誕生日は、その人にとって一番特別な日だと思っている。 特別仲が良いというわけでない人でも誕生日の当日だと知ればお祝いの言葉をかけるし、それが好きな人であれば尚更。 「えっ、夏油先生の誕生日って2月だったんですか!?」 これは今年の4月。夏油先生とお付き合いを始めてしばらく経った時のこと。伊地知さんの誕生日だと知った学生のみんなでお祝いのパーティーをささやかに行い、その流れで芋づる式に判明したことである。 「そうだよ。あれ、言ったことなかったっけ」 「聞いたことないです!」 「まぁ、この歳になると誕生日なんて平日と変わんないよ。今年は日曜だったけど」 私はわなわな震えた。どうして今まで誕生日のことを聞いていなかったんだろう。この前の2月3日、私何してたっけ。ああそうだ、バレンタインのリサーチのために恵比寿のケーキ屋さんに行ってた。ケーキ屋さんにまで行ったのならあの時ケーキを買ってこれば良かったのに。それならそれで今度はバレンタインどうするかって話になっちゃうし、そもそもあの時はまだ知らなかったわけだし、今更どうしようもないことなのだけど。 「次の誕生日は絶対お祝いさせてくださいね!」 誕生日はどんなお祝いをしよう。ケーキは必須だけど、あまり甘すぎるものはよくないだろう。 プレゼントは何が良いかな。大人の男の人にあげるプレゼントなんて正直想像ができない。でも大丈夫だ。何せ今は4月で、夏油先生のお誕生日まではまだ10ヶ月近くある。入念に準備をして、今までお祝いができていなかった分目一杯お祝いをしよう。 ーーと、意気込んだのがもう9ヶ月前。 「どうしよう真希ちゃん!」 「何がだよ」 私は真希ちゃんに泣きついていた。 もう年が明けて1月になってしまった。夏油先生の誕生日まで1ヶ月を切っている。もちろん忘れていたとかじゃなく、部屋のカレンダーにもシステム手帳にもスマホのカレンダーにも赤いペンで夏油先生の誕生日を書き込んでいた。 スマホの検索履歴もブックマークも美味しいケーキ屋さんやら20代の男の人向けのプレゼント特集の記事などで埋め尽くされている。 「夏油先生の誕生日、何あげれば良いと思う?」 「またその話かよ」 真希ちゃんが呆れ半分で私にそう言い、手にしていたポテチをパリパリ齧った。 真希ちゃんへの相談も正直一度や二度じゃない。呆れられる程度には繰り返している。 「だって…大人の男の人って何プレゼントしたらいいの?」 「スマホの特集記事はなんだって?」 「財布とかキーケースとか…あとネクタイピンとか…それから趣味のものあげても良いって」 20代って言っても大学生向けの記事なんかじゃもちろん幼いから、社会人になった彼宛の、みたいな記事を中心に探した。だいたい似たり寄ったりなことが書いてあって、そういう小物類が良いそうだ。 女の子向けのプレゼントの記事だと鞄なんかも追加されるが、男の人ってどんな鞄使うか人によって全く違うイメージがある。あと私は夏油先生が出張以外で鞄を持ち歩いているところをほとんど見たことがない。 「そういう系はなんかなぁ」 「そうなの。普段買わないようなちょっと良いブランドのって書いてあったけど…夏油先生が普段買わないようなちょっと良いブランドものなんて私には手が届かないし…」 「だろうな」 夏油先生は特級術師だ。私も今二級術師として活動していてお給料をもらっている身だけれど、一級術師でも相当の高給と聞いたことがある。夏油先生に直接お給料の話なんて聞いたことはないが、その上の特級術師が高給じゃないわけがない。それだけ替えが効かなくて危険な仕事なのだから当たり前だ。 「あの人ってボッテカなんとかとかいうブランドもんじゃなかったか?」 「ボッテカ・ウェネタだって。野薔薇ちゃんがブランド名教えてくれた」 夏油先生はものを大事にするタイプだし、あまりあれこれといろんな種類を持とうとしないらしく、お財布もキーケースも同じブランドのものを大事に使っているようだった。