自覚がないというのは、本当に始末が悪いことだと思う。
高専で粗方の報告を終えて、私はナマエでも探しに行こうと敷地内をうろついていた。すると、向かいから野薔薇が歩いて来て、私に気が付いて立ち止まる。

「あら、夏油先生じゃない」
「やぁ野薔薇。ひとりかい?」
「…今の言い方ナンパっぽくてキモいわ」

最近の学生は辛辣である。まぁ、呪術師なんて阿漕な商売をしようというのであれば折れない心は大切だとは思うが、真希にせよ野薔薇にせよ、随分勝気な性格をしている。
ナマエはもう少し気が強い方が呪術師としてはいいと思うが、こればっかりは本人の問題だからなんともならない。

「そういえば、この前ナマエ先輩ナンパされてたわよ」
「は?」

反射的に低い声が出た。何だって?ナマエが?ナンパ?
野薔薇は目の前であからさまに顔を歪め「顔面ヤバ」と失礼なことをのたまった。まぁ酷い顔はしてるとは思う。

「いつ、どこで、どんな男?」
「先週の日曜。渋谷。チャラ男」

私の片言の質問に野薔薇も片言で返してみせた。渋谷というのは恐らく野薔薇と出かけた先ということだろう。まぁこの口ぶりからするに野薔薇が撃退したのだろうということは容易に想像がつくが、問題はそこじゃない。

「ナマエ先輩大丈夫なの?ナンパだって最後の最後まで気づいてなかったけど、危機管理とか」
「はぁ…だいたい状況は想像ついたよ。野薔薇が助けてくれたんだね?」
「まぁね。ナマエ先輩普通に丸め込まれそうになっててビビったわ」

事態は思った以上に悪いかもしれない。ナマエは基本的にお人好しだ。困ってる…例えば道に迷ったなんて常套句で話しかけられれば、老若男女分け隔てなく道案内をするだろう。
そういうところは美点ではあるし、私もどちらかといえばそういう手合いには最小限親切にするよう心がけているタチだが、自覚があるのとないの、男と女では全く話が別である。

「道に迷ってーとか言われてたわよ。昭和のテンプレかっつうの」
「目に浮かぶな…」

野薔薇の昭和ディスは置いておいても、確かにそんなわかりやすい手口でも騙されるのがナマエである。
もちろん万が一のことがあっても非術師の男相手であれば、女性とはいえ術師の彼女なら逃げるなり呪力で縛り上げるなりできるだろう。秘匿の観点から良いとはいえないけれど、身を守るためだから背に腹は変えられない。
問題はもっと根本的で、つまり簡単にいうと、私以外の男がベタベタとしているのが気に食わないということだ。

「野薔薇、悪いんだけどナマエがナンパに遭いそうになったら気を回してやってくれないか」
「ショウシモムラのリップ」
「オーケー、それで手を打とう」

たかだかデパートコスメのリップ一本で交渉できるなら安いものである。
野薔薇は早速スマホでコスメブランドのホームページを検索し「やっぱりオレンジの570番ね」とお目当ての色をチェックしている。そこから視線を外さないまま野薔薇が続けた。

「ていうか、夏油先生がバシッと言えばいいじゃない。あと夏油先生が助けに行ってあげるとか」
「まぁそうしたいのは山々なんだけど…」
「ナマエ先輩好きそうじゃない。彼氏が助けてくれるとかさ」

まぁ、ナマエはけっこうそういうベタなの好きだからな。そうはいっても任務で一緒にいられない時間が多い。そしてそれ以前に大きな問題がある。

「いや、それなんだけど…明らかに兄弟じゃない十代の女の子とアラサーの男が一緒にいたらどう思う?」
「援交」
「もしそこで先生なんて呼ぼうものなら?」
「通報」

明快な野薔薇の言葉に「ね」と私はため息交じりに言った。
私たちの関係は基本的によく知っている人間にしか教えていない。いくら真剣交際とはいえ、知らない人間が街中で見れば充分に不審だ。ナマエに居心地の悪い思いをさせたくない。

「私はあの子に気を遣わせたり恥ずかしい思いさせたりしたくないんだよ」

野薔薇が訝し気な視線をじろっと見て、私はそれに気が付かないフリをした。


野薔薇はなんだかんだ言ってナマエのことが好きだし真面目だから、それからナンパのようなものに遭遇すると欠かさず報告してくれるようになった。
ナンパのみならず繁華街にはキャッチなんかも多いので、野薔薇の報告は想定以上の頻度だった。
まぁナマエが贔屓目抜きにしても可愛いというのもあるけれど、野薔薇も随分華やかで目立つ。二人揃って歩いていると声をかけたくなる男の心理はわからなくもない。


その日、私は久しぶりにナマエと外で待ち合わせをした。デートと言うには随分短い時間だが、任務の調整が入ってスケジュールがずれ込んだおかげで、ぽっかりと昼間に時間が出来たのだ。
急に振り回すようで申し訳ないなと思いつつも、連絡しない手はないだろうと連絡してみれば、今日は高専で暇を持てあましていると返信があった。

『急だけど、一緒にお昼食べに行かないかい?』
『行きます!すぐ準備しますね!』

ナマエがスマホの向こうで慌てているのが目に浮かんだ。
迎えに行ってあげたいところだけれど、ここからナマエを迎えに行ってまた店の方に出ていくとなると昼どころがおやつ時になってしまう。
そんなわけで現地集合にしようと話が落ち着き、私とナマエは目的の店のある駅で待ち合わせることにした。

