こっちをむいてハニー


何でもかんでも素直で正直がいいってわけでもないし、何でもかんでもおおらかでいればいいってものでもないと思う。
これはもうほぼ名指しで、もはや世間一般がどうとか正直どうでもよかった。

「ねぇ千空、どう思う?」
「主語を省くな」
「わかるでしょ」

私は休憩時間にとぼとぼと千空のラボを訪れ、こんな話を振った。千空は作業を続けながら私に返事だけをする。なんだか今日も途轍もなくややこしい作業をしているようだけど、話しながらやってて間違えたりしないんだろうか。いや、話しかけてる私が言えたことじゃないんだけど。

「はぁ、結局さぁ、好きだって言ってくれたのは吊り橋なんちゃら的な?そういうのだったんじゃないのかって思うわけ」
「あ゛ー、ダットンとアロンの生理・認知説の吊り橋実験な」
「そう、それ」

千空はフラスコの様子を見ながら手元の紙になんだか難しいことを記入していく。私は千空より年上だけど、それらを見たところでさっぱり理解はできない。
作業台に頬杖をつき、千空の手元を見つめた。指先はもう薬品とか作業とかでぼろぼろで、文明復興のために頑張ってくれているためとはいえちょっと痛々しいほど荒れている。

「千空、ハンドクリーム塗ったら?ほら、前に女の子に頼まれて作ってたじゃない」
「いらねーだろ、荒れちゃいるが、傷にはなってねぇし」
「もー、一回荒れるとなかなか治んないんだからね?」

男の子はそりゃハンドクリームなんて塗る習慣はないだろうが、それにしても肌荒れ舐め過ぎだ。こまめにケアしとかないとクセになって完治するまでに痛いし引っかかるしロクなことにならないのに。

「恋愛脳は非合理的だな」
「非合理的なのが楽しいはずだったんだけどね」

私はもう一度大きくため息をついた。
何でもかんでも素直で正直がいいってわけでもないし、何でもかんでもおおらかでいればいいってものでもないと思う。
だけどやっぱり気持ちは正直に聞きたいし、ちょっとくらい独占欲みたいなものを感じていたいとも思う。無いものねだりのわがままに我ながら呆れてしまう。

「こんな事態になってて恋愛しようなんてのがそもそもどうなのって言うのはわかってるんだけどさぁ。好きになっちゃったんだよぉ」
「別にやることやってくれりゃ惚れた腫れたとかクソほどどーでもいいわ」
「もっと可愛い子に生まれ育ちたかった…」

私は逞しく鍛えられた自分の二の腕をぺちぺち叩く。
司帝国崩壊から半年。私は持ち前のフィジカルを活かして科学王国に貢献していた。
旧世界では合気道に励み、日本学生合気道競技大会で優勝した経験もある。それが理由になってこのストーンワールドに復活させられたわけだけど、正直尋常じゃなく強い面子に肩を並べるのは些か居心地が悪いものがあった。
司帝国の男性陣は選りすぐりのツワモノばかりで、テレビとか雑誌とかで名前を見る人たちばかりだった。そんな中、テレビでも雑誌でもめちゃくちゃ名前を見たことがあるけどまったくもってフィジカルヨワヨワな男がいた。それがあさぎりゲンという男だ。

「千空、なんかパァっと可愛くなれる薬とかクラフト出来ないの?」
「あ゛?あるかそんなもん。開発できりゃ3700年前にボロ儲けしてるわ」
「だよねぇ」

千空のところは居心地がいい。千空はゲンのことをよく知っているし、お世辞とか言おうってタイプじゃないから気がラク。まぁたまに歯に衣着せてくれと思わないわけではないが、私のメンタルケアは千空によって成されていると言っても過言ではない。

「過言だわ」
「え、声に出てた?」
「おー、ばっちりな」

やだやだ恥ずかしい。まぁ私みたいな平凡で分かりやすい女の考えてることなんて口に出てなくても感じ取られてしまいそうなものだけども。
でろん、と作業台に項垂れる。ちょっと理科室みたいな匂いがした。

「それにメンタルケアはお前の彼氏様の得意分野だろうが」
「だーかーら、その彼氏様のことで悩んでるから千空に話してるんじゃない」
「そういうのはデカブツで腹いっぱいなんだわ」

そうだった。大樹くんと長年の付き合いらしい千空はきっとあのもどかしい関係をずっと間近で眺め続けているのだ。じゃあ私の悩み何て可愛いもんじゃない?付き合い始めなんだから不安になっても仕方なくない?

