし、聖人君子とまでは担ぎ上げないけれど、それに近しい平穏を持っているひとだ。
私は男らしいちょっぴりガサツな羽京くんを思い浮かべてみる。

「やっぱり全然想像出来ないや。羽京くんって大人で皆のお兄さんって感じだもん」

私がもう一度そう言えば、羽京くんは少し動きを止めた後またいつもみたいに笑って「そんなことないよ」と相槌を打った。


その日の夜、日が落ちてしまったあとに自分の洋服のほつれがあることに気が付いて明りをつけた。菜種油の明りで充分だな、と思いながら火に向かい、こまごまと手を動かす。
何時くらいだろう。朝早起きしてやる自信はないから、目も覚めてしまったことだし絶対に今のうちにやってしまったほうが良い。

「よし…あとはここ止めて……あっ!」

うっかり糸くずが火の中に入ってしまい、一瞬ボッと燃え上がる。推定深夜だというのに思わず大きな声をあげて、私は慌てて自分の口を塞いだ。
危ない、糸くずでよかった。私の寝床は木造だ。万が一燃えましたなんてことになったらとんでもない。焦ったとはいえこんな時間にご近所迷惑だったな、とひとりで反省していると、出入り口のところをコンコンコンとノックする音が聞こえた。

「ナマエ、大丈夫?何かあった?」
「え、あ、羽京くん!」

声の主は羽京くんで、私は慌てて出入り口のところに向かった。月あかりを背に羽京くんが立っていて、青白い光に照らされた彼は私を見るなりほっと表情を緩めた。

「大きな声が聞こえたから心配で。どうかした?」
「ごめんなさい…繕い物をしていたんだけど、うっかり糸くずが火の中に入っちゃって思わず大きな声出しちゃって」
「そっか、ナマエが無事ならそれでいいんだ」

羽京くんは、こんな時間まで見回りか何かだろうか。それとも私の声で起こしてしまったとか?ああ、そうだとしたら申し訳なさすぎる。

「えっと、あの、ちょっと上がっていく?」
「え?」
「あ、いや、水出しにしたお茶があるから…迷惑かけちゃったし、その…」

どうしてこんなにしどろもどろになるんだろう。昼間に羽京くんと話すような自然な感じにできなくて、私の言葉はどんどん絡まった。あれ、普段どんなふうに羽京くんと話してたっけ。
羽京くんは少し何かを考えるように黙って、それから「…じゃあ、ちょっとだけ、お邪魔しようかな」と私の寝床の敷居をまたいだ。

「適当に座って。いまコップにお茶入れるね」

私は昼間に水出しにしたお茶を取り出し、とくとくコップに注いだ。振り返ると当然だけど羽京くんが座っていて、普段自分しかいない空間に自分以外が、しかも羽京くんがいるというのはどうにも落ち着かなかった。

「どうぞ」
「ありがとう」
「もしかして、私の声で起こしちゃった?」
「いや、もともと眠れなくて起きてたんだ」

氷の入っていないお茶は生ぬるい。だけど焦って乾いた喉を潤していくには充分だ。こくこくお茶を飲んでいると、じっとこちらを見る羽京くんと目が合った。表情は普段の柔らかな顔と違って固くなっている。眠れないと言っていたし、もしかして何か悩み事でもあるのだろうか。

「あの、羽京くん…何かあった?」
「ああ、いや、童顔なのも考えものだなぁと思って」

主語のない言葉は要領を得ず、私は思わず首を捻る。すると羽京くんが固くなっていた顔をいつもの通りに和らげて「あのさ」と切り出した。

「そもそも尋ねて来た僕が言えたことじゃないけど、こんな夜中に男を簡単に上げちゃダメだよ」
「えっ」

思いもよらない発言と羽京くんのじっと強い瞳に、私の言葉は喉で引っかかって出てこれなくなってしまった。
表で風が吹いていて、からからと木の枝か何かが転がる音がする。だけどそんなのじゃちっとも気の紛らわしにならず、私の意識はどんどん羽京くんに吸い込まれていった。

「昼間、僕が海自にいたって想像できないって言ってたの、あれもきっと僕があんまり男っぽく見えないって思ってるってことなんだろうけどさ」

羽京くんがコップを置き、私の手の甲にゆっくりと触れる。かさついた皮膚がそっと撫で上げて、その感覚に心臓が跳ねる。カッと顔が熱くなって、この菜種油の明りでも私の顔が赤いことが羽京くんに伝わってしまうんじゃないかと思う。

「いくら童顔でも、僕は割とその辺にいる男と変わらないよ」
「う、羽京くん…」

例えば、様子を見に来てくれたのが羽京くんじゃなかったら、私は招き入れたりしただろうか。そんなふうに考えている時点で答えなんて分かりきっていて、私はますます言葉を失った。
私がそんな有り様だってことも羽京くんはきっと気付いているから、こうして決定的な言葉を言わずにいるのは羽京くん優しさであり、そして策略だ。

「これでちょっとは、意識してね」

もうちょっとどころじゃなくなっているなんて羽京くんにはお見通しなのだ。羽京くんに私の心音が聞かれていたらどうしよう。でもいっそ聞こえてしまえばいいなんて、矛盾した嗜好が頭の中でぐるぐるとかき混ぜられていった。








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