そうなるとただちょっと良いブランドだからって買うのはちょっと違う気がするし、第一に、私はブランドものに疎い。 「正直夏油先生が使ってるのより良いものってどんなのかわかんない…」 「こだわりがあるなら、良いとかそうじゃないとかは主観だろ?」 「そうなんだよね…」 それがいいと思って使ってる人に財布やキーケースなんかを贈るのはなんだか迷惑なのかなと思ってしまう。 どうしたものかとため息をつくと、面倒くさそうに真希ちゃんもため息をついた。 「もうお前がプレゼントってことにすれば良いんじゃないか?」 「なっ!ま、真希ちゃん…!」 「なんだよ、今更照れることか?」 夏油先生とのお付き合いにはみっつの決まり事があって、ふたつめに卒業まで清い関係でいること、というものがある。「清い」のボーダーラインは明らかにされていないけれど、ともかくそういう要因から私は夏油先生とハグ以上のことをしたことがない。 「嘘だろ、まさかまだしてねぇの?」 「う…うん…」 真希ちゃんが唖然とした。キスくらいしてほしいとはずっと思っているけれど、事実私は夏油先生とキスもしたことがない。 「じゃあ尚更だろ、私がプレゼントですって押しかけちまえよ」 「む、無理無理!絶対無理!!」 「気合いでなんとかなるだろ」 「ならないよ!」 夏油先生とキスは、したい。でも目の前にしたら絶対ふにゃふにゃになる自信がある。しかも夏油先生にはしたない女だなんて思われたらもう生きていけないと思う。 洗いざらい全部言えば、真希ちゃんはまたため息をつきながらなんだかんだと「プレゼントは私」の代案を一緒に考えてくれた。 来たる2月3日。私はプレゼントの入った紙袋とケーキの入った箱を持って夏油先生のマンションを訪れた。1103号室に向かうと、途中でスーツの男の人とすれ違って「こんにちは」と挨拶をした。確か夏油先生の隣の部屋の人だったと思う。 インターホンを鳴らすと、程なくしてドアが開かれる。いつもよりラフな格好に身を包んだ、休日の夏油先生だ。 「いらっしゃい」 「お邪魔します」 夏油先生に「ケーキ買ってきたんです」と箱を差し出せば「いつもありがとう」と言いながら箱を受け取った。ケーキをよく買っていくのは事実だけど、今日のが「いつも」のと違うのはわかっているくせに、夏油先生はちょっとだけ意地悪だ。 「飲み物入れるよ。適当に座ってて。紅茶でいいかな?」 「あ、はい。ありがとうございます」 私はいつもお邪魔した時に定位置と化しているソファに荷物を下ろして腰掛けた。 夏油先生のマンションは当然だけど夏油先生の匂いがして、嬉しくなる反面いつも緊張する。 程なくしてキッチンから紅茶の匂いが漂い、私の買ってきたフルーツタルトをお皿に乗せた夏油先生がティーカップを持って現れた。 「お待たせ。このタルト美味しそうだね」 「いつものお店のじゃないんです。新しく目黒にできたところで、フルーツがフレッシュで美味しいそうですよ」 「ナマエはトレンドに敏感だな」 「そんなことないです。色々調べてみただけで…」 「私のために?」 夏油先生は意地悪くそう尋ねる。夏油先生のために決まっているって知っているくせに。私が知りすぼみな調子で「そうです…」と肯定すると、クスッと笑って「嬉しいよ」と私の頭を撫でた。 「あの、あとこれ、プレゼントです。気に入ってもらえるかわからないんですけど…」 「ありがとう。開けてもいい?」 「はい」 夏油先生はショップの袋から包装紙に包まれたそれを取り出し、被ってしまわないように慎重にテープを外して解いていく。緊張してきた。 もちろん色々考えに考えた結果の最善のつもりだけど、やっぱり緊張するものは緊張する。 「マフラー?」 「はい。あの、夏油先生に似合うと思って…」 悩んだ末、私が選んだのはマフラーだった。