「…ナマエに避けられてる」 忘年会という名の老害の介護を終えた二次会らしき飲みの席で、私は焼酎を飲みながら言った。 隣でコーラを飲んでる悟が爆笑し、向かいでもう何合目かもわからない日本酒を硝子がお代わりしている。 「いままでなかったんだ、こんなこと一度も」 ナマエはたとえ放っておいても私のところに来る。時間が空いていれば任務の帰りを校門で待っていてくれることもあるし、声をかければとてとてと素直に寄ってきてくれる。 そりゃあ、任務や授業でその限りじゃないこともあるが、声をかけて「ごめんなさい!」とだけ言われて逃げられたことなんて一度もなかった。 「何、傑、ついに手ェ出したの?」 手を出した?私がナマエに? いや、あれはそういうんじゃない、決してそういう不純な気持ちがあったわけでは…一切ないとは言い切れないけれども。 「…デコはセーフだろ」 「いや、アウトだよ」 「………」 久しぶりの悟の正論に思わず押し黙る。 それが原因か?あのときナマエは寝ていたはずだし…まさか起きていたのか? 「関係の修復は早い方がいいぞ」 不意に、それまで興味もありませんとばかりに黙っていた硝子が枝豆をつまみながらそんなことを言った。 今の一言で確信した。あの時ナマエは起きていたんだ。 「硝子、君知ってたのか」 「さぁ、どうだか」 はぁ、と私は酒臭い息を限界まで吐き出す。 私のことを好きでいてくれるんなら、額にキスしただけであんなに避けることあるか?いや、ダメだ、今は絶対冷静じゃない。こんな八つ当たりみたいな考えは。 グラスに残っていた焼酎をぐいっと一気に飲み干す。 「仕方ないなぁ、ここは親友で最強の五条悟サマがひと肌脱いでやるよ」 悟は本当に素面かと疑うテンションの高さでそう言った。いや、悟はこういうやつだ。昔から他人事だと思って面白がって…。 「初詣、傑は9時集合ね」 「はぁ?なんだってそんな早く…私2日の夜中まで任務なんだぞ」 「まぁまぁ、いいからいいから。サイコーに可愛いナマエが見れちゃうかもよ?」 「ふざけるな、ナマエはいつでも可愛いだろ」 いつも私をきらきらした顔で見上げてくるんだ。私の名前を呼ぶときは特別弾んだ声で、でも時々恥ずかしがって小さくなってるのも可愛らしい。 手を繋いだだけで俯いて私の顔も見れなくなってしまうんだ、あんなに積極的に告白してきたっていうのに。 ああ、でも可愛いだけじゃない。あの小柄な躯体で近接戦も中々の腕前になってきた。仲間思いの強くて優しい女の子で――。 「傑、酔っぱらってんだろうけどさ、いまここ、七海もいるからね」 悟の言葉にハッとして対角線上を見ると、粛々とロックグラスを傾ける七海が座っている。 そうだ、この店に二次会と称して4人で来たんだ。 「…七海」 「…何も聞いてません」 物分かりの良い後輩で助かる。 任務が立て込んだり実家に呼び出しを受けたりが続き、正月までろくに高専に足を運ぶことが出来なかった。 気がつけば初詣は明日に迫っていて、スマホを見て集合時間を確認する。確か昼頃から行こうって話で――いや、違う。悟に「傑は9時集合ね」と忘年会の日に言われた。 巻きで任務を終わらせたから、時刻は現在21時。報告書をさっさと仕上げて帰ろう。 職員室まで向かう道中、寮の隣を通ると賑やかな声が漏れ聞こえていた。学生は冬休みの間実家に帰るなりなんなりすればいいのに、帰った連中も早々に戻ってきているらしい。 笑い声の中にナマエを見つけた。 「ナマエ…」 先月、ナマエを探して寮の談話室に行ったとき、わざわざ給湯室に隠れてまで逃げられた。あれは結構堪えたな。 堪えた、なんて言葉は、私に言えた言葉じゃないんだけれど。 翌朝9時、眠い目を擦りながら集合場所と言われた校門前で待っていると、遠くから白い着物がとてとてと歩いてくるのが見えた。ナマエだ。 「夏油先生、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」 「ああ、明けましておめでとう、今年もよろしくね」 あまりに普通に新年の挨拶をされて、思わず普通に返してしまった。あれほど避けられていたと言うのに、一体どういう心境の変化だろう。 9時を10分過ぎて、ナマエが「みんな遅いですね」と言った。そうだね、と相槌を打ちながらスマホを確認すると、悟から一件のメッセージが入っていた。 『僕たちは昼から行くから、楽しんできてね』 そんなことだろうと思った。 「ナマエ、集合時間が9時に変更になったって誰から聞いた?」 「えっと、五条先生から」 「嵌められたみたいだね。