01 胸に裂き傷


お人よし極まる同僚が、今度は子供を拾ってきた。なんでも任務先の殺し屋養成施設の生き残りで、子供の抹殺が任務に含まれていなかったゆえに後始末に困って連れてきたらしい。そんな出来事は南雲にとって退屈な日々に訪れた適度な刺激だった。
うきうきと軽い足取りで殺連本部に向かう。セキュリティのかたい上層階に専用のパスで入り、ルームAと銘板の掲げられた部屋にノックもなしで入室する。

「豹〜!女の子誘拐してきたってホント〜?」

ばたんと勢いよく開けば、中には豹と14、5歳の少女が部屋の中にぽつねんと立っている。どうやら上との話は終わったところらしい。豹がチッと舌を打つ。

「人聞き悪りぃな。保護だ馬鹿」
「えぇぇ〜?絵面は完全に誘拐犯と被害者だよ?」

豹はお人よしではあるが見た目はかなりガタイがよくて、その隣にいたいけな少女がいるとなると美女と野獣ならぬ幼女と野獣状態である。これはかなりからかい甲斐があるというものだ。隣の少女に目を向けると、怯えるでもなくジッとこちらを見ている。表情は殆どなくて、その無機質とも言えそうな面立ちに友人のことを思い出した。

「で、この子は?」
「とりあえず殺連で一時預かりだ。さっき上から許可が出た」
「ふぅん」

南雲は長身を折り曲げて、少女をぐっと覗き込むようにして距離を詰める。少女は逃げようともせずに直立のままで、この感じも友人を髣髴とさせる。それに名状しがたい苛立ちのような、棘のようなものが生まれた。何故ならその友人は、つい先日ここを出ていったばかりだからだ。

「君、名前は?」
「おい南雲、怖がらせるんじゃねぇ」
「いいじゃん。名前聞いてるだけだよ」

普段の素行のせいか豹からは随分と警戒されていて、名前を尋ねただけでまるで虐めを咎めるかのように釘を刺される。まぁ自分の中の形容できない負の感情を読み取ったのであれば、それなりに正しい判断だと言えるけれど。

「…ナマエ。三日前に育った施設が壊滅して、引き取られてここに来た」
「へぇ、自分の名前言えるの偉いねぇ」

14、5歳の子供に対してかける言葉にしてはかなり舐め腐ったそれにも彼女は少しも反応しなかった。殺し屋の養成施設で育ったというのなら感情の起伏が少ないのは当然だといえるが、それにしたって彼女は完成され過ぎている。

「ねぇ豹、この子、豹が預かるの?」
「当面はな」
「ふぅん」

この強面と少女の同居風景なんてなんとも愉快なものである。かなり興味はあるが、それはそれとしてこの少女を間近で観察したい気持ちもあった。

「ねえ〜豹〜」
「お前に任せられるか。犬猫じゃねぇんだぞ」
「まだなんにも言ってないのに〜」

先回りをされてツンと唇を尖らせた。身長190センチの成人男性の仕草としてはかなりキツいものがあるが、顔がずいぶんなベビーフェイスであるせいかそこそこ自然に見えてしまう。まぁこれも、南雲が最大限に長所として利用するところの容姿の良さである。

「ちぇっ、じゃあまぁいいや。どんなもんかと思って見に来ただけだから」
「見せモンじゃねぇよ」

シッシ、と豹がまるで虫でも追い払うような手つきをして、まぁこれ以上ここにいたところで特に収穫はなさそうだな、と退散することを決める。ナマエの瞳が真っ直ぐ南雲を見つめたままだった。


諜報活動、いわゆるスパイを生業として生きてきた南雲にとって、友人という存在は不要のものだった。JCCに入学したときだってもちろんそんなものをつくるつもりはなかったし、それが寂しいことだとかどうかなんて考えたこともなかった。

