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06 二番線、発車五分前


待ち合わせの喫茶店を出て、東京観光なんてどこに行きたいのかと聞いたら「浅草寺!」と元気よく言われた。また来日初回の外国人観光客みたいな定番のチョイスだな、と思ったけれど、友人の趣味にあれこれと言うのは悪い。

「ミョウジさん、良い人だったね!」
「ミョウジに会ってなかっらたら今頃迷子でしょうね」

こんなことだろうと思って駅で待ち合わせをしようと提案したのに、大丈夫だからと聞かなくてあのカフェで待ち合わせをすることになった。それを待っていたらまさか店先にミョウジと一緒に現れて、あの時は一体どういうことかとかなり驚いた。

「披露宴なんて初めてだなぁ。僕、披露パーティーみたいなのしか行ったことないや。七海はある?」
「ええ、大学の友人とか親戚とかで何度か」

最近はホテルで大きな披露宴をしようというカップルは減っているらしい。皆家族だけで式をして、友人たちには披露宴よりも気軽なパーティーでお披露目するというようなパターンが多いと聞く。七海の場合は披露宴に参加するという機会があったから、初めてというわけではなかった。
浅草寺に向かう道すがら灰原とあれこれ積もる世間話を続ける。駅まで辿り着いてホームで電車を待っていると、会話が途切れたタイミングで灰原がじいっとこちらに視線を向けてくる。「なんですか」と不審な視線の意味を尋ねた。

「あのさ、七海が前から言ってた同じバイトだった女の子ってミョウジさんのことだよね?」
「…ええ、そうですよ」

少しバツが悪そうに七海がそれを肯定する。ミョウジのことを、じつは以前から灰原に話をしていた。多分最初はバイトの話をしている延長で他のバイト仲間の話もしていたと思う。だけどいつの間にか、ナマエの話ばかりをするようになっていた。

「ミョウジさん、良い人だよね!」
「……なんで二回言うんですか」
「大事なことだから?」

訳知り顔で灰原が笑う。この男が意地悪い顔をしているのは珍しい。いつもなら当意即妙なことを何か言ってみせるところだけれど、図星の近くをしっかり突かれてしまって上手に何かを言い返すことが出来なかった。


ナマエは、友人のひとりである。初めてのアルバイト先の同僚で、一緒に働いていた期間が長いからそれなりに情のようなものは湧いていると思う。そう言い訳をして逃げていたのは、多分きっと結構長い間。

「……はぁ、灰原にまであんな顔をされるとは我ながら不覚が過ぎる…」

灰原は他人を良く気遣える出来た男だけれども、恋愛関係云々に関してはかなり鈍い。学生時代も告白してきた後輩に対し「いいよ、どこに付き合えばいいかな?」と少女漫画も驚きのボケをかましたくらいだ。その灰原に察されたというのは、傍目に見てかなりあからさまだったんだろうと思う。

「とにかく、ミョウジにまでバレるわけにはいかない」

とっくに「昔のバイト仲間のひとり」という枠から飛び出ていると、ナマエ本人には知られたくなかった。長くそばで築いてきた「失恋駆け込み寺」を辞めたくなかったのもあるし、恋愛体質の彼女がここまで自分に対して友人の態度を貫いてきた以上、きっと自分は彼女の恋愛の琴線に触れないんだと思っているからもである。

「七海っ!早いね。皆は?」
「まだですよ。もう少し待ち合わせまで時間もありますし、そろそろ来るんじゃないんですか?」

久しぶりにバイトの元同僚メンバーが五人ほどで集まれることになり、今日はその当日だった。転勤で東京を離れたメンバーのひとりが出張で東京に出張だというので、その予定に合わせて集まろうということになったのだ。

「人数揃うの久しぶりだね」
「ええ、まぁなんだかんだと予定合わせられてませんでしたからね」
「最近七海にばっかり付き合わせてたし、なんか集まれて嬉しい」

別に自分は、彼女と二人きりでも構わないのだけれど。ナマエが「ね?」と同意を要求してくるから「そうですね」と口先だけで同意した。程なくしてひとり、またひとりと集合し、待ち合わせの時間には五人そろって店に移動した。さりげなく彼女の隣を陣取ってみたけれど、べつに誰も何も気にしないのが少し気に食わなかった。