そこまでハイブランドのものではないけれど、調べに調べた上質だと評判のブランドのもの。マスタードイエローで、彩度は控えめだけどワンポイントでメリハリのつくような色。 「すごく良いね。今使ってるグレーのマフラー、そろそろ買い替えなきゃなと思ってたんだ」 「よかったぁ。実はプレゼント何にするかすごく悩んだんです」 「そうなの?ナマエが選んでくれるなら何だって嬉しいのに」 夏油先生は化粧箱からマフラーを取り出してくるりと自分の首に軽く巻いて見せる。夏油先生はかっこいいからなんでも似合うけど、私の想像通りマスタードイエローのマフラーもすっごくよく似合う。 「しかもほら、私自分で選ぶとモノトーンばっかりになるからさ、こういう色って新鮮だよ」 「夏油先生にきっと似合うと思って」 「ナマエはセンスが良いね」 べた褒めの嵐に恥ずかしくなってきた。最終的に選んだのは私だけど、ブランドがどこがいいとか、一緒に調べてくれたのは野薔薇ちゃんだ。 夏油先生はマフラーの手触りを確かめるようになんどかするすると撫でて、どうやら本当に気に入ってくれたようだった。 「私のためにたくさん考えてくれたっていうのが一番嬉しいよ」 「だって、去年のお誕生日もお祝い出来なかったし、絶対今年は目一杯お祝いしようと思ったんです」 好きなひとの誕生日なんだから、特別なことをたくさんしたい。喜んでもらえるようにいろんなことを準備する時間もすごく楽しいし、なんだってしてあげたい。もっともっと、目一杯お祝いしたい。 「ぜんぜん、これくらいじゃ足りないくらいなんですよ」 「じゃあ、来年も期待していようかな」 「もちろんです!」 夏油先生が当たり前に来年も一緒にいると言ってくれるのが嬉しくて、思わず前のめりになってそう言った。 「誕生日なんて歳をとるばかりで最近は何とも思ってなかったけど…これからは毎年楽しみだよ」 「ふふ、来年までにどんなプレゼントがいいかまた一杯考えますね」 「考えてくれるのは嬉しいけど、無理はしなくていいからね」 無理なんてしてない。どんなものがいいか目一杯に悩んだけれど、夏油先生のために使う時間は悩んだ時間さえ有意義で楽しい。 「大丈夫です。今回も真希ちゃんや野薔薇ちゃんに相談乗ってもらって…あ、でも、真希ちゃんなんか私がプレゼントですって言っとけなんて言ってましたけど…」 「へぇ?」 「もちろん冗談ですよ?」 ああは言いつつ結局相談には乗ってくれるけど、あんなの恥ずかしいから絶対に無いよなぁ。そんなことを考えていると、夏油先生が腰を上げ、私を両腕の中に閉じ込めるようにソファの背へと手をついた。 じっと細めた目に見つめられて、私は蛇に睨まれたカエルのように指先のひとつも動かすことが出来なくなる。 「じゃあせっかくだから貰おうかな」 「げ…げと…せんせ…」 何を、と思ったけど、それを解明できるほど思考回路が働かない。私に影を落とした夏油先生のきれいな顔がじっと近づき、これはきっとキスをするんだと思った。 瞼を閉じて覚悟するように待っていても、一向に唇に触れるものはない。その代わりに額にちゅっと小さなリップ音がした。 「なんてね」 「なっ…!」 きっとキスをするんだと思っていた分違ったことが恥ずかしくて、でもおでこにキスしてくれたのは嬉しくて、頭の中で色んな感情がミキサーにかけられる。 夏油先生は全部わかっていて真っ赤になっている私を放ったまま「タルト頂こうかな」なんて言ってフォークを手に取る。 悔しくて恥ずかしくて嬉しくて、私は揶揄われて怒ったふりをしながら隣でフォークを握った。サクッと軽快な音を立てながら切り分けられたフルーツタルトを口に運ぶ。 「はぁ、もうちょっとお預けだな」 「んっ、何か言いました?」 「いや何も。美味しいね、このタルト」 何か重大なことを聞き逃した気もするけれど、今は自分のことで精一杯だ。 クリームの甘さと果実の瑞々しさが口の中でとろけていった。 |