「そもそもあのインチキマジシャンに小手先のテクニックとか通用するわけねーだろ。時間の無駄だ、直球でいっとけ」
「うわ、出た効率厨」

千空がペンを置き、じろっとラボの外を見る。なんだろうと思ってつられて視線を向ければ、そこには噂の彼氏様の姿があった。

「千空ちゃん、ナマエちゃんおつー」
「ゲンだ。おつかれー」
「おう」

ゲンはぴょこぴょこ私のそばによると、後ろからぎゅっとハグをする。私より薄っぺらいかと思うほどの腕だけど、やっぱり男だから骨の太さとか、そういう根本的なところは違うと思う。

「はー、ナマエちゃん充電」
「ゲン、お仕事終わった?」
「まぁそこそこね。やっぱり急におっきくなってるからあっちもこっちも小競り合いでさぁ」

ゲンが私の肩口にのしっと頭を乗せ、それをナデナデと撫でる。このところのゲンのお仕事は不平不満の解消とかトラブルの仲裁とか、そういう気疲れしそうなものばっかりだった。
メンタリストであるゲンにすればそんなものはお茶の子さいさいなのかもしれないが、私から見ればなんだかとても大変そうな仕事を任されているように感じる。

「お疲れ。ヨシヨシ」
「んー、ナマエちゃんの手ゴイスー気持ちー」

ゴロゴロ喉の鳴りそうな様子でゲンが言った。こういう態度を見ていれば愛されてないなんて思いはしないけど、なんというか、ゲンの甘え上手な様子がかえって不安になる。
たまたまこうして私の彼氏になってくれてるけど、それは司帝国なんていう突飛な状況で命の危険に晒されていたからこその吊り橋なんとやらだったのかという気がしてしまう。そう言う魔法は、いつか必ず解ける。

「おい、てめーらイチャつくなら外でやれ」
「あ」
「メンゴメンゴ。また後でねー、千空ちゃん」

呆れ顔の千空にへらりとゲンがそう言い、私の腰を掴んでそのままラボを退場する。まぁ確かにそろそろ休憩時間も終わりにしないとって時間だったしね。

「ナマエちゃんは何か聞いてほしい事とかないの?」
「うーん、特にはないかな」
「そっかぁ」

これ以上ゲンの手を煩わせるわけにもいかないし、そもそも能天気な私の悩みなんてゲンのことくらいしかないんだから相談できるわけもない。今日の晩御飯は何かなぁ。そうだ、明日は千空にハンドクリーム持ってってあげよう。なんかマジであかぎれになるまで放っておきそうだし。今日も面倒な私の話を聞いてくれたささやかなお礼である。ささやかすぎる気が、しなくもないけども。


翌日、私はいつも通りに素材集めやら資材運びやらに奔走し、午後3時、一度自分の寝床に戻ってハンドクリームを手に千空カウンセリングルームに足を運んだ。勝手にそう呼んでるって知られたらめちゃくちゃ嫌な顔されそう。

「せんくー」
「おー、今日も来やがったか」
「仕事はちゃんとしてるよ」
「当たり前だ」

千空は今日も作業台に向かい何やら設計図を書いていた。何か複雑で、正直復活組の私もなにがなにやら分からない。じっと手元を覗き込み、荒れた手があくせくと動くさまを見つめる。

「お前、ラボばっか来てていいのか?」
「え、ちゃんと仕事はしてるよ?」
「そうじゃねぇよ」

千空が手を止め、特大のため息をついた。いやいやいや、いまの会話のどこにため息つかれる要素あるよ。

「ゲンのところ顔出さなくていいのかって言ってんだよ」
「え、なんで」
「何でもクソもねぇだろううが。彼氏様なんだろ」

思いもよらない角度から打ち込まれた球に私は端無く黙った。

「会いたいのは…会いたいよ?でもさ、お邪魔かなとか思ったら…なんとなく」
「俺はいいのかよ」
「いや、千空は別の作業してるじゃん!しかも話しながらでもどうせ出来ちゃうでしょ?ゲンはほら…人の話聞くのも仕事だし…」
「自分が行ったら仕事させちまうんじゃねぇかと」

私は千空の言葉にこくんと頷いた。メンタリストでコミュ強とは知ってるけども、わざわざ負担をかけることもないだろう。
千空は「はぁぁ」とまた大きく息をつく。どうせ非合理的だとか思ってるんだろう。まぁそろそろ、ちょっとくらい言うこと聞いとかないとラボから叩き出されそうな予感もしてる。

