「夏油先生と映画に行くことになっちゃった…」

私は野薔薇ちゃんに招かれたお茶会で頭を抱えていた。
隣に座っている真希ちゃんは出されたクラッカーをさくさくと食べている。え、私の話聞いてくれてる?

「二人で?」
「二人で…」
「そりゃあ初めてだな」

真希ちゃんがちょっとびっくりしたような顔で今度は紅茶に手をつけた。びっくりしてくれるならもっとちゃんとびっくりして欲しい。
私が一番びっくりしてるんだから。

「私…夏油先生と出かけられる服なんて持ってない…」

ぽつんとそう言うと、じゃあ今から買いに行きましょ、と野薔薇ちゃんが立ち上がる。心強い…持つべきものは優しくておしゃれな後輩だ。だって真希ちゃんは面倒くさげに私はパスだな、と言った。
当日の様子は面白そうだから聞かせろよって付け加えてひらひらと手を振る。真希ちゃんの薄情者め…。


話は交流会の個人戦…ではなく野球の翌日に遡る.。

「ナマエちょっといいかな?」

私は授業で使った資料をまとめて書庫に向かう途中、夏油先生に呼び止められた。
夏油先生は私の両腕の資料に目を止めると「貸して」と言って取り去ってしまう。

「第四書庫?」
「はい、授業で使って…」
「そう」

夏油先生はそのまま第四書庫の方へ一歩を踏み出す。まさか持ってくれるてこと、かな?なんて考えていると「私もそっちのほうに用があるから、一緒に行こう」と言われた。
私は慌ててお礼を言って、夏油先生の隣に並ぶ。隣を歩くたびに思うけれど、夏油先生ってすごく背が高いし、スタイルがいいんだよなぁ。

「あの、何かご用でしたか?」

ちょっといいかな、と呼び止められたので、きっと何らかの用があるはずだ。わざわざ資料運びを手伝ってくれるってわけじゃないだろう。それならそれで嬉しいけど。
交流会でリタイアしちゃったからなぁ、あの時の術式を使った防御の話とか?それとも逆にあの状況を一発逆転できる戦法のアドバイスとか?考えても心当たりはあるようでピンとはこない。
書庫までの廊下を歩きながら考えていると、思いもよらぬ言葉が降ってきた。

「映画、行かない?」

映画?どうしてまた急に、と思ったけれど、私に夏油先生のお誘いを断るなんて選択肢はないので思い切り大きな声で「はい!」と返事をした。
あんまり大きな声だったせいか、夏油先生に笑われた。

「昔の映画のリバイバル上映なんだけどね、私のお気に入りの映画だからナマエと一緒に見たいと思って」
「なんていう映画ですが?」
「レオっていう映画。見たことある?」
「ないです」

夏油先生、映画とか見るんだ。リバイバル上映を見るってなんかかっこいい。映画が好きな人が見るイメージだなぁ。
私も映画を見ないわけじゃないけど、見るのはだいたい話題のアクション大作とか人気俳優が出てるテレビシリーズの劇場版とか、そういうの。あ、あとドラちゃん。

「だよね。私が5歳とかそのくらいの古い映画だから…私も高専のときDVDでたまたま見たんだ」

夏油先生が5歳くらいって…23、4年前?確かにそれは古い映画かも。
でも夏油先生のお気に入りの映画を一緒に見れるなんて、すごく嬉しい。主演の俳優さん名前は聞いたことあるけど顔はわかんないや。

「再来週、日曜日空けておいて」


来たる日曜日。
私は野薔薇ちゃんに選んでもらった、題して「必勝、初デート攻略コーデ」を身にまとい、髪もちょっと巻いて、不自然じゃない程度にお化粧もした。
デコルテと袖がレースになった白いブラウスに細いプリーツの入った紺色のスカート。ショートブーツはいつも履かないようなちょっぴりヒールの高いものにして、お化粧直しのあれこれを入れたかったのを我慢して小さいショルダーバッグにした。大人のイイ女はカバンが小さい、らしい。
映画館の最寄り駅で待ち合わせをすることになっていて、人の多いところで無事合流できるかな、とちょっと心配だったので10分前には待ち合わせの場所に向かう。
その心配はまったくいらなかった。

「や、ナマエ早いね」

夏油先生は10分前に到着した私より先に待ち合わせ場所にいた。
夏油先生の今日の装いはキャメルのタートルネックのニットに薄くストライプの入った黒いパンツで、ダークブラウンのノーカラージャケットを羽織っていた。足元はシンプルなレザーシューズ。
何かの撮影かと思うほど夏油先生だけがきらきら光って見える。贔屓目ではない、はず。