「何ガンくれてんだよ」
「え、何、君たち…」
「オイ坂本、やっちまおうぜ」

そんな中で知り合ったのが赤尾、坂本の二人だった。赤尾の無茶振りに坂本が連れまわされて、坂本がまたついていけるものだから赤尾がもっと無茶振りをする。だいたいそんな感じで、その上二人とも実力は折り紙付きだ。滅茶苦茶で、もうどこまでも自由で、そしてどうしようもなく楽しそうに見えた。
人生で初めてできた友達。口にするのは恥ずかしいけれど、二人は間違いなくそうだった。暗殺科に転向して、そこからは三人で行動することが増えた。この世界に生きる家系の人間としてこの二人を弱みにするつもりはなかったけれど、強いて弱みになり得るのなら家族よりもよっぽど二人の方だ。

「南雲、火ィ貸して」
「なんで僕がライター持ってる前提なの?」
「実際持ってンだろ。煙草吸わねぇクセに」

男と女とか、生まれ育った環境とか戦闘スタイルとか、そんなものは何も関係なかった。JCCでの生活を殆ど一緒に過ごしたし、たくさん悪戯をして連帯責任で色んな罰任務をやらされた。
きっとずっと一緒だ、と思っていたけれど、別れは三年の時に突然訪れた。赤尾が生死不明のまま行方をくらましたのだ。それだけじゃなかった。

「殺し屋、引退する」
「は?」
「一般人と結婚するから」

このあいだ突然に突きつけられた言葉。JCC時代から10年弱一緒に過ごしてきた友人が、殺し屋の世界しかしらないはずの友人が、結婚をして殺連を、殺し屋を辞めるという。言われている言葉が呑み込めずに、何度かまばたきをして言葉を因数分解していく。

「……辞めるの…?」
「ああ」
「本当に?」

こくりと坂本が頷いた。結婚している殺し屋だってたくさんいる。ORDERにもそういう人はいたし、そもそも自分の親だってそうだ。けれどいずれも業界人か、業界関係者同士で結婚している。一般人というのはそれなりにギャップが強くて、上手くいかないというのが定説である。

「坂本くんさぁ、一般人と結婚するのがどういうことかわかってる?」

こくり、彼が頷く。わかってないくせに。尖った言葉が頭の中に浮かんでロクに精査もされないまま口から吐き出されていく。心臓の裏側が冷えていくのを感じた。

「坂本くんが思ってるより、愛って面倒くさくて醜いもんなんだよ?コントロールできないそんなものに囚われて生きるなんて坂本くんらしくないんじゃないのかなぁ」

文字だけは優しくて、語気は相当強かった。苛々している。たったひとり残された友人を見知らぬ女に掻っ攫われてしまいそうで。
確実に自分の方が長い時間を一緒に過ごしているし、同業者なんだから理解も深いはずだ。どこの馬の骨とも知れない女の方が自分よりこの男を理解しているなんて、そんなことあるはずがない。あってもらっちゃ困る。

「それでも…俺は葵と一緒に生きていきたいから」

突きつけられた言葉に喉を引き裂かれた。愛がなんだ。赤尾も、坂本も、みんな自分を置いて行く。生まれて初めて自分から望んだ二人だったのに、友人たちはあまりにも呆気なくどこかに行ってしまう。
それからは坂本に何と言ったのだったか覚えがない。とにかく狭い空間で大きな音が反響するような、耳障りでどうしようもない酩酊感のようなものがあったことだけを覚えている。

「……眠ってたのか…」

南雲はひとり、殺連本部にある上層階の控室で目を覚ました。時計を見ればそれほど時間は進んでいないが、どうやら自分は眠ってしまっていたらしい。防弾ガラスで作られた窓には夕陽がさしていて、オレンジ色に変わっていく街を見下ろすことができる。

「……眩し…」

寝起きには刺すように感じられるその光をまっすぐ見ていられなくなってまばたきを繰り返して緩和する。べつに懐かしくもない最近の出来事を夢に見てしまうなんて、自分は自分が思っているより参っているのかもしれない。ちゃんと自分をコントロールしないと。

「大丈夫?」

声をかけられてびくりと起き上がり、声の方向に対して思わず臨戦態勢をとる。目の前にいたのは豹の拾って来たというあの少女だった。なんでこんなところに。いや、なんで部屋の中に入っていることに気付けなかったんだ。それだけ注意力が散漫になっていたということだろうか。だったら本格的に不味い。