「昨日もさんざ言ったことだが、あいつに小手先のテクニックなんか通じるわけねぇんだからな。さっさと思ってること全部ゲロっちまえ」
「言い方」

犯人に罪を自供させるような言い方にくすくすと笑う。千空が手を止めてぐぐぐっと伸びをした。

「でも、ありがと。何かなんかさ、最近文明復興ちょっとずつ進んできて、なんかこの先もっと人も増えて行くんだとか思ったら多分不安になってたんだと思う」
「あー、まぁ、初期の復活組にとっちゃそうなるわな」
「千空って結構優しいよね。めちゃ話聞いてくれるし」
「テメーが勝手に喋ってるだけだろうが」

にっと口角を上げてそんなことを言う。合理主義者だけど、彼が仲間思いで優しいひとだということは科学王国の人間なら皆知っていることだ。

「あ、そうだ。お礼にハンドクリーム塗ってあげる」
「は?」

お礼とかこつけつつ、そう言えば今日は千空のハンドケアをしてやらねばなるまいという勝手な使命のもとで来ていたのだと思い出す。
私はポケットからハンドクリームの容器を取り出し、適量を手に取ると作業の止まってる千空の手を掴んだ。

「は、おい、何して…」
「だって、千空どうせいらねーとか言うでしょ。せっかくハンドクリーム作ったんだから塗っとかないと。あかぎれになってからじゃ治り悪いよ」
「テメーなぁ…」

一瞬抵抗した千空だったけど、どうせミジンコ腕力じゃ敵わないと悟ったのかすぐ大人しくなった。私はマッサージを加えながら千空の手にハンドクリームを塗っていく。「痛くない?」と聞けば「あ゛ー、気持ちいいわ」と返ってきた。よしよし。我らが科学者様には今後も頑張ってもらわなければいけないのだ。
随分筋肉が強張ってる。順調にもきゅもきゅとマッサージを続けていると、ふっと背後から手元が影になった。ぽん、と肩を叩かれ、後ろの人物を確認すると、そこに立っていたのはいつもよりにこにこ笑っているゲンだった。

「ナマエちゃん」
「ゲン、お疲れさま」
「で、これ何してるかんじ?」
「ハンドマッサージ。千空の手、超凝ってるよ」

ぐにぐにぐにと手のひらのマッサージを続ける。すると柔らかい声で「ふぅん」と返ってきて、千空に視線を戻せばあからさまに愉快そうな顔をしていた。これ完全に唆るクラフト見つけた時の顔じゃん。なんで今。そう思ってると、ゲンが口を開く。

「千空ちゃん、マッサージの途中で悪いんだけど、ちょーっとナマエちゃん借りて行っていい?」
「おーおー、連れてけ連れてけ。返却しなくていいぞ」
「ありがとー」
「え?え?」

私はゲンにぐいっと肩を引かれ、よたよたその力に従ってラボを引きずりだされる。ぶっちゃけ抵抗できない力の強さではないと思うけど、普段にないシチュエーションに頭が混乱していた。
少し村から離れたところまで連れてこられて、やっと止まった、と思ったらくるっと向き合うようにされてにっこり笑ったゲンが視線を合わせた。

「あのねナマエちゃん。俺は千空ちゃんのこと好きだし、ナマエちゃんにそんな気があるわけじゃないってわかってるし、俺に会うより先にラボに言ってるのもとやかく言うつもりはないのね」
「う、うん…」
「でもねぇ、アレは流石にいただけないねぇ」

ゲンが私の指先を掴んだ。アレってどれだ。そう思っている間に指がするすると絡められ、ゲンの親指が私の親指の付け根を撫でる。その手つきにぞくぞくとくすぐったくなり、ああそうか、さっきのマッサージのことを言っているんだと理解した。

「いくら千空ちゃんでも、あんなふうにべったり触るのはダメ」
「ご、ごめん…」
「わかればいーの」

いやに優し気な感じだったゲンの空気がようやくいつも通りになる。それはゲンが通常運転ではなかったという証明で、多分嫉妬してくれてたんだと思う。
ゲンは私の手をにぎにぎと握り、触れてる手のひらがぴったりとくっつく。

「あとやっぱり、ラボに行くより先に、俺に会いに来てほしいな」
「え…えっと…わ、たし…その、ゲンの迷惑になっちゃうんじゃないかとおもって…」
「迷惑なわけないでしょ。好きな子に会えるんだもん」

私の想像の何倍もゲンは私のことを考えてくれていて、嬉しくて恥ずかしくて真っ赤になってく顔を覆ってしまいたかった。だけど両手はゲンに捕らえられてしまっているんだから、隠そうにも隠すことができない。

「メンタリストも嫉妬とかすんのよ、ジーマーで」

本当は私がラボに行くたびに実はゲンが迎えに来てくれていたのだと気付いたのは、このもう少し先の話である。








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