お手を拝借


ハロウィンパーティーの参加を逃したナマエは、ロナルド吸血鬼退治事務所のソファで大いにへそを曲げていた。ドラルクの──正確にはドラルクの祖父の采配により新横浜の知り合い全員が招待されたのではないかとさえ思える盛大なパーティーが開かれたというのに、その日はよりによって遠方の実家に帰省していたのだ。別に緊急の用事があったわけではなかったし、そんなことになると分かっていたなら帰省の時期はずらしていた。

「ナマエちゃん、な?機嫌直せよ?な?」

ソファの上で体育座りをしてふくれっ面を崩さないナマエの周りをロナルドがあたふたと慌てふためきながらグルグル回っている。ナマエとロナルドはただの仕事仲間であり、こんなに気を遣わなければならない相手ではないが、女にめっぽう弱いロナルドが放っておけるはずもなかった。

「…なんでロナルド連絡くれなかったの?」
「いや、俺もよくわからんまま巻き込まれてたんだって…」

休日だというのに奇しくも吸血鬼に遭遇し、ロクに休めたと思えない一日を過ごした後に突然開かれたパーティーだったのだ。寝ているところにクエストオブソウルゲートの主人公の仮装をしたドラルクが現れた時には心の底から殺してやろうかと思った。もっとも、その正体は彼の祖父だったわけだが。
事務所が山手線並みのすし詰めにされた挙句、クソみたいなタイムスケジュールを勝手に作られてたときには怒りのあまり人語を忘れてドラルクを殴ったが、そもそもあそこで死ななかった時点でドラルクでないと見破るべきだった。

「タダ飯…パーティー…仮装…うわーん!私もドラルクさんの仮装見たかったー!!」
「いや、あれ見て嬉しい系統の仮装じゃねぇだろ!ていうかドラルクじゃなくてドラルクに擬態した爺さんだったし!」
「でもビジュアルはドラルクさんじゃん!見たかったー!」

パーティーは紛れ込んだマイクロビキニたちによりわやわやになったが、それをドラルクがさも自然に止めてみせた。違和感をはっきり覚えたのはその瞬間で、その後のドラルク本人の登場よりパーティーの企画者がドラルクではなく彼の祖父だということが判明した。
ドラルクの姿を借りてパーティーをしていた、で済めば可愛いものだが、相手はあの「おヒマ?」のじじいだ。即座に二次会の会場を押さえたかと思えば二次会のお開き寸前に三次会の会場を押さえ、そのまま四次会、五次会と全員が付き合わされる羽目になった。

「お前…五次会だぞ…今時ウェイ系の結婚式でも聞かねーよ」
「五次会までドラルクさんと一緒だったってこと!?ロナルドずるい!」
「俺だけじゃねぇよ!全員だ全員!!」

あの死屍累々の惨状を見ていないからこんなことが言えるのだ。しかしまぁそんな現実はナマエには関係がない。ドラルクと過ごす機会を一秒でも逃したのが悔しくて仕方に違いない。
説得にも限度があるぞ。と次の手を決めあぐねていたら、隣の部屋からがたがたと物音がしてドアが開いた。ドラルクが起きてきたのだ。

「おや、ロナルドくん。お困りごとかな?」
「ドラ公、丁度いいところに起きてきやがったな…」

ふぁ、とあくびをしながらトコトコ歩いてくる。ちろりとソファに視線を向け「おや、ナマエくんじゃないか」と彼女が「お困りごと」の渦中の人物であると察したようだ。ロナルドはぐいっと親指でナマエを指し、言葉を続ける。

「こないだのハロウィンパーティーに参加できなかったからってナマエちゃんが拗ねてんだよ。なんとかしろ」
「なんだね、お嬢さんひとり満足に慰められんのか?やれやれまったくこれだから童貞は…」

返ってきた言葉に腹が立ってシンプルに張り手を食らわせた。いつも通りドラルクが砂と化し、直後またすぐに元の形に戻っていく。「まったくこれだからゴリラは…」と言われたので、もう一度張り手をお見舞いして砂にしておいた。

「暴力反対!」
「うるせぇ!いちいちてめぇが煽ってくるからだろうが!」

ロナルドはハタと時計を確認する。そうだ、こんな押し問答をしている場合ではない。今日はこのあと依頼が入っているのだ。さっさとドラルクに任せて出ていかなければ。

「とにかく!俺は今から依頼に行く!ちゃんとナマエちゃんのご機嫌取っておけよ!!」

トレードマークの帽子をサッと被り、ロナルドはドタドタと慌ただしく事務所を出ていく。ドラルクはそれを見送り「さて」とばかりに息をつき、未だ体育座りから体勢を崩さないナマエの前に跪いた。

「ナマエくん。可愛い顔が台無しだよ」
「……ドラルクさん…」

慰め手がロナルドからドラルクに変わったことにより、目に見えてわかりやすく態度を和らげる。もうここまで来るとどこで機嫌を直したらいいかわからない子供と同じで、ナマエも引くに引けないといった様相を呈していた。

「…パーティー、私も来たかった」
「アホルドくんの言っていた通り本当にロクなもんじゃなかったよ。むしろ被害に遭わなくて良かったくらいだ」
「でも、私もドラルクさんとダンスしたかった」

