「デートしようか」 高専の数少ない自販機のそばでそう誘ったのは、付き合い始めて四ヶ月が経過した七月のことである。 「いいんですか?」 「ナマエの予定が空いてるなら、来週の土曜日、どうかな。」 丁度一日休みが取れたんだ。と言うと、ナマエは文字通り飛び上がって喜んだ。 「全然大丈夫です!」 「じゃあ映画に行こう。今度はナマエが見たいのを選んで」 わかりました、と言って、ナマエは指折り何かを数えだす。きっとそれは見たい映画ではなくて、私とデートに行く為の準備の手順なんだろうということを知っている。 ナマエは、今日も一生懸命で可愛い。 私とナマエの交際には、いつくかの決まりごとがある。 ひとつ、交際していることを公言しないこと。 ふたつ、卒業するまでは清い関係でいること。 みっつ、ナマエは友人との約束を優先すること。 ひとつ目に関しては、正直周囲の人間にはバレているも同然なわけだが、最たる理由はナマエを術師として不利な状況に追い込まないためだ。 曲がりなりにも特級なんて冠をつけられている以上、私の敵は多い。 ふたつ目は、未成年との交際における私のなけなしの倫理観である。ナマエには言っていないが、具体的にはハグまでと決めている。私の理性には引き続き頑張ってもらいたい。 みっつ目は、青春を奪いたくないという大人の我が侭。悟じゃないが、若人の青春を奪うことはしたくない。学生同士で遊べる機会があるなら、今はそれを優先すべきだ。 そんなことで、私とナマエはあまりデートに出かけるということをしていなかった。 前述の決まりごとと、それから単純に私の忙しさとで。 「デートするんだって?」 「…なんで悟が知ってるんだ」 執務のために与えられた高専内の一室へ不遜な態度で姿を現した悟に、思わず顔が引きつる。 ナマエがこういう話を言いふらすのは考え辛い。どこで聞いたって言うんだ、この男は。 「そりゃあ傑がうっかり高専で誘うからでしょ」 「聞いてたのか」 「たまたま、偶然、奇跡的に、聞こえただけ」 嘘付け。確かに高専でその話をしたのは迂闊だったが、あの時は回りに誰もいなかったはずだ。気配は確認したし、いくら悟が気配を消していたとしても悟の気配にだったら気づける。 「本当は?」 「ナマエが真剣な顔で雑誌のデート必勝アドバイスの記事読んでたから、そんなことだろうと思って」 なるほど、そっちか。 大方、寮の談話室に茶々を入れに行ったのだろう。その様子が容易に想像出来た。 「もっとデートしてやればいいじゃん。やっとくっついたんだから」 「悟、私たちは交際していることを公言していないんだ。しかも、彼女はまだ学生なんだから、私と並んで歩いてるのはあまり心証が良くないだろう」 「オエー。出たよ、傑の正論」 学生時代から苛烈さは成りを顰めたものの、私の前で見せる顔はそう変わっていない。 舌をべろっと出して心底気持ちが悪いといった顔をする。 「傑、デートすんの何回目?」 「なんでわざわざ悟に言う必要があるんだ?」 「いいよ、じゃあナマエに聞いてくる」 「…やめろ」 悟なら本当に聞きに行きかねない。ナマエが私以外に困らされているのは誠に遺憾だ。白状せざるを得ないらしい。 「付き合う前に1回映画に行ったよ。付き合い始めてから一緒に出かけるのは2回目だ」 「映画?何見に行ったの?」 「レオ」 悟の興味は回数より内容に向いたようだったが、あの名作を悟が知らないわけがないし、言えば間違いなくからかわれる。が、前述の通り、もう私には白状するしか道がないのだ。 案の定、タイトルを聞いて悟はさらに口を歪める。だろうな。私も悟が同じことしたらドン引きしてるよ。 「うっわ、あんなゴテゴテの歳の差恋愛モン見せたのかよ、鬼畜だな」 「うるさい。私も大人げなかったと思ってるよ。あの時は余裕がなかったんだ」 あの時は、交流会でのこともあったりして余計に焦っていた。 映画になぞらえて自分の気持ちを告げるなんて卑怯な真似をしたときも、さりげなさを装ってはみたが、実際ナマエにどう見えていたか知らない。 「口説き落とした責任取れよ、傑」 「言われなくても、もちろん、そのつもりだよ」 ならいいんだけどさ。