夕方、緊急任務の知らせが入り、私は位置情報と概要だけを引き継ぐと補助監督の車を待たずに呪霊を出して飛び乗る。山中だからこれは飛んでいったほうがよっぽど早いと判断したからだ。
未だ高専の敷地内だったため呪霊アラートがけたたましく鳴り響く。

「すまない、急ぐからこのアラートの説明を学長にしておいてくれ」

私は補助監督の返事を待たぬまま、目的の山中まで急いだ。


「ナマエちゃんの術式は、あまり戦闘に向いてないね」

彼女がまだ中学三年生になったばかりの頃。来年度入学すると決めた彼女はあの日の私の言葉通り私の名前を出し、高専まで説明を受けに訪れていた。
名前が出たことと、その日たまたま高専に用があったことも相まって、少し彼女の術式やら何やらを見てやっていた。

「えっ、と…それだと何か問題があるんですか?」
「うーん、すべての術師が必ずしも戦闘を伴った呪霊祓除任務につくわけではないけれど、危険を伴う仕事だから最低限身を守れる術を身に着けなきゃならないし、可能であればそれ以上の強さまで鍛えたほうがいい」

馴染みのない呪霊やら呪術やらの説明を受けたばかりの彼女は、これ以上脳みそに知識は入りませんとばかりに首を捻っていた。

「まぁ、強くて損はないってことさ。近接戦闘――殴る蹴るでも戦えるように鍛えていこう」

噛み砕いてそういうと、わかりました、と素直な返事が返ってくる。
正直、非術師の女の子に近接戦闘を教えたことはいままでなかった。どこからどう教えたものか、と今度は私が首を捻った。

「ナマエちゃん、何部だった?」
「陸上部です。長距離の選手でした」

せめてスポーツをやっていて良かった。文化系の部活だったら詰みだったかもしれないな、と内心胸を撫で下ろしたことをよく覚えている。


現場は神奈川県伊勢原市の某山中。窓の事前報告によると付近の心霊スポットから発生した二級呪霊の祓除だった。それが途中、隣接する神社から漏れ出した穢れが呪いに転じ、一級相当の呪霊を成したらしい。
派遣されたのはナマエとパンダの二人。近接の得意なパンダと本来はサポート型であるナマエは同級生の中でもよく任務を共にしていたし、あの二人が出て行った任務で等級の高い術師が追加投入されるなんてことは初めてだった。
現場付近に到着すると、空からナマエとパンダの姿を探す。
山の北側から強い呪力が爆発するように走り、収束していく。間違いない、あそこだ。

「ナマエ!パンダ!」

倒れたナマエとパンダの周囲を直径2メートル程度の光の幕が覆っていた。ナマエの術式だ。
恐らく使用したのは観音霊符だろう。守りに徹し他者を害さないことで効果を底上げしている。祓う類の霊符を使えなくなっている状況ではこれが一番安全策だったといえるだろう。
だがそれも長くは続かない。もし私の到着が遅れていたら、と思うとゾッとする。
そこまで出血はないようだが、制服が裂け、左肩と腹部に大きな傷をつけられていた。この傷で倒れるということは頭を強打しているか、呪力の消費か、それともその両方か。

「息はあるな…パンダは…」
「俺は核が三つとも瀕死で呪力が殆ど残ってない」
「会話が出来れば上出来だ。戻って学長に診せれば問題ないな」

霊符による光の幕を破りナマエの様子を確認し、パンダのほうを見れば、ボディはずたずたにされているものの核までは破壊されていないようだった。
会話が出来る程度はかろうじて呪力が残っているようだし、人間であれば確実に死んでいるような傷だけれど、幸いパンダは呪骸だ。戻って修繕すれば問題なく復帰できる。

「少し待っていてくれ、すぐ終わらせる」

私は風神の成り損ないのような風体の呪霊を前に、今年の春に降伏させて取り込んだハクビシンの呪いをずるりと取り出した。
風神崩れにぶつけるならこれが最適だろう。
本物のハクビシンの何十倍も鋭い目つきをしてそれが、私の術式によって敵に牙を剥く。

「私の大切な子に傷をつけておいて、そのまま祓ってもらえると思うなよ」

素早く敵の背後を取り、ハクビシンの呪いがその頭部に噛みついた。
呪霊に痛みがあるかどうかの理論は置いておいても責めさいなんでやりたいところだが、生憎今日は時間がない。こんな呪霊に時間をかけるくらいなら、一刻も早くナマエに治療を受けさせたい。
ハクビシンの呪いから放たれる雷撃がバチバチとあたりの木々を獰猛に照らす。衝撃に動きを止めた風神崩れに私は呪力で強化した拳を打ち込んだ。
悲鳴のような甲高い音をさせ敵が暴れるために、ハクビシンの呪いは噛む力を強める。

