バレンタインという行事は、主に手作りチョコを友達に配る行事だった。中学生までは。
デパートの可愛らしいチョコレートや、可愛くない四角なのにそれ以上のお値段のするチョコレートがたくさん載ったブックレットをペラペラとめくりながら私は今年のバレンタインについて考える。

「真希ちゃん、今年のバレンタインなにが食べたい?」
「いや、真っ先に私に聞くのかよ」
「えっまさか真希ちゃん今年渡すの?」
「買いも作りもしねーけど」

だよね。と言って私は去年のことを思い出した。
真希ちゃんはバレンタインにどうこうするって習慣はあまりないようで、私が友チョコのマフィンを焼いて渡したら、ひどくびっくりしていたようだった。真希ちゃんは何も用意していないから「ホワイトデーに期待しとけ」なんて言ってホワイトデーにはお返しに美味しいケーキを買ってきてくれた。
肝心の本命はというと、ガトーショコラを焼いたのに夏油先生は急遽2週間の長期出張任務が入っていたようで、渡せないままみんなと五条先生のお腹の中に収まった。捨てるのももったいないし。

「去年バレンタインのあとに思ったんだけど、本命の女からもらう手作りチョコって…なんか怖くない?」
「言いたいことはわかるけど完全に呪術師の思考だな」

そうなのだ。去年はたと思った。義理はともかくとして、本命の手作りチョコってちょっと呪いが込もってそうで怖い。
私が夏油先生宛のチョコにそんな物騒なことをするわけはないが、イメージで一度怖いと思ってしまうとなんとなくあげ辛くなってしまうのは当然の心理だと思う。

「決めた。今年は美味しいやつを買いに行こう」


そうと決めてお店探しに勤しみ、私は無事恵比寿にある美味しいケーキ屋さんを見つけ出した。
恵比寿駅の東口から歩いて、広尾方面に外苑西通りの近く。評判によると広尾のマダムたちにも人気の大人のケーキ屋さんだった。
念のため一度カフェスペースでミルクレープを食べたら、美味しすぎて言葉を失った。こんなに美味しいなら、きっといろんな美味しいものを食べてきているだろう夏油先生にも自信を持って渡すことができる。
ちょっと待て、でもこんなに甘くて大丈夫だろうか。夏油先生はいつもコーヒーをブラックで飲んでいて、五条先生と違って甘いものを食べているところは滅多に見たことがない。
ショーケースを眺めながら、私は妙案を思いついた。


「はい、真希ちゃん。ハッピーバレンタイン!」
「お、ありがとな」

可愛い袋でラッピングしたブラウニーを差し出す。さっと受け取る真希ちゃんは、なんか漫画で見た女子高のモテる先輩みたいだ。
今年もお返しはホワイトデーのシステムをとっているらしくって、期待しとけよ、と言われた。去年のケーキめちゃくちゃ美味しかったし、これは純粋に期待する。

「はい、棘くん、パンダくん、憂太くん。ハッピーバレンタイン!」

特別お菓子作りが得意というわけではないけれど、こうして作ってみるのは楽しい。あと純粋に量が多くなると買うより安上がりで済む。

「高菜!」
「おう、ありがとなー」
「ナマエちゃんありがとう」

口々にお礼を言ってくれるので、大したものじゃないけど、と少し気恥ずかしい気持ちになる。
「じゃあ他の人にもお礼渡してくる!」と言って、私は教室をあとにした。
お礼なんていつでも出来るでしょ?わざわざバレンタインに?っていう理論はわかるけど、やっぱりこうやってきっかけがあると日頃お世話になっているお礼だってしやすいものだ。

「野薔薇ちゃーん、いる?」

ひょこっと一年生の教室を覗くと幸い3人揃っていた。個別に探しに行かなくていいから助かる。

「はい。野薔薇ちゃん、虎杖くん、伏黒くん、ハッピーバレンタイン!」

手作りダメじゃないなら良かったら食べてね。と付け加えながら、個包装したブラウニーをひとつずつ配る。虎杖くんなんかは大げさなぐらい喜んでくれて、作ったこちらとしてもこんな反応をしてもらえると嬉しい。

「ナマエ先輩、これ私から」

野薔薇ちゃんは真希ちゃんとは違ってホワイトデーお返し制度ではないのか、小さな紙の包みをくれた。野薔薇ちゃんも手作り派なんだなぁと思うとなんだか嬉しい。
野薔薇ちゃんは虎杖くんと伏黒くんにも同じ紙の包みを渡していて「三倍返しよ」と言うものだから、虎杖くんは「ええー!」と抗議し、伏黒くんもあからさまに表情に出していた。一年生が仲良くしていると、不思議に私まで楽しい気分になる。

「ありがとう、大事に食べるね」

お礼を言って、私は次の目的地に向かった。
職員室、の向こうにある、何のための部屋かよくわからない畳の部屋。さっき五条先生に「どこにいますか」とメッセージを送ったらそこだと返信があった。
早く捉まえなければ、いつ渡せるかわかったものじゃない。ただでさえバレンタインは外を歩くたび女の人に囲まれているんだから。