と、悟は言って、結局何がしたかったのか、ひらひら手を振って出て行ってしまった。 来たる土曜日。待ち合わせは映画館の最寄り駅。付き合う前に一度来たのと同じ場所だった。 早めに来たつもりだったけれど、今回はナマエのほうが早かったらしい。 白に紺色のストライプの入ったシャツワンピースで、ウエストを細いベルトでマークしている。足元はヒールの高い黒のパンプスだ。 ぱっと見ただけで、私に合わせて背伸びをした格好なのがわかる。 そわそわとスマホで時間を確認したり、前髪をちょこちょこ直したりしてるのが可愛くてずっと見ていたくなるが、そういうわけにもいかない。 「お待たせ、ナマエ」 「夏油せ…さん!」 外では名前で呼ぶという約束をかろうじて守り、ナマエはきらきらした目で振り返った。 本当は下の名前で呼んで欲しいけれど、まぁ今はそこまで我が侭は言わない。 「可愛いね、似合ってる」 じっとナマエを見下ろす。 髪もゆるく巻かれて、化粧もさりげない程度に施されている。ピンクのグロスが唇をつやつや潤していて、思わず手を伸ばしたくなった。 「げ、夏油さんも、その…かっこいい、です」 チーク以上に赤くなった頬を隠すように俯いて、ナマエが言う。 ショルダーバッグを両手でぎゅっと握り、恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、頑張って言おうとしているところが可愛い。 「ありがとう」と返し、ショルダーバッグを握った手に触れると、その力が緩められたのですかさず攫う。 あっ、と声を上げるナマエに気づかないふりをして、指を絡めた。 今日はナマエに映画を選んでもらっている。私は何を見るかを知らされていない。だから、チケット売り場でナマエがサスペンス映画を指差したときはびっくりした。 「あ、自分のチケットは…」 「いいんだよ、デートなんだから」 バッグから財布を出そうとするナマエをやんわり制する。これだけ年下の女の子に財布を出させるわけにいかないだろ。 デートという言葉を意識したのか、まぁさせたんだけど、ナマエはまた顔を赤くした。 「はい、ナマエの分」 「あ、ありがとうございます…」 私とナマエは上映時間までロビーのポスターを眺めながら、近日公開の映画について話をする。 今年はどれが賞を獲るだろうかとか、あの俳優の過去作品だとこれが良かったとか、私の話しにナマエはいちいち興味深そうに相槌を打った。 そのうちに上映時間の10分前になり、アナウンスに従って劇場内へ進んだ。少し後方の真ん中に並んで座り、CMが流れ始めるまで小さな声でお喋りは続く。 「夏油せ…さんはこの映画見ましたか?」 「あぁ、それ。去年公開したやつだよね。任務が重なって見れてないんだ」 「そうだったんですか。今度地上波でやるらしいです」 「本当?じゃあ録画しておこうかな」 特別ひそひそと話すような内容ではなかったけれど、劇場内だから自然と囁きあうようなボリュームになる。 ナマエがスマホの画面を見せながら教えてくれたのは、毎週金曜日のロードショーの情報だった。 「あ、もうすぐ始まりますね」 そう言ってナマエはスマホの電源を落とし、一度座りなおして体勢を整える。私も劇場に入る前に電源を落としたスマホをもう一度だけ確認して、同じようにスクリーンに向き直った。 劇場内が暗くなり、CMが始まる。見たいと思っていたフランス映画と、それからハリウッドのアクション映画のシリーズ最新作。今年は意外と豊作かもしれないな。 ちらりと横目でナマエを見ると、まだCMだというのに真剣な顔でスクリーンに向かっている。 ナマエの映画の好みって、そう言えば聞いたことがないな、と今更なことを思った。 約二時間後、劇場内の照明が点灯する。映画の内容は満足だった。 オチとしてはサスペンスにありがちなものではあったけれど、カメラワークがアクションのような使い方をしているのが面白かったし、何より話の筋で見せる脚本が面白い。ロビーに出て映画のポスターを確認すると、昔面白いと思った脚本家が担当していることがわかり、人知れず「なるほど」と頷いた。 私とナマエはそのまま併設のカフェに足を運び、向かい合って座る。