「食うな。取り込む」

こんなところで祓ってハイお終いって終わらせてやるわけがない。取り込んで散々使い倒してやるか、それともこれからナマエを鍛えて祓わせてもいい。
私は手を翳し風神崩れを球体に変えると、ひと飲みで取り込む。いつもなら感じる不愉快な味を今日は感じなかった。
いや、感じる余裕がなかったのだと思う。

「待たせたね、じゃあ高専に戻ろうか」

ナマエとパンダを乗せ高専まで来た時と同じように呪霊で移動し、すっかり夜中だというのに盛大にアラートを鳴らしながら敷地内に到着した。移動中に学長と硝子には連絡をしておいたのでパンダのほうはそのまま学長に引き渡す。
ナマエのことはあまり動かさないように抱えたまま、治療室へ急いだ。金属製の引き戸を開けると、待ち構えていた硝子が「そこに降ろして」と挨拶も主語もないまま指示を出す。
治療が終わったら声をかけるから、と治療室を退出するように言われた。


「私の術式が戦闘向きじゃないってことは、攻撃とか出来ないんですか?」

入学前、数回目の基礎的な稽古の際にナマエが言った。

「うーん。ナマエちゃんのは霊符を使った術式で、攻撃をするっていうよりは攻撃から身を守ったり、相手を拘束することに長けているんだ。だからワンマンでというよりはツ―マンセル、もしくはそれ以上での戦闘でサポートに回るほうが真価を発揮できると思うよ」

調べてみると、途絶えたとされていた霊符使いの血が流れていたらしく、どういうわけか彼女に発現したようだった。
彼女の扱えるそれは並みの呪符とは比べ物にならない効果を発揮するけれど、主に守護や魔除けやの性格が強い。

「えっ、じゃあ私戦うのは他人任せにしなきゃいけないってことですか?」
「あくまで術式の特徴の話だよ。ある程度近接戦闘のいろはを覚えれば術師本人の戦闘力で補える部分はある。私の呪霊操術も基本は式神使いと同じ中長距離型だから、学生時代は近接の訓練をしたものだよ。近接がものに出来れば戦術の選択肢も広がるしね」

そう補足してやると、なるほど、と考えているようだった。
初めて稽古をつけた時とは違って首を捻るようなことはなくなくなったな。

「じゃあこれから、夏油先生が近接戦闘の稽古つけてもらえませんか?」

思わず、私?と聞き直した。
これまでの数回、基礎的な呪いのことや戦闘のことは任されて私がみていたが、近接を鍛えるのであれば近接に特化した教員のほうがいいだろう。
彼女は大きな声で「はい!」と返事をして、きらきらした顔で続けた。

「私、夏油先生みたいに強くなりたいんです!」


医務室の白いベッドで横たわるナマエの髪を梳く。傷一つ残してないからね、という硝子の言葉の通り、目元についていた擦り傷も右手に負った裂傷もきれいさっぱり治っていた。
術師をしていて、怪我をするなだとか、危険なことをするなだとか、そういう言葉は言ってやれない。そもそもこの子に戦い方を教えたのは私自身だ。
生徒が怪我をして帰ってくるところを見たのも初めてじゃない。なのに。

「傑ぅー」

私の思考を断ち切るように扉は開かれ、パンダが姿を現した。
「学長の修繕早かったんだな」と言えば「お兄ちゃん核とお姉ちゃん核はしばらく使えないけど、パンダ核だけを先に直してもらった」と返ってきた。
パンダはベッドのそばまで来ると、小さく寝息を立てるナマエを見下ろす。

「ナマエのやつ、傑の声が聞こえたときめちゃくちゃ安心した顔してたぞ」

霊符を使って意識を飛ばす直前のことだろうか。
間に合って良かった。本当なら倒れるまえに助け出したかったが、まだナマエの霊符の守護が効いているうちに現場に着くことが出来て、本当に良かった。

「そうか…うん」
「俺、ナマエがいいなら別に外野が口出すことじゃないって思ってたけどさ、やっぱりナマエには幸せになって欲しいんだよ」
「うん、そうだね」

私も、ずっとずっと、そう思っているよ。
そうとは言えず、黙ったままでいると、パンダは「人間ってめんどっちいなぁ」と呪骸らしいことを言う。そうだね、人間って面倒なんだ。

「……あー、じゃあ、ナマエの目が覚めたら真希たちが心配してたって伝えといてくれ」

パンダは踵を返して医務室を出ていく。
私とナマエの二人きりになった部屋の中は、しんと静まり返り、静寂さえ聞こえてきそうなほどだった。
ナマエ、君の声が聞きたい。

「早く目を覚ましてくれ、君がいないと寂しい」

まるで祈るように、私はナマエの額にキスをした。




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