「五条先生、ミョウジです」

扉をノックして声をかけると五条先生から「入って入って」と言われ、扉を開ける。その瞬間に、バレンタインの催事場かと思うくらいのチョコレートの匂いが溢れだした。
なんで?と思って中を見たら、なんてことはない。バレンタインの催事場みたいに五条先生がいただきものだろうチョコレートに囲まれていた。

「うわ、相変わらずすごい量ですね…」
「ほんとにね。モテちゃって困るよ〜」

あはは、と笑って、五条先生は手元の四角いチョコレートをひょいっと口に運んだ。あ、あれデパートのブックレットで見たやつだ。
この量は、少なくとも見知った補助監督や女性術師からだけじゃないだろう。五条先生知り合い以外からのプレゼントでも食べるんだな、と意外に思ったが、そうか安全なものかどうか「眼」で視ているんだな、と勝手に納得した。

「これ、私からです。こんなにあったらもういらないかも知れないですけど…」
「そんなことないよ、甘いものはいくらあっても困らないからね」

ええぇ、そうかなぁ。流石にこの個人催事場みたいな空間は引く…。失礼なことを考えていたら「傑にはもうあげたの?」と新しいチョコレートをつまみながら五条先生が言った。

「いえ、まだです」
「今年は本命何作ったの?」
「作ったというか…今年は美味しいケーキ屋さんで買ってきました」

そう言うと、一瞬五条先生が動きを止めて、堪えきれないとばかりにお腹を抱えて笑い出した。そんなに?
ひとしきり笑った五条先生が「なんで?」と理由を聞いてきたので、真希ちゃんと話していた「本命チョコって呪いが籠ってそうだから」という話をしたらまた笑われた。だから、そんなに?

「夏油先生見ませんでしたか?」
「あー、傑なら昼は任務に出てるって。でも大した内容じゃないから夕方には戻ると思うよ」

付き合ってられないとばかりに夏油先生のスケジュールを聞けば、なるほどそりゃあ校舎中探しても会えないわけだ。
私はチョコレートに埋もれる五条先生を背にして、これ以上揶揄われないようにさっさと部屋をあとにした。


夕方、白くなる息を吐き出しながら門の前で夏油先生の帰りを待っていると、16時になろうかというくらいの時間に遠くから階段を登ってくる人影が見えてきた。夏油先生だ。
私は大きく手を振って、夏油先生にここにいるよとアピールすると、気づいた夏油先生が右手を軽く上げてくれた。
だんだん大きくなる夏油先生の姿を待ちながら、私は寮室の冷蔵庫で冷やしているケーキのことを考えていた。

「夏油先生、任務お疲れ様です」
「ありがとう。寒かっただろう?」
「寒かったですけど、夏油先生のこと待ってたかったから。こんなの全然平気です」

私がそう言うと、夏油先生は眉を下げて笑ってくれた。
夏油先生にバレンタイン用にケーキを用意していることを伝え、そのまま寮の談話室までついてきてくれることになった。私は寮室の冷蔵庫からケーキ屋さんの箱を取り出し、傾けてしまわないように慎重に談話室を目指す。

「苺のムースなんです。恵比寿の美味しいケーキ屋さんので、甘さ控えめのを選んでみたんですけど…」

私は箱から慎重にムースを取り出して、ソファに腰掛ける夏油先生の前に差し出す。
夏油先生は少し驚いたような顔でムースを見ていた。春、何度も一緒に苺を食べたから好きなのかなと思ってたんだけど…違ったかな。一回あんなに高そうな箱に入ってるのまでわざわざ買ってきてくれてたはずなんだけどな。

「…悟から、ナマエの手作りチョコをもらったってわざわざ電話で自慢されたんだけど、私にはないの?」
「えっ…?」

本命だから、特別に買ってきたんだけど…。そして私は正直に、本日何度目かになる「本命チョコって呪いが込もってそうだから」という話をした。
夏油先生は「いや、うん、なるほど」と口先だけで言って、ひとつも納得していない様子だ。

「手作りの本命チョコに呪いが込もってたとしても、私はナマエの手作りが欲しい」

夏油先生は私の目をじっと見てそんなことを言った。なんだかとんでもないことを言われている気がする。

「来年は、手作りが食べたいな」

ダメ押しにそんなことまで言われて、私は行き場を失った視線を苺ムースに合わせると、綺麗な断面の層を数えた。そんなのじゃ全然気は紛れなくて、ぽつんを言葉を吐き出すと、思っていたよりずっとか細い声しか出なかった。

「…ケーキ屋さんの方が絶対美味しいのに…」
「ナマエの手作りってところに意味があるんだよ」

ムースは三層。ミルクが甘くて、苺がちょっとすっぱくて、チョコレートがほろ苦い。




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