あの日と同じ席だ。ホットのブラックとアイスのミルクティーを注文して、ナマエはミルクティーにガムシロップをひとつ入れてかき混ぜると、ストローに口をつける。 「面白かったです。最後のシーンなんてまさか中盤の台詞が伏線になってただなんて思わなくて」 「そうだね、あのダブルミーニングは見事だったな」 映画を誰かと見ると、終わってすぐに感想を言い合えるのがいい。 私は元々一人で見るタイプだったけれど、高専のときに散々悟と見るようになって考え方が変わった。 誰かと見るのも楽しい。それが好きな相手なら尚更。 「ナマエ、サスペンス好きだったのかい?」 「自分ではあんまり見ないですけど、夏油せ…さん、が好きかなと思って…」 そう言って、ナマエは当然とばかりに笑う。 君の好きな映画を見ようって言ったのに、当たり前に私が好きそうなのを選ぶなんて、それだけ考えてくれているのは嬉しいが、これじゃあナマエに決めてもらった意味がない。 「ナマエは?どんな映画が好き?」 「えっ、私ですか?」 聞けば、ナマエはうーんと考える素振りでストローをくるくると二周させる。 そんなに言い辛いことかと一瞬思ったけれど、これは多分照れているんだと想像がついた。 「…れ、恋愛映画とか、好きです…あの、夏油さんは好きじゃないかも、ですけど…」 ちらりとナマエの視線が映画館のほうへ動く。その先には確か、先週公開されたラブロマンス映画のポスターが貼られていたはずだ。 まぁ確かに、サスペンスとかアクションとか、それからサイコスリラーを選ぶことが多い。ラブロマンスも見ないわけではないが、ナマエが思うような甘酸っぱいものはあまり見ないだろう。それでも。 「好きじゃないなんてことないさ。このあとナマエの気になるやつを見に行こう」 「いいんですか?」 「もちろん。ナマエさえ良ければ」 ナマエが好きだと思う映画があるなら、何だって一緒に見たい。それこそ、今日ナマエが私のために映画を選んでくれたように。 スマホで次の上映時間を確認すれば、あと30分ほどだったのでそのままチケットを二枚予約する。 「今日は映画三昧だね」 「ふふ、ずっと夏油さんの隣に座っていられるから、けっこう楽しいです」 不意打ちでそんなことを言われて、思わず面食らう。すぐ恥ずかしがって二の句が継げなくなるくせに、こうして彼女は時々、私の胸を簡単に騒がせる。 「あっ!ちゃんと映画も楽しんでますよ!」 的外れなことを言って慌てだすから「そうじゃないよ」と言えば、今度は意味がわかりませんとばかりにハテナマークを頭の上に飛ばした。 「私も、ナマエと一緒にいられるだけで楽しい」 言葉にして、何をティーンエイジャーみたいなことを言っているんだと自分で呆れる。 けれど本当のことなのだ。 並んで歩くとか、手を繋ぐとか、そんなことだけでこんなにも満たされた気持ちになる。もっと深く触れ合いたいとだって思うが、もう少しこのくすぐったい関係のままでいたいとも思う。 「さぁ、そろそろ行こうか」 時計を見れば、もうすぐ上映の15分前になろうとしていた。そろそろカフェを出てロビーに移動しておきたい。 ミルクティーを飲み終えていることを確認して声をかけると、ナマエが「そうですね」と返事をして楚々と立ち上がる。 今度はロビーでナマエの好きな映画のことを話した。十代のナマエとはもちろん価値観も視点も違うし、気に入る作品だって違うだろう。 出来ればそういう違いをこれからたくさん共有して、君をもっと理解したい。 「楽しみだね」 「はい、楽しみです」 上映時間10分前。劇場の座席に並んで座る。 劇場内の照明が落とされCMが終わると、本編再生前に配給会社と制作会社のロゴが次々流れる。 私は手すりを越えて、上品に膝の上に並べられたナマエの手を握った。びくっと少しだけ反応して、それからナマエが私の手を握り返す。 映画館に来る時だってずっと手を繋いでいたっていうのに、暗がりだってだけで年甲斐もなく緊張した。 あえかな指先を確かめるようになぞり、これは映画に集中できないかもしれないな、と考えながらスクリーンを見つめる。映画の冒頭は、美しい桜と菜の花の映像で綾なされた。 |