「…こんなところにひとりで来てて豹に怒られちゃうよ?」

どうにか言葉を捻りだして、いつもの笑顔をぺったりと貼りつける。彼女がここにいるということは豹が連れてきたということだろう。だが肝心の豹の姿がどこにもない。殺連の保護下にあるとはいえ、彼女がひとりで出歩くのが許可されているとは思えない。

「迷ったの。豹についてきたんだけど…トイレ行こうとしたら帰れなくなって。同じような部屋いっぱあるから…」

なるほど、どうやら迷子のようだ。特に殺意のようなものも感じないし、殺連を利用してやろうとか諜報活動をしてやろうだとかそういう気配もない。本当に単純にトイレに行った帰りに戻れなくなったのだろう。

「本部は広いからね〜」

まぁひとりにしておいて良いことはないだろうし、恐らく今頃血眼になって探しているだろう豹に連絡を入れてやらなければ。その時だった。

「どうかした?」

あまりにもジッとこちらを見てくるから、何か言いたいことでもあるのかと思って気を遣ってそう声をかけてやった。すると彼女は「ずっと笑ってるね」と言った。ピクリと口角が反応してしまいそうになって強く律する。

「あはは、そう〜?別に──」
「…あなた、笑いたくないのに笑ってるように見える」

ひゅっと言葉が引っ込んでしまったのは、単純に彼女の言葉のせいというよりは夢にまで見てしまった友人のことを思い出してしまったからかもしれない。ダメだ、自分をコントロールしなくては。こんな小娘の言葉に揺さぶられたふうになってはたまらない。南雲の胸中など知る由もなく、ナマエはさらに追い打ちをかけた。

「殺し屋の仕事は笑っていてもいなくても変わらない」

視線は外れない。南雲の口角が徐々に下がってヒクヒクと痙攣する。諜報活動でもしない限り、殺し屋に愛想なんてものは不必要だ。殺しの腕さえあればそんなものなくたって仕事は成立するし、愛想のまったくと言っていいほどない腕利きの殺し屋も知っている。いや、正確には「元」殺し屋だけれど。

「笑いたくないのにどうして──」

彼女がこちらの神経を逆なでしているとは気付かずに続けるものだから、ついに手が出た。喋り続けるナマエの口をグッと勢いよく掴み、これ以上喋れないように物理的に押さえつける。めきっと骨が鳴る寸前で自分の行動に気が付いて手を離した。
ナマエは自分に何が起こったのか一瞬理解できなかったのか、目を見開いて硬直していた。悲鳴も上げないから骨を砕いてしまったのかと思ったが「ぁう…」と言葉にも満たない音が出たからその心配はないようだ。

「豹に連絡してあげるよ」

取り繕ってそう言って、ポケットからスマホを取り出すと豹の名前を呼び出して電話をかける。豹にはすぐに繋がって「今行く」と短い応答があって通話が終わる。ナマエは南雲に対して口をきくのが怖くなったのか、少し距離をとったところで黙って豹を待っていた。
数分も経たないうちに気配が近づいてきて、ばたんと二人のいる控室の扉が開いた。豹だ。

「ったくナマエ!心配したぞ…」
「豹!…ごめんなさい。迷っちゃった」

顔を出した豹にトコトコと歩み寄り、随分素直に謝っている。豹が来る頃には南雲も通常運転を取り戻すことが出来ていた。豹が「ナマエ、こいつになんかされてねぇか」と人聞きの悪いことを言ってナマエはそれに「何もないよ」と答えた。先ほどのアレくらいは彼女の中で何もないという判定なのか、それとも南雲を庇うつもりなのか。

「あはは〜信用なさすぎ〜」
「普段の行いのせいだろ」

まぁごもっともなことを言われて、このくらいの扱いに甘んじているのが丁度良かった。同僚の豹には友人をなくしたくらいでこんなに動揺しているなんて死んでも知られたくない。
二人はもうそのまま帰るようで「行くぞ」という声とともに揃って出入口のほうに向かっている。ふと、ナマエだけが立ち止まって南雲のほうに向かって歩いてきた。

「南雲、ごめんなさい」

ぴたりと前で止まって頭を下げる。彼女なりになにか悪いことをしてしまったと自覚があるようだ。自分だって大人げないことをしてしまった。なんとなく彼女は、自分を引き裂いた裂き傷に似ている。



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