「げ、夏油先生…お待たせしました」

私も今きたところだから、とドラマで聞くようなセリフを返されて、ますます何かの撮影じゃないかと思う。
夏油先生は「うーん」と首を捻って、気後れしている私のことなどお構いなしに続ける。

「外で先生は気まずいから、そうだな、今日だけ名前で呼んでくれないか」
「えっ…あの、その」

そう、そうだよね。先生と生徒が私服で街中を歩いているなんて絶対おかしい。しかも行先は映画館だ。
でも夏油先生は出会った時から「先生」なので、気を付けていたって何回か間違えそう。

「夏油、さん…?」
「え、そっち?」

えっ、まさか下の名前で呼べってことだったの?無理、無理無理、絶対無理。
海に行った時だってなんだかんだ理由をつけて呼べなかったのに!
揶揄うにしてもこれは流石に勘違いする。やめてほしい。

「まぁ、今日はそっちでいいや。さ、行こうか」

そう声をかけられて、いつも通りの笑顔で手を差し出される。おずおずとその手のひらに自分の手を重ねようと伸ばすと、たどり着く前にぱっと捕まってしまった。


夏油先生のお気に入りというのは1994年に公開された映画で、孤独に生きる殺し屋と、彼の暮らすアパートの隣に住む少女の復讐劇を通した愛の物語だった。
家族を皆殺しにされた少女は、たまたまひとりレ殺し屋に助けを求めることで生き延び、大切な弟を殺した男に復讐することを誓う。
殺し屋に殺しの技術の教えを乞い、そこから二人のアンバランスで奇妙な共同生活が始まる。
その中でお互いに安らぎを覚えるようになり、親子でも恋人でも友人でもない、複雑な感情と信頼関係を築いていく。
やがて少女は憎き仇の居場所を突き止め弟の敵を討とうとするが――。

エンドロールが流れて、私は胸を打たれ放心していた。こんなの…こんなの切ない…。
劇場が明るくなって、夏油先生に手を引かれてなんとか立ち上がった。ずるずるみっともなく泣く私を、併設する喫茶店まで連れてきてくれて、夏油先生は私のミルクティーと自分のブラックコーヒーを注文する。
まるで夏油先生が私を泣かせているみたいに見えるんじゃないか、というのは、寮に戻って冷静になるまで気が付かなかった。

「め、ちゃくちゃ良かった、です…」

私はぼろぼろ流れる涙をハンカチで何度も拭いながら、精一杯感想を伝えようと試みたが、言葉を出すたびに涙に変わってしまうのか、うまく言葉が出て来ない。
終盤、殺し屋が少女を逃がしながら「愛してる」って言って、少女が「私もよ」って返すシーン。映画序盤から少女の気持ちが真っ直ぐ殺し屋に向かっていて、殺し屋だってきっと同じ気持ちなんだって信じたくはあったけど、殺し屋から先に言葉にされると実感があるというか、嬉しい?安心する?言葉がうまく見つからない。

「男が最後、少女に愛してるって言うシーン、公開当時は刺激的すぎる、不健全だって言われてカットされてたんだって。あと暗殺の訓練をするシーンも」
「えっ、そうなんですか!?あんなにいいシーンなのに!?」

嘘でしょ、あのシーンめちゃくちゃ大事なシーンじゃん!あまりの衝撃に涙が止まった。
あのシーンがないなら少女と殺し屋の想いはどこに行くっていうんだろう。っていうか、なんで?
なんで?というのが顔に出ていたのか、夏油先生は湯気の立ち昇るブラックコーヒーを一口飲んだ後頬杖をついて私に言った。

「幼い少女と大人の男が愛の言葉を交わすシーンだからね」

なるほど。ん?なるほど?
少女ほど幼くはないけど、まるでそんな幼い少女と大人の男って私と――。

「ナマエは、どう思う?」

なんでそんなことを聞くんだろう。私の感情を肯定してくれるため映画に連れてきたの?それともその逆?
それを聞くのは怖すぎてできない。
年の差なんて関係ないじゃないですかって言いたいけど、映画に自分を重ねた自己弁護みたいで憚られる。夏油先生は映画について聞いてくれているだけのはずなのに。
私はなんて答えれば正解なのかがわからなくって言葉もでないまま黙っていると、夏油先生が先に口を開いた。

「私はね、そこに愛があれば、いいんじゃないかって思うよ」

いつの間にか落ちてしまっていた視線を上げると、夏油先生はみたこともないくらい優しい顔で私を見ていた。
そう、まるで殺し屋が少女に見せたような、穏やかな。

「わ、私もそう、思います…」

声にできていたかはよくわからなかった。
とにかく鼓動が早くなって、このまま心臓が破裂してしまうんじゃないかと思った。誤魔化すように飲んだミルクティーの味は覚えていない。




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