「参ったな…」

多少なら時間に余裕があるし、手ぶらは何だしな、と思って近くのショップでナマエへのちょっとしたプレゼントを選びがてら野薔薇への報酬を購入していたら、予定より少し遅くなってしまった。
急いで改札を抜けて待ち合わせ場所に走っていくと、待ち合わせ場所の広場にナマエの姿が見えた。今日も可愛い。紺色のワンピースで白いパンプスを履いている。私と会う時は少しでも大人っぽく見える服を選んでいると言っていた。そのいじらしさが眩しい。

「ナマエーー」

見惚れるのもそこそこにして声をかけないと、と口を開くと、物陰から若い男が姿を現した。大学生くらいだろうか。出鼻を挫かれて思わず立ち止まっていると、その男がナマエに声をかけた。

「すいません、今お時間いいですか?」
「えっと、何でしょう…」
「お姉さん超綺麗だなーって思って、よかったらこれから一緒にお茶とかどうですか?」

そうだよな、これはナンパだろうな。
野薔薇から話を聞くだけでも割とイラっとしてたけど、実際目にすると想像以上にムカムカする。後から思えば別に教師を装って教え子を助ける素振りを見せれば良かったのだが、そんなことは後の祭りだ。
気が付けば、私の足は躊躇いなく二人に向いていた。

「ナマエ、お待たせ」

私はそう切り込み、ナマエの腰にするりと手を回す。冷静になればそうしつこく声をかけてるわけでもないんだからここまで威嚇することはないんだろうが、あいにくそんな判断ができるほど頭は冷えていなかった。

「あっ、夏油せ…さん」
「何か私の連れに御用でしたか?」

にっこりとそう笑ってみせると、男は気まずそうに視線を逸らして「彼氏さん待ちだったんすねー!」と言いながらスタスタと退散していく。私は男の姿が見えなくなるまでじっと見つめ、見えなくなってからようやくふうっと息をついた。

「ごめんね、私が遅くなったから」
「いえ!平気です!ありがとうございました!」
「怖くなかったかい?」
「はい。それに私、ちゃんと自分でも断れますよ」
「まぁ最終的には一般人の男に君が負けることはないとは思うけど…やっぱりそれでも知らない男から声をかけられて欲しくないのさ」

別にナマエが何かをしているというわけではないんだから、不可抗力なのは百も承知なんだけれど。思わずぎゅっと手に力が入る。
さて気を取り直して店に向かおうか、とナマエを見ると、耳を真っ赤にして俯いていた。

「ナマエ?」
「ああああの…その…た、体勢がちょっと…」
「体勢?」
「ち、近い、です…」

体勢と指摘されて初めて自分がナマエの腰を抱いたままだということを思い出した。確かにこれは外国人カップルもびっくりの密着度だ。
私はナマエの腰を解放して、その手で今度はナマエの手を取り指を絡める、いわゆる、恋人繋ぎというやつ。

「さ、ちょっと予定外のことはあったけど、気を取り直してランチ行こうか」
「は、はい」

人間の意思なんて弱いものだ。あれだけナマエに気を遣わせたり恥ずかしい思いをさせたくないと言っておきながら、結局は自分の欲が勝ってしまった。
これくらいの欲なら許されたいな、と、私は誰にでもなく言い訳をした。


翌日、私は高専の寮まで野薔薇を訪ねた。手には黒いマットな質感の小さめの紙袋。野薔薇御所望のショウシモムラのリップ。オレンジ570番である。

「はい、野薔薇。これ約束してたリップね」
「ん。ありがたくいただくわ」

野薔薇は紙袋を受け取ると、早速中を見聞して満足げに頷いた。ご納得いただけたようで何よりだ。

「そういえば聞いたわよ。先生昨日、人前で思いっきりナマエ先輩の腰抱いてナンパ撃退したって」
「流石に耳が早いな」
「いつも誰の恋愛相談受けてると思ってんの?」

まぁ、そうか、そうだよな。ナマエが恋愛相談なんてするなら適任は真希より野薔薇だろう。普段から何かと相談しているのだから、少し変わったことがあったらきっと報告するに決まっている。
野薔薇には知られて困ることもない。ナマエのことよろしくね、とでも言って立ち去ろうとすれば、それより先に野薔薇が口を開く。

「夏油先生。これはナマエ先輩の友達としての忠告なんだけど」
「忠告?」
「気を遣わせたり恥ずかしい思いをさせたくないって、ナマエ先輩のこと本当に思ってるなら考えを改めることをおすすめするわ」

野薔薇が腕を組んで私を見上げる。参ったな。野薔薇の方がよっぽど男らしいじゃないか。
確かにあれは全部くだらない予防線だ。そうやって言い訳して、ナマエにしっかり向き合えていなかったのかもしれない。

「…申し開きもないな」

とはいえ任務もあるしもちろんナマエと四六時中一緒にいられる訳じゃない。手始めにわかりやすく指輪でもプレゼントしてみようか。ゆきずりのナンパにどれだけ効果があるかはわからないが、あるのとないのではもちろん違うだろう。
おあつらえ向きに、クリスマスはもうすぐそこだ。




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