「最近どうなのよ、ナマエの恋愛面は!」

アルコールが適度に回ってきたころ、女性のひとりがそう切り出した。ナマエの男運のなさや壊滅的な恋愛面は皆の知るところで、学生時代から笑い話に変えて話題にしていた。昔はそれこそ問題が起きるたびに集まって、飲みついでにナマエの話を聞いて慰めたり一緒に笑い飛ばしたりしたものだけれど、最近はその機会もめっきり減っている。まぁもちろん、ナマエの失恋だけを理由に集まっていたというわけではないのだけれど。

「最近は超最悪!歴代最低!全米が泣くし、もう自分でも引くレベル!」

ナマエがアハハと笑い飛ばす。こうしてネガティブなことでも卑屈になりすぎずにいるところが、ナマエの度重なる失恋話に懲りずにみんな付き合う理由のひとつだろう。どういうことよ、とその女性が話を広げ、ナマエは「悪質な嘘つき、セフレ扱い、浮気目的!」と勢いよく答えれば、場の全員が「ひでぇー!」と示し合わせたように声を上げてドッと笑った。

「なによ、そんなに色々あって全然ウチら呼び出さなかったじゃん?昔はすぐに聞いて聞いてーって言ってきたのに」
「あはは、最近はずっと七海が話聞いてくれてたからさぁ」

婚約破棄になった時は他にも声をかけていたが、それ以降は声をかけていたわけではないようだ。なんとなくそうは思っていたけれど、改めて彼女の口からそれを聞かされると少しだけ優越感のようなものを覚えた。それだけ自分を頼ってくれているということが嬉しくなる。

「もー、あんたは昔っから七海君に頼りっきりなんだからぁ」
「だってさぁ…七海ズバって言ってくれるから気持ちいいんだよねぇ」
「またそんなこと言ってー。七海君だってお守りばっかりさせられちゃかわいそうでしょ」

かわいそうなもんか。彼女が感じる安心感にあぐらをかいてずっと姑息にも「一番近い異性」の場所を守り続けている。七海は手にしていたグラスの中身を呷り、ことんっと少しだけ音を立てながらコースターに置いた。

「別に、私は構いませんよ。迷惑だとは思ってませんし」

恋愛体質のせいで毎度毎度ひどい目を見る彼女を哀れだとは思うけれど、その傷を吐き出されることを面倒だと思ったことは一度もなかった。むしろその役割が自分だけであればいいとさえ思う。口にしたのは本音だけれど、その言い方があまりに本気だったせいか、二人とも一度押し黙ってしまった。何か言わなければと次の言葉を探す。

「…まぁ、変な男にいつまでも引っかかるのは、いかがかと思いますけどね」
「えぇぇぇ、辛辣!超優しいこと言ってくれたと思ったのに!」
「何言ってるんですか、私はいつも優しいでしょう」

ナマエが茶化してくれたからこれ以上変な空気になることはなかった。ナマエがお手洗いに行くと言って席を立ち、同僚女性のひとりと残される。じぃっと視線を向けられて、どこか気まずいまま、またグラスにくちをつける。

「あのさぁ、七海君ってひょっとして……」
「みなまで言わないで下さいよ」
「了解」

ダメだ、多分最近の自分は分かりやすすぎる。一瞬で彼女にもバレたし、本来鈍いはずの灰原にもバレた。こんな有り様では本人にバレるのも時間の問題かもしれない。自分でも呆れる。

「私、そんなに分かりやすかったですか?」
「うん。一言で分かる程度にはね」
「……はぁ、そうですか…」

やっぱりそうか、と思ってため息をつく。久しぶりに会った友人にこんなにも簡単に分かってしまうのなら、本人にだってわかってるんじゃないのか。わかってて態度を変えないのならそれこそ脈はないということじゃないのか。