ダンス?と身の覚えのないナマエの発言に首をかしげる。「シーニャさんがダンスしたって言ってた」と補足され、現実と彼女の想像に齟齬が生じていることをすぐに理解した。ダンスはダンスでも彼女の思い描いているようなそれではないし、そもそもドラルクは踊っていない。

「そのダンスだがね、君の所望するようなものではないよ。ロナルドくんがポールダンスを踊られされて、そのまま何人かポールダンスチャレンジのようになっていったんだ」
「ドラルクさんは?」
「もちろん踊ってない」

ドラルクが誰か別の相手とダンスをしていないことを知り、ナマエはあからさまにホッとしたように目元を緩ませた。そもそも別に他人の感情に鈍感な方ではないけれど、それにしたってナマエはわかりやすすぎる。これほどまでに好意を垂れ流している人間には初めてお目にかかったかも知れない。

「さて、もしもお望みなら、いまから二人きりのダンスパーティーと洒落込もうか」
「えっ!」

思いもよらなかっただろう言葉にナマエが声を上げる。はくはくと言葉を探すように唇を何度も動かし、その感情が少しも隠せない様子が可愛らしくてくすりと笑う。ドラルクはナマエに向かって白い手袋に包まれた手をそっと差し出した。

「お手を拝借してよろしいかな?お嬢さん」

ナマエはおずおずと指先を白い手袋に伸ばし、淡く触れ合ったところでドラルクが指を握って導くように軽く引く。ナマエは三角にしていた足を伸ばして立ち上がって、連れられるがまま事務所の少し空いているスペースまで躍り出た。

「ジョン、曲を頼むよ」
「ヌヌー!」

ドラルクが使い魔ジョンにそう言うと、ジョンはどこからともなくタブレット端末とスピーカーを取り出して手慣れた手つきで操作をする。ここまで来てナマエはようやく焦り始めた。

「ド、ドラルクさんっ!私踊れないです…!」
「安心したまえ。リードするのは私の役目だ。女性は身を任せていればいいよ」

ドラルクが穏やかな笑みを浮かべて当たり前のようにそう言った。伊達に200年以上生きているわけではない。社交ダンスの心得くらいはもちろんある。ドラルクはナマエの正面に立つと、右手を彼女の背に添え、彼女の左手を自分の二の腕のあたりに置く。それからナマエの右手を取って、軽く腕を伸ばして構えた。

「私が右足を引くから、ナマエくんは左足を出してくれ。それから左…いや、君から見て右に足を移動して、両足を揃える」
「こ、こう、ですか?」
「なかなか筋がいいじゃないか」

ドラルクが実演を交えながらワルツの基本のステップを教えていく。この後は逆にナマエが足を引いてドラルクが前に出すターンだ。いち、に、さんのリズムでステップを続けていると、彼女の持ち前の身体能力もあるせいか、その場での足の動きにはそれなりに慣れてきた。

「これに更にひねりを加えるんだが…それは実際に踊ってしまったほうが早そうだ」
「えっ…!」
「大丈夫さ。すぐに覚えられる」

ちらりとドラルクがジョンに視線を向けると、ジョンがこくりと頷いて音楽の再生が始まる。ジョンが部屋の照明を落としたから、ブラインドの隙間からのぞく月明りだけが頼りだった。
ワルツの軽やかな音は足元までも軽くして、ドラルクにリードされるままナマエがは先ほどのステップを踏み、タイミングを合わせてドラルクは身体をひねる。彼女がそれについていくようにすることで自然とワルツが完成していく。

「どこかで聞いたことあります。この曲」
「ショパン、ワルツ第6番変ニ長調作品64-1…通称子犬のワルツ。彼は概ね私と同世代の作曲家だよ」
「人間と吸血鬼でも同世代って言葉使うんですか?」

少し得意げにそう言ったドラルクをナマエがくすくすと笑う。吸血鬼と人間では刻む時間の速度が違う。そんなのわかりきったことで、自分は吸血鬼で彼女は人間で。
じっと見下ろせば、普段にでは考えられないような距離にナマエがいる。青白い光はナマエの頬を透明に照らし、それは例えば月下美人のような、一瞬の儚さをたたえているようにも見えた。女性を花にたとえるなんて我ながらクサいことをしてしまっている

「ドラルクさん?」

黙ったドラルクを不思議に思ったのか、ナマエがこてんと首を傾げた。ステップを踏みながらでも会話ができるくらい随分と慣れてきたようだ。さも「慣れました」というその姿勢に少しのいたずら心が湧き、ドラルクはナマエの背から右手を離すと、リズムに乗ったまま繋いだ手を軸にして彼女をくるっと回して見せる。

「わっ…!」

まさかそんなことをされるとは思っていなかっただろうナマエがワルツに似合わぬ声を上げ、一周回ってドラルクの腕の中に戻ってくる。そのままリズムに乗り続けるというのは流石に難しかったようで、足を止めてドラルクのことをじっと見上げた。

「月夜のダンスパーティーというのも、なかなか良いものだね?」

青白い光が部屋の中を静かに照らす。自分とは違う時間を生きる彼女に、こうして抱くこの気持ちを言語化してしまってもいいものだろうか。今度はドラルクが一歩を踏み出す。それに合わせてナマエが足を引き、またどちらともなくワルツが始まる。
いつか訪れる日に対する葛藤を少しだけ頭の隅に追いやって、今日だけはもう少し、こうして二人で踊っていたい。







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