私たち」 えっ、と言って、ナマエが自分のスマホを確認する。眉間に寄せられたしわを見るに、恐らく悟と結託している誰かからか、もしくは全員からかは知らないが、私が悟から受信したようなメッセージを受信しているとみえる。 「せっかく早起きしたんだ。二人で行こうか」 そう言うと、はっとスマホから顔を上げて私を見た。いつもよりしっかり化粧をしていて、まぶたにも唇にも淡いピンクが乗っている。 私はナマエの返事を聞く前に細い手を取り、神社への道を歩き出した。 向かったのは、筵山から私鉄に乗って乗り換えなしで行ける小さい神社だ。私たちが学生のころからなんとなく初詣と言えばここで、23区の神社よりは混んでいないが、三が日は地元の人間で賑わう。出店も少しだけ出て、満遍なく、かつ手軽に正月気分を味わえる。 私とナマエは神社に到着するとまず参拝者の列に並んだ。今年も程よく賑わっている。 「ナマエ、着物よく似合ってるよ」 校門ではつい言いそびれていた。白地に水仙の凛とした小紋に、赤い亀甲柄の帯を締めている。帯締めは金色で梅のかたちをしていて、淡いピンク色の羽織を羽織っていた。 正月らしい装いだが、ごく普通の一般家庭で育ったナマエが選んだとは思えない。 「あ…ありがとうございます。初詣行くんだからって五条先生が人数分用意してくれて。着物を着るなんて七五三ぶりかもしれないです」 あはは。恥ずかしそうにナマエが笑う。 なるほど、これは確かに「サイコーに可愛いナマエ」だな。着慣れない服装のせいか、動きが少しぎこちない。それがまた庇護欲を煽った。 10分程度並んでいたら順番が来たので、拝殿の前でお賽銭箱にお賽銭を投げて二礼二拍手一礼。 隣のナマエをちらりと盗み見れば、何やら難しい顔をしながら手を合わせている。随分と熱心な様子だけど、一体何を願っているのか。 お参りを終えたナマエと私は、出店で正月らしく甘酒を堪能していた。甘いものは普段そう飲まないが、この寒さの中だと身体が温まっていいものだ。 「甘酒ってお正月くらいしか飲まないですけど、なんだか懐かしい気持ちになっていいですね」 「そうだね、身体も温まるし」 ナマエは紙のカップを両手で持ち、指先を温めながらこくりと甘酒を飲んでいる。 空を見れば、今にも雪が降りだしそうだった。着物じゃそう素早く移動も出来ないし、勿体ないけどそろそろ高専に戻ったほうがいいかもしれないな。 そんなことを考えていると、隣でナマエがくしゅん、とくしゃみをした。 「寒い?」 答えを聞く前に、私は自分のマフラーをナマエの首に巻く。白と赤と淡いピンクの装いの中に、自己主張の強いチャコールグレーのマフラーが巻きついて調和を台無しにする。 それが心地よくて堪らない。 「ふふ、夏油先生の匂いがする」 恥ずかしがって何も言えなくなると思ったのに、ふふふ、とナマエは笑って言った。 手を繋いだだけであんなに真っ赤になるのに、これは平気なのか。いや、むしろ何か心境の変化で平気になったのか? ここにきて照れたり動揺するほどじゃなくなった、とかだったら正直かなり落ち込む。いや、その時はまた惚れさせるしかないだろう。ここまでなんだかんだとはぐらかしてきたツケだ。 私は人知れず息をついて、空になった二人分の紙カップをゴミ箱に捨てた。 「そろそろ帰ろうか、雪が降ってきそうだよ」 「本当ですね、お昼から皆来るんだったら、天気それまで持ってくれればいいですけど…」 彼女の小さな歩幅に合わせて歩き出す。行きと同じように手を握れば、今度はすぐに握り返された。 「そういえば、お参りのとき神様にお礼言った?」 「お礼?ですか?」 「そう。日頃の感謝の気持ちを伝えて、それからお願い事したり…まぁ願い事はそこで言わずに絵馬にかいたりね」 「知らなかったです、私普通にお願い事しちゃいました」 叶えてもらえないかもしれないですね、と少しがっかりしたように肩を落とす。 呪術師なんてものをやっている人間が「神様」なんて随分なことだとも思うが、そういう無粋なことを今は言わなくていいだろう。 「じゃあ願い事は私が叶えてあげるよ。言ってごらん」 でも、と言い渋るナマエに、ほら、ともう一度促すと、観念したように口を開いた。 「…夏油先生が、今年も元気でいられますように」 「ははっ、初詣まで私のことを考えてくれてるのかい?」 叶えてあげるって言った手前、呪術師として縛りを破るわけにはいかないなぁ。と都合よく優等生じみたことを考える。 空からは小さな雪の粒がはらはらと散り始めていた。 |