「私個人としては七海君のこと応援するよ」
「…どうも。でもミョウジにその気がないのなら、どうしようもないことですよ」

応援してくれるのは有難いが、受験勉強じゃあるまいし、自分が頑張れば必ず報われるというものではない。恋愛がそんなシステムであれば、誰も苦労はしないだろう。ナマエも自分もだ。

「その気にさせればいいんじゃん?」
「…簡単に言ってくれますね」
「だって七海君イケメンなんだしさ、ナマエってば超恋愛脳なんだから、意識すれば一発でしょ」

その「意識をさせる」という点でさっそく躓いているんだが。彼女は「七海君ほどの超優良物件なかなかないんだし」と追加のフォローをしてくれて、そうこうしているうちにお手洗いに立ったナマエが戻ってきた。ナマエの飲み物の追加を注文し、そこから一時間も経たないうちに例の出張で東京に来ているというメンバーの新幹線の時間が迫ってきて、久しぶりの会はお開きになった。

「はぁー、皆結構仕事とか大変みたいだねぇ」
「ええ、まぁ、年齢的にも新しい仕事とか任されるような時期でしょうしね」

七海とナマエは同じ方向の電車に乗るからと、最寄り駅まで二人で歩くことにした。冷たい風も、アルコールで熱くなった身体には心地がいい。今日集まったメンバーの中には転職で地元の方に戻るという人間もいた。人数を揃えて集まるというのはきっとこれからもっと難しくなるだろうと思う。

「あ、そうだ。こないだの披露宴どうだった?」
「どうって言われても。ごく普通の披露宴でしたよ」

灰原と一緒に行った高校の同級生の披露宴のことを思い浮かべる。どうと言われても形容の難しいごく一般的な披露宴だった。自分が参加した中では規模の大きいものだったとは思うが、新郎新婦の入場から始まり、親族のスピーチ、上司や恩師のスピーチ、ケーキ入刀に豪勢な食事。多少旧式ではあるが、これといって特筆すべきことはなかった。

「私もちょうど同じようなタイミングで参列したんだよ。こっちは披露宴じゃなくて式だったけどさ。地元に残ってる親友で。ウェディングドレス綺麗だったなぁ」

奇しくもナマエも身近な友人が結婚したらしい。いつもより少し声が寂しそうに聞こえる。別に恋愛体質なナマエじゃなくても、身近な友人が結婚するというのはめでたい反面、少し寂しく感じることでもあると思う。

「ウェディングドレス、着たいんですか?」
「そりゃあ着たいよぉ。女の子の憧れじゃん!」
「それは知りませんけど」

憧れかどうかは個人の価値観によるものなんじゃないだろうかとは思うが、それを酔っぱらいのナマエに説いたところであまり意味はなさそうだ。一般論として花嫁姿、ウェディングドレスというものは、その先の幸せな結婚生活を含めて女性が憧れるものだろう。ナマエのウェディングドレス姿を想像した。タイトなデザインのものよりはふんわりとスカート部分にボリュームがあるデザインのほうが似合うような気がする。

「ミョウジは、プリンセスラインのドレスが似合いそうですね」
「え、七海、プリンセスラインとか知ってるの?」
「先日の披露宴で教えてもらいました」

披露宴の待ち時間に、参列者の同級生のひとりから画像付きで教えてもらった。ウェディングドレスにそんなに種類があるとは知らなくて驚いた。エンパイアラインやらマーメイドラインやら、随分様々な種類があるらしい。
最寄り駅に到着し、自宅のほうに向かうためにナマエが「じゃあ私こっちだから」とメトロの階段の方に向かおうとして、その手を思わずつかまえる。ナマエが驚いて振り向いた。

「ミョウジ、送ります」
「え、いいよ。悪いし。七海路線違うでしょ?」
「構いません。乗り換えてもそう変わりませんから」

ナマエは大きな目を何度かまばたかせ、アルコールで赤くなった頬のまま「じゃあ、お願い」と言った。居酒屋で話した友人の言葉が脳裏に過る。意識すれば一発でしょ、なんて簡単なことを言ってくれる。そんなことを言われたってまずは今まで以上に優しくしてみるとか、そんな月並みなことしか思いつかない。



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